きつねにとられたもの
@aokurosuiryu
第1話
長い長い『沈黙の霧』を通り抜けたエクスたちは、ひとつの想区にたどり着いた。
青い空、緑の草原……そして藁葺の屋根。それらは、以前見たとある想区とよく似ている。――鬼ヶ島らしきものは見えず、ただ周りを山に囲まれてはいるが。
小柄な少女――シェインが、丘の上で黒髪のショートヘアをなびかせながら、広がる風景を見下ろす。落ち着き払った表情に、僅かばかりの笑みを浮かべた。
「……タオ兄」
彼女は義兄の名を呼んだ。背の高い偉丈夫であるタオは、少し遅れて丘の上に登り、シェインと同じ風景を眺める。
そこから、懐かしむように小さな声を上げた。
「ああ、似ているな」
声が風に乗らなかったら、タオよりもさらに遅れて丘を登っている途中のエクスには聞こえていなかっただろう。エクスはレイナを待ちながら、ゆっくりと丘を登っていた。ツヤのあるエメラルドグリーンの髪は、少し伸び気味になっている。
長い旅の間に、彼女はこの程度の丘ならば苦労なく登れるようになっていた。それでも速度では先行するふたりには及ばず、エクスが待つことが慣例のようになっている。
エクスに追いついたレイナは、ふーっと一息ついて、
「いつもこれくらいの気温だといいのにね」
と、嬉しさ半分愚痴半分のような様子で言う。そして、エクスがレイナを先導するようにまた丘を登っていく。
頂上に登ると、眼下に絶景が広がっていた。
東西に山がそびえ立ち、その中間に小さな村がある。北から南に向かって川が流れ、質素な服を着た人たちが仕事に勤しんでいた。
「これは……」
エクスが呻くように呟く。隣にいるレイナは声も出ない様子で、目を見開いていた。
「桃太郎の想区……なのか?」
タオに問いかけると、彼は迷いながらも首を横に振った。シェインにも視線を向けてみる。すると、彼女は明確にノーを示した。
「違います……。シェインたちの故郷では、山の間に村なんてなかったはずです……よね、タオ兄」
「ああ、なかったな」
「それにしても、こんな想区に、本当にカオステラーがいるのかしら」
一見すると、カオステラーの気配どころかストーリーの気配すら感じないほど、のどかな雰囲気の想区だ。
これが旅ではなくてピクニックならば、ここで昼食を食べていただろうが、そういうわけにもいかない。エクスは村に行くことを提案した。
「降りて、人に聞いてみようか」
「ま、それが定番だわなー」
タオが同意すると、レイナが我先とばかりに丘を降り始める。彼女はあくまで、このメンバーのリーダーであると誇示したいようだ。エクスがそれに続いて降りると、先に登った二人も丘を後にした。
丘のふもとには川が流れていて、非常に透明度が高い。魚もたくさんいるようだ、少し上流の方で漁をしている人がいる。
エクスはその人から視線を外して、シェインたちが追いついているかを確認した。その瞬間、
「うわあああああああちくしょおお盗っ人狐めー!!」
女性の声で、絶叫が上がった。驚いて声のほうを向くと、オレンジ色の髪の少女がこちらに向かって走ってきている。その後ろから、紫色の髪をお下げにした少女が息を切らしながら追いかけていた。ブレーキのブの字もない完全な暴走に見える。
「止まれるんですかね、あれ」
シェインが心配そうに呟くのと同時に、オレンジ色の髪の少女は顔を上げ、シェインの姿を見て急ブレーキをかけた。その少女はシェインの目の前三十センチのところで停止して、苦笑いを浮かべる。
「おおっと! ごめんよ!」
「セーフです」
シェインが冷静に返事するすぐ横で、紫色のお下げの少女がタオの背中にダイブした。
「どわっ!」
「きゃあっ!」
そして、ふたりして草むらに突っ込む。タオが下敷きになる格好だ。
「痛くないもん……」
お下げの少女は涙目で自分の額を撫でながら、そんなことを言った。それから、起き上がろうとするタオから飛び退く。
「いってぇ……一体何が」
タオが上体を起こし、二、三度頭を振ってから周囲を見回す。その横から、お下げの少女が悲鳴交じりの声を上げた。
「なっ、なによ!」
非難混じりの声に合わず、表情は申し訳なさそうだ。しかし、その言葉にシェインが反応した。素早く少女のほうを向いて、今にも掴みかかりそうな勢いで迫る。
「あなたの方からぶつかってきておいて……」
「ちょっと待った待ったー!」
オレンジ髪の少女が、シェインとお下げの少女の間に割り込む。
「今のはほんとーに申し訳ない! さらに弁解を聞いてもらえたら嬉しいな!」
「どうかしたんですか?」
ようやくシェインたちに追いついたエクスが、オレンジ髪の少女に事情を問いかける。すると、彼女はウィンクをして、先ほど聞こえてきたような元気のいい声であいさつをした。
「アタシは『エイト・ローダン』、冒険家だよ。こっちの女の子は『ミリー・ヴェルヴェット』。呪いをかけられて、気持ちと反対のことしか言えないの。だから、本当は謝ってるんだけど……ごめんね」
エイトが軽い調子で両手を合わせる。その後ろで、ミリーが紙を見せてきた。そこには『ごめんなさい』と書かれている。そして、深く頭を下げた。
「こうやって筆談ならできるんだ」
「なるほど……」
そして、立て続けに「ミリー・ヴェルヴェットです」という紙を見せてきた。
「先ほどは失礼しました。シェインです」
「僕はエクス」
「タオってんだ、ミリー、怪我はないか?」
