大技師一族と蟲の民1

 円卓団欒だんらん室を出るとヌーフが心で直接セリムを呼んだ。


「痛てて……」


 迷ったがセリムは腹を抱えてうずくまった。


「セリム?大丈夫?」


 セリムの顔を覗き込んだラステルが嘘だと気がついたのか怪訝けげんそうに顔をしかめて唇を開きかけた。パズーとブラフマー長官がセリムの名を呼ぶとヌーフが廊下の角から姿を現した。


「部屋を用意しよう。ほれ、わしの肩に捕まるが良い。反対側は奥様じゃ」


 ヌーフが意味深な視線をブラフマー長官に投げた。ヌーフが自身の肩にセリムの腕を回した。このままでは身長差であまり意味が無さそうに見えるでセリムは体を屈めてもたれかかった。


「パズーさんヌーフ様にお任せしましょう。薬師ですので怪我の様子を診てくれます」


 パズーが「少し様子を確認してから」と告げたがブラフマー長官が引きずるように連れて行った。


「さて。まだ傷はだいぶ酷い。夜までゆっくり治療をしよう」


 大丈夫だと言う前にヌーフが歩き出した。ラステルがヌーフと反対側のセリムの腕を自分の肩に回した。


「無自覚なのは鎮痛剤が効き過ぎているのだろう。呼吸が少し荒い。汗も多めじゃ。狼君が気づいていて目で訴えておった」


 ヌーフが連れて行ってくれた部屋は子供部屋のようだった。天井から飛行船や飛行機の模型が吊り下がっている。棚の上には自動荷車オートカーの模型が並んでいた。壁に無造作に飾られている自然を描いた精巧な絵の数々。そのうち一枚、少しだけ大きい絵だけは額に収まっていて人物画だった。中央に今より若いアシタカの肩を抱くヌーフとその前に幼い三人娘、その周りに七人の女性。皆幸せそうに微笑んでいる。


「我が三人の妻に七人姉妹。息子はアシタカだけじゃ」


「妻が三人?大家族なんですね……」


 ラステルが不思議そうに首を傾げた。ヌーフが「そういう国もある」と短く答えてセリムを寝台へ誘導した。それから机の椅子へラステルを促す。ラステルがアピを抱きしめて部屋を眺めた。


「ここ、アシタカの部屋ですね」


 本棚にギッシリと詰められた書籍の半分以上は「〜学」と記されている専門書らしきもの。残りは小説なのかセリムの知らない、分からないタイトルばかりだ。


「そうじゃセリム君。寂しいことにもう成人だと十八の時にこの庭を飛び出してしまった。妹たちにせがまれて庭に別宅を構えたが別荘でしかない。市内に自宅がある。もう十年だ」


 ヌーフが両腕でセリムの両肩を押した。横になりながらアシタカはてっきりセリムと同年齢くらいだと勝手に思い込んでいたことに気がついた。十近くも年が離れているとは。よくよく考えれば知り合って間も無い。セリムはアシタカの事をまだ何も知らない。


「まあアシタカさんそんなに年が上だったの」


 ラステルも驚いたらしく目を丸めた。


「ペジテ人は童顔だからのお。薬を持ってこさせよう。興味があれば娘達にアシタカの事を聞くと良い。しっかり横になって休みながらだぞ。小蟲君は話があるから来なさい」


 ヌーフがアピに向き合った。


〈へんてこ人間。古きテルムの子。世話役も話をする〉


 ラステルの腕の中でアピが身をよじった。


「行ってらっしゃいアピ君。お行儀良くするのよ」


 さわさわとアピの産毛を撫でてからラステルがアピを離した。


〈セリム、姫を頼む。世話役は忙しいな。こんなんで寂しい不安だなんて脱皮どころかまだまだ末蟲すえむしから抜け出せない〉


 ヌーフの頭の上に止まったアピの発言がふと気になった。ラステルの言葉はアピへ伝わっていないかもしれない。


「アピ、お行儀良くするんだぞ」


〈失礼だなセリムは。アピスの子はアピスやセリムを見本にしてもう偉い子だ!偉い子だからお行儀良いんだ!〉


 アピがギギギギギと鳴いてセリムに抗議した。ちっとも行儀良くない。これで確信した。ラステルはアピスの輪から完全に切断されている。ヌーフがセリムに小さく頷いてから、頭上にアピを乗せて部屋から去っていった。


***


 セリムがラステルと談笑しているとノック音がして扉がゆっくりと開いた。現れたのは黒くて艶やかな直毛が印象的な母親くらいの歳の女性。三つ子達とは顔の作りが違うしアシタカともあまり似ていない。しかしヌーフの目と鼻の形にそっくりなのでアシタカの姉だと判断した。腕に白い陶器製の壺を抱えている。


