小話

リトラクタブルヘッドライト

「きったかさん」


 右隣の成井美紀が、橘高紗央梨の右肩を指で軽くたたいた。ちょうど、紗央梨と美紀が乗っている車が、街の交差点で信号待ちしている時だった。


「なぁに、美紀?」


「あっちの車、目をパカパカしているよ」


 美紀は、まっすぐと交差点向こうを指さしていた。紗央梨はその指先をおうように目視線を配らせた。


 紗央梨のと同じぐらい世代だが黄色いミアータ(Miata)停まっていた。その車も対向車線上で信号待ちしており、ライト部分がゆっくりと開閉を繰り返してた。彼女らが乗っているミアータはヘッドライト部分がボンネット部分に格納され、夜間などの点灯時になるとそのヘッドライトが飛び出す仕組みになっている。だが、黄色いミアータは点灯もせずにヘッドライトを飛び出させたり、収納させたりしていた。


「本当だ。でも、点灯しとらんね」


「何か、アイコンタクトかもしれないよ。こっちもパカパカしちゃえ」


 美紀はすかさずダッシュボード中央のボタンを押す。紗央梨のミアータのライト部分が開閉する。


 ちょうどのその頃になると、信号が『緑』に変わる。紗央梨も車を前進させる。向こうの黄色いMiataも同じように前進させてきた。


 美紀は、やや前乗りにシートベルトを胸の谷間に食い込ませながら、のぞき込むように見つめる。見るからにその黄色いMiataの運転手がどんな人なのか興味津々だ。紗央梨は、基本を忘れずに運転に集中しているかのように平然を装うだが、横目で黄色いミアータがすれ違う様を逃さないようにしていた。


 サングラスをした白人系の若い青年がニカッと笑顔こぼしながら、手を振っていた。向こうは運転席に1人だけだった。そして、振り返ることなく、二つのミアータをその交差点を通り過ぎていった。


「手を振っていたよねぇ。彼、気があるのかな?きったかさんを見ていたよ」


 美紀がニタニタしている。紗央梨も、すぐに彼女が本気でそんなことを思っていることではないのはすぐにわかった。


「あれは、同じミアータにのっているからじゃないん?」


「同じミアータ?」


 美紀は、少し考えて「おぉー。確かに『チャリ吉くん』と色違いだ!」


『チャリ吉くん』とは、今彼女らが乗っている車の美紀だけの呼称だ。いつから、『チャリ吉くん』と呼ぶようになったのか、紗央梨はもう考えないことにしている。それより、同じ車だって気づいていなかったのに溜息が漏れそうだった。


「あの目(ライト)のパカパカが、仲間同士の合図なんだ!よくバスの運ちゃん同士が通り過ぎたら、手を振る感覚ね」


 美紀は、新たなおもちゃを見つけた子どものように目を輝かせていた。


「そんな感覚じゃね。ミアータ同士だけの挨拶なんじゃと思うよー」


「じゃ、あの車もミアータ?目をパカパカさせよう」


 美紀は、対向車線をこちらに向かってくるオレンジの車を指さし、ダッシュボードのボタンを押そうとしていた。その車のシルエットは、彼女らが乗っているミアータと非常によく似ており、同じように幌型屋根をしていたが、ヘッドライトが大粒な涙型を見つけると、紗央梨は


「違う。あれはミアータじゃない」


 紗央梨は、美紀の手を止める。


 オレンジの車は紗央梨らのそばを通り過ぎ去った。美紀は非常に残念そうな顔で振り返り、後窓越しにその車を見送った。


「そうなんだ。よく似ているのにね。じゃ、あれは?」


 街の路地に駐車しているシルバーのボディをした車を指さした。それも幌屋根の小型車で、リアのライト形状も紗央梨のミアータのとに非常によく似ていた。通り過ぎる瞬間、ヘッドライトの形状が太めの固定式であることを紗央梨は確認すると、


「あれも、違うわね。よう似とんが、ずんむりむっくりしている」


「すごーい。よくわかるねー」


 その一瞬の間に見分けた紗央梨に、美紀は感心する。


「もちろん、伊達にミアータオーナーじゃないのよ!」


「じゃ、あれも違うの?」


 次に目の前を走る車を指さした。彼女たちの車と同じように黒いキャンパス生地の幌を覆っていて、ほぼ同じくらいの小型車だったが、リアライトの形状が流星系で、リアバンパー幅が彼女らのMiataの二倍ほどありその中央にナンバープレートが固定されていた。


