第2話 「夜」「コーヒーカップ」「バカな恩返し」(学園もの)

 寒い。

 ふと頭を駆け抜けたその一言が、背筋からつうっと下って、足の指先まで震えさせる。

「……考えるとやっぱりだめだな」

 ふぅっと手に息を吹きかけながら、そうつぶやく。指の隙間から、白く濁った空気が漏れ出て、真っ黒な空に溶けていった。

 体を温めるように、ぎゅっと膝を抱える。でも視線を落としてしまえば、空は見えなくなってしまうから、顔だけは上に向ける。

 頭上に広がるのはべったりと塗られた漆黒と、そこにぽつぽつと星々が浮かんだ、夜の空だった。

 寒いせいで空気が澄んでいるのだろうか。それとも、暗闇に目が慣れてきているのだろうか。天井の景色はいつもと違っているようで、星が多く見えているような気がした。

「――――はぁ」

 空気を確かめるように、息を吐く。

 目当てのものは相変わらず見つからない。

「全然見えないですね」

 彼女もそう思ったのか、ぽつりとつぶやくように言った。

「……まぁ。そうそう見れるものでもないし」

「でも、何とか流星群、なんですよね?」

「ふたご座流星群。でも、ピークはもう過ぎちゃったし。見れないかも」

「えー」

「多少は見れるかもしれないけどね。というかさ、よく知ってたね」

 ようやく僕は横にいる彼女を見て、直接言葉を向ける。

「ネットで見たんです。ツイッターとか、写真が上がってたんですよ」

「ああ、なるほど」

 確かに納得する。実際僕も何枚か写真を見たし、ネットニュースの記事も見た。

(とはいえ、彼女が天体関連のニュースに食いつくなんてね)

 そんな考えが、頭に浮かぶ。

 彼女は天文部の新入部員だった。天文部には僕しかいなかったこともあり、入ってくれて当時はとても感謝したものだ。

 だが、ふたを開けてみれば、天文にも星にも興味がない、必ず何らかの部活動をしないといけない我が校の決まりを流すための、幽霊部員になるための入部だったのだ。

「……はぁ」

 そのころとそれからを思い出して、ため息を吐く。

 それでも入ってくれたのだから、少しは興味を持ってほしいと、あれこれ頑張ったのだ。結果から言えば、対して成果があったとは思わない。星座盤の使い方も、天体望遠鏡の覗き方も、北極星の位置も、天体観測に明かりは使えないことも何も覚えてくれなかったのだ。むしろ、衛星と惑星の違いすら理解していない気もする。

 そんな彼女が突然「流れ星見たいんですけど」と言ってきたときは、驚いたものだった。

 そこから僕は慌てて準備をして、こうして天体観測を決行することにしたのだ。

「……全然、流れないですね」

 ぽつり、と空を見上げながら、彼女は言う。

 口から洩れている息は、彼女の肌と同じぐらい白い。唇はやや薄紫色になりかけている。

「……寒いし、コーヒーでも淹れてくるよ」

 僕は空になった二つのコーヒーカップを取って、立ち上がる。

「はい」

 空からめを離さず、彼女は答えた。真剣そのものといった横顔だ。

 僕はそのまま離れていく。彼女はその間も、空を見上げたままだった。


 それは、僕が帰ってきてからも同じだった。

 じいっと、膝を抱えたまま空を見上げていた。

 時折、生きていることを主張するように、小さな口元からは白い息を吐き出している。

 ――あ。

 ふと、胸が跳ねた。

 心に浮かんだ気持ち。一瞬、それを測りかねるが、遅れて理解する。

(……そうか。僕は、嬉しいんだ)

 努力といっていいのか分からない。

 それでも、僕が興味を持ってほしかったことに、彼女は関心を向けている。

 思いに連なって、感情はどんどん沸いてくる。

 彼女に興味を持ってもらうことは、初めから無駄だと思っていたわけじゃない。でも、こうして、彼女が実際に理解を示してくれることを期待していたわけではない。

 単純に、僕は楽しかったのだ。

 星について、天文について話すことができたことが、嬉しかったのだ。

「――――」

 僕はぐいっと自分の分のコーヒーを飲み干す。

 喉に込み上げかけていた熱い気持ちを、熱い飲み物で流し込む。

「馬鹿みたいだけど。っていうか、馬鹿だけど」

 それでも、何もないよりはいいじゃないか。

 ひとりぼっちよりは、二人のほうがいい。

 僕は振りかぶる。そして、全力で手に持っていたそれを、放り投げた。

 高く放られたそれは、彼女の頭上を通り抜けて、遠くへと消えていく。

 彼女は驚いたように、立ち上がって空と、消えていった方向を交互に見ているようだった。

 偽物だなんて、すぐにわかるだろう。

 でも、最初はそれでいい。

 空を見上げていれば、いつかは本物を見れる日も来るだろうから。


fin 


「夜」「コーヒーカップ」「バカな恩返し」で学園もの

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