大狼兵士の秘密2

 ティダが脱いだ服の下、巻かれたさらしを外すと鉛色の左側腹部が現れた。蟲の殻に類似している。筋肉隆々として引き締まった体には幾多もの傷跡がある。どれも剣のような鋭い刃物で切られたようやものではなく、歪な傷。


「俺の故郷はロトワ蟲森。ベルセルグ皇国北側の蟲森だ。それから大狼の岩窟の里にベルセルグ皇国でも生きた。この体は蟲森の大狼と暮らすためのもので赤子の時にこうなったらしいが、過去を話すと面倒だから割愛する」


 さっぱり理解出来ないとセリムは呆然と瞬きを繰り返した。ティダも話すつもりは無いらしい。


「俺には蟲の声が聞こえる。ただしそこの大蜂蟲アピス、それもロトワ蟲森の奴だけでほんの少しだだ。その理由は知らん。昨年からロトワ蟲森で蟲が騒ぎはじめた。大陸中で争いが起きる。まずはペジテ大工房だってな」


 セリムはアピに心の中で問いかけた。アピがしげしげとティダを眺める。


〈さっきまでしなかったのにロトワアピスの匂いがする〉


 ティダも蟲の意思疎通の輪に組み込まれている。それでラステルをと呼んだのか。


「俺はロトワ蟲森に残るいくつもの伝承を知っている。その中で今回関係あるのは二つ。蟲はペジテ大工房をきっかけがあれば滅ぼしたいと憎んでいる。もう一つは"悪魔の炎"だ」


「悪魔の炎?」


〈やっぱり隠してたってみんな言ってた。あの怖いやつだよ!〉


 アピがラステルの膝の上でブルブルと震えた。


「かつて大陸を毒で汚染した殺戮さつりく兵器。ペジテのドームから現れた砲台だ」


 いつの間にかペジテの屋根が開いて現れた巨大な大砲のようなものを思い出した。


「ロトワ蟲森の民はベルセルグ皇国を利用して大陸中の蟲森を破壊しようと考えている。あいつらは手元に悪魔の炎の部品を持っているんだ。ペジテ大工房は欠陥品とは知らん。ベルセルグ皇国現皇帝は大陸覇者になりたいから飛びついた」


 アピがラステルの膝から飛び立ってティダの体の周りをぐるぐると旋回した。


「おいこの大蜂蟲アピス叩き潰してもいいか?鬱陶うっとうしい」


〈ロトワアピスの輪は変。ロトワはこっちのことは知ってるのに向こうは教えてくれない。孤高ってみんなが言ってた〉


 ジーッとアピがティダの体の前で空中静止した。ティダはうんざりしたような表情だが言葉とは裏腹にアピに手を出そうとはしなかった。


〈セリムと同じへんてこ人間。蟲が嫌いなのに手を出さない。昔のセリム。トムと違う別のへんてこトムだ。こいつはへトムにしよう〉


 セリムは思わず吹き出しそうになった。アピがラステルの膝に戻る。「ティダと言うんだ」と小さく呟いてみたがアピは「ヘトム」と突っぱねた。またしてもラステルが羨ましそうにしている。ラステルにもアピにも苦笑いしてセリムはティダに視線を戻した。ティダはさらしを巻き直して服を着ていた。


「それで悪魔の炎を手に入れるためにベルセルグ皇国が手引きしてドメキア王国がペジテ大工房を襲ったと?蟲を使って」


「いや、まずは悪魔の炎が本当にあるのか確認の筈だっただろう。あわよくばはあっただろうがな。ドメキア王国を使って自分達は手を汚さない。それにしてもドメキア王国は阿呆だ。ハイエナの謀略は見事成功。これから別の計略が進行するだろう。俺の努力もカールのせいで水の泡だ」


 ティダはその場にドカリと腰を下ろした。


「ベルセルグ皇国皇帝に大狼、母親と一族を人質に取られている。第二皇子がまともだが内乱は正直厳しい。ドメキア王国へは兵を手にする為に婿入りした。まあ皇帝は厄介払いしたとか思ってるんだろうけどな。ザマアミロ!」


 シュナに向かって満面の笑みを浮かべるとティダは高笑いした。シュナが嫌そうに顔をしかめてティダから目を逸らした。政略結婚なのは知っていたが、ティダは満更でもないらしい。逆にシュナはかなり嫌そうだ。


