偽りの庭で討論

 アシタカとシュナが話し込んで二時間程経過した頃に玄関からコンコンとノック音がした。


「今度は誰だ?」


 アシタカが扉へ向かう途中で扉が開いた。


「アシタカお兄様ちょっと失礼!」


「怖い方が来てしまいましたの!」


「一旦退避しましょう!」


 ララ、リリ、ルルが勢いよく部屋へ入ってきてさらうようにシュナとラステルの腕を掴んで外へ連れ出した。アピがブーンとついていって屋外へ出るとルルが扉を閉めた。


 アシタカはシュナとラステルをさらっていった三つ子の妹達を追おうと外へ出た。二軒隣の三つ子達の自宅へと走っていく姿を捉えた。侵入不可能な偽りの庭に現れたシュナとラステルを招いたのはヌーフではなく妹達かもしれない。どういう経緯なのか?


 反対側の門の方からヌーフが歩いてきていたのでアシタカは妹達を追わないで待った。後ろにティダとパズー、そしてセリムが居る。次から次へと客か、それも昨夜大喧嘩したティダがいる。しかもこれからティダをシュナと共に踊らせようと思っている。顔を見ると困難そうと思えてきて一気に気が重たくなった。


 そんなアシタカの気待ちなど知りもしないセリムが初めての偽りの庭に爛々らんらんと目を輝かせている。想像通りの無邪気な表情だった。怪我は大丈夫なのだろうか。


 アシタカと目が合ったヌーフが意味深な笑みを浮かべて背を向けて遠ざかっていった。傷はまだ全然治っていないのにセリムがアシタカに向かって手を振りながら走ってくる。その後ろをパズーが心配そうに追いかけてきた。


「アシタカ!あの鳥は何て言うんだ?あの獣は?大狼のような毛並みも見たんだがここには何種類の生き物がどれだけいるんだ?!自動荷車オートカーは作るのが大変なのか?あんなに大きな建造物はどうやって建てている?ペジテの屋根はどんな素材なんだ?」


 大興奮しているセリムにアシタカはたじろいだ。一つ質問に答えたら怒涛どとうの疑問を投げられそうだ。


「黙れセリム!ずっと五月蝿うるさい奴だな!」


「アシタカ答えなくていいよ。夜が来るどころか明日になるよ」


 パズーにもティダにもセリムは反応しなかった。まるで散歩に飛び出そうとする犬みたいに興奮して偽りの庭を眺めている。アシタカもセリムから目を逸らして三人を自宅へ促すことにした。


「アシタカ、酷い顔だな。休めてないみたいだから僕達はしばらくこの辺りを散策しようか。その方が良い。あれやっぱり大狼じゃないか?ちょっとだけ見てく……」


「後にしろ!ったく!アシタカに話があるって言っただろ!」


 ティダがセリムの腕を掴もうとしたが、セリムはひらりと避けた。


「しかしほら、アシタカには余裕がなさそうだ。だから話は後でにしよう。大狼!崖の国のセリムだ!婉転えんてんな姿を近くで見せてくれないか!」


 すっかり偽りの庭を気に入り、大狼を見たくてウズウズしているセリム。苛立った様子のティダがセリムを蹴ろうとしたが、セリムはまたひらりと避けた。


「おいセリム後でだ!話が先だ!急いでる!」


「ふーん。そんなに急ぎならすまなかったな」


 ティダの急ぐを全く信じていないと言いたげなセリム。ちっとも悪びれた様子はない。


「大狼よ!後で挨拶に伺うからよろしく頼む!」


 セリムがティダに歯を見せて笑ってから一つ隣の丘へ向かって叫んだ。今にも噴火しそうなティダに対してパズーが小さな悲鳴を上げる。


「はぁ……来るなあの大狼……」


 うんざりした様子で告げるとティダは招いていないのにズカズカとアシタカの家へ入っていった。


 驚いたことに丘から大狼が颯爽さっそうと駆けてきていた。大狼は偽りの庭で暮らす一族の誰にも、一度だって人に近寄った事がないというのに。


***


 椅子へ促したのに絨毯に胡座をかいて腰を下ろしたティダ。玄関先で肩に大狼の顎を乗せているセリム。素直に椅子に座ったパズー。何だこの状況はとアシタカは溜め息が出そうなのを堪えた。


