偽りの庭でティータイム3

 新しい緑茶をティーカップに注いでもらったラステルはシュナとアシタカを交互に眺めた。先程までとは空気がまるで違う。穏やかさと親密さを微かに感じる。ラステルには目の前で何が繰り広げられたのかさっぱり分からないのに、シュナとアシタカは何か通じ合っている。


「軍法裁判を開くかと今論争中だ。ノアグレス平野はペジテ大工房の領地外。領地外での争いを裁くのは越権だというのが僕の主張。しかし棄却は厳しい。カールの行いが隠蔽いんぺいしきれなかったからだ。今日の会議でティダの密告、そして僕を救ったことと相殺させる予定だが難しいだろう」


 アシタカの台詞でラステルは"話をし直そう"がどこからなのか理解した。本当に"最初から"だ。あの後のシュナの発言は全部嘘らしい。妙に納得してしまっていたのでとても信じられない。裁判とはなんだろうか。


「ラステル妃、信じるというのはとても難しいことだ。良く覚えおくと良い。そなたは軽率で心配になる」


 シュナがラステルに向かって微笑んだ。


「僕も同感だ。ラステルさんは気をつけた方が良い」


 アピがラステルの頭の上に乗って前脚でラステルの頭をペチペチとと叩き始めた。このペチペチは心配か、呆れか、世話役として何かラステルに訴えたいときの行為なのかもしれない。二人は顔を見合わせて微笑むと話の続きをした。腑に落ちないのはラステルだけみたいだ。


「アシタカ殿、その裁判には出廷出来るものですか?」


「ええ。軍法裁判など建前上のものですが僕が必ず矢面に立ちます。必ず」


「しかし出廷すると私達の立場は厳しいということですね。正直私は悩んでいます」


 シュナが緑茶を口に含んだ。そういえばアシタカからティーカップを受け取った時、シュナの様子はおかしかった。シュナがアシタカを信じたのはすぐではなかったという事なのだろうか?


「悩む?」


「長年阿呆の真似をして生き残ってきた。ペジテから帰国できて王を討てたとして民は従うか?その先に平和はあるのか?このまま狼の操り人形でいたくはない。今何を成すべきなのか、自分がどうしたいのか分からないのです」


 ちらりとシュナがラステルへ視線を投げた。


「ラステル妃によればティダもセリム殿も争いの火種を根絶やしにしたいようだ。必ずアシタカ殿へ支援を求めるでしょう」


 アシタカがグシャグシャと黒い髪を掻き回した。


「ティダがもう来てますよ。それも無理難題ばかり。僕も悩んでいました。僕個人としては力になりたい。しかし立場がある。そしてこの国は民主制。多少我儘を通せても何もかも自由には出来ない。何よりそんな器が僕にはない。追放されても構わないがそうすると役に立たない」


 弱々しく息を吐いたアシタカはラステルには意外だった。もっと自信家だと思っていた。それも自惚れではなくきちんと実力が伴っている自信ある者。こんなに憔悴しょうすいする程悩んでいる。おそらく方々に色々と手配もしているのだろう。


「これだけの大国に大権力。荷が重いでしょう」


「ええ。でも僕は今回の件を穏便に済ませたい。自国が報復戦争を起こすのを許したくない。次に貴方。我が叔母ナーナ様はドメキア王国を変えたいと願っていた。両国が手を取れば西は平穏だと信じていた」


 心底疲れきっているという表情でアシタカはまた髪を掻いた。


「報復戦争⁈」


 ラステルは思わず大きな声を出してしまった。アシタカが強い眼差しで大丈夫だと告げた。


「ごめんなさい。アシタカさんはそれを避けようとしているのね。あの、ナーナ様って?」


「我が母だ。傲慢ごうまんにも一国の体制を変えたいとペジテからドメキアへ嫁いだ女。アシタカ殿の叔母。志半ばで殺されたがな」


 殺されたという単語に反応するようにアピがラステルの頭を叩くのを止めた。それから飛行体制に入ったのか羽音が室内に響いた。


「やはり病死ではないのですか」


 アシタカが顔を引きつらせた。


「濡れ衣を着せられて処刑された。まあ私には迷惑な話だ。陰謀渦巻く城に残された。しかし思想も願いも尊敬している。母上は私を守る人材も方法も残して逝きましたから」


 しばらくアシタカは俯いて黙った。それからぐっと胸を張って顔を上げてシュナとラステルを見た。


「今日、僕は国民に向けて話をしなければなりません。ティダと貴方に同席してもらうというのはどうでしょう。限られた者だけではなく、直接民へ訴えかける方が心に響く。先程の演説のように」


