第5話 「朝」「裏切り」「静かな記憶」(王道ファンタジー)
炎がばちりと爆ぜた。
焚火はゆらゆらと燃え、赤く、どこか幻想的で魅惑的な彩りを夜の闇の中に作り上げている。
「――――」
少女はその炎を魅入るように眺めていた。
だが、思考はそこにない。
その向かい。地面にくたびれた麻布を敷き、横になっている男のことを考えている。
まるで炎だった。
思うことで、自らが燃えるような錯覚すら覚えていた。
事実、少女の内は激しく燃えている。
男――家族を殺した相手への、憎悪の気持ちで。
「ん。まだ起きてるのか」
低い、拍子抜けするような男の声は、少女は意識に水をかけられるように思えた。
「……」
「寝ておいたほうがいいぞ。明日も早いんだ」
少女は答えない。元より応える義理はない。
しかし、その理屈で言えば、男が少女へそう声をかけることも、おかしな話であった。
男は少女の家族を殺した。
それは紛れもない事実であり、少女が生きる理由だ。男がどこへ逃げようとも、少女は追いかけるつもりだった。そして、実際に追いついた。
だが、男はそれを甘んじて受け入れた。そして簡単にこう言い放った。
「好きな時に殺してくれ」
と。
そうして少女はここにいる。
何度も殺そうと考えた。男は夜が来るたびに、それでなくても旅の休憩の折には不用心なほどに隙だらけだった。少女の隠し持つ――とはいえ、所持していることはバレているだろうが――短剣でも簡単に殺すことができるほどに。
「――――」
でも、少女はなかなかどうして、行動できずにいた。
当たり前だ。
人が人を殺す。
例えそれが家族の仇であっても、いざ目の前にそれがあるとなれば躊躇いは生じてしまう。何度、短剣を握り男のもとへ向かおうとしても、その直前で心臓が壊れそうなほどに震えて、息ができなくなるのだった。
悔しいとさえ、思う。
夜は静かだ。焚火の中で爆ぜる音のほかには、何もない。
むしろ、普通では聞こえないはずの空気の音色や、星の声すら聞こえるような気すらするほどである。
少女はどうしようもなく独りぼっちだった。自分の胸の内に燃えるものを理解しているはずなのに、それを燃やし尽くすことすらもできない。どこにも向かっていない。何かを見ているようで、何も見ていない。痛いほどに、張り裂けそうなほどに理解できてしまう。
「――――」
そう考えているうちに、空は白みがかってきていた。夜明けだ。
いつもこうだった。
男と行動を共にするようになって数日が過ぎている。だが、少女はまともに眠ることができていなかった。悩んで、苦悶して、気が付けば朝が訪れる。それを繰り返していた。
「……ふあぁぁあ」
男は何事もなかったかのように目を覚ます。
どこに向かっているのか、何を目的にしているのかもわからない、旅がまた始まる。
しかし、変化は唐突だった。
「――ッ! ちっ、くそ――ッ!」
空気が裂ける音がした。それに続いて、不気味な叫び声が轟く。
「お前は下がってろ」
いつもより数段低い男の声。それはあらゆるものに余裕がないことを如実に表している。
今、男が対峙しているのは魔物の群れだった。
少女より数回りは大きい背丈である男の、さらに数倍は大きい魔物が、二人を取り囲んでいた。その肌は醜くただれているように見え、腐ったような着衣から漂う悪臭は吐き気を催すほどである。だが、嫌悪感を覚える余裕はない。
「だああああっ!」
男の踏み込みとともに、剣が銀色の線を描いた。血しぶきがあたりに舞う。
「しぶといやつらだ――」
すでに魔物の死体は地面にいくつか転がっている。だが、それでも相手は引かない。それどころか、じりじりとその間合いを詰めてくる。
少女はその圧に押され、後ずさりをしていた。
心を占めるのは恐怖だ。男への憎悪なんて、完全に塗りつぶされてしまっている。
「……ひ」
詰め寄ろうとする魔物に、少女は小さな悲鳴を漏らした。
だが、手足は動かない。死の恐怖が何もかもを縛り付けている。
「っ、ばっかやろう! ぼやぼや――してるんじゃねえ!」