「何企んでるんだ?お坊ちゃんよ」


 最初に口を開いたのはティダだった。


「企む?」


「シュナと蟲娘を連れていった子どもはお前の妹だろう?匂いが同じだった!それにここにシュナと蟲女の匂いがする」


 セリムが興味深そうにティダを眺めた。


「そんなに鼻が良いのか。コツとかあるのか?ラステルは花みたいな香りがするけど僕とかパズーとかはどんな……」


「だから五月蝿うるせえセリム!」


 ティダに怒鳴られてセリムは渋々といった表情で口を閉じた。アシタカはセリムが崖の国で"何故何なぜなに王子"と呼称されていたのを思い出した。疲れているからか七面倒だ。


「すれ違いかな。僕はさっき帰ってきたから誰とも会ってないよ」


 全く信じていないという視線がティダから注がれた。


「それで話って?セリムはまだ寝てないと体に障るだろう。どうしてここまで来た?」


 セリムがティダを顎で示した。


「大方シュナと政治改革の話でもしたんだろう。そんなの後だと話にきた」


 少し違うがあながち間違いでもない。アシタカは嘘が少しばかり後ろめたくて動悸を感じた。


「政治改革?」


 パズーの問いはティダに無視された。


「シュナに引っ掻き回される前に話にきた」


 大狼の顎を撫でていたセリムの手が止まり顔つきが引き締まった。パズーは固まっている。


「君には秘密が沢山あるようだからね。兵を出せばかりではこちらは何も考えられない」


 ティダがギロリとアシタカを睨みつけた。セリムとは違って自分は大狼兵士に軽蔑されているというのがヒシヒシと伝わってくる。昨夜「権力も武力もあるのに何もしないクソ野郎が」と吠えられたのが脳裏に掠めた。


「蟲の女王について知ってるかアシタカ」


 知っているだろうという目でティダが口角を上げた。


「かつて蟲と共存した一族、蟲の民。その女王は自らの民と蟲を守ろうとして命絶えた。ペジテ大工房に悪魔の炎で燃やされて絶滅したという。酷い話だろう。父上が詳しく知っている」


 予想外という顔つきでティダはアシタカを探った。


「本当に知らないのか。それじゃあお前が動かないのも納得いくな」


 意味深なティダの台詞に被さるようにセリムの呟きが耳に入った。


「見つけたぞ……」


 何の話だ?


「そうだセリム。蟲は殺戮さつりく兵器。このペジテ大工房が大昔に作った。兵器だから操れるんだよ。古代で蟲を操ったのは女だったから"蟲の女王"」


 何の話なんだ?セリムが眉根を寄せてティダを凝視した。意外にもセリムは聞き役に徹するのかまた口を閉ざして沈黙を貫く。ティダがそれを察したのか声を出した。


「ロトワ蟲森から持ち出されたのは最大機密は"蟲の女王"の作り方。正確には欠陥品だがな。今回の蟲の誘導はその実験だ。唄子にあんな力はねえ。グルド帝国も何か知っている。あの蟲女を"蟲の女王"と呼んでいたからな」


 ペジテ大工房が蟲を作ったのならば、古代遺跡には"蟲の女王"についての情報が隠されているのだろうか。


「ベルセルグ皇国は蟲を使ってペジテ大工房を陥落させて大技術と地下遺跡を根こそぎ奪うつもりだ。悪魔の炎で蟲森と蟲も根絶するのが最大の目的」


 寒気がした。蟲がペジテ大工房を非難した理由の一つを垣間見た気がする。どこの国よりも高水準の生活をしているのに異国を拒絶、過去の愚行の反省から学べるのに蓋をして真実を捻じ曲げた。これはペジテ大工房が招いた災だ。アシタカが黙っているとティダが続けた。


「俺の目的は掟破りで裏切り者の一族とベルゼルグ皇国の愚策を止める事。大狼の山は滅ぼさせねえ。俺の民も死なせねえ。古代と同じで大陸中が死の海になるのが自分の国のせいだなんて大恥は決して許さん」

 

