収穫祭女の戦い2

控え室という場所でラステルはラファエとテトに控え室に置かれた備品の化粧道具で着飾られた。一つにひっつめていただけの髪をほどくとラファエがいつものお団子ではなく編み込みにしてくれた。それからラファエは自分の首飾りと耳飾りをラステルへつけた。タリア川の結晶を削った深い青色の宝飾。セリムの目の色とよく似ている。


「返さなくてもいい。ううん。いつか返しにきて。餞別よ。」


テトには聞こえないようにラステルの耳元でそう囁くとラファエは柔らかく微笑んだ。昨日喧嘩したときはもう二度とこんな風に穏やかに向き合えないと思っていた。何が姉様を落ち着かせてラステルと向き合わせてくれたのだろう?それを知って感謝を捧げたかった。


「ありがとう。でもどうして?」


「あんなに怒っていたのに?化物でも私の妹よ。それだけよ。」


またラステルの耳元で囁やいたラファエの顔はバツが悪そうだった。ラステルはジワリと滲んだ涙を引っ込めようと歯を食いしばった。そんな事を言ってもらえるとは思っていなかった。


「あらあら粗末なこと。」


より派手にそして大胆に胸元を見せた服装をしたローラが控室から出ていった。


「下品な女。いっつも私に突っかかってくるのよ。自分がセリムに相手にされないからって。」


「あらテトは相手にされていたの?」


ラファエの問いかけにテトが大きく首を横に振る。ラステルの耳はピクリと反応していた。ラファエがそれを見抜いていたのか肘でラステルを小突く。


「パズーよ。大親友というかセリムはパズーが大好きなのよ。だからラステルそんな拗ねた顔をしないで。」


「拗ねてなんていないわ。」


「パズーは王子扱いしないから。あとポックルには会った?彼もそうよ。研究馬鹿、機械馬鹿、学問馬鹿の三人組。パズーに会いにじゃなくて説教しに行くといつも三人でいるから親しくなったってだけよ。」


そう、と小さく呟いた。鏡に写るラステルは真っ赤な顔をしていた。


「確かに地味ね。」


会話を無視してラファエがラステルを見下ろす。それから部屋を見渡して飾られている薄い織り布を引っ張って引き剥がした。周りの者がギョッとしている。


「ラステルズボン脱いで。」


「足はね傷だらけよ。」


「いいから。」


ラステルは素直にズボンを脱いだ。セリムが大げさに巻いた包帯をラファエが剥がしていく。


「かすり傷ばかりで目立たないわ。誰よこんなにしたの。過保護ね。あの男でしょう?ほら旗の代わりよ。揺らめきで視線を誘導すればいいわ。白い服に映えるわ。」


「あの。うん。これセリムが。」


「やっぱりね。」


織り布の隅を一箇所結ぶとラファエはふわりと回ってみせた。ラステルは渡された織り布をしっかりと掴んだ。


「行くわよ。」


ラファエがラステルの手を引いた。控え室を後にする。食事に歓談、酒を飲み大いに笑う人々が溢れかえる大広間。音楽に合わせて踊るものや台の上で商品を掲げて売る者。老若男女が入り乱れる大広間を大きく横切りそれから中央で右に折れて舞台へと続く床よりも一段高い道。そこにはほとんど人は現れない。たまに横切るのに人が登るがさっと降りて行く。舞台の上では女が歌い、踊っている。それからその前はほとんど男ばかりだ。ラステルの想像よりも多すぎる人に大きな舞台。どうしよう。


