醜姫と異形の姫

 シュナの手を引くラステルという女はとても奇妙な存在らしい。一度も光を浴びたことが無いかのような真っ白な肌につややかな紅茶色の髪の毛。くりっと大きな瞳。見目可愛らしいごく普通の女性だ。


 しかし蟲と同じく目の色を真っ赤に染め、蟲と共に去ったのを見た。方々の話をまとめると蟲の仲間らしい。


「ごめんなさい。変な女だから触られて嫌だったかしら」


 ラステルを観察していたシュナに対してラステルは申し訳無さそうに眉尻を下げて手を離した。シュナにこのように普通に接する女はカール以外にはいなかった。むしろシュナがラステルを疎んでいるとさえ感じているらしい。やはり奇妙な女性だ。


「正直混乱している。しかし逆であろう。このような手によく触れられるものだ」


 ゴツゴツとした肉厚な手。ボコボコの肌。それなのにラステルが首を斜めにして何回か瞬きした。


「痛んだりしたかしら?胞子病ほうしびょうは関節が痛むものね。気が利かなくてごめんなさい」


胞子病ほうしびょう?」


 シュナの問いかけは聞こえていないようでラステルの口からぶつぶつ呟きが漏れた。


「ラタタの根があれば腫れが引くのに。それにナールの蜜で皮膚ももっと柔らかに……」


 隣室へ行くと言っていたのに、足を止めたシュナに対してラステルは一人で廊下をずんずん進んでいく。


「ラステル妃。何処へ向かうのです?」


 遠ざかっていくので追うか迷って、大きめの声で問い掛けた。


「あらゴメンなさい!考え事をしていたらつい。座って眠っていたから疲れたでしょう?」


 ラステルが戻ってきてペコリと頭を下げた。それからセリムがの寝室の隣の部屋の鍵穴に鍵をさしてゆっくりとドアを開いた。


「いや、目が冴えた。そなたとゆっくり話をしてみたい」


「私もセリムが目を覚まして安心したからか眠くないです」


 室内には寝台が二つに小さなテーブル、椅子が二脚。ラステルがシュナを椅子へと促した。着席するとラステルは大きく深呼吸して不安そうにシュナを見つめた。


「シュナ・エリニュス・ドメキアです。きちんと挨拶をしていなかった無礼と我が不肖の夫の数々の非礼を先に謝ります」


「いえ!あのラステル・レストニアです。故郷は東にあるホルフル蟲森のタリア川ほとりの村。今は崖の国のセリムの妻です」


 蟲森の民。初夜にティダから聞かされた時は驚いた。「妻です」と告げた時に頬を赤らめたラステルは可愛らしかった。自分とは違って好いた男と一緒になったのだと伝わってくる。


「蟲森の民か。この地へ蟲をおびき出したのも蟲森の民とティダから聞いている。あのような毒の森で、蟲の世界で人が暮らせるのだな」


 あのような、と口にしだが蟲森を知識として知っているだけで実際に見たことはない。蟲も今回の争いで初めて目にした。あんな昆虫を巨大化したような化物にカールは手足を食い千切られた。蟲は想像していたよりもずっと恐ろしい存在だった。


「私もあんな大規模に蟲を追い立てる事が出来る者を私は知りませんでした。私の村はとても小さな集落です。毒の無い地下に住み、昔からの知恵と共に暮らしています」


 尋ねればペラペラと秘密を話すのだなとシュナはラステルを改めて不思議に感じた。初対面からシュナを全面的に信頼するという態度。本心なのか演技なのか、単に考えなしの愚か者なのか。


「それが何故崖の国の妃に?」


「私、昔から奇妙で村ではみ出し者だったんです。蟲も蟲森も好きで森をよく散策してました。セリムは自国の為に植物や蟲の生態を調べに来ていたんです。それで知り合いました」


 心底嬉しそうにラステルが微笑んだ。二人の馴れ初めには大して興味がないので無視することにした。蟲が好き。にわかには信じられない言葉だ。


「奇妙とは?ティダはそなたは蟲を操れると言った。そなたは違うと言っていたが」


 少し考えるように視線を落とした後、ラステルがシュナを見据えた。


「昔から蟲の感情が何となく分かりました。今は分からなくなりましたけど。頼めば蟲は私の手助けをしてくれます。でも怒りと憎しみを抱いた蟲に私も感化されて気を失ってしまいます。私、人だけど蟲なんだと思います。最近知りましたが蟲に蟲だと思われているそうです」


 話だけなら全く信じられないが、シュナは確かに見た。大量の飛行する蟲が現れた時にラステルがシュナ達の前に躍り出て、真っ赤な瞳で蟲と去った所を。


「助けられたと思っていたが、その様子だと違うようだな」


「覚えていないので分かりません。人でいたいから蟲に心を寄せるのは止めようと思います。ずっと優しくしてもらっていたけれど通じ合わなくても恩返しは出来ると思いますから」


