血染めの記者会見3
セリムは目を丸めた。胸から出血して倒れていったのはヌーフだった。
「ヌーフ様!」
「アシタカ様のみならずヌーフ様が撃たれた!」
裁判長ハンネルとブラフマー長官、そして何人かいたヌーフの護衛が倒れたヌーフを膝を床につけて覗き込んだ。ブラフマー長官がヌーフの体を抱きかかえるのが見えた。舞台袖から護衛人が押し寄せてくる。ヤン長官と部下達も駆け寄った。
「父上!」
アシタカが大声で叫んで走り出した。セリム達も後を追った。その時体が揺れた。目眩かと思ったが地面が揺れている。
大きくはないが地震だ。
「ラステル、アピ!」
セリムは揺れる体を何とか動かしながらアピを抱くラステルへ近寄って肩を抱いた。急に広場が暗くなった。パズーが移動してきてセリムにしがみついた。
「セリム、上に……」
パズーに言われて見上げると
「どうして……」
〈誓いを交わした大技師が間も無く失われる〉
「誓い?あれ、あの蟲って……ひいいいいいっ!」
地面の揺れが激しくなりパズーが更にセリムに体を寄せた。
「ちょっとパズー!変なところ触らないでちょうだい!」
ラステルがパズーの頬をバチンと叩いた。
「今のわざとじゃ……ひいいいい睨むなよセリム!ひいっ子蟲君!僕よりセリムにくっつけ!」
どこを触ったんだ?と思わずパズーを睨んだら、アピが黄色い瞳でパズーの背中にしがみついていた。
〈おこりんぼになりたくないよ。バムバムまた助けてよ。嫌だよセリム〉
「何か変だわ……」
「ああ。アピ、パズー静かに。おそらく大丈夫だ」
しかし更に激しく地面が揺れていく。ラステルがセリムの腕にギュウっとしがみついた。
「蟲と不可侵の契りを交わしたテルムの子孫……古き伝承は本当なのか……」
裁判長ハンネルの声が
「父上!駄目だ……この出血では……」
アシタカの震えた声も拡散されていく。
「アシタカ様!大技師を引き継いでください!アシタカ様は後継者です!」
ブラフマー長官が叫んだ。次々と「アシタカ様!」と声が上がる。広場中から悲鳴と救いを求める声が沸き起こった。
〈誓いを守る者はいるのか?〉
「何だよこれ。僕もやっぱりセリムと同じなのか?また蟲の声が聞こえる!でもこいつは何言ってるんだ?」
パズーが背中のアピをチラリと見てからまたひいっと小さな悲鳴をあげた。
〈バムバム遊んで。遊んだらおこりんぼにならない。セリム遊ぼう。怖いよ〉
「恐らく皆聞こえている。アピ、彼は怒りに来た訳ではなさそうだ。見守ろう」
「どういうことセリム?確かにあの蟲はとても穏やかな目をしているけれど……」
ラステルが眉毛を下げて
〈一刻の間に古きテルムの子から誓いの者を決めよ〉
「大技師一族は本当にペジテの至宝……アシタカ様!」
再び裁判長ハンネルの声が響き渡った。大衆からアシタカの名前が次々と巻き起こった。
「断る」
アシタカの凛然とした声で場が静まり返った。
「アシタカ様?」
呆然としたブラフマー長官の声。
「何度も訴えた。悪魔の炎を使うなと、侵略戦争をするなと。何故愚かな道を歩もうとする国を背負わねばならん。我が友を、そして父を撃った。罪を重ね
スッと立ち上がってアシタカは舞台袖へと歩きはじめた。絶望で空気が冷えて重たくなる。湧き上がる非難と恐怖、そして救いを求める声。ティダが無表情でアシタカを眺めている。
「セリム!アシタカを説得しよう!」
「アシタカさんどうしてしまったの?」
セリムはパズーとラステルの肩を抱えて首を横に振った。脅迫により目的を掴むのかとアシタカへ落胆の気持ちが湧き上がったが、逆ならばどうするだろうかとセリムは自らの未熟さに問いかけた。このような大国、すれ違う正義、相容れない意見。どのように
護衛人達がグルリとアシタカを囲んだ。
「拷問されようと断る。姉上達や妹達にでも頼むが良い」
大声で叫ぶとアシタカは護衛人を無視して歩き出した。
「ミーネ様方は崖の国へ救助の御礼をすると今朝旅立たれた……」
裁判長ハンネルの呻いたのが大衆へ届くとアシタカが向かう舞台袖の反対側からララ、リリ、ルルが飛び出してきた。倒れているヌーフにしがみつく。三人娘のすすり泣きが
「
「お兄様もお父様も尽力されたのにあんまりですわ」
「お父様!お父様!」
ブラフマー長官がララの肩に触れようとした。ララがその手を払った。
「
「掟を破り追放覚悟でこの国を救ったお兄様を撃った!