「近くにいてくれる?」


「嫌よ。あんなむさ苦しそうなところ。外から見るよりずっとこの国は大きいのね。」


ラファエの返事は早かった。ラステルはテトを見た。


「いつもの席に風車塔の爺様たちがいるはずだからそこに行くわ。ラファエさんそれなら?」


「分かったわよ。」


じゃあ頑張ってとテトがラステルの背中を押した。ここからもう一人らしい。遠目にローラらしい女が舞台の中央を占拠するのが見えた。ラステルはぐっと背筋を伸ばして織り布を握った左手を振り上げた。ゆっくりと足を踏み出す。いつもラステルを除け者みたいに見る村人の視線より好奇の目の方がマシなはずだ。女に二言はない。ラステルはゆっくりと左腕を頭上で振りながら美しく織られた布をはためかせた。


大広間の中央まで来ると体をゆっくりと回転させて織り布を靡かせる。また左腕を掲げて歩き出した。自惚れではなく大広間中の視線がラステルに注がれている。王子に招かれた砂漠の民の噂は崖中に広まっていると初日にテトが言っていた。青白い肌というだけで一目でラステルがその客人だと分かるだろう。ガヤガヤとしていた大広間にざわめきが起こって次第に静かになっていった。


ラステルは舞台へ上がると左手を胸の前にゆっくりと持ってきて会釈した。こうなればとことんやってやる。少し震える足に力を込めてラステルは顔を上げた。


「砂漠から招かれました光栄と崖の国の歓迎に感謝して。とくに羊飼いの娘テト・・・・・・・の親切心に尊敬を込めて舞わせていただきます。」


なるべくテトを強調して大きな声で叫んだ。声が震えている気もしたがラステルはとんっと足を跳ねた。この国の踊りなんて知らない。先ほどみたのは素早くステップを踏む大きな身振り手振り。ラステルは真似はせずに豊穣の祈りの舞を踊ることにした。ゆっくりと軽やかに、産まれたばかりのガンの幼生が生の喜びに飛び回るようにふわりと織り布をはためかせる。


動き始めれば楽しい。どんなに練習しても蟲森の祭りにラステルは参加させてもらえなかった。祭りに際してラステルはタリア川ほとりの村から外出する事を禁じられ、いつも蟲森の浅瀬で蟲と踊るしかなかった。タリア川ほとりの村内の祭事ではラファエの付き人として衣装直しや道具渡しが仕事だった。今ここには愉快そうに見つめる目はあれど、蟲森でラステルを忌諱するような目をした者はいない。


一通り踊り終えるとラステルは初めと同じように会釈した。ざわめきの中を逃げるように舞台を降りて、舞台上から探したラファエとテトのいる場所を目指す。そのはずがラステルの周りにわっと人が集まった。


「名前は?」


「あの。ラステルです。」


「国は散策しました?案内しますよ!是非!っ痛!」


ラステルにずいと近寄った大男が蹴っ飛ばされた。目を白黒させていると今度は細身の鼻の大きな男がラステルの肩を抱いた。


「お前のような横暴者には相応しくない。」


「あの。離して……。」


ラステルが身をよじる前に今度は細身の男が突き飛ばされた。背が低く逞しい男がラステルの腰に手を回した。


「弱々しい男など用はないでしょう。」


次々と殴り合い、蹴り合い、小突きあう男たち。どうしてこんなことになった?ラステルは叫んだ。


「乱暴者は好きではありません!」


ピタリと喧嘩が止む。広間中に大笑いが響いた。もっとやれとかよく言った、いいぞという言葉が飛び交う。


「それに私。」


ほとんど無意識に胸の前で身を守るように重ねていた手をさすった。指輪にそっと触れる。すると喧嘩していた男たちだけでなく舞台にいた女達も集まってラステルの手を凝視した。正確にはラステルの手ではなくその指に嵌められた指輪。


「嘘でしょ?」


最初に悲鳴のような声をあげたのはエミリだった。愕然としているローラの横で同じ表情をしている。


「セリム様がついに選んだ!」


最初にラステルに声をかけてきた大男が叫んだ。大広間中が一段階大きなざわめきに飲まれた。どうしよう。やり過ぎたのかもしれない。見せなさいと女達に迫られてラステルは左手を隠すように握りそれから身をよじって駆け出した。


「ちょっと待ちなさいよ!」


「何なのよ貴方!」


「ラステルさん御無礼はセリム様には内緒に!」


「偽物よ!あり得ないわ!


