第12話 「満月」「嘘」「日除け・暖簾・簾」

 ねぇ、今何してるの?

 そんな短い言葉を、私は口にも出せず、喉の奥で弄んでしまう。

 薄く閉じた瞼の隙間からは、ぼんやりとした天井だけが映っている。だけど、それも私にとってはきっと何の意味もない。

 虫の声が聞こえていた。夜だというのに、元気な蝉の声。眠る時間だよ、と思うけれども、彼らの人生を考えれば少しぐらい自己主張が過ぎるのは仕方ないのかもしれない。

 ああ、そうだとしても――。

 そこを比較対象にするのは、なんというか、とてつもなくナンセンスで、馬鹿馬鹿しいというか、愚かしい。

 私はシャットダウンするように、目を閉じる。

 いっそこのまま眠ってしまえばいいのだろう。だけど、私はそう上手くは立ちまわれない。

 友人たちを見ているといつも感心させられるのだ。

 どれだけ嫌なことがあっても、一晩、短ければ数十分で彼女たちは気持ちを切り替えている。勿論、それが対外的な、私や他の友人に嫌な空気を伝染させまいとする空元気のようなものだとしても、少なくともそう見せられるというのはすごいことだ。

 私は、引きずって、立ち止まってしまう。

 現に今がそうだ。

 きっと――なんて、観測的な言葉は必要じゃない。私は、踏み出すのが怖い。

 変わることを恐れている。変わってしまうことを恐れている。

 きっかけはいくつもあった。些細なことだった。

 友人が結婚したり、別れたり。転職したり、就職したり。上司が新しくやってきたり、後輩ができたり。あいつの――気持ちが分からなくなって来たり。

 坂を転げる雪だるまのようなものだったのかもしれない。そうでなければ、ドリルの穴だ。結局どちらも詰まる所は、一度事を起こしてしまえば、自然的に進んでいくということだ。そして、その『事』は、私が考えてしまったこと、そのものだ。

 薄く目を開けて、横にあるスマートフォンを取り上げる。

 ゲームをあまりするわけでもないし、動画も大して見るわけでもない私の小さなスマートフォンは、やけに重く感じる。

 ねぇ――。

 声には出さず、意識だけで電話帳の、よく使う項目にある名前に呼びかけてみる。

 そして、同じように、私自身にも。

 私は、どんな結果を求めているのだろうか。どんな未来を望んでいるのだろうか。

 窓からは、少しだけ風が入ってきていた。真夜中の涼しさは、ほとんど感じられない。その内側では、風鈴が虫の声のように鳴いている。

 閉じ切ったこの部屋には、それ以外は何もない。強いてあるというのであれば、目の前で淡く光るスマートフォンぐらいだろう。

 ――ああ、そうか。

 そうだよね、と私は思う。

 劇的な納得なんかでは全くない。ともすれば、初めから手元にあった解答だ。

 意識した瞬間に、全てが始まるのなら、これを手に取った瞬間に終わっているのだ。

 私は、慣れた手つきで、見慣れた名前を押す。

 自然の音に満ちた世界に、人工的な電子音が鳴り始めた。私はスピーカー状態にして、横に置いた。

「――もしもし?」

 聞きなれた声が、耳元で聞こえる。時間が時間だからだろうか、眠たそうに声は安定していない。

「もしもーし……? 何? こんな時間に」

 少しだけ不機嫌な声色。明日も仕事だろう。申し訳なく思う。

 でも、私は――

「ねぇ」

「んー?」

 少しだけ、進もう。

「今日の満月が綺麗じゃない?」

 小さな嘘ぐらいは許してもらおう。

 その先の、色んな言葉がまだ残っているのだから。


fin


「満月」「嘘」「日除け・暖簾・簾」

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