 轟々ごうごうと燃え上がるようなティダの熱視線。これほどの大義を抱いていても彼には自分しか武器がない。孤高の大狼兵士の途方もない野望。アシタカへ吠えた理由がようやく理解出来た。彼が欲しいのはアシタカの立場であり権力。この国の軍事力。


 なのにドメキア王国やベルセルグ皇国を共に討てではなく、ドメキア王国第四軍を解放しろ、可能なら物資と兵器を支援しろとだけ言ったティダ。彼には何か妥協が出来ないラインがある。それが何なのかアシタカには想像もつかない。彼はどんな風に育ち、いつこのような決意をしたのだろうか。


「今回の戦で蟲を操れるという幻想を打ち砕くはずだった。それは成功か分からねえ。戦況がグシャグシャ過ぎたからな。ペジテ大工房に悪魔の炎は実在しないと示さなきゃならなかった。だが失敗した。あれ程手を出すなと忠告したのに!」


 知っていればアシタカは止められただろうか。同じだっただろう。ベルセルグ皇国の陰謀を知ればペジテ大工房が先に故郷を滅ぼすだろうとも考えていたに違いない。それが、今は違うと認められている。


「今のうちに壊してしまおう。無い物は使えない」


 ティダが高笑いした。お前にそんな事が出来るのか?という挑発的な笑いだった。


 急にセリムが立ち上がってティダの前に腰を下ろした。大狼が玄関から去って扉を閉めていった。セリムは青ざめて震えていた。


 パズーがセリムの隣に移動して顔を覗き込んだ。


「セリム?大丈夫か?どうした?」


「僕は蟲の王と話をした」


 蟲の王?アシタカが相対したたてがみのような毛が生えた蟲の事だろうか?子蟲にレークスと呼ばれていた。古い言葉でレークスは"王"


「セリム、嫌な話っぽいから聞きたくないけど……話して」


 パズーが恐る恐るセリムを促した。


「古きテルムの子が誓いを破るかテルムが死ねば必ず滅ぼす。ペジテ大工房が、いやテルムの一族が蟲との誓いを破っても同じ。今回は助かった……」


 ティダがパズーを押しのけてセリムの肩を掴んだ。


「前半のは聞いた。後半のはどういう事だ?」


 セリムはそっと口を開いた。ほとんど独り言のようだった。


「蟲はもう兵器ではないから完全には支配出来ない。人は蟲に呆れられて絶滅させられる……どこからどう止めるべきなんだ……新しいテルムは誰になる……古きテルムの子は……」


「だから説明しろ!」


 セリムが両手の拳を強く握りしめて立ち上がった。


「テルムの話はティダ、お前にした。アシタカ、蟲の王が選んだ人間ラステルの大切な者がテルム。殺されたら人は滅ぶ。僕からパズーとテトに代わり、知られたから今後また新しいテルムが生まれる」


 蟲に心を開く者は絆を結ぶ。代わりに殺されると破滅をもたらす。幼少から聞かされてきたおとぎ話に類似した話だ。


「ラステルさんの?」


 セリムは答えなかった。


「アシタカ、君達以外にテルムの子孫は誰がいる?」


 セリムがアシタカを見てからティダを見つめた。アシタカとティダが同じペジテ人の血を引くというのは容姿から明らかだ。


「そんなん気にしてどうする?誓いとはなんだ?」


「さあ?僕は知らない」


 誰がどう見ても白々しい嘘だった。アシタカはセリムは話さないと感じた。ティダもすぐに諦めたようだ。セリムはテコでも口を割らないと全身から拒否の空気を発している。


「大技師一族は時折外界へ出ている。テルムの子孫を正確には把握していないよ」


 シュナが良い例だ。ベルセルグ皇国皇族もそうだ。アシタカはハッと顔を上げた。ティダは先に気がついた様子だった。


「セリム、お前の思った通りだよ。まあ止めりゃあいいんだ。ベルゼルグ皇国と何か噛んでそうなグルド帝国をな。アシタカ、お前が軍事支援してくれないなら俺はドメキア王国を利用する。お礼は毒蛇の毒抜き。こいつは化物娘と一緒に手伝う」