「この国を守った小蟲を殺そうとしました!お兄様のことも守ろうとしたのに!それでもお兄様なら許します!」
三人の声が静まり返った広場に木霊した。三人娘は立ち上がってアシタカへと駆け寄った。アシタカが腕を広げて三人を抱きかかえる。それから大きく首を横に振った。
アシタカへ銃口を向けていた護衛人達がその場に崩れ落ちた。
セリムはラステルとパズーの肩を抱いたままアシタカ達の元へと足を進めた。アピがルルの胸元にしがみついて曲げた前脚で濡れた頬を撫でた。
「ふははははは!自らの罪で首を絞めたか!因果応報とはこの事だ!」
ティダが機械を持って高らかに発言した。
「先程お前と子蟲に立ちはだかったヤン長官や護衛人達を見捨てるのか?高潔な妹達を巻き添えにするのか?大技師ヌーフと共に蟲へ祈りを捧げた民は?」
冷ややかな表情のアシタカは無言でティダを見つめた。
「ほらよっ」
ティダがセリムへ機械を投げた。それからティダが顎を軽く動かした。後押しをしろということか。迷ったがセリムはアシタカを信じると決めたのだから、自分の決断に従うことにした。
「敵に真心を捧げよ。憎しみを受け止めて許しを選べ。我が国の言葉です。全てを許しなさい。そして全てを愛しなさい。アシタカ、君の父上の言葉だ」
棒読み気味になってしまったがセリムは今必要だと思う台詞を吐いた。アシタカへ機械を投げたが受け取られずにゴトリとアシタカの足元に機械が落ちた。
「大総統ネル!いやネル・アッカー!そして第三班隊長バグダと第一九班タルエ!国家反逆罪及び大技師ヌーフ様とアシタカ様暗殺の罪により逮捕します!」
セリム達の反対側、舞台半分に護衛人がズラリと並んだ。
「暗殺実行者が口を割った!大人しく連行されよ!」
護衛人長官の腕章をつけた者が叫んだ。
「嘆願しますアシタカ様!謀反は一部の民です!それにまだ侵略戦争などの愚行は可決されておりません!それに大技師には可決却下の権限があります!」
ブラフマーが叫びながら近づいてきた。
「議会の半数には満たないが反対者はおりました!ティダ皇子が言うようにこの国には救うに値する者が大勢おります!ヌーフ様の誇りをどうか継いで下さいアシタカ様!」
裁判長ハンネルが走ってきてアシタカの足元に縋り付いた。アシタカは目線だけ下げて裁判長ハンネルを見下ろす。それからアシタカは腰を落として裁判長ハンネルの肩を叩いた。
「今この国には私達の他にもテルムの血を引く者がいる。全てを許すのなら示せ」
床に転がる機械がアシタカの抑揚のない声を広った。
「ドメキア王国のシュナ姫……」
その場にいる殆どの者がシュナの姿を探した。舞台袖からシュナがゆっくりと姿を現しアシタカへと向かっていく。シュナに大技師の座を与えて守る。それが発砲後に考えた筋書きか。
「醜く産まれ、体は病で辛く、暗殺されかけること108回。亡命要請を長年握りつぶされて祖国には望まぬ戦争へと駆り出され背中を刺されかけた。その私にこの国を救えと?背負えと?」
軽蔑の視線に柔らかい微笑みを浮かべたシュナに対して裁判長ハンネルは首を横に振った。
「我が叔母ナーナ、いえ平和の為にこの国を背負ってドメキア王国へ自ら嫁いだ偉大な娘ナーナ様。その娘、そして従兄弟であるシュナ姫。我が力が及ばぬばかりに不遇な目に合わせた。大技師ならばもう二度と誰も貴方に刃を突き立てない」
アシタカが一歩踏み出してシュナ姫に
「
「お兄様は何度もドメキア王へ謁見を嘆願していました!」
「お父様もです!」
ララ、リリ、ルルの三人が両膝をついて頭を下げた。アピが床に移動して同じように頭部を下げた。
「陰謀だ!私は暗殺など計画していない!アシタカ・サングリアルは父親を殺して己の意見を通そうとしている!恥を知れ!大技師を殺したのはあいつだ!」
大総統ネルが叫んだ。
「ならば尚更断る。裏切りの末に祭り上げられるなど御免だ」
シュナがアシタカ達へ背中を向けた。アシタカが大総統ネルを睨みつける。
「彼の発言は自己保身です!偽りに耳を傾けないでください!」
裁判長ハンネルがシュナへ叫んだが彼女は無視して足元の機械を拾うと握りしめた。それからゆっくりと舞台前方へ進んでいく。
「アシタカ殿のご厚意は有難い。亡命嘆願を握りつぶしていたのが大総統だというのも知っている。父親暗殺という悲劇、傾国という危機だというのに
優雅な足取りで澄み渡るようなシュナの声が空気を変えていく。アシタカの行為が国を見捨てる行為ではなくもっと気高いものだという主張。ペジテを救い、殺されかけたシュナをも助ける。アシタカのこれまでの行為や今日の演説からもすんなり真実だと受け入れられたようだ。
