血染めの記者会見2

 セリムはしっかりとアピを抱きしめ、受け身を取った体でごろりと床を回転した。アピの羽が一枚破れていてセリムはアピの震える体を撫でた。


「ラステルの世話役だろう?大人しくしてろアピ」


〈嫌だ嫌だ。ここは怖いよ。ここにいたらダメだよ。みんなでさっきの庭に戻ろうセリム。連れていってあげる〉


「良い子だ。でもアシタカはここに居たいんだ」


〈殺されちゃうよ〉


「僕がさせない。そして人はそんなに愚かじゃない。信じてくれアピ」


〈分からないよ。ちっとも分からない。トムとヘトムとトル以外は怖いよ。近寄っちゃダメだよセリム〉


「最初はみんなトムじゃなかっただろう?へんてこ人間セリムも君達がずっと怖くて嫌だった。人は変われる」


〈元々が違う奴だけだ。セリムはずっとへんてこりんだった〉


 嫌だ嫌だとアピは暴れてセリムの腕の中から飛び出した。セリムは慌てて立ち上がった。


「この子蟲を誰も撃つな」


 アシタカの静かな声が音響拡散機スピーカーにより響き渡った。アピが止まった。しかしすぐにアシタカへと進みはじめた。アシタカが大きく腕を開いてアピへ一歩、一歩と近寄っていく。セリムは体の内側から押し寄せてくる大波のような憎悪で固まった。気を抜くとその予感でラステルの瞳が変化する理由が理解出来た。


「僕を裁くと言うのなら甘んじて受け入れよう」


 何を言っているアシタカ?アピの目が赤いのは眼前の人間に怒っているだけでアシタカにではない。蟲の声が聞こえるのでは無かったのか?このままでは絶対に良くないことが起こるとセリムは身を喰らおうとする凶暴な感情を抑え、走り出そうとした。


 腕を引っ張られて振り返るとラステルが黄緑色の瞳でアピとアシタカを見つめていた。時折赤い色が滲んだがほとんど緑色をしている。


「セリム、人の道よ」


 わなわなと体を震わせて酷く怯えた様子のラステルがそっと呟いた。アピを庇うように護衛人が整列してアシタカへの道を作っている。反対側で銃を構える護衛人の前にティダといつの間にか移動していたパズーが立ち塞がっていた。


「我等は見た!押し寄せる蟲に立ちはだかる蟲の姿を!」


 叫んで銃を投げ出したのはヤン長官だった。太腿から出血している。道を作っているのは彼の部下で、次々と武器を床に投げ捨てていった。


「私は聞いた!ヌーフ様の平和への祈りを!」


「子蟲が踊り、歌い、成蟲達がノアグレス平野を去っていった!許されたのに罪を重ねるのならば我等は滅びる!」


 ラステルがセリムの手を握った。ラステルが悲しそうに泣いている。


「セリム、アピ君はどうして怒っているの?アシタカさんはこんなにも……」


「君まで。アピはここが怖いからアシタカを連れ出したいだけだ。もう必要なさそうだけどな。君の世話役の世話は僕がしないといけないな。心配過ぎる」


 羽が破れて上手く飛べないアピがよたよたとアシタカへ向かっていく。アシタカがアピの前まで辿り着くとアピはアシタカの頭上にそっと止まった。それから前脚でペチペチとアシタカを叩きはじめた。


〈突っ立てちゃ危ないよ。ここは怖いよ。嫌だよ。早く行こう。なんて世話がかかるんだ〉


 アピがアシタカに何をするのかと恐怖で引きつる護衛人達。アシタカでさえ青ざめている。セリムはアピと場の空気のチグハグさが妙におかしくて吹き出した。


「セリム?」


 ラステルがセリムの顔を覗き込んだ。セリムはラステルの手を引いて舞台中央へと歩き出した。居並ぶ護衛人の前を、ラステルを大衆から庇うようにして床の銃を蹴飛ばしながら進む。