 ティダがセリムの肩を叩いたがセリムは何か考えるように俯いていた。


 俯いていたセリムがグッと顔を上げた。決意に満ちた勇ましい表情だ。


「戦争しようという愚か者共を全部潰すと言ったなティダ・ベルセルグ!」


 セリムがティダに向かって大声で叫んだ。それからセリムが腰に手を当てて胸を張った。


「僕はティダの作戦には乗らない。各国の問題を解決し戦争しようとする原因を潰す。武力行使は傷を残しいつか膿み憎しみが憎しみを呼ぶ」


 潔くてセリムらしいとアシタカは眩しさに目を細めた。どうしてセリムは難しい決断を出来るのだろう。セリムは必ず行動に移す。なのにアシタカは決められずにグルグルと考えて立ち止まっている。シュナと握手を交わしてもやはり悩んでいる。正しい道が皆目見当もつかないし、成せるという自信も持てない。気概きがいだけが空回る。


「生きている尊さを愛し、人を愛し、生き物を愛でよ。僕はそう弟子に教えた」


 自分に言い聞かせるようにセリムは一言一言力強く発する。ティダは無表情で黙って耳を傾けていた。


「心臓に剣を突きつけられても真心を忘れず、憎しみで殺すよりも許して刺されろ。憎悪では人は従わない。それがレストニア王族の矜持」


 セリムがパズーへ視線を投げた。


「師に"一人で死ぬのは勝手だが、叶わぬ理想に他者を巻き込むな"と言われた。だから理想を追って一人で死ぬ!いや僕とラステルの二人だ。人と蟲を繋いで憎しみを溶かした僕の誇りオルゴーに相応しくない男にはならない」


 パズーは諦めているといった表情だが首を横に振った。


「何でそう無茶な事を考えるんだよセリム。絶対崖の国のみんながセリムとラステルの帰りを待ってるのに。うへぇ……そもそも僕はアシタカを送りにきただけなんだからな……」


 パズーの言葉にセリムが悲しそうに微笑んだ。アシタカはセリムに賛同したかった。パズーからの"セリムの尻に乗るな"という批判が蘇った。もう安易に人の意見に左右されたくない。シュナがアシタカに考える時間をくれたということに今更思い至った。


 戦争をしようとする原因を潰す、か。シュナへの支援はまさにそれではないだろうか。気がかりはベルセルグ皇国へティダが挑むのを止めない事。本人が望んでいるとはいえ、報復戦争を代理させようとしている。


 ティダがわなわなと震えはじめた。何故なのか。セリムの発言はそこまで彼を怒らせることなのか?


「てめえ!俺が間違っているっていうのか⁈ふざけるな!現実を見ろ!理想じゃなくて夢だ!手に入らねえ虚構!具体的に何をするつもりなんだよ!阿呆か!」


 摑みかかろうとしたティダをセリムはさっと避けた。


「知らん!嫌なものは嫌だ!エルバ連合に必要なのは食糧だ!蟲森の民と通じたからその辺りからどうにかする!ドメキア王国は王家の腐敗!それならシュナ姫を全面支援する!とにかく戦争は起こさせないからな!ベルセルグは何だ?教えろ!」


 戦争は起こさせないからな、その言葉がアシタカを激しく揺さぶった。高すぎる理想はティダへの痛烈な批判だ。だからティダは激昂したのか。


 セリムがティダに向かって仁王立ちした。拳を振り下ろしたティダに対してセリムは避けずに目を瞑った。しかし殴られたのはセリムを突き飛ばして庇ったパズーだった。

 

「殴られようとする者にそのまま手を挙げるなんて恥だ!お前はそんな男じゃないだろう!」


 ティダの顔が急に真っ青になった。ラステルに似たような台詞を吐かれた時よりも動揺している。パズーが吠えた。


「セリムはな、そもそもペジテとかドメキアとかベルセルグとか全然っ関係ないのに西の果てまで飛んできたんだぞ!セリムを動かしたんだ!決意させたんだ!大元の奴が小さいこと言ってるんじゃねえよ!」


 殴られて真っ赤になった左頬を抑えて泣いて情けないぐしゃぐしゃな顔をしているパズー。なのにパズーはティダの目の前にズイっと出た。痛くて怖くて仕方ないという表情なのに胸を張ってティダを見下ろす。ティダは引きつった青ざめた顔で絶句していた。


