何度でも誓う夫婦

 ラステルはセリムと手を繋ぎながらのんびりと丘を歩ける幸せを噛みしめていた。しかしセリムの笑顔の奥の険しさが隠れていない。


「セリム、大事な話があるのでしょう?」


 セリムは驚きを隠さなかった。


「顔に描いてある?ラステル」


「ええ。それに変よ。あの子たちに案内してくれって頼んだのにアピ君と遊ばせている」


 一つ隣の丘で三人娘とアピが楽しげに追いかけっこをしている。ララ達三つ子は見た目よりも幼いのかもしれない。あどけなく遊ぶ姿を見ているとそう感じる。


「この庭を堪能したかったのは本心だよ。でも、うん。君と二人でゆっくりと話がしたかった」


 繋がれている手に力がこもった。それからセリムがラステルの頬をそっと撫でた。


「セリム。私のために色々隠しているみたいだけど私知りたいわ。自分のこと」


 ラステルは頬に添えられたセリムの手の甲に自分の掌を当てた。セリムの優しい瞳が戸惑いで揺れている。


「私を連れ去ろうとした男。"殺戮兵器蟲の女王"と言っていたわ。そして"プーパ"。セリムは何か知っているのね」


 首を縦に振った後にセリムはラステルが添えた手を握りしめて下ろした。


「いや確証がない。このペジテ大工房の古代遺跡を見せてもらえば何か分かると踏んでいる。共に見せてもらおう。話はそれからだ。その前に僕は君に家族の話をしたかったんだ」


 そうだ、元々ラステルはペジテ大工房ならば自分の秘密があるのではないかとこの国を来訪する決意をした。セリムと共に生きる為に"化物"の正体を知りたかった。しかし変な気分だ。今のラステルは蟲と心が離れていて逆にセリムが繋がっている。


「私の家族……?」


「君は蟲に蟲と思われている。その話はイブンから聞いただろう。ラステルはゴヤの子蟲でホルフル蟲森へ落下してきた。子蟲がをしていて育てられないから人に託された。ホルフルアピスはそういっていたよ」


 セリムはラステルの手を引いて歩き出した。ゴヤの子蟲。ゴヤとは何処なのだろう。落下してきたとは何故なのだろうか。


「それが私?」


 奇妙な赤子だと捨てられたのだと考えていた。蟲を寄せつけ、蟲に近寄る娘。蟲森のどんな毒も受け付けない体。


「そう。すくすく育った子蟲はどの蟲の輪からも外れていていつも寂しそうだっだ。だからアピスの仲間にしたって。子蟲は末蟲すえむしとなった。雌雄同体ではない珍しいアピスの末蟲すえむし。だからホルフルの民はラステルを姫と呼ぶ。彼等は君の事をそんな風に教えてくれたよ」


 目の前を耳の長いふわふわした獣が通り過ぎていった。セリムが楽しそうに目で追う。


「アピは君の兄弟。ホルフル蟲森の多羽蟲ガンはアピスと言うんだ。それが君の家族。僕もラステルのつがいと認めてもらえたから家族となった。それでアピスと話が出来るようになったんだ。彼等はみんな繋がっているんだ」


 ストンと胸の奥で音が聞こえた気がした。家族だから蟲はラステルを他の人間とは別に扱ってきたのか。故郷の村で寂しくても、蟲森の中でラステルは楽しく暮らしてきた。ずっと側に家族がいたからだ。知ればとてもしっくりくるのに、どうして気がつかなかったのだろう。

 

「彼等は僕を認め、ラステルを託してくれた。安心して任せられると言ってくれた」


 セリムは遠くを見つめて強張った顔つきになった。それからラステルをジッと見つめた。燃えるような熱視線をラステルも見据えた。


「僕は期待に応えたい。そして君の隣で生きるのは僕だ。誰にも譲りたくない。ラステル、君は僕の妻だ。崖の国の妃。これから先どんな真実が暴かれても、困難や悲劇が起ころうとどうか離れないで欲しい。ラステル・レストニア、その名を忘れないでくれ」


 胸がいっぱいでラステルはセリムに抱きついた。セリムがキツくラステルを抱き返した。


「私が憎しみや怒りに飲み込まれた後に我に返れたのはセリムがいたからよ。そしてセリムの想いに引っ張られて家族もみんな憎悪から解放されたんだと思う。嫌だと言っても私も家族もみんな貴方から離れないわ」


 ラステルが言い終わるとセリムがそっとラステルに口付けした。ラステルは離れた唇にもう一度そっと唇を寄せた。


「分かったわセリム……どうして蟲の気持ちが前みたいに分からなくなってしまったのか」


 さらにキスしようとしたセリムが止まった。


「どうしてだと思うんだ?」


 不思議そうに首を傾げたセリムこそラステルは不思議だった。セリムが一番分かりそうなのに。


「みんなが、優しい家族が貴方と生きろと言っているのよ。もう寂しくないだろうって」


 それから"人"として生きろと言ってくれている。自然と涙が溢れ落ちた。産まれてからずっと優しかった蟲をラステルは捨てようとしている。


「ははっ!それなら僕も弾き出されているよ」


 セリムがラステルの涙を指で拭った。それから頭を撫でてくれた。


「落ちこぼれで出来損ない。ラステルの為に人である僕を蟲の輪に入れた。心配だと兄弟が世話役になった。手のかかる可愛い末蟲すえむし


 ならどうしてラステルは蟲の輪から外れてしまったのだろう。今までのように気持ちを通じあわせたい。セリムも同じ輪にいるならセリムとも更に心寄せ合えるかもしれないのに。