「あれはぜったいちがうって、ミアータじゃない。かっこいいけど、お尻(リアバンパー)が大きすぎる」


 と紗央梨は言い切った。それとともに、美紀がすべてこのミアータと同じような幌型開閉式屋根を持つ車ばかりを指さしているのに気づいた。


「美紀、このクルマと同じように屋根が開く車をすべて『ミアータ』って言っとらん?ミアータは屋根が開くだけじゃないんじゃけー」


「そんなことはないよ!ちゃんと『チャリ吉くん』と同じような車をさしているよ」


 どうだか…、美紀の識別眼に疑問を持ち始めていたところ、遠くにやってくる赤い車に紗央梨は気づく。まさにその車は彼女が思うミアータの特長を持っていた。


「あ、美紀、あれを見て。あれがミアータよ!」


 と紗央梨はすかさずダッシュボード中央のボタンをおし、ヘッドライトを飛び出させる。対向車線向こうから赤いスポーツカーが近づいてきた。それともにその車があげるエギゾースト音が高まりつつ、彼女らに響いてきた。紗央梨の車は、二度くらいヘッドライトを開閉させたが、そのスポーツカーは何事もなく通り過ぎていった。


「なんか、『チャリ吉くん』より、大きくなかった?しかも、居心地悪そうな音していたよ」


 美紀は、ぼそっと呟く。


 紗央梨も、通り過ぎる瞬間であれは『ミアータ』ではないことを実感していた。自分の間違いをすこし恥ずかしがりながら、


「あれは違うようじゃね...」



 それから、彼女らは交差点で『ミアータ』らしいのに遭遇したら、ライトを開閉させてアイコンタクトを試みたが、相手からはことごとく無反応という失敗に終わっていった。二日後、街で唯一アイコンタクトを返してくれた『ミアータ』に出くわした時は、彼女らは大声でガッツポーズをしながら、喜びを分かち合った。


 紗央梨は、この数日間『ミアータ』だと差した車は、シボレー・コルベットC5、初代ホンダNSX、初代トヨタスープラーなどのその他格納式ヘッドライトタイプのスポーツカー。しかも、車体が大きく全くしかも屋根が開かないタイプばかり。


 ちなみに、最初の遭遇直後に、美紀が『あの車はミアータ?』と指さした車は、通称『NB』と呼ばれる二世代目のMazda MX-5 Miata。『ずんむりむっくり』と紗央梨が言っていた車は、『NC』よ呼ばれる三代目Mazda MX-5 Miata。三台目に指さした車は、『ND』と呼ばれる最新型Mazda MX-5。正確には、カナダで「Miata」の名前が車名からはずされて『ミアータ』ではないが、まだアメリカでは車名に立派に「Miata」と残されているモデルである。


 結局、ミアータオーナーの紗央梨より、美紀のミアータ識別眼の方が、正しかったのである。だが、彼女らは、どれが『ミアータ』なのか正確にはどうでもいいのだ。彼女らの目からは、まだその違いは、シナモンバンとシナモンロールとの差ぐらいしか見えない。今乗っている車が『ミアータ』で屋根を開くことができ、こっちがライト部分を開閉すると同じように挨拶してくれた車が『ミアータ』だ。




 一週間後、雨が降り続く中をハイウェイを走っていた時、前方を照らすミアータのヘッドライトをみながら、美紀が呟いた。


「ねぇ、きったかさん」


「なぁに?美紀」


 軽く返答しながら、いつも通り、前面を正視しながら運転をつづける紗央梨。


「あのパカパカ目(ライト)は、正式にどういうの?」


「うーん。なんて呼ぶんだろうね」


 紗央梨にもわからなかったその正式名称。


 室内には、幌に当たる雨音とワイパーの音が響く。美紀は、スマートフォンを取り出し、そのライトの名称を調べるのかと思いきや、音楽再生アプリを開き、昨年流行った日本のポップ曲の一つを選択した。透き通った男性の声で歌われたリズミカルな曲は、ラジオトランスリミッターを通じて、ミアータのステレオから流れはじめた。割と音量高めではあるが、雨音とワイパーの音はかき消されない。それでも、彼女たちは何も言わずにその曲に耳を傾けていた。


 結局、彼女らはその後『パカパカ目』の正式名称を調べることも、誰かに教えて貰おうともしなかった。

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彼女たちのカナディアンロード hisa.ca/zu @hisanabe

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