「セリムなんかアシタカに引っ張り出されて、奥さんの付き添いがないとこうなれなかったんだぞ!ラステルに釣り合いたいだけのお花畑だ!お前はたった一人でしかも素っ裸でペジテ大工房に支援に来たんだろ!セリムとは違うじゃないか!」


 セリムの目が点になった。ティダに血色が戻って来たが呆然と立ち尽くしている。


「だいたいなあ!セリムはこんなんだから危ないんだよ!お前とかアシタカが賛同してくれないとすぐ死ぬ!明日にでも死ぬ!言う事聞かない強情者で無鉄砲で甘っちょろいから!」


 パズーが泣くのを止めて眉毛を釣り上げて苛々しはじめた。


「ティダ程しっかりした兵士じゃないのに力があるって自信があるんだ。油断して大怪我するのに!」


 セリムが気まずそうにパズーを見つめている。パズーは無視しているのか、気がつかないのか話を続けた。


「見ろよティダは戦場にいたのにピンピンしてる!崖の国は小さいし、セリムにはアシタカみたいに支援者とか物資とか無いんだ!何が出来るんだよ!本当だよ!ティダが言う通り現実を見ろよ!」


 セリム擁護から段々と非難に変わっている。パズーが尚も続けた。


「おいセリム!ちゃんと頭下げろよ!お前が死んだらラステルが可哀想だろ!ラステルは巻き込んでいいのかよ!男としてダメだろ!お前は頼りないんだから頼り甲斐のあるこの2人にちゃんと頼めよ!ほらっ!」


 パズーがポカンとしていたセリムの腕を引っ張ってティダに向かって押した。


「ティダは僕に謝れ!毎回毎回、痛いんだよ馬鹿力!根はそんな男じゃ無いんだから威張り散らすな!」


 地団駄を踏むとパズーはアシタカを睨んだ。


「目の前に殴られようとしてる奴がいるのに眺めてるんじゃねえアシタカ!たまに卑怯なんだよお前は!」


 何だって?アシタカがパズーに詰め寄ろうとした時セリムがパズーを後ろから抑えた。ティダがパズーの口を塞いだ。


「悪かったパズー。ここまで言われたら我慢ならねえ。おいセリム、話くらいは聞いてやる」


「君を侮辱したティダ。すまない。どうか僕を助けてくれないか」


 歯を見せて笑うセリムと鼻を鳴らしてから穏やかに微笑んだティダ。二人から手を離されたパズーはソファに座り込んでまだブツブツと全員の文句を言っている。アシタカは深呼吸してからパズーの前にしゃがみ込んだ。


「見捨ててすまない」


「いや……そういうつもりじゃ……」


 アシタカはパズーを引っ張って立たせた。


「君の批難は痛烈で目がめる。ドメキア王国にはシュナ姫がいる。ベルゼルグ皇国にはティダ。エルバ連合にはセリム。ペジテ大工房には僕がいる。ラステルさんが蟲と人を繋ぐ」


 アシタカは全員を見渡した。


「皆で話をしよう。腹を割って嘘偽りなくだ」


 とても晴れやかな気分だった。


「争わないようにと考えるのが何が悪い。血が流れないようにと願う事が悪い筈がない。ずっと一人だった。だがどうだ?今こんなに居る。世界にはもっといる。皆で考えよう。それから僕らは同じ気持ちだということを忘れないようにしなくてはな」


 アシタカは自然と笑っていた。ガラス細工の中の街、人工的な自然でしかない偽りの庭、嘘で塗り固められた信仰、真実を歪め過去を擬飾した国。だから何だ?変えようとすれば変えられる筈だ。


