大技師一族と蟲の民2

 セリムの傷の痛みはもう殆ど消えていた。目をつむってぼんやりしているとヌーフとアピの会話が届いてきた。まだ微かに意思疎通が続いているらしい。


「さて、子蟲君。姫の話をしようかの。すっかり閉ざされてしまってのお。姫について教えてくれるかい?」


〈姫は出来損ないで世話のかかる兄弟。一番下の末蟲すえむし。人間とつがいになって、脱皮して人もどきになった〉


「人もどきとな?」


〈姫は人もどきとして生きるんだ!でも出来損ないでもう繋れない。姫も皆も寂しい。だからセリムと世話役がお世話する〉


「ふむ。さっぱり分からん。ワシから見るとあの娘さんは人だ。ちいっと特殊みたいだが」


〈姫はゴヤの子蟲。今はセリムと混じってお日様と誓いの蜜の匂いもする。人はこんな匂いはしない〉


「姫はゴヤの森で生まれたのかい?」


〈家族じゃないから教えてあげない。レークスの輪にいるけど余所者だ。家族じゃない!危険な時しか繋がらない!〉


「手厳しいの」


〈他者の領域を侵すには覚悟がいる。闇雲に他者を踏みにじればそれなりの代償を払うことになるんだ。大切な教え〉


 アピの台詞にセリムは思わず目を丸めた。セリムが弟子のリノへ残してきた言葉だ。


「何と耳が痛い。それは誰の教えだい?」


〈人の王。人の王は人が好き〉


「人の王?」


〈人の王は姫が好き。人の王は姫の家族も好きになった。姫は人の王が好き。だから家族も人の王を好きになった。好きなものの好きなものまで好きになる。くるくる、くーるくる〉


「人の王はセリム君のことだね」


〈テ、テ、テ、テルム。テルテルテルム。ラステルの婿セリム。テルム、テルム〉


「それでテルム?人の王とは何……」


〈トムトムトトト。セリムの友達トムはおバカでバムバム。ヘンテコヘトム。ラステルの友達トルルルルルル。くるくる楽しーい!皆が遊んでくれる!ホルフルアピスの子は偉い子だから遊んでもらえるんだ!風で沢山遊ぶんだ!〉


「ほっほっ、楽しそうだの。しかしもう話に飽きてしまったのか」


〈遊ぶの楽しい!〉


***


 楽しいと騒ぐアピの声が段々と聞こえなくなっていった。何となくだが意識が輪の外れにいったと感じた。


「アピの奴遊ぶばかりだな。殺戮さつりく兵器蟲の女王……人形人間プーパは蟲を使役する道具。人もどき……」


 誰もいないので思い出したことをつい呟いていた。何にも分からない。はっきりしたのはホルフル蟲森のアピスがセリムを尊敬し信頼してくれていること。好んでいてくれること。


「アスベル先生の大陸は何故蟲に滅ぼされてしまったのだろう……」


 大陸中の人の里を蟲が蹂躙じゅうりんして人々は海へと逃げたという。そして大嵐に飲み込まれた。大自然の何もかもが燃え上がっていたと言っていた。人以外の生物、大地さえも巻き込んで。セリムが知った蟲はそのような残虐非道な生物ではない。決して。


 一方で蟲の王レークスは人間を下等生物だと見下した。おそらく人は監視されている。


 扉を軽く叩く音がしてセリムは考えるのを止めた。


「セリム具合どう?」


 ラステルとミーナが部屋へ入ってきた。ラステルが片手で持つお盆の上には湯気立ちこめる器が乗っている。ミーナが両腕で寝具を持っていた。


「もう全然痛くないよラステル。ミーナさん、このような薬を見聞きしたことがありません」


「私も知らないのです。父だけの秘密です。夜中に古代遺跡へ行くと聞いています。奥方様共々ゆっくりとお休みください」


 ミーナが寝具を床に置いた。


「私は元気です!ミーナさんやアシタカさんのお話をもっと聞きたいです」


 ラステルはお盆を机に置いてミーナへ近寄った。顔に絶対寝ないと描いてある。


「それなら美味しいお菓子があるのよ。妹達も呼んでお話ししましょう。ラステルちゃんの村や崖の国の事も知りたいわ」


 セリムが夢を見ていた間にすっかり打ち解けたのかラステルとミーナは親しそうにニコニコと笑みを交わした。


「それなら僕も……」


「あらダメよ!セリムは沢山休まなくちゃ!」


 起き上がろうとしたセリムをラステルが押さえつけた。酷く心配そうに見つめられ嫌だとはとても口に出来なかった。


「あらあら。ラステルちゃん、スープを飲んだセリムさんが横になったらいらっしゃいな。それまでに用意をしておきますから。先程の台所で待っていますよ。ゆっくりしてからで良いですからね」


 ミーナがセリムを見てクスクスと小さく微笑んだ。何だろう?