「ペジテ大工房の後ろ盾、そしてドメキア王国の兵力。俺が欲しいのはそれだ。ベルセルグ皇国に返り咲く。それもなるべく早くだ」


 言葉や態度とは正反対の私利私欲とは違う不思議な光の瞳だ。


「何故だ?」


 答えないだろうと思いながらセリムは問いかけた。


「俺は人の上に立つために生まれた。俺自身も頭を下げる下々なんて真っ平御免だ」


 違う。この男の中心を太く貫くのは別の感情だ。ラステルが立ち上がってティダの隣に膝立ちした。アピがラステルの頭の上に乗っかった。


「この人、口は悪いけど根はセリムと同じだと思う。私はシュナ姫を手助けしたい。彼等に目を背けて故郷に帰りたくはないわ」


「近寄るな馬鹿娘!セリム、お前に選択権はないぞ。ベルセルグ皇国にはグルド帝国が噛んでる。この女を誘拐しようとしたのはグルド兵だった。グルド帝国の隣国エルバ連合にも当然飛び火する。お前の大事な物は全部グルド帝国に睨まれている」


 ラステルを突き飛ばして高笑いするティダの背中を、立ち上がったシュナが蹴飛ばした。パズーがラステルの体を支えた。


「作戦に必要な娘を無下にするな!この無骨者!」


「崖の国の妃に何するんだよ!何度目だよ!数々の無礼、許さないぞ!セリムとラステルに手を貸して欲しいならちゃんと頼めよ!」

 

 ティダがパズーに飛びかかった。ヒラリと避けたパズーが悲鳴を上げて部屋の隅へと走っていった。


「ラステル、パズー。僕が大人しく帰ると思うか?」


「いいえ!」


 ラステルが満面の笑顔を向けた。


「帰ろうよ。何で怖い方に行くんだよ。崖の国で平和に暮らそう……でも戦争きたらあんな小さなひ弱な国吹き飛ばされちゃうよな……ペジテ大工房は巨大国家なのに蟲に嫌われてるみたいだから役に立つか不安だし……」


 ティダに胸倉を掴まれたパズーが大きく溜息を吐いた。


「すまないなパズー。ひ弱な国で」


 セリムは素直に頭を下げた。国民総出で何とか暮らしていけるかという小国。資源も身を守る術も少なすぎる貧弱な国。セリムとラステルで何が成せるかは怪しいが、争いに立ち向かうしか自分達も崖の国も生きる術はないかもしれない。


「あら、崖の国は小さくてもとても素敵で素晴らしい国よ!セリムを見て。大きな国の偉い人がみんな揃ってセリムを頼っているわ!」


「その王子のお妃様がラステルで光栄だよ!」


 目と目で通じ合うラステルとパズー。テトの時といい、セリムの知らないところでいつの間にか仲良くなっていて嬉しい反面、少し寂しい。


「誰が頼るって⁉︎俺がまとめて引き受けてやろうって言ってんだよ!イカれ女!」


 ティダがパズーをラステルに向かって投げつけた。腹這いに床を滑ったパズーの手がラステルの胸を掴んだ。セリムは思わず立ち上がった。腕に繋がる管で動かない。パチンとラステルがパズーの頬を引っ叩いた。ラステルが真っ赤になってパズーを睨む。


変なところ触らないでパズー!テトに言いつけるわよ!」


不可抗力だよ!わざとじゃないって!」


 素早く起き上がったパズーが床に腰をつけたまま後退りしてティダの足にぶつかった。パズーはティダの両足を抱きかかえて縋り付いた。


「また⁈あれもこれも⁈」


 セリムは真っ赤なラステルに近寄りたかったが、やはり治療らしい管のせいで移動できなかった。ブーンとアピが飛んでいってパズーの膝の上に乗って前脚でペチペチと叩いた。


「ひいいいいい!ひいいいい……なんかこいつ近くで見ると可愛いか?いや怖いよ!……お前もしかして観測凧で遊んでたセリムみたいな蟲か?同じ色の毛をしてる。ひいいいっ!やっぱり怖いから離れて!」


