第2話

「すぐに追いかけんぞッ!」

 タオが呻く。エクスが頷いて、駆け出そうとした瞬間、

「まてええええええええ盗っ人狐めえええええ」

 その横合いをエイトが走り抜けていった。すさまじい速度で、森に逃げ込む少年を追いかけている。ミリーは追いつけないと判断したのか、対比するようにのんびり歩いていた。紙にペンで文字を書いている。時折手を止めては、恐ろしい速度で筆を進めていた。その隣でシェインも歩いている。

 エイトの姿が森に消える。と、ミリーが紙を見せてきた。

『エイトは道に迷ったら歩き回ります。あの狐さんを追いかけて戻ってこないです』

「方向音痴なのですか?」

 シェインが問うと、即答で頷いた。

「お嬢みたいだな……」

「ちょっと、タオ! 私は方向音痴じゃないわよ!」

 いやいや……とタオの口が動きかけたのが、エクスには分かった。しかし、その言葉が漏れる前に、

「うわああああああっ」

 エイトが全速力で戻ってくる。その背中をヴィランの群れが追いかけていた。飛行型がやや多い。それほど数は多くないが、レイナの栞がない。

 エイトは戻ってくるや否や振り返り、得物を構えた。

「森に入ったらすぐにこいつらが沸いてきて……あの狐を見失ったよ」

「グルルル……」

「ゲ、ナニアレ」

 エイトがひび割れた声を出した。彼女の視線の先では、体長三メートルはありそうな大型の人形のようなヴィランが雄叫びを上げている。

「メガ・ゴーレムですか……このタイミングで」

 シェインが舌打ちしている。が、ここで愚痴を言っても始まらないのは彼女もよく理解していた。すぐに栞を挟んで、その姿を三月ウサギに変える。

「なるだけ早く片付けないと……タオはレイナを見ていて」

 エクスがその姿をラ・ベルに変えて、剣を下段に構えた。視線はまっすぐメガ・ゴーレムをにらみつけていて、途中に立ちふさがる小型のヴィランを無視している。

「無理はするなよ。回復は後回しだからな」

 タオ――否、ドン・キホーテが年を食った声を出した。盾を構えて、背後にレイナを隠すように立ちふさがる。

「ごめんなさい、迷惑かけちゃって……」

「まーまー気にすんな、お嬢。そんなに数も多くないから大丈夫だろ」

 レイナとタオが会話している間に、戦闘は始まっていた。エクスとエイトが同時に先頭のヴィランを叩き飛ばす。次の瞬間、エイトが高速の三連撃で正面のヴィランを薙ぎ払った。そこをエクスが通過する。

「そこをどけ、メガ・ゴーレム!」

 美しい少女の声で、ゴーレムをにらみつける。剣の間合いまで近づくと、ゴーレムは太い両腕を振り上げた。ここからの攻撃は直線的なので――エクスはゴーレムの背後に回り込んだ。

 次の瞬間、振り下ろされた腕が地面を抉った。その際に決定的な隙が生まれる。エクスが大剣を横薙ぎにした。ゴーレムの堅い体に亀裂が入る。――続けて左上に切り上げる。ゴーレムが仰け反った。最後に、限界まで振り上げた剣をゴーレムの後頭部に叩き付けた!

「グオオ……」

「まだだ!」

 タオが叫んだ。力尽きたかと思われたメガ・ゴーレムは、タックルの姿勢をとっている。エクスが慌てて横に飛ぼうとすると同時に、氷の上をすべるようにゴーレムが突撃してきた。

「うげっ……!」

 避けきれなかった下半身が、ゴーレムの突進を受けた。小柄な体躯が弾き飛ばされ、きりもみ回転をしながらヴィランの群れの中に突っ込む。

 すぐに目を開けると、眼前にヴィランが複数いて見下ろされていた。慌てて剣を握りなおし、横薙ぎにして吹き飛ばす。それから体を起こし――崩れ落ちるメガ・ゴーレムを見た。

「どりゃーっ!」

 エイトが全体重を乗せて、ゴーレムの頭に唐竹割りの一撃を浴びせたのだ。ゴーレムが煙になると同時に、彼女は着地した。

「大丈夫、エクス!」

「ああうん、大丈夫……ありがとう、エイト」

「全然オッケーだよ! シェインが数を減らしてくれているから、もう少し頑張ろう!」

 と、エイトが、近づいてきた槌盾持ちのヴィランを叩き倒す。エクスが周りを見ると、残っているヴィランは少なく、シェインが一体ずつ掃討している姿があった。

「よし!」

 エクスが駆け出す。シェインに気をとられているヴィランを下から打ち上げて煙に変え、そのすぐ横の飛行型を切り伏せる。視界の中では、エイトも残っているヴィランを着実に仕留めていた。

 シェインの闇魔法が最後の一体のヴィランを吹き飛ばし、エクスは肩の力を抜いた。ふっとレイナを見ると、元の姿に戻ったタオの後ろに無事でいる。タオも、どこかを痛がる素振りは見えない――隠しがちである人物だが。

「そんな見なくても、傷ひとつねえぜ?」

「あっうん、大丈夫ならいいんだ」

 エクスは目を逸らして、元の姿に戻った。性別が変わる感覚は未だに慣れない。背後にいるシェインも「何とか倒しきれたみたいですね」とやや安心した声色だ。

「あれ、エイトは?」

 レイナが周りを見る。エクスも軽く見渡してみるが、姿が見えない。この場所は平らなので、多少離れただけならば見えなくなることはない。すると、後ろから肩をつつかれた。

『森に入っていきました。追いかけたほうがいいです』

 ミリーが紙を眼前まで持ってきた。少し仰け反りながら文章を読むと、彼女は要の済んだ紙を丸めた。どこに捨てるのかとエクスは思ったが、なんと紙を自分の持っている本に挟んだ。ミリーは本を持ったまま、森のほうに向かって歩き出す。