「そのくらいは僕と二人きりになってくれるかい?ラステル」


 上半身を起こしてセリムはラステルの手を取った。ラステルが何故か顔を真っ赤にした。


「もう、変よセリム」


 頬を膨らませたラステルがそっぽを向いた。


「あらあら、私は先に失礼しますね」


 ミーナが告げるとラステルがブンブンと赤い顔を横に振った。ミーナに続いて去りそうなラステルの体をセリムは思わず腕で引き寄せた。パタンと扉が閉まった。


「まだ少し怠いんだ」


 セリムは机の上のスープを指差した。ラステルはどうしてだかまだ頬を赤らめている。


「……!ごめんなさい私ったら。まだ体が辛くて一人で飲むの大変なのね」


 慌てたラステルがスープの入った器を手に取って寝台の端に腰を下ろした。セリムはラステルの腰に手を回した。途端にラステルが眉毛を釣り上げた。


「まあ嘘ね!」


 身をよじったラステルが持つ器からスープが少し溢れてセリムの手の甲にかかった。


「熱っ!」


「もうっ!大人しくしてて!手も離す!」


 キッと睨まれてセリムは大人しく手を離した。むしろ気迫に押されて両腕を天井へ挙げた。


「元気そうだから大丈夫ね!」


 セリムに器を押し付けるとラステルは立ち上がって仁王立ちした。セリムは首を横に振った。


「ラステ……」


「ダメよ!そんな目をしてもダメ!ちゃんと寝るのよ!あと人前ではしたないことしないで!」


 そんな目ってどんなだ?はしたない?落ち着いてゆっくり話をしたいだけだ。もちろん多少触るつもりはあるけれど何やら誤解されている。


「あのラス……」


「人様の前であんな事言わないで!スープを飲んで大人しく寝てなさい!そんな顔してもダメよ!」


 もうっ、と言い放つと怒ったラステルは部屋を出て行ってしまった。あんな事とは何がだ?と問いかける暇も無かった。すれ違うようにアピがブーンと飛んできてセリムの前、布団の上に止まった。


〈繁殖期の匂いがする。お祭りだお祭り〉


 心外だ!ラステルの勘違いもこれに違いない。"そんな顔にそういう目"なんて自覚は全くなかったので、ラステルの中で自分がどういう評価をされているのかと不安になった。このままの関係が続くとラステルは豪気な義姉ドーラが兄クワトロを支配するみたいにセリムを尻に敷きそうだ。想像しただけでおののいた。おまけに蟲に発情してると見当違いの指摘をされるとは、何と情けない。


「おいアピ!僕はそんなつも……」


〈祭りだ祭り。お祭りは遊ぶんだ!セリム遊んでくれ〉


 アピが体を揺らした後にピューンとセリムの額に跳ねてきた。トンッとおでこを踏み台のようにして更に高く跳ぶとくるくると回転して布団に着地した。


「はあ……もう。ほらおいで」


 人と人は蟲の意思疎通の輪のように繋がらない。些細な誤解がすれ違いに発展しないといいのだがとセリムは思わずため息をついた。それからセリムはアピを手招きした。


〈姫は恥ずかしい。繁殖期なのに逃げちゃった。だからセリム、遊んでくれ〉


 全く脈絡の無い遊びの要求にセリムは吹き出した。それからアピを抱っこしてくるくると回した。恥ずかしくて逃げたなら怒っていた表情も可愛く思えてくる。あとで揶揄からかったら隠れてしまうかもしれないがちょっと試してみたい。


 これって反則なんじゃないか?でもワクワクした。人と人に蟲が介すると本心が筒抜けとは中々穏やかじゃない。しかし興味深かった。


「なあアピ、ラステルの気持ちは分かるのか?」


 いまいちラステルとアピは意思疎通が出来ていない様子が度々あったので聞いてみた。


〈分かる分かる!姫の言葉は分からなくなっちゃったけど分かるよ!兄弟が大好き!〉


 セリムが宙にアピを放り投げるとアピは体を回転させてボフンと床に置かれた寝具に体を埋もれさせた。楽しいとアピが脚をバタバタさせた。


「そっか。それは良かった」


 アピと会話するセリムをラステルはずっと羨ましそうにしている。ラステルが人として生きながら、家族ともう一度心通わせられる日は来るのだろうか。今のセリムのように。ラステルにそれを与えてやりたいという気持ちが芽生えてきた。


〈世話役もいるから頑張ろうセリム。姫はセリムが大好き!〉


 アピがまた遊んでとセリムに跳ねてきた。


「あはは!全部筒抜けなんだな。面白い体になったもんだ!」


 セリムはアピを抱きとめるとワシャワシャと黄色いふわふわな産毛を撫で回した。


〈閉ざす練習しないとダメだ。輪の中に悪い奴は入れちゃいけない。古いテルムの子は無理やり入ろうとした!嫌だと言ったら止めたから悪い奴じゃないけど〉


 腕の中のアピの三つ目がすうっと黄色く変化した。


「僕は人について教えよう。アピは蟲について僕に教える。どうだい?」


 セリムがアピを撫で続けると瞳の色は青色へと戻っていった。それからアピは前脚でセリムの胸元の服を掴んだ。


〈当然だ!蟲の民と共に学びあって自由に生きるんだ!〉


 セリムが目を丸めるとアピの瞳が灰色に変わっていった。


〈眠い。後で。セリムもまだ痛い……〉


 騒いでいたのに急に寝るとは本当に子供だ。セリムは脇にアピをそっと下ろした。それから冷めないうちにとスープを飲んだ。玉ねぎをふんだんに使用したミルクスープはとても美味しかった。ラステルも手伝ったのだろうか。もしそうなら初めての手料理。セリムはゆっくりとスープを飲んだ。


「蟲と生きた民。絶滅したと言われてる、か。意思疎通の輪に入った人間が蟲の民なのか?この世界は不思議と謎で満ちている」


 不安ないさかいがあちこちに転がっているが、それでも行く末は明るい気がする。


 家族が何かに祝福と感謝をこうと巣を飛び立った。そう伝わってくる。


 セリムは横になって目を閉じた。一度は手から溢れ落ちてしまった燦々さんさんと輝くセリムの世界。これから先、何度も手から落ちてしまうかもしれない。二度と手を握れない時がくるかもしれない。


 しかし消える訳ではない。


 決して失われない。


 巡り巡って美しいものは紡がれていく。


 そんな想いを抱いてセリムは眠りに落ちた。

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