収穫祭女の戦い1

昨夜の大橋とは打って変わって往来する人々で賑やかだ。宝飾や果物、作物、雑貨などがあちこちで並べられて皆が思い思いに立ち止まる。


「あれは何?」


ラステルとラファエが尋ねるたびにテトは丁寧に教えてくれた。


「疲れないテト?私達質問ばかりで」


金銭というもので商品をやり取りするというレストニアの生活は蟲森の村にはない概念だった。それを説明し、加えてラステルやラファエの色々な商品に対する疑問を忙しくなく聞かされれば疲れるだろう。


「ううん。セリムと話しているみたい。会ったばかりのセリムと。だから何だか面白いわ。セリムはもっとしつこかったのよ」


「そうなの?」


「何故何王子様。昔っからいっつもあれは何?これは何?どうして?なんで?ってね。詳しく聞かないと気が済まないのよ」


思わずラステルは吹き出した。蟲森で昔から見てきたセリムの姿に重なる台詞。出会ってからラステルにいつも告げてきたどうして?や これは何?は星の数。あまりにもセリムらしかった。小さな頃から変わらないようだ。


「私達は他国だから全てが物珍しいけれどセリムさんは不思議な人ね。生まれた国でそんなだなんて」


ラファエが眩しそうに目を細めた。ラステルの前ではあの男呼ばわりだが、ラファエがセリムの名前を口にした途端それがとても親しみのある響きに感じられた。嫌っているわけではないのだろうか?


「そうなの。当たり前のことも疑問みたい。特に大変だったのはアスベル先生。そうだ。アスベル先生と約束しているんだった」


テトに促されて二人は大橋を渡りきった。赤鹿の小屋の前に白髪混じりの茶髪の髪と髭が繋がった壮年が立っていた。髪と同じ色の瞳。アスベルのように体格の良い少し短躯で胴の長い見た目は崖の国の者ではないと物語っている。背は高いセリムと同じくらい大きいが横にも大きいので威圧感がある。漆黒の外套が微風にゆれていた。首元にはセリムの防護マスクに似た布が巻かれている。一回り大きな赤鹿の顎を撫でていた。セリムがいつだか言っていたアスベル先生はこの人だろう。あまり歓迎されていない張り詰めた様子にラステルは緊張した。汗ばむ手を重ねてきつく握る。


「テトおはよう。それからありがとう。初めましてアスベルです」


「砂漠の民族長の娘ラファエです。それから侍女にして乳姉妹のラステルです。初めまして。お噂はかねがね」


アスベルとラファエが他人行儀な握手をした。アスベルがラステルに顔を向ける。


「ラステルさん。貴方とは丘で会いました」


丘?いつだっただろうとラステルは思案したが覚えがなかった。


「いやそれならいい。そうか。……初めましてラステルさん」


「すみません」


丘といえば昨日の朝にガンが亡くなった時に訪れたレストニア城上の丘しかない。こんな男いただろうか。この国でこのような異質な男を一度見たら忘れなさそうだ。ラステルがはっきりと覚えているのはラステルに駆け寄ってきたセリム。それから酷く落胆して崩れるように座り込んで抱き締められて……。余計なことを思い出した。ラステルは追い出すように首を横に振った。


「まだセリムからもアシタカからもほとんど話を聞いていない。その前に一度会ってみたかった」


ラステルは胸を張った。やましいことなど何一つない。丘で我をなくしていたラステルを見たのかもしれない。不気味だと、変な者だと察したのかもしれない。しかしそれがラステルだ。変えようにも変えられない。セリムが受け入れてくれたというそれだけを支えに胸を張った。


「想像とは違う。そうか。セリムを宜しく頼むよ。無鉄砲で危なっかしい。時には止めてやって欲しい」


急にアスベルの雰囲気が弛緩した。ラステルはホッと胸をなでおろした。


「あの、私」


「では。良い収穫祭を!」


外套を翻してアスベルはさっと赤鹿に跨った。それから颯爽と大橋を渡っていく。人が割れて道を作る。漆黒の外套には細い銀色の十字架が飾られていた。それが日の光でキラキラと反射する。


「不思議な方ね。ひどく絶望した憂いた瞳」


ラファエがぽそりと零した。ラステルはそんな事感じなかったから驚いてラファエを見つめた。テトも同じようだ。


「どうしたのかしらアスベル様。いつもより険しかった。てっきり一緒に祭りを回るのだと思っていたのに」


テトが怪訝そうに眉をひそめて腕を組んだ。


「セリムを宜しく頼むよ。だって。ふふふ。ねえそろそろ聞いても良い?この指輪いつどうやって貰ったの?」


声真似をしてからテトはラステルの背中を軽く叩いた。それからテトはラステルの左手首を軽く掴んで持ち上げた。銀色の指輪がキラリと太陽を反射してラステルの頬に光を落とした。かあっと体が熱くなりラステルは指輪を隠すように手を胸の前で握りしめた。


