第4話 「入学式」「絨毯」「先例のない脇役」(ホラー)

「ああ、きみ。その絨毯は使わないほうがいいよ」

 突如、背後から声を掛けられて、僕はびくりと背筋を震えさせた。

 直前まで気配らしいものを全く感じなかったのだ。もとより、この作業は僕だけが行う予定になっている。

「入学式の花道、とでもいうのかな? その絨毯を用意しているんだよね」

 優しそうな声だった。

 それに釣られるように、僕は振り返る。

 そこに立っていたのは、スーツをやや着崩している男性だった。見覚えはない。まぁ、すべての先生を把握しているわけでもないので仕方ない。

「そうですけど、これ、ダメなんですか?」

 とりあえず話を進めることにして、僕は指摘されたと思われる絨毯を指差す。男性は頭を上下させた。

「そうそう。それはね、ちょっと曰く付きなんだよ」

「え?」

 低くなった声色に、僕はぞわりとする。

「昔ね、ここで事件があったのさ」

「……事件、ですか?」

 何の話なのだろう。元の目的から脱線している自覚はあれど、僕はその話に意識を引っ張られてしまう。

「そう。ちょうど今ぐらいの時期でね。この学校に入学するのを楽しみにしていた子がいたんだ。まぁ、ここは有名校だろ? 子供の頃から憧れていたんだね」

「はぁ」

 なんとなくではあったが理解できる話でもあった。確かにこの学校は、学業面やスポーツ面でもそれなりの成績を納めている。幼い頃から憧れを抱いていたとしても不思議ではない。僕は家が近いだけで選んだので、少なくとも共感できるとは言えないのだが。

「それで、その子は入学式の前日、楽しみで下見に来たんだ。場所は把握していたけど、改めて自分が足を踏み入れる場所、というのを確認したかったんだね。でも、昼間に来ては目立ってしまう。今日みたいに在校生が準備をしているし、部活動の生徒もいる。だから来たのは夜だったのさ。みんな帰ってしまって、目立たないように真っ暗になってから」

 ふと、男性がにやりとした気がした。僕が眉根を寄せる間もなく、彼は話を続ける。

「その子は一目見て帰るつもりだった。そして実際帰ろうとした。でも、そんなとき、後ろから声をかけられたんだ。「何をしているんだい」って。その子は慌てた。夜遅くに学校に忍び込んでいるように思われてしまう。明日入学するのに、悪いことをしてしまってはばつが悪いと。でも、その子にかけられた言葉はこんなものだった。「もしかして明日の入学式の下見に来たのかな」ってね。その子は驚いた。そして精一杯頷いた。すると「それはいい心がけだね」と言われた」

 確かに、わざわざ下見に来た、となれば真面目なのだなと思わなくもない。

「その子はほっとして、改めて帰ろうとした。でも、そこでこんな風に言われることになった。「良かったら中も見てみるかい」と。もちろん驚く。中に入るだなんて、初めから思ってもいなかったからだ。考えるその子に「中も見ておいたほうが下見としてはいいんじゃないかな」とさらに言葉がかかる。その子は考えて、頷いてしまう。その言葉はもっともらしかったし、中に入ってみたいと思う好奇心が強かったからだ。そして、案内されて中に入っていく。体育館の中は準備が整っている状態だった。椅子は並べられ、絨毯も舞台に向かって伸びている。紅白の垂れ幕もかかり、第三四回といった看板も下がっていた。その子は場に満ちる空気に感動しているようだった。明日自分がここに来る。そして椅子に座る。名前を呼ばれ、舞台に上がる。その想像が頭を満たしているようだった。でも、突如としてそれは中断された」

「……え?」

「その子のお腹にはナイフが刺さっていた。ぼたぼたと血が落ちた。真っ赤な絨毯に、さらに赤い血が落ちて染みていった。その子は驚いて、悲鳴も上げれなかった。口をパクパクさせて、刺した人物を見ていた。どうにか絞り出した声は「なんで?」というものだった。その子に追い打ちをかけるように、「残念だね。入学できなかったね」と声がかけられた。その子は涙を流しながら絨毯の上に倒れた。もちろん翌日、大事件となった。血の染み込んだ絨毯は回収されて、廃棄された。でも、」

 その途切れた言葉に、背筋が冷たくなる。

「一部には残ってるんだよ。もともと赤いものだから、見分けがつかなくてね。その一つが、今さっききみの取り出そうとしていたものなんだよ」

「っ!?」

 予想はできていたが、実際にそう言われると恐ろしくなり、僕は飛びのくように丸まった絨毯から離れた。

「だから悪いことは言わない。その絨毯にはね、入学を待ち望んでいた子の怨念が染みついている。触らないほうがいい」

「――――」

 言葉は出ず、唾を飲み込む。話の真偽は定かではないが、そう言われてしまえばなんとなくでも空恐ろしく感じるものだ。

「それじゃあ、準備頑張ってね」

 男性は軽く言って、その場を立ち去ろうとする。

「――あ」

「ん?」

 ふと、僕はその背中に声をかけてしまった。

「どうした? 何か聞きたいことでもあるのかな?」

 そうだ。頭に浮かんだ疑問があった。

「あ、あの。それが本当なら――その殺人犯は捕まったんですか……?」

「……」

 男性は沈黙する。だが、口角は上げて、目は細めている。

 怖い。恐ろしい。気持ちが悪い。

 ネガティブな感情が、頭をよぎる。

 だが――

「ははは。安心していいよ。犯人は死んだよ。後日、自殺しているのが見つかったのさ」

「……あ」

 ほっと息が漏れた。

 見慣れない男性。話に含まれる妙に具体的なディティール。何とも言えない不気味な雰囲気。もしかすれば、彼がその犯人なのではないか、そんな想像があった。

 だが、犯人が死んだのならそれはない。

「それじゃあ、さようなら。準備、頑張ってね」

 にこりと笑って、男性は僕の視界から消えた。

「……はぁ。なんか変な話聞いちゃったよ。改めて作業、頑張ろう」

 気を取り直すかのように、僕は独り言をつぶやいて、改めて絨毯の並びに目を向ける。

「おーい、俺も手伝いに来てやったぞー。って、あれ?」

 その刹那、再び倉庫の入り口から声が飛んできた。聞き覚えのある声。僕は振り返ってその姿を確認する。クラスメイトだ。

「あれ? 何か話声がしていたから、何人かでやってるのかと思ったけど、お前ひとり?」

「え――」

 ぞわり。と悪寒が走る。

 今、誰が出て行っただろ?

 そう、尋ねることができない。

 もし、それに「いいえ」と答えが返ってきたのであれば――

 ――あの人物が誰だったのか、考えないといけないからだ。


fin


「入学式」「絨毯」「先例のない脇役」(ホラー)

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