第17話 かまちょな彼女と巣鴨?

 翌日、千寿と和子は巣鴨駅へと到着した。

「……着いたなぁ」

「……そうですね」

 ふたりともぐったりとしている。

 なぜならと言うと、

「千寿ちゃんが方向オンチっちゅうことはわかったわ」

「……すみません」

 こういうことだった。

 うう……。

 もっと上手くやれると思ったのに。

 こんなはずじゃなかったのに。

 千寿は非情な現実に大きくため息をつく。

「そこの店でちょっと休まへん? おばちゃんちょっと疲れてもうたわ」

「は、はい」

 ふたりは駅前のファミレスへと入ることにした。


 ここから挽回しないとっ。

 シゲくんに調べてもらった巣鴨の観光名所は暗記してるから大丈夫なはず。

 千寿が巻き返しを図っていると、和子が口を開いた。

「それで」

 コーヒーカップを置いてから続ける。

「シゲのどこが良かったん?」

「こほ――」

 不意打ちだった。

 千寿は思わず飲んでいたアイス玉露を吹き出しそうになってしまう。

「シゲくんの良いところ……ですか?」

「だって初めて息子の彼女見たんやもん。知りたいやん」

 和子が嬉しそうに笑う。

 そして沈黙。

 物言わぬ催促だ。

 え? え?

 なんでこんなことになってるの?

 シゲくんの良いところ?

 巣鴨のじゃなくて?

