枝葉の物語【短編集】

吾妻巧

第1話 「土」「タライ」「バカな学校」(ラブコメ)




「園芸部?」

 思わず、僕はそう聞き返していた。

「うん。そう。園芸部」

 帰ってきた反応は、僕の予想していたものではあった。ただ、予想していただけであって、実際にそう回答されるのはいささか想定外でもあった。

「……園芸部」

 今度は、疑問形ではない。独り言――まるで味を確かめるかのように口の中で言葉を転がして、そう呟いた。それでも、目の前にある状況と、その言葉はなかなか結びつかなかった。

「先生がね、とりあえずこれで我慢してくれって」

 そんな僕のしっくりこない心情に構わず、彼女は言った。どこか嬉しそうな口調で、まるでクリスマスのプレゼントをようやく貰えた子供のようだった。

 彼女――片岡は変わった女の子だった。

 少なくとも僕はそう認識していたし、友人たちや、友人未満のクラスメイトたちもそう噂をしていた。

 片岡はいつもぼんやりとしている。授業中、休み時間、登下校中と、その時間に例外はない。僕もそのすべてを確認したことがあるわけではないが、彼女を目撃するときはいつでもそんな風な様子だったので、反証がない以上はそう認識せざるを得ない。

 具体的にどうぼんやりしているのかと言えば、教室から窓の外をただじいっと見つめていたり、バス停や自動販売機の前でもないのに立ち止まってあたりを眺めていたり、集団行動を取っていたら必ずと言っていいほど遅れたりするのである。時折、教室の角に視線を向けて動かなくなるので、まるで猫みたいなやつだと思ったこともある。

 要するに、片岡はマイペースなのだ。僕とは違って。

 だから、こんな風な、よくわからない状況を作り上げているのだろう。

 ざく、ざく、と土を切る音がした。片岡がスコップを土に突き立てて、ほぐしているようだった。一生懸命に。額には汗をうっすらと浮かばせながら。

 思考を整理してみても、相変わらず状況を飲み込むのは難しかった。それでも、事実として目の前にあるのだ。そして、声をかけてしまったのだ。いい加減、受け入れるのが自然だ。

「……園芸部ってさ」

 だから、躊躇せずに尋ねる。

「ん?」

「プランター代わりに、タライ使うの?」

「うん」

 恥も外聞もまるで気にしていないような、素直で簡潔な片岡の返事に僕は拍子抜けするほどだった。状況を理解できず、理解できかけても突っ込みたくて、もとい突っ込み待ちなんじゃないかとぐだぐだ考えてしまっていたのが馬鹿らしくなる。

「部費が今ないから、とりあえず余ってたタライを使おうって」

「先生が言ったのか……」

「うん。あ、ちゃんと下には穴が開いてるから大丈夫だよ」

「そういう話じゃなくて」

 それにしても。と、俯瞰して考える。

 ジャージ姿の女の子が、スコップ片手に土いじりをする。

 まぁ、確かにその光景は園芸部らしいし、どこかのどかさをも感じられるし、微笑ましい姿だ。だが、円形の、まるでコントで使うような大きなタライに向き合っていなければ、である。いや、やっぱりシュールすぎるだろ。

「まだいっぱいあるって」

「……タライが?」

「うん。だから、いっぱいお花植えていいって言ってた」

「その光景はどうなんだ……?」

「えー。ダメかな。校舎の周りをお花でいっぱいにしたら、綺麗だと思うんだけど」

 校舎に沿って並ぶ無数のタライ。その中で色とりどりの花が咲いている。うん、確かに彩りは綺麗だと思う。

「先生も、それいいなって言ってくれたよ? さっき校長先生が来て、「いいですね。頑張ってください」って言ってくれたし」

「……それでいいのか、この学校」

 どう考えてもシュールな光景だ。バカな高校に見えてしまう。比喩表現でもなんでもなくお花畑である。

「えー。ダメかなぁ……ずっと考えてたんだけどなぁ……」

「う」

 しゅんとした片岡の声に、僕はドキリとする。

 片岡はスコップを握る手を緩めて肩を落とし、落ち込んでいるようだった。さっきまで楽しそうに見えていた横顔も、今は下唇を突き上げて、見るからに不服そうにしている。

「……あ」

 いや。と、思わず声が出る。

「ダメって言ってるわけじゃなくて、さ」

 言い訳っぽいな、と自分で突っ込んでしまう。でも、このままはい会話終了、とはできなかった。

「僕には思いつかなかった、っていうか」

 再び心臓が跳ねる。

 片岡が僕をじいっと見ていた。

 くりっとした目を大きく開いて。頬っぺたには泥をつけたまま。小さなくちびるをぴったりとくっつけて。いつものように、ぼんやりとしているような表情で。

 まるで、僕のことなんて見ていないかのような、いつも通りの顔で。

「……片岡らしい、って思うよ」

 ああ、なんで僕は声をかけたんだろう。

 そんな風に、後悔する。

 こうしてかき乱した挙句、その上で言い訳がましくしがみつくのなら、初めから無視しておけばよかったのだ。どうせ、片岡は僕がいてもいなくても、声をかけてもかけなくても、マイペースなのだから。

「そっかぁ」

 ほっと息を吐くように、片岡はふわりと言葉を吐き出した。

「わたしらしい、かぁ」

 そして、えへへ、と照れ臭そうに笑った。

「わたしらしいって、自分じゃわからないから。わたしって、そんな風なんだ。わたし、きみにはそんな風に見えてるんだね」

 どきどきと、何故か胸がきゅうっと痛くなる。僕は何を言った? 何を言ってしまった? ああ、ちくしょう、失言をした気がするぞ。顔が熱くなってきた。

 咄嗟にしゃがみ込む。顔を伏せる。

 直前の、片岡の表情が目に焼き付いている。嬉しそうに、少し頬を赤らめてはにかんだそれ。

「あ、あのさ」

 顔は伏せたまま、僕は口を開く。

 ほんの少しだけ、覚悟しよう。声をかけた時点で、もう手遅れなんだ。だったら、もう少し進むのも悪くないはずだ。

「僕も、手伝うよ」

「え?」

「園芸部」

「園芸部?」

「気になってたから」

 途切れ途切れに吐き出した言葉は本心だ。だから声をかけたのだ。声をかけてしまったのだ。

「うん。ありがと」

 片岡の声で、僕はようやく顔を上げる。

 眩しかった。満点の笑顔だった。

 焦げるほどに。


fin


三題噺「土」「タライ」「バカな学校」でラブコメ

 

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