「それを考えていました。披露してみせたのは提案です」


 話をし直す、全部嘘は何処へいってしまったのだろうか。ラステルは話の流れを傍聴することしか出来ない。アピの体重が頭にかかり、羽音が止まった。


「あとは崖の国の王子だ。あの者は人の心を掴む。演じなくともこの国の民は支援するとは思わないか?この国の救世主二人にお前の後ろ盾。毒蛇の毒と牙を抜かれた属国。侵略ではなく和平が欲しいでしょうこの国は」


「セリムを祭り上げるつもりですか?」


 アシタカが怪訝けげんそうに眉根を寄せた。ソファから立ち上がるとラステルはシュナを見下ろした。それからアシタカへ視線を移動させる。


「私は難しいことは分かりませんがセリムなら色々考えてくれると思います。でも彼が不在のところで勝手に話を進めないでください」


 シュナが首を横に振った。


「王は今ペジテ大工房の報復とベルセルグ皇国の裏切りに怯えている。味方の振りをして近寄る。王が誰を一番信じるか?私の知る限りではあの妙ちくりんな王子だ。しかしペジテ大工房の後援があってこそだがな」


 ラステルも首を横に振った。シュナがラステルの右手をそっと取った。


「ペジテ大工房やドメキア王国で民が誰を望むのか、私は推論しただけだ。この度の戦をおさめた立役者。そして後援はペジテ大工房。本人にその気がなくても、あの性格なら自然と上へ押しやられるだろう」


 セリムは崖の国の王子だ。なのに何故縁もゆかりもないドメキア王国で王に望まれるのか。


「セリムは、レストニア王族はドメキア王国の血を引いているんだよラステルさん」


 え?とラステルはパチパチと瞬きをした。アシタカが考え込むように顎を手でさすった。


「私が押し上げるのはティダですよラステル妃」


 ニヤリと笑むとシュナがラステルの手を握ったまま立ち上がった。


「ティダ皇子を?」


 ラステルの疑問にシュナは即座に答えた。


「そなたも見たであろう。あの男は愛想良くも振る舞える。元々"犬皇子"と呼ばれていた男だ。目的の為ならば尻尾を振る演技など何とも思わん奴。そこを利用してやる」


 益々話についていけない。ラステルの頭をアピがさわさわと撫でた。


「ペジテ大工房に警鐘を鳴らした男。救世主の命の恩人。大技師一族ナーナの娘をドメキア王国から救出したベルセルグ皇国の裏切り者。報復戦争はベルセルグ皇国のみへ。条件だけならば扇動はしやすそうだな」


 アシタカがすっと立ち上がった。それから肩を竦めた。


「あの男が大人しく流される訳がない」


「しかし私は予言しよう。我が夫がドメキアの真の王となる。現国王や第一王子共々ベルセルグ皇国へ送ってやる」


 シュナの青い瞳が燃えているように強い光を帯びた。


「ティダの望む軍事力をドメキア王国で用立てるという訳ですか。乗ってくるのか一か八か……」


「必ず乗せます。私の武器はこの見た目と口だ。王達が不在のうちにドメキア王国は民主制へ生まれ変わっている。何故か、な。革命戦争なんぞでは国の体質は変わらん。死ぬまでに終わらないかもしれん。アシタカ殿、それでも私に付き合うつもりはありますか?」


 話に理解が追いつかなくいラステルの肩をシュナが叩いた。


「これが私が提供できる可能な限り穏便な道。会見でも法廷でも構わない。共に生きてくれると望むのならば考えて欲しいです」


「また難題を……悩みが余計に増えましたよ」


 アシタカはそう言いながら満面の笑みを浮かべた。


「あの……つまりどういう事です?」


「そなたもセリム王子も自然体でいればよい。ちょっと狼を犬にしてやるだけだ」


 シュナとアシタカが握手を交わしてダイニングテーブルの椅子へ座った。それから難しそうな話をはじめた。さっぱり分からないのでラステルは考えることを放棄した。計画が整ったら話をしてくれるだろう。それにシュナとアシタカはセリムにもきちんと話をする筈だ。そしたらセリムが噛み砕いて分かりやすく教えてくれる。いつもそうだから。


 アピがラステルの頭上から飛び立った。それから嬉しそうに跳ねるように部屋を旋回した。

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