 千寿はいきなりのことに頭の中が真っ白になってしまう。

「あの、その……」

 ニコニコニコ。

 満面の笑顔の和子。

「えーっと、ですね……っ」

千寿はしどろもどろしながらも何とか言葉を絞り出す。


「………………一緒にいると落ち着くところです」


 ぽしゅん。

 顔が上気する。

 本心を言えはしたが、かなり恥ずかしかった。

「お~~~~っ。それは大事やな! やるやん、我が息子!」

 和子が膝を手でぱしんと打つ。

 どうやら満足しているようだ。

「いや~、ええこと聞かせてもらったわ。ごちそうさん」

 嬉々としながらコーヒーを啜っている。

 彼女のそんな様子に千寿は大きく息をついた。

 そのとき。

「それはそうとなんで千寿ちゃんは制服なん? 学生さんはもう夏休みやろ?」

 何気なく和子が切り替えた話題。

「――っ」

 それに千寿の身体が強張った。

 夏本番だというのに背中に冷たいものを感じる。

「それは……」

 まるで鉛のように言葉が重く、喉から出てこない。

「どしたん? 顔色悪いで?」

 和子が心配そうに顔を覗き込んできてくれる。

 千寿はその視線から思わず目を逸らしてしまった。

「千寿ちゃん?」

「あ……」

 やってしまったと思った。

 沈黙がふたりの間に落ちる。

 どうしよう、どうしようっ。

 シゲくんのおかあさんがせっかく大阪から来たのに――。

 観光を楽しんでもらおうと思ったのに――。

 私が台無しにした……っ。

 後悔の念が千寿の胸の中をぐるぐると渦巻く。

 と、とりあえず謝らなきゃ――。

 千寿が口を開こうとした瞬間。


「よっしゃ」


 ぱんっ。

 和子がいきなり両手を合わせる。

 そして、勢いよく立ち上がった。

「シゲくんのおかあさん?」

「千寿ちゃん、もう行こか」

「あの、待ってください――」

 呼び止めるも和子は伝票を持ってレジへと向かってしまう。

 千寿は慌ててその後を追うしかなかった。

 ……。

 …………。

 ………………。


「結局、巣鴨ではファミレスでお茶飲んだだけで帰ったのかよ」

 帰ってきた千寿たちを出迎えてくれた幸重が、半眼になって言ってくる。

「なんか思ってたんと違ったわ。巣鴨はあたしには合わん」

「あー……まあたしかにあの町は母さんよりご年配の方向けなところかもな」

「せやろ~? ほんとジジババしかおらんかったわ。人生の墓場やな、あそこ」

「やめなさい」

「ファブリーズ貸して。線香臭くてたまらんわ」

「おいこらやめろ! 巣鴨いいところだろうが!」

「冗談やん。何でシゲが焦ってんねん?」

「俺は職業柄無駄に波風立てるようなことを言いたくないだけだ」

「か~~~~っ。つまらんなぁ、自分。周りの目が怖くて人生楽しくいけるかい! そんなんやからイマイチ売れきれんのやで!」

「ぐ……痛いところを突きやがる」

 言葉に詰まって悔しそうにこぶしを握り締める幸重。

 どうやらこのふたりでは和子のほうが上手らしい。

そんなやり取りを千寿は一歩離れた玄関のドアの後ろから眺めていた。

「じゃあ今日は骨折り損だったってわけか?」

「そうでもないで」

 和子が千寿の背中に手を回してドア陰から前へと押しやる。

「な――」

 瞬間、幸重の目が驚いたように見開かれた。

 ホットパンツから覗く眩しい太もも。

 肩口が開かれたトップスとそれに合わせたキャミソール。

 シュシュでまとめられたサイドテール。

 千寿は出かけた時の制服姿から、何とも夏らしいコーディネートへと様変わりしていた。

「渋谷でショッピングしてきたもんな、千寿ちゃん。いや~、楽しかったわぁ。女の子の服選ぶのってええなぁ。シゲ、なんであんた女に生まれなかったん? 人生損してた気分やわ」

 和子の手には数々の紙袋が提げられている。

 千寿は未だに状況が把握できていなかった。

 ふたりはすぐに巣鴨を後にしたかと思ったら、その足で渋谷へと立ち寄った。

 そして、遠慮する千寿の言葉にまったく耳を貸さずに、和子が強引に洋服を買い揃えて今に至るのだ。

千寿は今まで誰かとウィンドショッピングをしたことも、何かをこんなに買ってもらったこともなかった。

 なぜこんなことをしてもらっているのかわからないという不安と、取り返しのつかないことをしてしまった申し訳なさで胸がいっぱいだった。

 先ほどからシュンとして身体を小さくしていたのはそのためだった。

「あの、本当にすみませんでした。お金はいつか必ず返しますから……」

「せやからそれはええって言うとるやろ」

「でも――」

「千寿ちゃん」

 遮って和子が呼びかけてくる。

 その表情が真剣なものへと変わった。


「千寿ちゃんはもっと大人に甘えてええんやで」


 そして、諭すようにそう言った。

「シゲくんのおかあさん……」

「おかあさん、や」

 こつん。

 和子が優しく額を小突いてくる。

 千寿は目頭が熱くなるのを感じた。

 鼻声交じりに呼び直す。

「はい。おかあさん……」

「よっしゃ。それでええ。それに千寿ちゃん元がええからな、貢ぎ甲斐があるっちゅうもんや」

「そんな……」

「シゲもそう思うやろ?」

「へ?」

 千寿を見たまま固まっていた幸重がはっと我に返ったようになる。

 ――「シゲのやつめちゃ喜ぶで」

 帰りの電車で言われた言葉が千寿の脳裏に蘇った。

 先ほどまでそれどころではなかったが、千寿は今までこんな露出度の高い服装をしたことがなかった。

恥ずかしさから顔から火が出そうになる。

 幸重に見られているとそれは尚更だ。

「……」

「……」

 ふたりして真っ赤になり俯いてしまう。

 そんな様子に和子が呆れたように半眼になる。


「童貞か自分?」


「ど、どどど、童貞ちゃうわ!」


 また幸重と和子がわいわいと言い争いを始める。

 そのとき、さり気なく和子がこちらに振り向いて声を出さずに口を動かす。

 それは簡単に読み取ることが出来た。

(成功やな!)

 千寿は頷き返す。

 すると、和子は満足したようにウィンクしてみせた。

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