第2話  小さな勇者

 けたしいこわに、少女はハッと顔を上げ、


「……あれ?」


 しかしそこには誰もいなくて……


 男たちは怪訝けげんそうにまゆをひそめて辺りを警戒けいかいし、声のぬしを探す。


 その間に再び声がひびわたる。


「さぁ、ここから先は、勇者の時間だッ!」


 いったいなにをするつもりかと、男たちはたがいに背を合わせてがまえ、


「上ですリーダー!」


 男の一人がさけんだ。


 その声に視線を上げると、少年がいた。


 建物の上に、少年がひとり立っていた。


 ぞうに整えられた黒髪くろかみに、こしほどまでの短いローブ。


 動きやすそうな長ズボンのベルト部分には二本の剣を差し、軽く広げた右手をビシッと男たちに向けてばしている。


 陽光ようこうらされたその姿は、まるで小さな勇者のようで……


 男たちは突如とつじょ現れたその少年をするどく見上げる。


 なにをされてもいいように、全身を脱力だつりょくさせて構える。


 それに少年はにやりと笑い、


「さぁ、いまのうちだおじょうさん!」


「え? ……あっ!」


 男の力がゆるんでいたことを理解し、少女は力いっぱいにうでって拘束こうそくを抜け出し、そのまま一目散いちもくさんげ出した。


「なっ!? くそ……追うぞ!」


「はい!」


「りょーかいっす!」


 男は一瞬目を見開くも、すぐさま指示を出し少女を追いかけようと、


「ふっ……させると思ったかい?」


 少年が笑った。


 しんな笑みを浮かべ、建物から飛び降りた。


 それはありえないことだった。


 自殺行為とも呼べるこうだった。


 少年が立っていた場所は五階建ての建物。


 地面からはゆうに少年の身長の十倍ほどの高さがある。


 とてもじゃないが無事ではすまない。


 しかし少年は一切いっさいものじもせずれいに飛び降り、あろうことか建物のかべっては向かいにび、垂直すいちょくな壁をうように走ってはみぞに手をかけ再び跳ぶをり返し、あっという間に男たちの目の前へ降り立った。


 傷もなければつかれた様子もない。


 そんな少年はてきに笑い、男たちを見える。


 それだけでわかった。


 その身のこなしだけで、理解した。


 こいつはただ者ではないと。


 だから、


「……テメェ等はあいつを追え。俺はこいつをやる」


 男は表情を変え、ゆっくりとこしを落とす。


 二人はそのふんに息をみつつうなずき、逃げた少女の背を追おうと……


「いやいやいや! ちょっと待って待って!」


 少年がありえないものを見たとでもいうように目を見開き、あせったようにそれを止めた。


 二人はおどろき思わず足を止め、


「な、なんすか?」


用件ようけんがあるのなら早くしてください」


 それにますますありえないといったように、


「え? え? わかんないの? だってこれあれじゃん。暴漢ぼうかんおそわれた女の子を助けるっていうまさしく勇者の図。でもより勇者っぽくなるには、ちゃんとあの子を逃がさなきゃいけないじゃん」