「僕たちもエイトを追いかけないと……」

「そうね、森に入ったらヴィランがうじゃうじゃ……ってことはないといいんだけれど」

「姉御、それフラグってやつです」

「えーやだ! もうそんなのでヴィランに出られても困るわよ!」

 レイナが絶叫した。ミリーが驚いたのか、足を止めて振り返っている。普段なら、この発言をしたすぐに正しく「フラグ」どおりにヴィランが現れていたのだが――。

「ほら、いない、でない!」

「……ですね」

 何も出てこなかった。風が虚しく吹いて、背の低い草を揺らす。

「じゃ、じゃあ行くわよ!」

 と、レイナは我先にと足を進めようとした。が、その肩をタオが掴む。

「ちょっと待ったお嬢」

「なによ」

「お嬢は離れるな。栞もない状態ではぐれられたら適わん」

 タオの言った事は気遣いだったのだろうが、レイナは別の場所に噛み付いた。

「ちょっと、人を迷子みたいに!」

「はぐれるだろうが……」

 反撃に対して呆れたように呟くと、シェインも「そうですね」と同意を示す。エクスも、内心では全力の同意だった。口には出さない。苦笑いを浮かべただけにとどめる。

 ただ、レイナも、タオが気遣っていることは察したようで、渋々ながらシェインのそばに下がった。先先歩いていたミリーも呼び戻し、森の中に入る。

 考えてみれば、不自然な森だった。エクスは森林の中に入ってからそのことに気付いた。

 虫も鳥もいない。風の音と、枯葉を踏みしめる音だけが耳に入ってくる。ふと、先頭を歩くミリーが足を止めた。

「うるさい……」

 小声だったが、静寂に包まれたこの場ではエクスまで届いた。おそらくは「静かだ」と言いたいのだろう。彼女にかけられた呪いを信じたくても、中々頭の中での変換が追いつかない。それから左右を見て、また歩き出した。

「どうかしたの?」

 エクスが問いかけてみるが、彼女は首を左右に振るだけ。何の返事の声も紙の文字もなかった。

 枯葉を踏みしめる音の中には、枝を踏み折る音も混じる。頭上では風に煽られた枝がざわめいている。ちらちらと青空が見えてはいるが、生き物の気配を何も感じられず、無意識のうちに彼らは余所見を繰り返しながら歩いていた。

 その中でただひとり、ミリーだけはまっすぐ前を向いていた。

 小一時間は歩いただろうか、レイナが疲れを見せ始めた頃に、ミリーはまた立ち止まった。今度は、本から紙を破って書いている。エクスたちも足を止めて、彼女が書き終えるのを待った。

『小屋が見えました。エイトもいます』

 大きな字で書いてある。それから、まっすぐこれから歩いていこうとしていた方向を指差した。

「おお、やっと追いつくのか……」

「なかなか見つからないと思ったら、目的地に着いていたんですね」

「でも……こんな山奥の小屋にあんな子供が住んでいるのかしら?」

 レイナの疑問は尤もだ。エクスたちが見た少年は、彼自身よりも年下のようで、まだ自立するような年齢とは到底考えられなかった。このような小屋で一人暮らしをしているとなれば尚更だ。

 しかし、エイトは確信したように「盗っ人狐ええええ出てこおおおおおい」と叫んでいる。三匹の子豚で家を吹き飛ばす狼のごとき声量だ。木の家が粉々になって飛んでいく姿が見えた気がした。あくまで妄想である。

 少年は当然出てこない。エイトが乗り込もうと扉に手をかけた瞬間――

「ワシはいやじゃっ!」

 少年が飛び出てきて、彼女を突き飛ばした。そのまま、森の奥に走り去っていく。エイトはその姿を茫然として見ていた。

「……エイト」

 ミリーが走り寄って、声をかける。それから、何か紙を見せた。

「ああ大丈夫! ありがとね、ちょっとびっくりしただけだから」

 そう言って、立ち上がり土をはらう。

「エイトさん、それより周りを……」

 シェインが呟く。その直後、風も吹いていないのに木々がざわめいた。

「グルゥ……」

 その木陰からヴィランが飛び出てくる。子鬼のような姿をした小型種ばかりだが、数が多い。狐の少年が逃げていった方向だけ、抜けたようにヴィランがいない。罠にすら見える。

「どうする?」

 エクスの問いに、

「姉御の栞が戻ってないのですから、もちろん逃げましょう」

 シェインが答える。タオもうなずいて、

「狐を追いかけねーとな」

 と同調した。エクスが頷いて、エイトを見る。――と、すでに追いかけ始めていた。ミリーがはぁ、とため息をついている。それでも、表情に大きな変化が見られないのは、このようなことが初めてではないからだろう……。

 なにはともあれ、エクスは、すでに走り出しているレイナたちの殿に入った。

 後ろからヴィランが追いかけてくるが、足は遅い。

 タオはもうエイトを視界に入れているようだ。ミリーが遅れ始めているので、エクスは彼女のペースに合わせることにした。少しタオたちと差が出てしまったが、まだ見えている。

 そう思っているうちに、エクスとミリーは森に迷ってしまった。

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