「ならセリムはどうしてだと思う?」


「君の秘密に関係している。きっと。隠して調べようかとも考えたけど嘘や隠し事は無しだ。僕等は誰よりも通じ合っていた方が良い」


 微笑んだセリムの瞳にはまた戸惑いが揺らめいた。それから不安。セリム自身もラステルの正体不明なおかしさに怯えている。いや、ラステルの秘密が二人を引き裂くかもしれない、その不穏な影に恐怖を抱いてくれている。


「セリム、約束する。ううん、もう誓っているわ。ラステル・レストニアは病める時も困難に襲われても貴方から離れません。私は絶対に何があっても諦めないわ」


 この世で自分が一番幸福だというようにセリムが白い歯を見せて満面の笑みを浮かべた。収穫祭の後夜祭での誓い合った時よりも輝いて見えるのは、ラステルがあの日よりももっとセリムを好きだからに違いない。ラステルもセリムと同じ表情をしているだろう。


「君は強情だからね」


「あらセリムもよ。それに変な人。私を妻に望んでここまで離したくない人なんて世界中でセリムだけよ」


 なんだか笑えてきた。数日前に珊瑚礁を見せてもらった時の会話から随分遠くまできた。崖の国と蟲森という住処の違いに悩んでいたのが懐かしい。今ではとても小さな事だ。


「ラステルまで。みんなそう言う。蟲にもへんてこ人間だって言われてるんだ」


「そりゃあそうよ。得体の知れないものは食べてしまうし、大狼には好かれる。蟲の家族にもなった。世界中でセリムだけよ」


 込み上げてくる笑いでラステルはクスクスと音を立てた。


「大狼!そうだラステル、この庭にいるんだよ大狼が!」


 子供みたいに無邪気に目を輝かせるとセリムがラステルを両腕で抱き上げてくるくると回した。それから横抱きにして歩き出した。


「ちょっと!セリム?」


「雪も見たんだ。自動荷車オートカーには乗ったか?でもやっぱり大狼だ。向こうの丘だと思う。見に行こう」


 崖の国からペジテ大工房までの道中、セリムは寝ても覚めても大狼に会ってみたい、見たいと騒いでいた。でもここまで大興奮しなくてもセリムはもう会っているはずである。


「ヴィトニルさんに会ったんでしょう?」


「ヴィトニル!熟視の名持つ気高い大狼。ラステル知っているのか?」


 先程よりもはち切れそうな程眩しい笑顔のセリムにラステルは少し呆れた。ラステルに話があるのは本当だったが、偽りの庭を散策したいというのも同じくらい強い気持だったようだ。正確には散策したい、ではなく大狼に会いたいであるようだが。


「ええ、セリムのおかげで凍えそうな時に背に乗せてもらったわ」


「背に⁈どんな心地だった?」


 羨望の眼差しがラステルを襲った。こうなるとセリムは止まらない。崖の国で聞いた何故何なぜなに王子のあだ名は本当にしっくりくる。


「えーっと。アピ君のふわふわを更にふわふわにした感じかしら」

 

 途端にセリムがクルリと進行方向を変えた。


「アピを洗って乾かしたら似たようになるかな?おいアピ!」


 何て事を考えるのだとラステルが口にする前にセリムが走り出した。三人娘がセリムとラステルを見てヒソヒソと会話を交わした。頬を赤らめた三人娘から生温かい視線が注がれる。


「セリム下ろして!こんなの恥ずかしいわ!」


「アピ!遊んでやるからちょっと来い!アピ!」


 セリムの耳にはラステルの声は届いていないらしい。一直線にアピへと駆けていく。アピがセリムの方へ飛んできたが途中で方向転換した。何か察したのだろう。


「おいアピ!遊ぶってのは追いかけっこじゃないぞ!」


 セリムが叫ぶとルルがアピの後ろを追いはじめた。


「王子様が鬼なのね!お妃様と仲睦ましいのに溶かされてしまいそうだもの!」


 ルルの言葉にラステルの体がカァッと熱くなった。下りたいともがいたら、セリムはラステルを支える腕に益々力を入れた。アピを更にふわふわにしたなんて表現をするんじゃなかった。もっと他に何か例えを思いつければ良かった。


「セリム!離してってば!」


 耳元で叫ぶとセリムがララとリリのにやにや笑いに気がついた。ばつが悪そうに苦笑してラステルを下ろしたが、セリムはアピとルルを追っていった。


「私もあんな殿方に見初められたいです。宝物のように愛でられて」


 近寄ってきたリリがラステルを肘で小突いた。


「そう?セリムってへんてこ人間なのよ」


 ラステルは動揺で変な事を口走った。リリがきょとんと目を丸めた。どうしよう、彼女達に全部見られていたかもしれない。人様の前ではしたないとラステルは羞恥で上手く笑えなかった。


「不思議な方ですものね」


「ねえ、ワイルドな方も素敵だと思わないかしら?リリ、あの方もとても不思議よ」


 ラステルの隣に立ったララが目を細めて頬を紅潮させた。視線のずっと先にティダとパズーの姿が見えた。ラステルは少し驚いた。ティダがパズーに向けている表情は、豪胆な彼が決して見せなさそうな哀愁漂うものだった。

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