第八章

 多分それは一種の精神病だったのでしょう、私――高雄夢子たかおゆめこは、どんな遊びも、どんなアルバイトも、何をやってみても、いっそうこの世が面白くないのでした。文字通り何もしないで、面白くも無いその日その日を送っているのでした。失礼な申し分かもしれませんけれど、この世に生きるありとあらゆるものと比べ物にならない程度には退屈しきっていました。退屈し過ぎていました。

「こんな面白くない世の中に生き長らえているよりは、いっそ死んでしまった方がましだ」

 ともすれば、私がそんなことを考えました。しかし、そんな私にも、生命を惜しむ本能だけは備わっていたとみえて、二十二歳のきょうが日まで、「死ぬ死ぬ」言いながらも、つい死に切れずに生き長らえているのでした。今、こやけさんを前にして、私は「死」を恐怖致しました。ですので、

「私を殺してください」

 などという願いは致しません。

 さて、そんな退屈に生き長らえてきた私に、最近、興味を見い出したものがあります。それは様々な犯罪物語。色々な犯罪についての書物を読むのが私の楽しみとなりました。それらの犯罪物語は、まるで、けばけばしい極彩色の絵巻物のように、底知れぬ魅力をもって、私の眼前にまざまざと浮かんでくるのでした。犯罪という遊戯は麻薬のように私の脳を痺れさせ、そして、私も、できることならば、犯罪物語の主人公のような、遊戯をやってみたいものだと、考えるようになりました。

 しかし、私も、さすがに法律上の罪人になることだけは、どう考えても嫌です。ですので、私は犯罪者が同類と通信するためでもあるように、裏路地で携帯電話を弄ったり、金持ちらしい人の後ろを時間が許す限り尾行してみたり、その他これに類した様々な遊戯を行っては、独りで楽しむのでした。

 それでも、これらの犯罪の真似ごとは、或る程度まで私の欲望を満足させてはくれましたけれど、危険がないだけに――「犯罪」の魅力は危険があってこそですから――そういつまでも私の退屈しのぎにはならなかったのです。

「で、長々と話していますが、貴女の願いは何ですか?」

 こやけさんは、心持不機嫌そうにも見えました。ポテトチップスは既に空になっています。紙ナプキンで手に着いた油を拭くと、ふぅっと退屈そうな息を吐きました。

「殺しの、依頼を」

「どなたを殺すのですか」

「私は人を殺してみたいのです。ですが、人間が人間を殺すと、法により罰せられてしまいます。動物を殺しても同じ。ですので、私は法に触れないモノを殺したいです」

「フム。それはまた狂った願いですね」

「人間では、法に触れる。動物でもまた同じ。ですが、人間の姿をした人間ではないモノならば、殺しても罪に問われることはないでしょう」

「フムフム。妖怪でも用意致しましょうか」

「その必要は、ありません」

 落ち着いた調子で言って、右手のポケットに手を入れると、私は彼女の方へ差し向けました。

 バン……。鋭い銃声が部屋中に鳴り響きます。

「ウ、ウ、ウ、ウウ……」

 なんとも言えない気味の悪い唸り声がしたかと思うと、こやけさんが椅子から立ち上がって、バッタリと床の上へ倒れました。こやけさんが動くたびに床にタラリタラリと赤黒い血が流れていきます。

「なぁんだ。人殺しなんて、こんなにあっけないものか」

 私は何だかガッカリしてしまいました。想像の世界ではもうこの上ない魅力であった殺人ということが、やってみれば、日常茶飯事と何ら変わりのないことなのでした。

 人殺しならぬ精霊殺しなので、私が罪に問われることもありません。精霊を殺してはいけないなど法律には無いのですから。

 しかしながら、ここに死体を転がしたまま店を出るというのも気がひけます。ふと私の頭に世にも恐ろしい考えが浮かびました。それは、死体を切り刻んで、鞄に入れて山に捨てる。死体を切り刻むという行為に私はひどく興奮致しました。私は卓に並んでいるナイフを手に取ります。

「クックックックッ……」

 突如、異様な笑い声が聞こえてきました。今まで瀕死だと思っていたこやけさんがヒョロヒョロと体を起こし立ち上がったのです。胸の辺りは血で赤く染まっています。確かに瀕死だったというのに。

「私の演技力もなかなかでしょう。貴女は上手く私を殺したと思ったでしょう。不思議ですか。不思議でしょうね。何故私が生きているかが、不思議で不思議で仕方がないと言いたそうな顔をしていらっしゃいますよ。ええ。貴女の銃弾は確かに私に当たっております。しかしながら、『痛い』とは思いましたが、死ぬほどの痛みではありません。下等生物が作った銃というおもちゃで私を殺せると思ったのが大間違いです。私の主人の銃ならまだしも、貴女の銃は子供だましにも程があります。実につまらない。ああ。ただ、私の服を台無しにしてくれた罪は重いです。これは万死に値します。それに、痛かったです。私は痛いことは嫌いです。ですので――」

 バン……。前より鋭い銃声が部屋中に響きました。痛い。痛い。痛い。痛い。膝を折り、私はその場に蹲ります。腹部を押さえると、手の平にべったりと付着する赤いもの。私を見下すこやけさんの目がぱっちりと開かれています。カツン、カツン、革靴の足音がします。こやけさんの横に、革靴を履いた脚が見えました。

「景壱君。何をしに来たのですか」

「賢くて良い子のこやけなら言わなくてもわかるよな」

「わからないから聞いているのです。何故貴方がここに居るのですか? そして、何故撃ったのですか? 彼女は私の獲物です。私の服を台無しにするという大罪を犯したのです。即刻首を刎ねるべきだったのです。それなのに、貴方は撃ちました。これでは私の気がおさまりません。腹が立ちます。苛立っています。ストレスが溜まっています。発散する必要があるのです。それだというのに、貴方は横取りをしたのです。これは許しがたい出来事なのです。抹茶プリンを三ダースほど持ってきたら許してあげないことはありません。サア、サア、用意するのです。私の抹茶プリンを用意するのです。それでしたら、許してあげないこともないのです」

 こやけさんを無視して、革靴の主が、床に転がる私の額に鉄製の冷たいものを当てます。ああ。私はこれから死ぬのです。退屈だったこの世からの離脱です。とても喜ばしくもあり、怖くもあります。ああ。引き金はいつ引かれるのでしょうか。

「あなたも絶を望んでいるの――?」

 最期に私が見たのは、ボロボロと大粒の涙を零す――


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