ヌーフの体がヤン長官達に恭しく運ばれた。近くを通り過ぎて行く時に妙に血色が良いと思ったら薄目を開けたヌーフがアシタカへウインクした。
ティダがアシタカをしげしげと眺めた。セリムもアシタカへ視線を向けた。アシタカがほんの僅かに口角を上げた。何処からか判断つかないがこの騒動は
--貴方達は全員手を結んでいるのですね
大総統ネルの発言はある意味正しかったようだ。彼が暗殺を企てていないのも真実かもしれない。冤罪は許せないがヌーフやアシタカなら何か救済をするだろう。
「侵略戦争を止められずにこの国を争いに巻き込んだ私を許すという……」
アシタカ様という歓声。熱気が大衆を包んでいく。シュナ姫がぺたんと床に座り込んだ。ラステルが足を動かしたのでセリムはラステルを引き止めた。
「僕らの出番はもう少し後だ」
アピがラステルの頭の上に飛び乗って前脚でペタペタ叩いた。
〈許しだ。みんな何を言っているか分からないけどそれだけは分かる〉
「分かったわ」
ラステルは状況が飲み込めていないようで心配そうにシュナを見つめた。
「しかしそんな大役、飾りだとしても私には重過ぎる……」
アシタカが走り出してシュナ姫を労わるように手を取った。
「そうです。貴方ではない。もう一人います。私と和平を結びこの国を
アシタカが振り返ってティダへ"どうだ"という口の形を作った。
「チッ、お膳立てっていうのが気に食わねえ。自分でやるつもりだったのにここまでの騒動。どっから計画なんだ?ラステル・レストニア、シュナを動かしたのは間違いなくお前だ。認めてやる。
ティダがクククッと肩を揺らしてシュナとアシタカの元へ足を踏み出した。何故かララがポーッと頬を赤らめてティダを見送る。
「シュナ姫にどっちが祭られるか賭けようとか言ってたけどやっぱり最初から自分が登るつもりだったんだな、あいつ。これが無かったら何するつもりだったんだろうな」
パズーがティダに尊敬の眼差しを向けた。
「アシタカを焚き付けて大技師にするつもりだったんだろう。僕が彼ならそうする」
状況を見定めてアシタカとティダへ支援するつもりがすっかり掌で踊らさらた。しかもセリムは全く役立ってない。
「かつて過酷でも自然と共に生きるとこの国を去ったテルムの子孫シグルズ!その血を引くベルセルグ皇国の元皇子!我が名はティダ・エリュニス・ドメキア!慈悲深く、聡明で、自らを慕う家臣の為に裏切りに耐え忍び果敢に戦場を駆けた我が愛する妻の為にならば名乗りを上げよう!我が妻が生き続ける限りこの国の人柱となる事を約束する!」
ティダがシュナを抱き上げ、シュナの手を取っていたアシタカも立ち上がった。
「祖国を裏切り侵略行為という蛮行を否定した者がいる!ベルセルグ皇国よりドメキア王国へ婿入りしたティダ・エリュニス・ドメキア殿だ!」
ブラフマー長官が叫んだ。
「墜落した飛行機から我らが至宝アシタカ様を救い出した命の恩人だ!」
裁判長ハンネルも大声で叫んだ。
「平和を祈りこの国を守り抜いた崖の国の王子をグルド帝国兵の魔の手から助けた!」
パズーが更に大きい声を出した。さらりとラステルの手柄を押し付けられたが丁度良い。セリムはグッと胸を張ってアシタカ達の横へと進んだ。同じ理想を掲げたのに何も成してない。
「エルバ連合に属する崖の国の王子セリム!セリム・レストニアは操られていた蟲を解放し森へ帰した!結果蟲だけでなくこの国も救った!英雄として、同盟国として新たな大技師をティダ皇子が背負い、名代としてペジテの至宝アシタカ・サングリアルがこの国を導くことを望む!そして共にあらゆる国へ和平の申し入れをすることを誓おう!エルバ連合への外交責任を担うと約束する!」
アシタカがセリムに大きく頷いた。ラステルとパズーがセリムの隣に立ち、アピがセリムに「疲れた。抱っこ」とせがんだので腕に抱いた。
「ペジテ大工房の至宝アシタカ・サングリアルの
ティダの堂々たる発言に割れんばかりの拍手とアシタカへの賞賛が注がれた。
大きい影が落ちたので見上げると
〈新たな誓いの者よ。誓いを守れ〉
厳かな声と共に
驚愕したティダはしばらく固まっていたが少し脇へと逸れてアシタカに場所を譲った。天から照らされるアシタカの微笑みは強張っていたが清々しく眩しかった。
アシタカの名前が長い時間呼ばれ続けた。
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