第3話

「で、引き受けちゃった訳かい? その仕事」

「うん、そうなっちゃいますね」

 お隣のビル、今日のカウンター担当はヴァルさんだった。この人もラベルちゃんに拾われた一人で、歳は僕より十ぐらいは上だと思う。正確な所は本人にも解らないらしい。まあ人生そんなもん覚えてても役に立たないしなあ、とは、彼の言だ。確かに名前と血液型ぐらいが解っていれば特に困る事もないだろう。僕だって自分が本当にラベルちゃんより年下なのかは解らない。子供の頃は女の子の方が発達が早いって言うし。まあ、僕は今でもラベルちゃんより背が低いけれど。ほんのちょっとだけ。ちょっとだけだよ。うん。

 ヴァルさんの淹れてくれたコーヒーを飲みながら、僕はハリー君の事を考える。

 巨額の費用を投資してまで義理の息子の本当の親なんて見たいものなのだろうか。今まで世話をしてきた自分達に対する裏切りを感じないのだろうか。実際、義母氏は涙に赤い眼で僕らを睨んでいたし、義父氏も乗り気でなかったのは確かだ。当然だろう。今まで育てて来た息子を奪われる恐怖。憤怒。それらを考えれば、仕方のないことだ。

 それでもハリー君の意思を尊重すると言うのだから、彼らは良い『親』なのだろうと僕は思う。何千万も掛けて子供の過去を抉り出す。ハリー君は果たしてその抉りだされた過去に耐えられるだろうか。演算結果をざっと見したところ、……正直僕は気が進まない。ラベルちゃんはビジネスと割り切っているみたいだけれど、不機嫌さを隠してはいなかった。彼女にしては珍しい、ポーカーフェイスに近い怒り顔。

 あの後は駅まで僕が三人を送り届けたけれど――会話は無かった。ただ二人はぎゅっとハリー君の手を左右に握っていた。そこにあるのが愛情でないはずはない、と、僕は思いたい。

 明日、演算結果が完全に収束され過去を見た時に彼らはどう思うのだろうか。

 それも僕の知った事ではないのだろう。

 僕らはただのビジネス契約を交わしているだけの存在――なのだから。

「ヴァルさんは自分が生まれた時の事って覚えてます?」

「無茶言うなータイム君は。自我がないよそんな頃。でも、そうだね、物心ついてからはもう『こっち側』だったからねえ」

 ヴァルさんはノアさんと同じく、人を傷つける仕事をしている。

 いつからかなんて解らないだろう。

 自分の年齢も解らない頃から、とは、聞いた事があったから。

 おどけてはいたけれど、それはそんなに軽い過去じゃない。

「誰か良い人が見付けて育ててくれていたなら、もっと違った人生を選べたとは思うねえ。でも俺は、今のこの人生も嫌いじゃないよ。ラベルさんが俺を拾ってくれたからね。やってる事は変わらなくったって、大切な人が一人いると思うだけで中々観点は変わるものだよ、タイム君」

「ですか」

「ですよ。でもその子は――どうするんだろうねえ。残酷な結果が突きつけられた時、ちゃんと頼れる誰かはいるのか」

「その点は大丈夫だと思いますよ」

 僕は笑った。

「ご両親は、良い人みたいだったから」

 そうかい、とシュヴァルツ兄さんは笑った。


 タイムトラベルカンパニー設立の切っ掛けとなったタワー型コンピュータ――これは本当に『塔』と言う意味だ――イクォールの演算音を聞きながら、僕はラベルちゃんが三人を連れて来るのを待っていた。貧民街は危険の多い場所だけれど、ラベルちゃんやその関係者――僕やヴァルさんみたいな――には、手出しをしてこない。むしろ手出しをしようものならそこら中の浮浪者が集まって盾となり矛となるだろう。ラベルちゃんが一体何をしてきてそこまでの信頼を貧民街全体から得ているのかも、僕は知らない。ただの十七歳の女の子じゃないことは解っていても、そこまでだ。後は、彼女が僕の母であった思い出があればそれで満足だと言える。僕も大概、いい加減だ。

 と、そのいい加減に出来ないディスプレイに、ホログラムのイルカが現れる。ピンク色で鼻が長いのが特徴の、アマゾンカワイルカだ。イクォールの中心人格である彼女は、困った顔を浮かべている。

『本当に見せちゃうの? その子に。結構なグロ画像よ、色んな意味で』

「見たい、って言うのが依頼人の希望だからね、どんなに残酷でも、見せなきゃ僕達は詐欺師になっちゃうよ」

『そうだけどさあー。誤魔化しようもないし、仕方ないんだろうけど……自分の本当の両親に夢見ちゃってる子供なんでしょう? あと十年ぐらい待った方が良いと思うなあ』

「そんな事したら演算にもっと時間が掛って請求額が莫大になっちゃうよ。それに、僕だってラベルちゃんに拾われたのはあの子ぐらいの頃だったからね。そんなに弱くはないよ、多分」

『拾われて二年で物理を完全に理解して四年でドクトル・A8の著作物完全に理解してたあんたのメンタルと比べたら可哀想でしょ』

「捨て子だった自分が今でも可哀想だと思ってるんだから、良い根性だと思うよ。僕としては」

 と、ガゥンっと音がして防音扉が開く。ラベルちゃんは三人を連れて部屋に入って来た。扉を閉じて鍵を掛ける、これは情報漏洩対策のため。ごくたまに国の偉い人と思しき人も来るからね、ここ。

 ハリー君は緊張した顔で、それでも両親の手をぎゅっと握ったままだった。それで満足しているのならどうして本当の親なんて欲しがるのかな、なんて思う。まあ僕には関係のないことだ。ラベルちゃんにも。本当の所、ハリー君にとっても関係のないことだと思う。現在が、何よりも優先されるべきなんだから。こんな会社にいて、なんだけどね。


 ラベルちゃんが眼でロックを解除する。僕は演算装置に手を突っ込んで計算を続ける。

 部屋は、どろりと、蕩けた。

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