第6話 「桜色」「幻」「バカな幼女」(サイコミステリー)

 部屋に入った途端、嫌悪感を纏った異臭が鼻をついた。

「いつもすみません。お願いします」

 申し訳なさそうな、それでいてどこか慣れきったような声で女性警官が言った。実際、慣れているのだろう。私もこのようなシチュエーションに出会うのは何度目かになる。

 決して、出会いたいものではないが。探偵業をしている以上、仕方のない話だ。

「……ひどい状況だ」

 喉の奥に鬱積するような気持ちを吐き出すように、わざとらしく口にする。

 眼前に広がる光景は――凄惨そのものだった。

 蛍光灯と、鑑識の照らす強い光にさらされ、地図を描くように広がった深紅が部屋中で鈍く輝いている。その中央に寝るのは、まるで人形のような子供だ。

 もちろん、生きてはいない。

 それは一目で分かる。

 まるでこの場で司法解剖を行っているかのように、少女の体は裂かれていた。喉元から、下腹部まで一直線に。そこから滴る赤と、中に見える桜色の臓器はまだ綺麗で、時間がそう過ぎていないのがわかる。

「詳しい判断はまだわからないみたいですが、死後硬直が始まりかけているところから、殺害からはそう時間が経っていないとのことです」

 確認するかのように、傍らの女性警官が説明をする。

「――内臓は心臓を除けば不思議なほどに無傷みたいで…………」

 彼女は続けようとして、口をもごもごとさせた。

「本当に解剖みたいだ、と」

 それを私は続ける。不謹慎に思ったのだろうか。気持ちはわからないでもない。彼女は肯定するかのように、小さくうなずいた。

「……他に外傷はないそうです。寝ているところに、胸を一突きで即死させたとみています」

「なるほど」

 私は部屋を見渡す。

 赤に染まる空間は、血に汚れているというのに却って綺麗に見えた。小さな子供用の勉強机の上には、殺害された女の子の写真がいくつも飾られている。壁にはかわいらしいドレス調の洋服がかかっている。まるで、人形の部屋のように、あらゆるものが整然としている。

 一通り眺めて、私は目を閉じる。続けて、小さく息を吐く。

 ひとつ、ふたつ。呼吸を整えて、目を開く。

 再び飛び込んだ光景を、私は見据える。

「――――」

「…………あの」

 十数秒か、短くない時間が過ぎて、女性警官が声をかけてきた。

「両親は?」

 私はそれに対し、待っていたかのようにそう告げる。

「あ、え、はい。母親だけですが隣の部屋で待機してもらっています。父親は今単身赴任らしく、県外にいるそうです。また、母親はどうやら事件が起きた時間は寝ていたそうです。夜遅くまでパートをしているようで、疲れてそのまま寝入っていた、と。また、子供の胃の中には食べ物がなかったようで、親の帰りを待っていたところ、夕飯前に眠っていたとみられることとも合わさります。戸締りが不十分だったのもそれが原因のようですね。そして、妙な物音が子供の部屋からして目を覚まし、様子を見に来たらこの状況だった、と。窓は見ての通りですが、開いていたためそこから逃げたのではないかと思われます」