「お前達やめないか!ラステル様が怯えておられるぞ!」


追いかけてくる鬼のような形相の女たち。それを止めようとして女に殴られ蹴られる男達。ラステル様?私はそんなに偉くないわ!とつい声に出していたが飛び交う言葉の大きさに掻き消される。ラステルは道からまた舞台へと戻っていた。人がさらに舞台へと上がってくる。若い女や男だけではなく老人や子供もラステルを囲む。テトの姿も見えた。


「やっぱりそうか!賭けはわしの勝ちじゃのう。」


「くそう。もう1人の美人かと思っていたのにのう。」


「ラステル様セリム様にはご内密に!」


「ちょっと泥棒猫!指輪を盗んだんでしょう!」


「やめなさいよローラ!ラステルはそんな子じゃないわ!崖の国の恥さらし!」


「何よテト!」


「お姉ちゃんセリム様のなあに?」


もう舞台上はめちゃめちゃだ。みんながみんな言いたい放題。ラステルの指輪を奪おうとした女から逃げようと動くと人垣も追ってくる。少し離れたところでラファエが腹を抱えて笑っている。あんな風に笑うラファエを見たことが無い。


「ねえ何て言って渡されたの?」


「可愛い方。本当に真っ白ね。」


敵意のない女もいるようで羨望の視線が突き刺さる。ラステルは頬や腕を撫でられて恥ずかしくてまた逃げ出そうとした。


「嘘つきに決まってるじゃない!」


ローラが現れて突き飛ばされた。


庇おうとした男がローラに頬をひっぱたかれた。


その隙に老人がラステルの左手を掴んでさすった。


「有難や有難や。」


どうしよう?ラステルは青ざめた。セリムの崖の国での存在の大きさが身に染みてくる。ここにいる者のセリムへの想い。それにラステルは泥を投げつけることになる。己の罪に怖れを抱く。セリムの決意の大きさに驚愕が襲う。何もかもを捨てるのだ。セリムはこれを捨てて行く。ラステルがついていかなくともセリムは西へと飛んで行く。自分を慕うこの国を愛しているから。体が自然と震えた。ラステルとセリムでは捨てるものの種類が違う。疎まれてきてラステルにはセリムの気持ちは永遠に理解できないかもしれない。


「みんな離れなさいよ!ラステルが怖がってるじゃない!」


「違うわ!ごめんなさい!私は!」


それでも諦められない。ラステルは指輪をさすった。


「何をしている!」


凛と響いた聞き覚えのある声にラステルは顔を向けた。大広間の入り口にセリムが仁王立ちしていた。今朝とは違い防護服を脱いだばかりというような薄い上着と動きやすそうなズボン。蟲森に無事にガンの幼生を帰して戻ってきたのだと推測できた。ラステルは思わずセリムに向かって走り出した。


「騒動だからと来てみれば!警鐘にも気がついていないな!宴は交代だ!逆突風で避難にあたった者と……ラステル?」


高々と叫んでいたセリムがそっと駆け出してラステルの方へと向かってきた。大広間の中央で合流する。


「ラステル?」


セリムは困ったように顔を背けた。


「私騒ぎを巻き起こすつもりはなくて。その。ごめんなさい。なんだか騒がせてしまったの。」


「いや。その。まさか舞踏大会?よく似合っているよ。うん。その髪とか。」


俯いた顔を覗き込むとセリムの頬は赤かった。つられてラステルの体も熱くなる。


「セリム様!逆突風ですと?」


嗄れた声が大広間に響いた。


「そうだ!避難は当番の者により無事終わって!もう一時間は経つぞ!全く全然気がつかないとは!そのぶん十分楽しんだだろう!疲労している者を労う為に各自班の者と代わり祭宴の楽しみを分け与えてやってくれ!」


