シーン6

「Hey! Girls(ヘイ、ガールズ)!」


 と、『CAA』作業員のおじさんがレッカー車の運転席ドアから呼んでいた。彼女らに、町まで一緒に行くんだろ?って、声をかけた。


「キャン・ウィー・ライド・オン・ユア・カー?(この車に乗ってもいいんですか?」


 と、紗央梨に訊いた。彼は、もちろんと答えた。


「やったー!」


 紗央梨と美紀は、お互いの両手のひらを叩きあい、小躍りしていた。


 レッカー車はフロントノーズがあるピックアップトラックを改造されており、後部座席はない。紗央梨は、どうやって、後二人が乗れるんだろうと不思議に思いつつ、助手席側のフットステップにのり、ドアを重いドアを開けた。中は思ったより広くな、運転席と助手席の間に、もう一つ少し小さめなシートがあった。センターコンソールは折りたたみ式となっており、持ち上げて後ろにロックすれば、そこに中央座面(センターシート)と背もたれが現れるようになっていた。コラムシートになっているため、センターシートとインパネの間には何もなく、じゅうぶんにレッグスペースが確保されていた。もともとが幅広なピックアップトラックなので、前部座席だけで、大人三人が余裕で座られるようになっていた。


 紗央梨の後ろから、背伸びして室内をのぞいていた美紀は、


「広ーい。前に三人乗れるんだー」


と感心していた。


「きったかさん、真ん中ねー」


 美紀は、紗央梨のお尻を押してきた。


「う、うん」


 紗央梨は、その押しになすがままにセンターシートに流れ込んでいった。


「わたしは、窓際」


 美紀は、颯爽と助手席に座り込み、シートベルトを締めた。


 紗央梨も美紀につられシートベルトを右のバックルに差し込んだ。このとき、彼女は美紀との距離が近くにいることに感じた。二人の間には、ミアータの時のようにセンターコンソールもなく、『RCMP』の車両後部座席のようにもう一人分のスペースもなく、かなり近くによってきている。


――この距離と雰囲気、美紀と初めて会ったときに似てる。


 紗央梨は、美紀との出会いを思い出した。


 ほんの四ヶ月前、羽田空港からカナダへ向けて飛び立つ飛行機の中で、彼女らは出会った。意外と混みあった客席状況でおり、紗央梨は窓側でもなく通路側でもない席しか取れなかった。


――あの時も、美紀はうちの右で窓側だった。


 そのときと違うのは、モニターが埋め込まれた前の席のヘッドレストではなく、生の風景がみえる『CCA』レッカー車のフロントウィンドウだった。


 紗央梨は前をみる。先ほど、彼女らが走って向かっていたハイウェイと大平原が見える。ミアータの倍以上の車高をもつレッカー車で、かなり高い視点位置になる。先ほど彼女がシート上に立って眺めた(と叫んだ)ときよりも視点は高くなっており、さらに草原の奥の方もよく見えるようになった。ハイウェイと平行にならぶように、規則正しく穂をたち並べ生い茂っている畑が広がっているのが、紗央梨はよりすっきりと見えるようになった。ミアータのように車高が低いクルマでは、絶対味わえない視界だ。彼女は、この高い視野にちょっとした感動を覚え、驚嘆の意をもらした。


「You like it?」


 と、すでに運転席に座っていた作業員が笑顔で聞いてきた。紗央梨の表情で、トラックの視界に感動しているのを感づいていたようだ。紗央梨は、「イエス、ソーマッチ」と笑顔で答えた。


 作業員は、先ほど警官(オフィサー)が町の自動車修理工場を紹介してくれたので、そこへこのミアータをもっていき、約三〇分ほどでつく、と、彼は彼女らに伝えた。警官が曰くには、この辺で、ミアータに詳しいのはその店だろうということだそうだ。紗央梨は、あの無表情の出っ腹の警官が紹介してくれたのかなっと、推察した。彼女は、彼がミアータに結構慣れている節が見とれたからだった。


 作業員がイグニッションキーをまわすとエンジンが低い音ともに始動し、ルーフに設置されていた小さなスピーカーより、ラジオ放送が流れ、最近のヒットソングを流していた。室内に伝わるエンジンノイズは低いが、非常にどっしりとしており、このピックアップトラックのパワフルさを彼女らに感じとらせていた。