割り込むように視界に飛び込んできた男が剣を振るう。その乱暴な剣閃を受け、魔物は醜い呻き声をあげて倒れた。
――ああ、ダメだ。
少女はへたり込んでしまった。
頭を埋めるのは、恐怖と虚脱感だ。
死というものを軽く考えていたのだと、理解したからだ。
家族の死がつらくて、だからこそ復讐を果たそうと考えた。その中で自分が死ぬことになって構わないとすら思っていた。でも、そんな考えは甘かった。
怖い。
目の前に訪れた死は、想像よりも恐ろしかった。
死にたくない。死にたくない。死にたくない――
少女は自分が涙を流していることもわからなくなっていた。ただ、この嵐が自分の預かり知らぬところで消えてしまうことを願うだけだった。
「――――――――…………はぁ、…………はっぁ――」
だけど、全ては眼前で繰り広げられた。
戦闘の始まりからどれほど経ったのだろうか。果てしないと思える――それこそ、あの長い長い夜と同じぐらいの時間を経て、ようやく戦いは終結した。
周囲には魔物の亡骸が無数に転がっていた。生きているものは一つもない。
その死体の山を見て、肩で息をするのは男だった。
見るからに満身創痍で、魔物と一緒に死んでいるのではないかと思うほどにその後ろ姿に生気を感じられない。
「よう。怪我はないか?」
それでも、男はいつものような調子でそう言った。
「……」
「まぁ、見りゃ分かるか。良かった」
何が良かったのか。自分がそれだけ傷だらけになっているというのに。
「……」
そう考えても、少女は何も言えない。自分が何を考えているのかすら、もうわからなかった。
「さ――て。変なのに絡まれちまったけど、」
言葉は唐突に途切れた。そして、男の意識もそこで途切れたようで、糸の切れた人形のようにその場に崩れ落ちた。
「――え」
ようやく少女の声が出る。
「ちょ、ちょっと――」
「あ……あら。意識飛んでた。って、ダメだわ、これ」
飄々とした声が、飛ぶ。少女の背筋がぞわりと震える。
「ちょっと無理しすぎたみたいだな。あーあ、ここまでか」
何でもないような口調。だが、少女は感覚的に理解している。
そこにあるのは、死だ。
「……まぁ、悪くないか」
少女が恐れたそれを、気にしていないように男は言う。
「なぁ。ここからもう少し進めば、町がある。そこは治安もいい。生活ぐらいならどうにでもなる」
「……え」
「俺から言われるのは嫌かもしれないが、まぁ、騙されたと思って」
「なんで……」
「なんでって、そういうのは難しいよな」
「なんで、私を助けるの? お父さんと、お母さんは殺したのに?」
「そりゃあ、なんていうか、そういう仕事だったってだけだよ。必要があれば殺すこともする。でも、必要のない殺しはしない」
少女の口が止まる。
生死の概念が、少女と男では違う。そう、直感的感じたからだ。
だが、止まっているわけにはいかない。
「わたしを連れて行ったのは?」
「……どっちかといえば生きておいたほうがいいってのは、当然だろ。親の仇がいれば、無理やりにでも生きておこうって思うだろ」
ぷつん、と頭の中で糸が切れるような感覚がした。
――ああ、そうか。たったそれだけのことだったんだ。
「……わかった」
少女は言って、立ち上がる。怪我一つない体は、難なく地面を踏みしめる。
「……そうか」
「でも――」
歩いて、続ける。
「あんたは死なせない」
「……」
少女は心の中で謝る。
ごめんなさい。憎いのは分かっているけど、今はそれを受け入れるところじゃない。裏切りかもしれないけど、ここで終わらせたくなんかない。
そして、少女は男を担いだ。重かった。でも、放り出さない。
そのままゆっくりと、ゆっくりと歩いていく。
あの静かで、生への執着で満ちていた夜の記憶を胸に刻みつけながら。
fin
「朝」「裏切り」「静かな記憶」(王道ファンタジー)
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