ざわざわとしながら動き出す人々。セリムがそっとラステルの頬を撫でた。


「少し待って……。」


またわらわらと人が集まりセリムとラステルを囲んだ。


「セリム様!その娘は何なんですか?」

「卑しい盗人を捕まえてください!」

「セリム様!泥棒ですよその娘!」


「おいラステル様に近寄るなよ!」

「セリム様ラステルさんを誘ってもいいですか?っいて!」

「お前は馬鹿か?あれを見てないのか?」


「ラステルさんは愛らしいのう。」

「この女の人だあれ?セリム兄ちゃんの知り合いなの?」


非難と好奇の目がらんらんしている。テトが女達を抑えるようにラステルの前に立ちはだかる。その前にずいっとローラが躍り出た。今度は人垣の間から押し入ってきたラファエがテトの隣に仁王立ちした。


「勝負あったわね。テトへの侮辱の数々謝ってもらうわよ!」


「貴方は何もしていないじゃない!腰抜けの田舎者め!それに盗人なんて育ちが知れているわね。」


「ちょっとローラいい加減にしなさいよ!」


「なんですって?」


何度も泥棒だと言われて頭に血が上ったラステルも応戦した。


「私指輪を盗んでなんていないわ!」


「はあ?どの口が!何でそれを貴方が持っているのよ!」


そうよそうよと罵声が飛んでくる。


「やめないか!喧嘩か?どうしてこんなことになったんだテト?」


後ろにいたセリムがラステルの腕を引いた。それから肩を抱いた。周囲から悲鳴にならない声が漏れた。テトが額に手を当てて肩を落とした。ラファエがそれを見て笑いだした。周りの者もくすくすと笑いだす。ラステルも気がついた。セリムは女達の想いに全く気がついていない。


「えーとセリム。逆突風の避難対応者と代わるのよね。」


「そうだ!皆の者!砂漠の民ラステルとラファエは私が招いた!このような騒ぎで崖の国の恥を晒すな。それに盗人とは勘違いだ!私が贈った!客人への侮辱は許さんぞ!さあみんな早く移動しろ!」


セリムの宣言に落胆と歓声が巻き起こった。ますます人垣がセリムとラステルに押し寄せる。今度は年老いた者たちが中心になってセリムのもとへ集まってきた。セリムがわざとなのか無意識なのかラステルを引き寄せて後ろから抱えるように抱き締めた。セリムは自分の一挙一動が皆に何を示しているのか分かっていないらしい。聡いと思っていたセリムの意外な鈍さにラステルは思わず吹き出した。テトが大きくため息をついてラステルに同意するように肩を持ち上げた。


「どうしたラステル?」


今度は嗚咽やすすり泣きが始まった。セリムは目の前の老人達に迫られて後方の阿鼻叫喚には気づかない。いや気がついたが女たちが慰められているので問題ないと判断したのかすぐに目を背けていた。


「セリム様おめでとうございます。」


感極まって涙を流す老人達に失恋に心を痛めて泣き出す女たち。これ幸いにと鼻息荒く女たちを慰める男たち。セリムを慕っていない様子の女たちはうっとりとした羨望の瞳をラステルに投げる。セリムは混乱したように視線を彷徨わせていた。


「なんだ?どうした?」


「泣くなオルバ。どうしたんだよ。」


セリムにしがみつく老婆の頬をセリムが服で拭いた。それからセリムは隣にいる泣き笑いする老爺の肩を叩いた。


「セリムは皆にとても慕われているのね。本当に。」


ラステルは首を少し横に捻りセリムを見上げた。本当に良いの?それ以上は口にしなかったけれどセリムが一瞬迷ったように青い瞳を揺らした。それから大きくゆっくりと頷いた。


ラステルは指をまたさすった。セリムを背負うということはこの崖の国の思慕を背負うのと同じ。それに相応しくあろう。ラステルは決意を新たに固めた。

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