 悲しそうに俯いてからラステルは小さく微笑んだ。確かに奇妙、ティダが化物娘と呼ぶのも頷ける。一国の王子がよくこのような女を選んだ。しかも手駒ではなく心底惚れてるように見えた。一番奇妙なのは崖の国のセリムという男だなとシュナはしげしげとラステルを眺めた。あの男は蟲と会話するという。ラステルを妻にし、蟲に家族と認められたと言ってのけた。崖の国とは一体どんな国なのだろう。


「初対面でも思ったが、そんなにペラペラと手の内を晒すのは得策ではない」


「私、見ていました。どんな会話をしたか知りませんが貴方はセリムを受け入れました。ティダ皇子の奥様なら相当心が広いとも思いました。むやみに私を刺し殺したり、罠にめたりしないと思ったのです」


 真剣な眼差しには嫌な光は無かった。こんな風に尊敬のこもった視線というのはカール以外の女から受けたことがない。


「あの男とは政略結婚です。それに今は利害が一致していて行動を共にしているだけですよ」


 少し驚いたように目を開いてからラステルが花が咲くように笑った。


「一目見てとても澄んだ綺麗な瞳をしているお姫様だと感じて不思議だったの。根は良くてもあのような乱暴で激しい人は貴方に似合わないですもの。彼は貴方を気に入っているみたいですけど、ふふっ」


 愉快そうに肩を揺らしたラステルにシュナは目が点になった。


「妙な娘だな。見当違いも良いところだ」


 生まれ育ちが蟲森でも温室育ちのお嬢様だなとシュナは呆れた。人を疑うだとか警戒する能力に欠けている。狙われそうな特殊な身の上のようだが、こんなんだとあっという間に殺されそうだ。


「シュナ姫様が信頼には足らない人物だと?それともティダ皇子が貴方を好ましく思っていないと?」


「どちらもだ」


 思わずため息が漏れそうだった。しかし悪い気はしない。知り合ったばかりの者に人らしく扱われる、それも多大な信頼を寄せられるというのは心地良い。ドメキア王国内では決してあり得なかった扱いだ。


「あら、私人を見る目はありますよ。私に悪い気持ちを持っていればアピ君が黙っていないと思いますし」


 思わずゾッとした。アピ君とはラステルにまとわりついていた蟲だ。顔くらいの大きさの飛行する蜂を大きくしたような蟲。まるでペットのように親しげに呼ぶのも、自分が蟲に守られている事を理解していることも変なのにそれに気がついていない様子。自覚はなさそうだが、自分に何かあれば蟲が黙っていないぞという脅迫。何て女だ。


「あの、ごめんなさい。怖がらせることを言って」


 シュンと小さくなるようにラステルがシュナから視線を逸らした。


「あの蟲は何なんだ?蟲は人を食い殺すと聞いている」


「蟲は草食ですよ。あの子は私の兄弟?らしくて私が出来損ないだから世話役になったらしいです。何だかちっとも分からないけれど、ふわふわしていて可愛い護衛です」


 ふわふわ?可愛い?ティダがイカレ女と呼ぶのを理解してきた。ラステルという女は不気味過ぎる。だが一つ気になった。


「蟲に兄弟という概念があるのか。それに護衛とはそんな高度な知性を持っているのか?セリム殿は会話出来ると言っていたが」


 セリムは蟲は人を見張っていると言っていた。


「見た目は怖いですけど私達と同じです。普段はとても優しくて大人しいですよ。幼生は遊ぶことばかり考えてますし、歌うのが好きなんですよ。私も話をしてみたい」


 羨ましそうな表情にまたゾワリと鳥肌が立った。醜いだの化物だの卑下されてきた自分がとてもちっぽけに感じられた。目の前に本物の異形が存在している。しかし段々と恐ろしくは無くなってきた。蟲の本質を知っているからラステルは蟲を受け入れている。知性があるから対等に扱う。シュナに対する態度も同じなのだろうと腑に落ちた。シュナはラステルに本心から信用されている。理屈ではなくて彼女の本能や経験からそう感じてくれているようだ。


「蟲に手を出してはならない。世界が破滅すると私は母に言い聞かされて育った。だからずっと恐ろしかった」


 勿論今も恐ろしい。アピとかいう子蟲にも絶対に近寄りたくない。


「逆もそうよ。蟲が突然人を襲ったら抵抗するでしょう?酷いことはしてはいけない。当たり前のことなのに……」


 ラステルが遠い目をした。言われてみれば至極当然の考えだ。犬猫でさえ恩には恩を返し、仇には仇を返すという。カールは何故手足を食い千切られたのだろう。取り立てて聞いてみたことがなかったが、聞いてみれば良かった。何か違う視点があったかもしれない。