「あらあら。あらあら。羊臭いと思ったらテトじゃない」


あからさまな嫌な気配を漂わせた金色の巻き毛豊かな女がラステルとラファエの間をわざとぶつかるように歩いてテトの前に立った。後ろから似たような巻き毛の女が2人現れた。そばかすの多い頬にあまり日焼けしていない肌。よく日に焼けた浅黒いテトとは正反対で細く弱々しい。質素な小綺麗なテトとは違い豪華な宝飾で着飾っている。ラステルはあまり似合っていないなと思ってしまった。それに甘ったるい香りもキツイ。3人は何が愉快なのかクスクスと笑い合っている。


「あらローラ。お客様の前で失礼よ」


テトに咎められてもローラはラステルとラファエを一瞥してからふんっと鼻を鳴らした。それからキッとラファエを睨んだ。にこやかに受け流すかと思っていたラファエがローラの前に立って冷ややかにローラを見下ろした。


「田舎娘よりも教養のない者もいるのね。テトのように気立ての良い娘ばかりだと思っていましたわ。」


「嫌味ですこと。異国への礼儀をご存じないのですかね?」


ラファエがピシャリと投げけた嫌味にローラが更に目元をキツくした。バチバチと火花が散る。


「ちょっとやめなさいよローラ。セリムの来賓よ。」


「そんな言い方良くないわ姉様。それに喧嘩しただなんてセリムが聞いたら残念がる。」


今度はローラがテトを、ラファエがラステルを睨んだ。侮辱されて黙っていろと言うのかという無言の圧力。先に動いたら負けだと言わんばかりに腰に手を当てて睨み合いを続ける。


「あらあら。セリム様を呼び捨てなんてテトのせいかしら。嫌だわこれだから田舎者は。」


「ちょっとマリルまで。」


痩せ細った女にテトが批難の声を上げた。隣の太った女と顔を見合わせてまたクスクスと笑う。ローラとラファエは無言で睨み合いを続けている。


「セリムはそんな事で怒らないわよ。」


「何よ。色白の怠け者。セリム様の何を知っているというの?」


マリルが嘲笑うように唇を歪めた。蟲森の民は崖の国と違って日焼けとは縁がない。それと怠惰は無関係だ。言い返してやりたいと思ったが、砂漠の民なのに白いのは怠け者なのか?と自分達の設定と見た目の乖離に疑問を感じてラステルは黙っていた。


「貴方ならセリムの事を教えてくれるの?」


素直に聞いてみたかった。崖の国の娘にはセリムはどう映っているのか。ラステルの知らない姿があるのか。何故だか「え?」とマリルがたじろいだ。代わりにローラがラステルの前に仁王立ちした。


「セリム様は風詠よ」


「知っているわ。オルゴーに乗って仕事をしているって聞いたもの」


ローラはピクリと頬を痙攣させてから涼しい表情に戻った。


「優しくて気立てが良いの」


マリルがローラの横から告げた。少し頬を赤らめて。


「一緒にいると楽しいわ。それにとても穏やかだわ。たまにびっくりするほど大人びた顔をするけど無邪気な子供みたい」


ローラが続ける。


「そうなのよ。その落差がまた良いわよね」


太った女がとろけそうな表情を浮かべる。


「それにとても格好良いわ。逞しく鍛えているのにスラってしていて。それにあの宝石みたいな目」


「梳かしてあげたくなるような癖毛」


「赤鹿から落ちた時に起こしてくれた指が綺麗で掌が大きかったこと」


口々に出てくるセリムの褒め言葉にラステルはモヤモヤした。ラステルだって知っている。セリムがいかに優しくて格好良くて素敵なのか。そしてそれだけではなくみっともなかったり子供っぽすぎたりする事もラステルだって良く知っている!テトがラステルをにやにやと眺めている。慌ててラステルは俯いた。焼きもちがダダ漏れていたのだろう。恥ずかしい。


「それなのに収穫祭でこんな羊臭い女としか踊らないってセリム様って本当にまだ子供よね」


またローラがテトを睨んだ。


「あらセリムに相応しい女が去年までは私しかいなかったって事でしょう?」


「何よテト。油臭い幼馴染に振られて泣いていたくせに。セリム様は慰めてくれただけじゃない。」


「振られてないわよ!ちょっとパズーは意気地がないだけよ!」


「あら知らないの?銀細工のヤムライハの娘と親しそうにしているの」


「ミリアンと?」


「そうよ。毎日のように通って。みんなが噂している。知らなかったの?」


話が見えなくてラステルとラファエは傍観していた。テトが泣きそうに顔を歪めた。


「そんな事ないわよ。セリムはパズーと髪飾りを作ったって言っていたもの。パズーは幼馴染の為に何度も銀細工をし直しているって!そのミリアって娘に教えてもらっていたのよ」