「……だから?」


「大人しくあの子をあきらめて帰るんだな」


 キリッとした決め顔で答える少年に、男たちはげんなりと顔をしかめ、


「あ、あ、大丈夫だよ? 諦めるなら見逃してあげるし」


 その反応を失望とでも思ったのか、あわててさとすように言う少年に、男たちはさらに疲れたように深くため息を吐く。


「…………リーダー、彼女を見失いました」


「たぶん表通おもてどおりに出られたっすね」


「あー……ったく、くそが。勇者ごっこはでやれってんだよ。もっぺんつかまえに行くぞ」


「うっす」


了解りょうかいです」


 三人はだるそうに言いあうと、表通りに向けて歩き出し、


「あ、ちょっ、だから待ってってば」


 バッとその前方に通せんぼする形で少年が割り込んだ。


 少女を逃がしたというのにまだ解放しないのか。


 いい加減にしてくれよ、と男はいやそうに顔をしかめ、あきれたように言う。


「るっせぇな、わかったよ。そんなに痛い目みてぇってんなら相手してやる」


 それに少年はうれしそうに笑うと、カッコつけるようにポーズを決め、


「ふっ、ようやくかくを決めたか。いいだろう。正々堂々せいせいどうどうこのぼくが相手を――」


「マジうぜぇ」


 心底しんそこうんざりしたようにつぶやきながら、男がこぶしを振るった。


 決め台詞ぜりふの最中は攻撃してはいけないなんて誰もが知ってるようなようしきにすら従ってられないくらいもううざったくてしょうがなかった。


 そして思わず手が出てしまった男のことを、いったい誰がとがめられようか。


 男の拳は弾丸だんがんのごとく、子供に向けてはいけないような速度と重量ををもって少年に迫り……


「してあげようじゃないかッ!」


 しかし、少年は一切のあせりも見せずに決め台詞を言い切ると、その一撃をしっかりと見据えた。


 つまりはえているのだ。


 その動きが。


 そのどうが。


 そしてそれだけの力を持った少年はいとも容易たやすく拳をけてカウンターをたたき込み、あっさりと男を地にせる……ということもなく、ものの見事に頭へと直撃を食らった。


 少年は思いきり吹っ飛ばされて壁に激突げきとつすると、そのまま目を回してたおれ……


「……弱いっすね、こいつ」


口先くちさきだけのそうですか。なんとも残念ざんねんな子でしたね」


 あきれたように言う二人。


 リーダーの男はなぐり飛ばした拳とざまに転がる少年とを見比べ、


「……だと、いいんだがな」


 ぽつりと呟いた。


 それに二人は怪訝な顔をするが、男はそれを置いてさっさと歩き出してしまう。


 顔を見合わせて首をかしげる二人だったが、こういうときは聞いても答えないし、考えたところでわかりはしないと割り切り、その背中についていく。


 三人の足音が遠ざかり、表通りのにぎやかな喧騒けんそうが耳に届くほど静まり返ったうら路地で、


「……あの、大丈夫?」


 と、逃げたはずの少女が、少年のかたわらに座り込んでいた。


 心配そうに声をかける少女に気づくと、


「ん? ああ、大丈夫だよ。ちゃんと急所は避けたから」


 なんて、少年はじつにあっさりしたように起き上がり、パンパンと服についた汚れを払う。


「……にしても、こっち戻ってきたんだね。君って案外あんがいさく?」


「あ、えっと……少し心配で、向こうの方まで回ってちょっと様子を見てたの」


「ふーん、そうなんだ」


 言いながらその方向へ目を向けてみれば、かくれられる場所まではそこそこの距離がある。


 あそこまで道を引き返してから一部始終いちぶしじゅう観察かんさつしてたのだろうか。


 それには結構けっこう視力しりょく胆力たんりょく、それに隠密おんみつスキルが必要な気がするが……


 もしそれが原因で追われていたとしたら、悪人はこっちだった可能性もある。


 しかしやってしまったことは仕方がない。


 あの一連の流れはすごく勇者っぽかったんだもの。


 だから勝手に身体からだが動いてしまったのはまったくもっていたし方ないと言うほかないしとにかく勇者ならああしたはずだ、うん。


 なんて自己問答もんどうを無理やりに完結させ、


「……ねぇ、本当に大丈夫?」


 と、少女がうわづかいで不安げに見つめてきていた。


 考え込んで少しけわしい顔をしていたのかもしれない。


 だまっていたのも影響えいきょうしているのかも。


 少年はなんでもない、気にするなと言うように、ひらひらと片手を振って笑う。


「大丈夫だって。ちゃんと急所は避けてたし、当たる直前身体引いたから」


「それ、さっきも気になったんだけど……急所を避けたっていうのは、もしかして……」


 いぶかるように問う少女に、少年は晴れやかな笑顔を浮かべて、


「勇者ってのは、ようあらそいを避けるものだろ?」


「え? それってやっぱり……」


 わざと殴られて、やられたふりをしていたということだろうか。


 しかもあの一瞬で攻撃を見切り、急所を避けた上で。


 そんな芸当げいとうをできるだなんて、それも当然のごとく行えるだなんて、この少年はいったい、どれだけの実力をゆうしているというのか。


 少女は驚きに目を丸くすると、何事か考え込むように固まり、


「さって、あいつらもどっか行ったし、僕もそろそろ行こうかな」


 と、少年は頭の後ろで手を組み、くるりときびすを返した。


 それで我に返った少女はキラッと、ほんの一瞬だけひとみを光らせ、


「あの!」


「うん?」


 少年が振り返る。


 少女はにっこりと優しく微笑びしょうし、とろけるようなねこなで声で、


「もしお時間よろしければ、なにかお礼でもぉ……」


 それに少年はカッコつけるように、


「ふっ、あいにくだがお嬢さん。勇者ってのは見返りのために動くものじゃ――」


 たん、ぐー……と、間の抜けた音がった。


 しばしの沈黙ちんもくが二人をつつみ……


「……ゆ、勇者ってのは――」


 ぐー……と、再び間の抜けた音が鳴り……


 それに少女はふふっと楽しそうに微笑ほほえんで、


「じゃあ、なにか食事でもごそうするわ」


「…………お願いします……」


 少年はずかしさに顔を真っ赤にめながら、風に消えてしまうほどの小声で呟いた。

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