「変だがそなたはとても優しいのだな。そなたもセリム殿も国へ帰ると良い。争いなど似合わん」


 ドメキア王国に連れて行って毒蛇の陰謀に巻き込むのは気が引けてきた。しかしラステルは自ら飛び込んで来る気満々である。利用するだけして捨てる考えもあったが、そんな気は失せてきた。ラステルが顔をしかめた。


「嫌です。このように話をきちんと聞いてくれて、私達を気遣ってくれるシュナ姫様や貴方の守りたい人達の力になります。それがきっと故郷や崖の国の為にもなる。それにセリムはティダ皇子とどこまでも共に行くでしょう。私はセリムから離れません」


 唇を真一文字に結んでラステルがグッと胸を張った。


「ティダね。あの男は何を考えているかサッパリ分からん。自国から追い出されたのが相当悔しいようだが、それにしては奇妙な行動に出る」


 毒蛇の巣をお前にやるから成功したら軍を寄越せ、ベルセルグ皇国を陥落させる手伝いをしろ。その後は自由に生きろとシュナに今回の作戦を持ちかけたティダ。信用など全くしていなかったが、本国に囮にされた第四軍の反乱劇の駒に使えそうだから勝手にさせた。ティダはシュナの作戦の端にしか自分を置かなかった。なのにいつの間にかカールの軍を率いて先陣を突き進んでいた。少し信じても良いかと感じることもあるが、激しく凶暴な熱に横柄な態度。シュナにはティダが何を考えているのかさっぱり分からない。


「あの人は先程"戦争しようという愚か者共を全部潰す"と口にしました。あれはセリムが求める道です。あの二人、根が同じです」


 キッパリと言い切ったラステルの瑞々しい緑色の瞳がシュナを射抜いた。穏やかで柔和なセリムと孤高の大狼兵士はシュナには全く正反対にしか思えない。


「そんなに買っているのかあの男を。手酷い扱いをされたというのに」


「あの人私の事心底嫌いみたいです。それなのに二度も助けてもらいました。扱いは悪かったけれど体を案じてもらいました。触りたくもないみたいなのに。嫌悪を抱く相手にそこまで心を砕ける者は滅多にいないと思いませんか」

 

 説得力はある。しかし見当違いな気もする。


「口ではああ言ってもラステル妃の事を気に入っているのでしょう」


 もしくはセリムの妃だからだ。ティダは相当セリムを気に入っている。それだけは強く感じられる。シュナの元へセリムを連れてきたこと、ティダの連れである大狼の態度。ぶんぶんとラステルが顔を横に振った。


「嫌われたり疎まれてきたから分かります。あの人本当に私が大嫌いです。セリムもティダ皇子も誰かが酷い目に合うのを見て見ぬ振りが出来ない。そして大きな事を成せる自信がある。人の上に立つように生まれてそれに相応しいようにと努めている。誰よりも誇らしくありたい人達です」


 穏やかなセリムがそんな風に評されるとは予想外だった。ティダに対してはしっくりきた。並々ならぬ自信に度重なる奇妙な行動。ペジテ大工房への密告、第四軍の反乱加勢、セリムの支援。確かに被害を最低限にしようとしていたかもしれない。単にラステルの願望かもしれないが、シュナはそんな風にティダを見た事は無かった。


「そなたは難儀な男の妻となったのだな。セリム殿とも話をしてみたい。とてもそんな男には見えない」


「私、セリムに選んでもらえて光栄だと思ってます。シュナ姫様もティダ皇子が気にいるくらい素晴らしい女性だとそう信じたんです。きっと当たっているわ。話してみて益々そう思いました」


 にこりと笑ったラステルにシュナは自然と微笑み返した。敵だらけだった世界がガラガラと音を立てて壊れていく。戦争にきてこんな出会いがあるとは夢にも思っていなかった。


「ここまで言われると有難いとしか感想がないな」


 死ぬのが恐ろしくて馬鹿な振りで這いつくばってきた蛆虫うじむしか。生きてきて良かった。世界は広い。醜い姫に異形の妃。その本質はほとんど理解されないだろうが、理解者もいる。カールはこの娘をどう評価するだろう。愚かだとあざけるだろうか。蟲を憎悪するから撥ね付けるだろうか。ラステルは蟲を憎むカールには心を開かないだろう。会わせてみたい。


 きっとまた世界が変わる。


「でもティダ皇子ではない本当の伴侶を探しましょう。あんな乱暴者が貴方の夫だなんて似合わないわ!自信に満ちた鼻っ柱を折りましょう!」

 

 立ち上がるとラステルは何故か拳を交互に前に突き出した。


「それは何の真似だ?」


「練習中なんです!今度あんまりな扱いされたらやり返します。自分の身は自分で守らないと!」


 大人しそうな愛くるしい姿とは違って中身は随分と強情で勇ましい。シュナは可笑しくて声を上げて笑った。こんな風に笑うのはいつ以来だろう、それさえ堪らなく愉快だった。

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