ラステルは庇うようにテトとローラの間に入った。勝手にバラしてはいけないと思ったがテトの名誉を守らねばならない。


「あらその髪飾りはどこにあるのかしら?」


ローラはわざとらしく何の飾りもつけていないテトのポニーテールを覗き込んだ。


「いい加減にしなさい。この無礼者。」


ラファエがローラを軽く押した。それから両腕を組んだ。


「何するのよ!」


「文句があるなら勝負しましょう。祭りというからには何かあるでしょう?」


挑発的な声を出すとラファエがテトの肩を軽く叩いた。


「ラファエさん?」


「このピーチクパーチク煩い小娘達を叩き潰してあげる。友の侮辱に黙っているほど砂漠の民は温厚ではないの。」


思わずラステルも腕を組んでラファエの隣に立った。初対面から親切丁寧なテトへの無礼はラステルも許せない。セリムがラステルとラファエを預けるほど信頼している娘。それを守らないなんて女が廃る。


「ピーチク⁈ちょっとエミリ聞いた?」


「聞いたわよ何なのこの女!ローラこれから舞踏大会があるじゃない?それが良いわ。」


勝ち誇ったような顔でローラがラファエを睨みあげた。


「仕事で勝とうだなんて卑怯よ!」


「構わないわよ。ふーん貴方踊り子なのね。」


テトがローラに掴み掛かりそうになるのをラファエがテトの服を引っ張って止めた。


「偶然ね。私達もそうなのよ。」


え?とラステルは声を上げそうになった。豊穣への祈り、健康息災への願い、蟲森での狩が無事に終わるようにと踊ることはあるが仕事ではない。いや務めといえばそうであるがローラのそれとは違うだろう。


「なら行きましょう?祭宴の中心。大広間へ。」


高らかに笑いあげるローラが歩き出した。マリルとエミリが続く。ラファエがテトの手を引いて歩き出す。ラステルも続いた。おかしな方向に話が進んでいる。


「舞踏大会って?どうしたら勝ちなのかしら?」


「投票よ。着飾って歌い踊る女に会場の男達が票を入れる。まあ嫁入り前の娘の自分のお披露目の場。崖の国の女はこの通り結構気が強いの。優れた女を男は嫁に欲しがるでしょう?あと普段疲れ切っている男たちへの目の保養でもあるけど。男女別々に仕事をしていることが多いから。舞踏大会のあとは武術大会。それから後夜祭としてみんなで踊るの。収穫祭の大広間は交流の場でもある。」


「あらそんなところに招く予定だったの?」


ラファエは愉快そうに鼻を鳴らした。


「観るのは楽しいもの。煌びやかで賑やかで出店も出る。舞台以外でも思い思いにみんなが楽しんでいるから。」


風車塔前を左折してしばらく進み最初に現れた大きな扉は開け放たれて花で飾られたいる。三人はローラ達の後ろを登っていった。


「本当に舞踏大会に参加するの?」


「もちろん。ラステルが。」


しれっと告げたラファエが悪戯っぽい笑みをラステルに投げた。


「喧嘩を買ったのは姉様よ?」


「貴方も買ったじゃない。」


「そうだけど。」


「あの娘達。まだその指輪に気がついてないみたい。高々と掲げて鼻っ柱を折ってしまいなさい。タリア川の誇りにかけて負けるんじゃないわよ。」


ラファエがラステルの左手を掴んで持ち上げた。ラステルはその手を払った。


「そんな。これはそんな自慢するためじゃ。嫌よ。」


「貴方はあの男の誇りを背負ったんでしょう。堂々としなさい。こんな事で怖気付いたり逃げたりしたら先が思いやられるわよ。私は関係ない。あまりに無様ならテトの名誉のために舞台に上がるわ。」


刺々しく吐き捨てるとラファエは足早き階段を登っていった。そうかとラステルは気がついた。憎まれて怒っていてもラファエはラステルを心配しているのだ。だから強くあれと言いたいのだ。


「姉様意地悪ね。」


ラステルはラファエの横に駆け上がって顔を覗き込んだ。不機嫌そうなのに照れ臭そうにしていた。良かった。気がつくことができて。


「姉様見てて。ラステルはタリア川とこの指輪の誇りを見せます。それからテト。あなたの屈辱を返すわ!」


テトは嬉しいというより呆れているようだった。蟲森の民も気が強い。それどころか強情だ。ラステルはテトとラファエの手を掴んで階段を駆け上がった。まずはローラよりも先に登り切ってやる。

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