 淡々と――とはいかず、やや私情が混じったような口調で話す彼女の説明を、私は静かに聞く。

「分かった。じゃあ、呼んできてもらえるかな」

「え? ここに、ですか?」

「ああ」

 短く、はっきりと私は答える。考える素振りを見せる彼女だったが、すぐに部屋の外へと飛び出していった。

 ややあって、彼女は戻ってきた。すぐ後ろには、背の高い女性を連れている。

「この方です」

 どちらに向けた言葉なのかは分からなったが、私はそれを受けて礼をした。部屋に入ってきた女性も合わせて礼をしようとする。

「きゃっ」

 だが、女性は態勢を崩して転びそうになった。

「おっと、大丈夫ですか?」

「あ、はい。ありがとう、ございます」

「いえいえ。このような状況です。足元が覚束なくても仕方ないでしょう」

「……はい」

「ああ。すみません。腕を握ったままでしたね。失礼しました」

 女性の細い腕から私は手を放す。彼女は特に気にした様子もなく、細かに首を横に振った。そして、

「それで、探偵さんが、私に何か」

 そう続けた。

「ああ、そうでしたね」

 私は咳をして喉を整えながら返事をする。

「いえ。この事件の犯人について、お話があるのですよ」

「犯人、ですか? 私の心当たりについてでしたら、警察の方にもう……」

「あ、そうです。ええと、」

 説明を始めようとする彼女を手で制する。

「いえ。ですので、犯人について、です。この子を殺した犯人は、あなたですね」

「――――」

「――――」

 沈黙。水を打ったような静寂が、周囲を包んだ。

 作業をしていた鑑識官も、動きを止めてこちらに注目している。

「……私が、犯人ですか? 何て冗談を」

「冗談ではないですよ」

 ぴしゃり、と発した私の言葉で、場は完全に氷ついたようだった。警官も私が何を言い出しているのかと、複雑そうな表情を浮かべている。

「いくつもそう考えられるものがあります。まず、遺体が綺麗なこと。外傷も特にないことは、抵抗もほとんどなく、殺害自体がスムーズにいったことを表しています。つまり、顔なじみ――身内の可能性が高い。次に殺害後の状況。驚くほどに部屋が整えられていますね。死んだ後ですら、いや、死んだ後で部屋が一つの空間として完成しているかのように。また、飾られた写真や、衣服。一つ二つであれば自然ですが、いかんせん数が多い。偏愛を注いでいた、と考えることもできます。あなたはあの子が可愛すぎた。だから殺した。違いますか?」

「は、はぁ?」

「おかしな話ではないですよ。可愛がるあまり、全てを見てみたくなった。中身がどうなっているのか、知りたくなった。そう連想するのも考えられます。あの子の殺害状況を見ればそれも間違いないでしょう。あれだけ綺麗に殺されている。初めからそうしようとしなければできやしない。胃の中に食べ物が入っていなかったというのも、初めから狙ってのことではないですか? それをできるのは母親である貴女ぐらいだ」

「馬鹿なことを。ふざけないでください。そんなこと、あなたの妄想でしかないでしょう」

「まぁそうですね。これは単なる分析にすぎません」

「だったら――」

「でも、証拠がないわけでもないんですよ」

「……え」

 手を掲げる。そして、ゆっくりと開く。

 そこに握られていたのは、丸い洋服のボタンだった。

「言ったでしょう。抵抗はほとんどなかった、と。ゼロではなかったんですよ。あの子にとってはやってきた母親に手を伸ばした程度だったんでしょうね。腕をつかもうとしただけだったんでしょうね」

 はっ、と彼女は自分の袖を見た。そこにあるボタンを、確かめようとするかのように。

「意図したのか、意図してなかったのか。それはわかりません。でも、事実、これがあの子の下から出てきたんですよ。あなたは殺害現場をそのままにしようとした。綺麗な空間を作り上げようとした。どれくらい前から計画を練っていたのか、それはわかりませんが、あなたの夢見ていた空間がそこにあった。そのせいで、背中に敷いていたこのボタンの存在に気が付かなかった」

「――――」

「以上。簡単な話でしたね。私が出る幕もなかった」

「あ、ははは――――はははははははははは」

 途端、女性は笑い出した。壊れた人形のように。

「さて。これ以上私が付き合う必要もないでしょう。私はあくまでも探偵です。あなたの語りを聞かせる相手は裁判官や判事だ。それでは」

 小さなボタンを鑑識に渡し、事件の起こった家を後にする。訪れた時と変わらない月夜が出迎えてくれた。

「す、すごかったですね。あんなに早く犯人を見つけるなんて」

「別に。初めからわかっていただけだよ」

 懐から煙草を取り出し、火をつける。そのまま煙を吸い込んで、短く吐いた。

 だけど、視線はそれを追わない。低い、まるで子供の背丈ぐらいの場所を見据えている。

「……初めから? 来てすぐに分かったんですか?」

 厳密にいえば違う。だけど、それを正すつもりはなかった。

 全てが分かったのは、幻のように見える子供――あの子供の幽霊から話を聞いてからだ。

 後に続くのは、全てこじ付けのようなものだ。ボタンだって、腕を支えた時に拝借したものだ。

 ――転びそうになったのは、あの子が母親に向かっていったからではあったが。

「人の心なんて、わからないものだよ」

 あくまでも私は事実を――見たものを説明しているだけだ。

 それが、私にできる――幽霊の見える探偵にできる、たった一つのことだから。


fin


「桜色」「幻」「バカな幼女」(サイコミステリー)

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