 アピが抗議するようにパズーの太腿の方へと進んでいく。


〈トムはおバカ。バムバム。ホルフルアピスはみんな黄色い産毛。僕はあの楽しいやつで遊べなかった。遊んでくれ〉


 立ち上がってパズーがアピから逃げ出した。アピが遊べと追いかける。そんなに広くない部屋内をぐるぐると追いかけっこしはじめた。


「あはははは!痛てて……」


「セリム大丈夫?」


 笑い過ぎて傷口が酷く傷んだ。ラステルが優しく寝台まで体を支えてくれた。


「っとに訳分からん男だパズーは。行くぞシュナ。続きはそいつがもう少し回復してからだ」


 ティダがシュナの手首を掴んだ。


「気安く触るな!」


 憎々しげにティダを睨んだシュナにラステルが近寄った。


「シュナ姫は私と行きましょう。アシタカさんがセリムの隣の部屋を用意してくれたの。色々お話してみたいんです。パズー、アピ君。セリムをよろしくね」


 ラステルが微笑むとシュナも笑みを返した。それからティダに鼻を鳴らして背中を向けた。アピがブーンっと戻ってきてセリムの頭に乗った。


〈バムバム楽しーい。ぐるぐる楽しーい〉


 満足そうなアピに対して、ゼエゼエ言いながら床に座り込んだ青い顔のパズーは少し気の毒だった。


「遊んでやろうと思ったのによ!ったく毒蛇はてんでなびかねえ」


 涼しい顔をしてティダがソファに腰を下ろした。


「へえ。彼女のこと気に入っているんだ」


 何故かパズーはティダの隣に座ってからかうように笑い始めた。セリムよりもよっぽどヘンテコ人間だと思ったが、膝に乗ったアピが否定するように頭部を横に振った。


「あ"あ"ん?正妻は特別にしとかないと揉めるだろ!側室なんて頭空っぽで見た目だけ良けりゃあいいんだ。あいつは違う。俺の役に立つ。ああいう女はなびかせないと有効活用できねえだろ。まあ時間の問題だな」


「うわっ。僕ならお前みたいな奴嫌だね。自信過剰の、いや実力とか的に自信は相応しいのか?」


 パズーの後半の独り言に機嫌良さそうにティダが唇を綻ばせた。ティダという男の思考回路がセリムとは違いすぎていて頭が痛くなってきた。こんな男は崖の国には居なかった。ラステルが「セリムと根は同じ」と評価したのはどの辺りなのだろう?セリムはやはりティダという男が不思議でならない。


「その通りだパズー。どんな女だろうが俺は落とせる。手段は問わねえ」


「でもラステルは無理だ」


 してやったというニヤつくパズーをティダが肘で小突いた。割と強く。


「っ痛!だから止めろって馬鹿力!」


「あんな女こっちから願い下げだ!名前も聞きたくねえ」


 心底嫌悪の表情をしてティダが舌打ちした。


「僕の愛する妻だ。そんな言い方しないで欲しい」


「そんな歯が浮くような台詞よく言えるな。お前も王子ならよく考えて正妻を決めな。あんなとんでもない女……」

「僕は彼女だけで充分。いや僕には勿体無いくらいの女性だ」


 セリムはティダの言葉を遮った。それから寝台へ戻った。話し過ぎて疲れた。それにラステルも行ってしまった。そこそこ広い寝台だから、話が終わった後にラステルは添い寝でもしてくれるかと期待していた。部屋に残ったのはむさ苦しい男二人に、遊べと騒ぐ蟲の幼生一匹。それなりに頑張って駆けずり回った結果がこれって少しやるせない。


「あーあねた。お前のせいだぞティダ」


 多少それもあるが、単に疲れたのだ。セリムは目をつむった。険しい道を選んでしまう自分とそれについてきてくれるラステル。体をしっかり治さないと次こそ命が無いかもしれない。


「ったく、あんな見た目だけの女」


「うるさい!今日はもう寝るからな!」


 崖の国へ帰ろうか。ラステルと散策した故郷の海岸の砂浜を思い出した。共に見た珊瑚礁や、流れ星散る満天の星空。寄せては返す波のように、心が揺れる。ラステルとパズーと共に質素だが平和で穏やかな崖の国へ帰ってしまいたい。


 蟲に祝福されたホルフル蟲森での蟲森の光苔トラーティオの七色の輝いた道、ノアグレス平野を虹色に染め上げた蟲の子達。崖の国に留まっていたらあれ程までに美しい絆を知ることは出来なかった。


 理由は定かではないが争いを最低限にしようと奔走するティダ、自国に背中を刺されるシュナ、蟲に睨まれているアシタカの国、それを見捨てて帰国するなどセリムには出来ない。ラステルもそう告げた。パズーの言う通り、崖の国は小さく貧弱で争いが襲ったらそれが最後。


「お前はずっと寝てただろう!」


 そう言いながらティダはそれ以上口を閉ざした。


 ラステルは人形人間プーバ……


 グルド帝国……


 セリムは泥のように眠った。




 

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