「アピ、アシタカの邪魔をするな。人を信じろ。無理なら僕を信じろ。僕がいる間は僕を何よりも信じろ」


 アピの紅の瞳がチカチカと緑と赤をいったりきたりする。


〈連れて行く。連れて行く。殺されちゃうよ。嫌だよセリム〉


 胸にアピ以外、他の声が押し寄せてきた。ホルフルアピスの憎悪、家族の怒りへセリムは心の中で信じろと囁いた。


〈嫌だ嫌だ。ここは怖いよ。危ないよ〉


「この人達はお前と遊んでくれる。見ろ、怖い物を全部捨てた。この人達はアシタカを護る人だ。お前が頑張らなくても彼等がいる。大丈夫だ。さあ、こっちへ戻っておいで」


 セリムはヤン長官と彼の部下を手のひらで示し、それから足を進めてアシタカの前に立った。


「セリム、どういう事だ?」


「アシタカは不完全なんだな。アピ、おいで。この偉大な人を護るのはこの国の誇り高い民だ」


 アシタカが目を大きく見開いた。


〈ホルフルアピスの子は親に従う。セリムは親の輪にいるから従わないといけないってみんなが言う。嫌だけど我慢する。信じる〉


 ブーンとアピがアシタカの頭の上からラステルの前へ移動した。ラステルがぎゅうっとアピを抱きしめた。


「偉い子だ」


〈おこりんぼが減った。セリムがいるとおこりんぼにならない〉


 そこまでの力は無いがセリムは黙ってアピの頭部を撫でた。


「これは何の真似ですかアシタカ様!」


 護衛人にぐるりと囲まれた大総統ネルが叫んだ。それから床に転がっている音響収集機スピーカーと繋がる道具を拾い上げた。


「大技師一族は嘘で塗り固められた大犯罪者!また我等を偽りで惑わし従わせようとしている!このような演技で!」


 何の話だろうかとセリムは首を傾げた。アシタカが左肩を抑えながら大総統ネルに向かい合う。睨み合う二人の間に火花がバチバチと炸裂した。アシタカの前にティダとパズーが立ちはだかり、後ろにヤン長官と彼の部下が並ぶ。ティダが大総統ネルから機械をひったくった。


「それがどうした?他国の信仰や欺瞞ぎまんなんて興味ないが、暗殺覚悟で自らの過ちを謝罪し、平和を訴えようと志す男の口を塞ぐために蜂の巣にするのがペジテ流ですか?」


 怒りで暴れそうなティダがこの場の誰よりも落ち着いた表情で微笑んだ。大総統ネルの笑顔が更に引きつって頬が痙攣けいれんする。


「蟲の怒りを扇動したのは我が祖国と婿入り先のドメキア王国。しかしアシタカ殿は我等を許すという。私がペジテ大工房に忠告したからです。祖国に背中を刺された姫に同情したからです」


 大総統ネル側の護衛人がティダを取り囲んで銃口を向けた。それから大総統ネルがティダの手から機械を奪った。


「貴方達は全員手を結んでいるのですね。蟲を操る男に他国の皇子。アシタカ・サングリアルは独裁者になろうとしている!大掟を破り蟲の怒りを買ってペジテ大工房を滅びの道へと導いたのに罪を重ねる!」


 セリムは大総統ネルに近寄って手を伸ばした。今度はセリムに銃口が向けられたが護衛人に笑顔を向けて無視した。大総統ネルの手が震えているが、彼は一歩も引かなかった。セリムはそっと彼の手から機械を取った。


「崖の国より参りましたセリムです。侵略戦争により難民が出れば受け入れると約束をしました」


 怒涛どとうのようにセリムの内側を襲う蟲の怒りに"心臓に剣を突きつけられても真心を忘れるな。憎しみで殺すよりも許して刺されろ。憎悪では人は従わない"そう訴えて踏ん張る。


「進行は大総統ネル殿。大技師ヌーフおよび次期大技師アシタカより戦役の全貌説明。その後に質疑応答。自国の決まりに従ってください。連れが邪魔をしました。代わりに謝罪します」


 深々と頭を下げるとセリムはティダとパズーへ笑みを投げた。それから機械をアシタカへ渡した。ティダとパズーの二人は黙って両手を挙げてヌーフのいる舞台の奥へと下がった。セリムはラステルの腰を押して二人に続かせた。


 また銃声が鳴り響いた。

 

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