「初めましてセリムさん。それから奥方のラステルさん。アシタカの姉のミーナです。弟が大変お世話になってます」


 起き上がろうとしたセリムの胸元をラステルが抑えた。


「初めましてミーナ様。こちらこそ夫共々大変お世話になっていて感謝しています」


 セリムに背中を向けたラステルが頭を下げた。ミーナがチラリとセリムを見て首を横に振った。


「このような格好で申し訳ありません。ご厚意に甘えてこのまま失礼します。崖の国のセリムです。お世話になります」


「ええ。庭を飛び出したアシタカが友をこの庭へ入れるのは初めてよ。とても嬉しいわ」


 ミーナがラステルを椅子へどうぞと促してセリムを覗き込んだ。


「傷口用に塗り薬を持ってきました。まくりますね」


 壺からヘラで緑色の軟膏なんこうすくうとミーナはセリムの腹の傷口にそっと塗った。あまりにもみたのでセリムは歯を食いしばった。ラステルが椅子から立ってミーナの横に膝立ちになってセリムの左手を握った。


「我慢しなくて良いですよ。一刻ほど我慢してください。その後は殆ど治りますから」


 柔らかく微笑むとミーナはセリムの額に浮かんだ汗をエプロンのポケットから出したハンカチで拭いてくれた。


「あの……この薬は……」


 気を抜くと気絶しそうな痛みに発熱感。セリムの視界はぼやけていった。


「勿論、秘密ですよ。滋養に良い物を支度してきます。奥方様、手伝ってくれます?」


 ミーナが有無を言わさずというようにラステルの腕を引っ張った。


「嫌で……」


「痩せ我慢させないであげましょうね」


 ラステルの言葉をミーナが遮った。困惑したラステルにセリムは首を縦に振った。今すぐ泣き出して痛いと叫びだしたかった。無理矢理笑顔を作ろうとしたが体が拒否している。


 さらわれるようにミーナがラステルを連れて部屋から出ていった。


 セリムは布団をキツく握りしめて大きく呻いた。


 意識が飛んだ。


***


 夢なのかふわふわしていた。


 初老の男の膝の上で黒髪の利発そうな男の子が絵本を真剣な眼差しで見つめている。


「蟲の民はどうしてペジテを攻めたのですか?父上」


「守るためじゃ。いつか見せよう」


「父上はいつもそればかりです」


 男の子が不満そうに頬を膨らませた。父親が息子のサラサラとした細くて多い黒髪を愛おしそうに撫でた。


「蟲の民はどうやって蟲を操ったのですか?」


「頼んだのじゃよ」


「頼む?命令ということですか?」


「似てるがちいっと違う。先入観は良くない。覚えておきなさい」


「どういうことですか?」


「いつか分かる時が来る。お前ならそれが出来る。自慢の息子だからの」


 男の子がねたように唇を尖らせた。


「どうやってテルムは蟲の女王と誓いを交わしたのですか?何の誓いなんですか?」


「伝承はあれど真実は誰も知らない。お前ならどうするアシタカ」


「分かりません。蟲の民やその女王がどんな者なのか想像つかない。だって何もしていないのに攻めて来たんですよ」


「それは本当なのかのお」


「違うのですか⁈」


「さあ誰も知らんよ」


 二人のぼやけた輪郭が益々ぼやけ、ついには真っ白な世界に変わった。


 これはアシタカとヌーフだ。


 セリムにはこの幼いアシタカの胸中が想像出来た。そしてセリムも弟子のリノへ似たような対応をしたから父親の気持ちも理解出来る。


 大事な事は簡単には教えない、悩めという大人達の理不尽だが成長を促す大きな愛情。


 アシタカが何故偽りの庭を出て行ったのか容易に想像がついた。一族、いやペジテという大都市に蔓延はびこる多くの"当然"や"当たり前"


 焦がれたのだ。自分の耳で聞き、目で見て、手で確かめ、答えを自ら導き出したい。


 その先にあるかもしれない。


 より良い国、より良い世界。


 明るい希望の世界。


 鮮やかな未来。


***


 丘の上で空を見上げて流れ落ちる星。胸がいっぱいになる幸せ。燦々さんさんと輝いた日々。


 アピスの血に残る古く大切な想いの結晶。


--新しく産まれる君達は本当の命となる。そして自由に生きるんだ。


 否定されて奪われたのも"本物の命"


 だから決して許さない


--愛するものの愛するものを受け入れる尊い生命。人よりも幸福に自由に生きよ。共に生きて欲しい。


 肯定されて与えられた"本物の命"


 だから決して忘れない


 信じる


--古い記憶。大事な伝統。刻まれた想い。紡がねばならない。人を諦めない。


--激動の先には希望がある。セリムと私は絶対に何があっても諦めないわ。


 ラステルが推測したようにホルフルアピスは「セリムと生きろ」と輪から外した。人として生きられるようにと。そうしないと姫は蟲となる。今後意思を共有出来なくても末蟲すえむしはもう家族と同じ祈りを持っている。忘れかけても姫のつがいがホルフルアピスの輪にいる。絆は消えない。家族のままで何も変わらない。


 姫が選んだのは人の王


 命を差別せず尊重する者


 敬意を込めてそう呼んでいた


 崖の国の王子にして風詠のセリム


 ずっと巣で見ていた


***


 目が覚めると不思議な気分だった。強く意思疎通の輪の中に入るのは二度目。こんな風に相手の事を自分の事のように感じられる事だけではなく、血に残されている古い記憶にやはり驚く。しかし当然という気持ちも湧き上がっている。


 ここまで信頼されているということに感激で胸が詰まった。

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