 アシタカがペジテ大工房を一歩踏み出させるには一人では無理だが、一人ではない。


「お前はまた身の丈に合わない事を望むなアシタカ。おいパズー。お前はこれから俺についてこい。俺を叩ける地位をやろう」


 ティダが椅子に座って頬杖ついた。それからパズーに向かってニヤニヤ笑いを浮かべる。


「げっ、何だよそれ。絶対いらない」


 そう言いながらパズーは何故かティダの隣の椅子に座った。


 大狼がいなくなって閉じていた玄関の扉が勢いよく開いた。三つ子の妹がなだれ込んできた。


「お兄様!やっと元気になりましたね!」


「皆さまお兄様をよろしくお願いします!私達ずっとお兄様に本当のお友達が欲しかったのです!」


「ご挨拶が遅れましたララとリリです。私はルルです」


 セリムがすぐさま三人に右手を差し出した。


「初めまして。崖の国のセリムです。アシタカにこんなに可愛らしい妹さん達が居たとは知らなかった。本でしか知らない三つ子に会えるなんて僕は幸運だ」


 屈託無い笑顔にリリとルルが真っ赤になった。ララは僅かに頬を赤らめた。それからララだけがティダを見つめてニコニコと微笑んだ。


「これはお嬢様方。我が……」


 見たことがないほど穏やかな微笑みでティダが一歩前に出た。それをララが遮った。


「私達お世話係ですの!湯浴みが終わったお妃様方を案内にきました!」


 アピがブーンと部屋に入ってきてセリムの頭の上に乗った。リリとルルが外へ出てからシュナとラステルを連れて戻ってきた。


「ちっとも湯の匂いなんて……」


 穏やかだが目に棘があるティダを今度はラステルが遮った。


「セリム!体は大丈夫なの?」


 心配するラステルに近寄るとセリムが柔らかく微笑んで彼女の頭を撫でた。


「ああ。少し痛むが元気だよ。アシタカは疲れているようだから話はまた後にして散策しよう。可憐な乙女達よ僕と妃を案内してくれないか?素敵な庭だ。三つ子がどんななのかも是非教えて欲しい」


 セリムがラステルの腰を抱いた。それからララ、リリ、ルルと順番に頭をポンポンと優しく叩いた。三つ子達がはにかんで「もちろんです」と声を揃える。セリムはどうしても偽りの庭を散策したいらしい。パズーがティダに向かって「ああなるとセリムはもう止められない」と囁いていた。


「全部聞いていた。とんでもない妹達だなアシタカ殿」


 ラステルに誘われたシュナは断ってアシタカの前まできた。


「聞いていた?」


「盗聴という技術は便利だな」


 シュナの発言を聞いてアシタカは三人娘を問い詰めたかったがもう姿が無かった。


「皆で話し合うのならば私も参加しよう」


 シュナがティダを軽く睨んでから意味深に微笑んだ。アシタカはこの自分こそ正しいと考えている者達をまとめあげられるのか不安だった。しかしやるしかない。


「ったく時間が惜しいってのに何なんだあいつは。腹に何か隠していやがるし。ようシュナ、コソコソ動き回って何のつもりだか知らんが……」


 今度はシュナがティダの台詞を遮った。


「邪魔するつもりはない。むしろこれからは援護してやろう。お前にドメキア王国をくれてやる。私が第一軍含めて好き勝手に使えるようにしてやろう」


 ティダがアシタカを眺めて「ふーん」と言いながら首を揺らした。


「腹を割ってでそれか。その手で崖の国の王子が納得するなら大人しく乗ってやろう。あいつにヘソを曲げられると色々困りそうだからな。ったく怒りで暴れそうになった」


 ティダが高笑いしはじめた。この口振りだとセリムの意見を受け入れたのではなく、自分のために引いてみせたが正しそうだ。しかしティダがセリムをそこまで買っているというのも伝わってきた。


「温室育ちのお坊ちゃんに田舎王子のお手並み拝見してやるよ。俺は目的も生き方も変えるつもりはない!俺の邪魔をしないなら何でもしてやろう」


 この男は腹を見せたりしないだろうなとアシタカはティダの本心の見えなさを不気味に感じた。一方で羨ましくてたまらなかった。シュナがティダの向かいの椅子に腰掛けた。


「おいシュナ覚えておけ。俺が好むのは矜持。それだけだ。銃弾飛び交う誓いの道で見つけたものもその一つだ」


 シュナが猜疑心しかない瞳をティダに向けた。


「戯言を。腹の底を見せぬ狼などさっさと岩窟へ去ってもらうからな」


 大口開けて笑うティダに彼を睨むシュナ。アシタカとパズーは顔を見合わせて同時に溜め息をついた。


 前途多難。


 アシタカはますます悩まされそうだ。


 しかしそれでもとても清々しかった。


 もう一人で気負う必要はない。それだけでとてつもなく肩が軽かった。

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