 他の車両との間が一番開くころになると、CAAのレッカー車は、紗央梨のミアータを引っ張りながら、三人を乗せて、路肩からハイウェイ上に戻り、東へ向かった。


「おぉ、ハイウェイがすごい遠くまで見える!」


 と、美紀が驚きのことばを上げた。草原の奥にみえる穂をたっぷりと茂らせている大きな畑を見つけては、美紀は、つづけて驚きのことばを上げていた。もちろん、日本語で。


 作業員は、美紀の喜ぶをみて、顔をほころばせていた。これが、サスカチュワンだよって、草原、草原、草原と右手を大きく振って、彼女らにみせた。


「ザッツは、ソーラージ(すんごい広いね)」


 と美紀は感心し、英語で応答した。彼女のことばに、なぜに日本語の格助詞『は』が混ざっているのか、と、紗央梨も疑問であった。


 作業員は高笑いながら、そうだね、すごく広く(huge)、すごく平ら(flat)だろ、ってゆっくりした英語で返してくれた。


 美紀の変な英語でも通じてしまうのである。紗央梨は、毎度の事ながらに、このコミュニケーション術に驚きを感じていた。


 とは言っても、紗央梨の英語力は美紀より上ではあるのだが、正確に分析すると彼女のもかなりおかしな文法や表現でしゃべっているはずなのである。紗央梨がまじめに英語勉強をしたのは、中学、高校と大学一年の一般科目の時までだけで、それ以降の八年間は全く携わっていなかった。カナダへ渡航を決めてから、学生自体の教科書を引っ張り出して、英語学習を再開、渡航後も二ヶ月ほど語学学校へ通っただけの付け焼き刃な英語能力なのである。


――結局、うちの英語力も彼らネイティブ(カナダ人)からみたら、ドングリのせ比べで、美紀のとそんなに変わんないんじゃろうな……。


 ボディランゲージ、感情、熱意等で補われて、彼らに伝わっている面が大きい。だから、美紀のめちゃくちゃな英語(たまに日本語も)だけでも通じることもあるんだ、と紗央梨はあらためて納得していた。


「あんな所に小さな小屋があるよ! これが、大草原の田園風景なんだね!」


 と美紀は、子供のように大はしゃぎしながら、ことばを発していた。彼女は、スマートフォンを取り出して、その光景を写真に収めていた。撮影姿の美紀を見た紗央梨は、自分もミアータがレッカーされるところを写しておけばよかったと、後悔をしはじめていた。不本意ながらトラブルではあるが、間違いなくカナダでの思い出になる出来事ではあった。


――後日いつか、笑い話としてみんなに語れる。まぁ、美紀が色々撮っているようだから、後で分けて貰おうっと、紗央梨は思っていた。


「きったかさん! おっさん!」


 美紀は、二人を呼んだ。「自撮り(セルフィー)するぞ! 」


 美紀は、思いっきり自分自身の上体を紗央梨には押し付け、スマートフォンをつかんだ右手を窓の方に思いっきり伸ばして三人が入るようにアングルをつけていた。


「美紀、この人運転中だよ」


 紗央梨の忠告も構わず、美紀は背中を押し付けていく。紗央梨はその勢いでおされ、反対側の運転席側の『CAA』作業員の肘に、彼女の肩から背中横が触れることになった。


「ソーリー(ごめんなさい)」

 と紗央梨は運転席の彼に謝る。彼は、笑顔で、


「That's Okay(大丈夫)」と答え、運転に集中しはじめた。彼女は、その彼の寛大な答えにほっとし苦笑したが、その時ふとあることで彼女の笑顔はさらに引きつることになった。


 美紀は、スマートフォンのスクリーンに三人の顔が映りこむと、


「今入った!スマイル!」


 と、にっと笑う。その彼女の頭の後ろ側にいる紗央梨は、引きつった笑顔で振り向く。運転席の作業員は、スマイルを浮かべているが、ちゃんと運転に集中していた。そのシャッターは切れた。


 美紀は撮り直しもせず、姿勢を直した。紗央梨も、それに合わせて上体を起こし、やや背筋を伸ばした状態で、センターシートに座り込んだ。美紀は撮影した画像をチェックしながら、満足げに微笑みを絶やさなかった。


 まだ、紗央梨の顔を少し引きつったままであった。


 このシャッター前に紗央梨が気づいたちょっとしたことは、街までの間にかなりわりと深刻な問題へとなっていた。それは彼女にとってだけである。

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