『大丈夫です、タオさんこそお怪我はありませんか?』ミリーがやや走り書きのような字を書いた紙を見せてきた。「ああ、大丈夫だ」タオが答えた。
「私はレイナよ。ところでエイト……貴方達は冒険家なんだっけ?」
レイナが何気なさそうに問うと、言葉が終わる前からエイトの目が光る。よくぞ聞いてくれましたとばかりに、右手を胸に当てた。
「そうそう! 想区を旅する冒険者だよ!」
「え、想区を旅って……外に出るの?」
エクスが疑問符をつけると、彼女は大きく頷いて、
「もちろん! 運命の書にも、生まれの想区の外に出て旅をする……って書かれてるからね! それにしても、こんな想区で荷物を盗まれるなんて書いてないけどなぁ……」
「……待って! 運命の書と違うことが起こってるの?」
運命の書とは、だれもが生まれたときに渡される一冊の分厚い本のことである。その中には、個人の人生が事細かく記されており、その記述に添った生涯を過ごす。記述に添った人生を歩んでいる限り、書かれていないことが起こることはまず無いので、もし記述とずれているのであれば聞き捨てならない。
レイナが慌てて問い質すが、エイトは呑気に「そうだよ」と返すのみ。
それからまた、楽しそうに語りだそうとする。今度はミリーとの馴れ初めらしい。
「ストップです、エイトさん」
それをシェインが妨げる。ちら、と後ろに目線を流すと、エイトもそれにつられた。と、彼女が悲鳴と驚きが五分に混じった声を出す。
「どーしたの? ってうわっ!」
エイトの視線の先には、
「はぁぁ……今回もおいでなすったわけね」
化け物――ヴィランの群れがいた。想区を司る神のような存在であるストーリーテラーの物語を妨害して現れる『想区の番人』か、カオステラーによって運命の書を書き換えられた『住人』かは不明だが、エクスたちに襲い掛かってくるヴィランの群れがいる。真っ黒の子鬼のようなヴィラン、人並みの高さで剣を持ち鎧を着たヴィラン、槌と盾を持ち重鎧に身を固めたヴィラン、弓を持った飛行型のヴィラン、杖を持った魔法型のヴィラン……その姿は様々だ。
「逃げないの?」
エイトがレイナに問いかける。
「逃げてもいいんだけど……この数なら蹴散らせそうだし」
「えー……でもキリないよ? アタシたちも何度か見たことあるけど、結局毎回逃げる羽目になるよ」
「まぁ、大丈夫ですよ。下がっててください」
シェインが何も書かれていない運命の書を取り出し、そこに栞を挟む。すると、彼女の姿が一瞬にして変化した。ショートの黒髪が銀色になって長くなり、ウサギの耳が生える。控えめな胸が強調される服装になって、両手で杖を握った。
「シェインたちはこうやって、物語の登場人物の力を借ります」
彼女の声色まで変化している。
「な……今何が……」
シェインの変身を目の前で見たエイトが、茫然として呟いた。信じられないといった風の様子で、エクスには気持ちが理解できる。彼もまた、初めて見たときは驚いたものだ。
シェインの姿がイギリスの児童小説『不思議の国のアリス』の三月ウサギになっている。過去に、不思議の国の想区で出会った三月ウサギとは口調が違いすぎていて、エクスは苦笑を浮かべた。彼自身もシェインと同じように、真っ白な運命の書に栞を挟む。
すると、エクスの姿も変わった。エメラルドグリーンの髪は紫色のさらさらしたショートボブへ、旅に適した服装はメイド服に似たドレスに、そして、性別すらも変わった。
コネクトしているキャラクターは、ディズニーのアニメーション映画『美女と野獣』のベル。自分の身長ほどもある大剣を地面に突き立て、細い指先を柄に絡めている。
「俺たちはこうやってコイツら……ヴィランと戦ってんだ」
タオも、ふたりに倣って白紙の運命の書に栞を挟んだ。彼は、槍と盾を構える。コネクトしたのは、スペインの小説『ドン・キホーテ』の主人公ドン・キホーテである。やや年を食った声色になっていて、エイトは微笑を浮かべた。
「すごいんだね……って、アタシも手伝うよ! これでも腕は立つんだよ」
と、エイトは自信満々の様子で片刃の大剣を取り出す。それを一振り、風を切る音を立てた。
「無理しないでよ」
ウサミミになったレイナが、声をかける。コネクトしたのは『不思議の国のアリス』の続編である『鏡の国のアリス』の白ウサギ。やや肌の露出が増えた印象を持たせる。
目の前にいるヴィランは数こそ多いが、大型種が数体いるだけで、統率をするメガ・ヴィランはいない。エクスとタオがヴィランの前に立ちふさがり、そこにエイトも参加する。彼女が、目の前に現れた二足歩行の小型ヴィランを横薙ぎしたのを皮切りに、戦いが始まった。
エクスが、大剣を振り上げて獣型ヴィランを打ち上げる。ヴィランは地上に落下する前に、シェインが放った魔法によって撃ち倒され、煙となって消えた。
「すごいねっ!」
エイトが感嘆の声を上げながら、自前の大剣を振るって二体のヴィランを斬り捨てる。時折ヴィランの爪や剣が体をかすめているが、気にしている様子はない。
ヴィランの爪がエイトの脇腹を狙っていたが、タオの槍がそれを防ぐ。しかし、彼の背中に、鎧を着たヴィランが槌を振り下ろした。
「ぐぬっ……」
タオがよろめく。それによってできたわずかな時間の間に、彼の周りにヴィランが集まり始めるので、エクスは大剣を横薙ぎにしてヴィランどもを打ち払った。
エクスがちらりと遠くを見る。ヴィランの群れは厚みを増してはいないようで、戦闘開始前と比べて確実に数を減らしていた。押し切れる、と口の中でつぶやく。直後、目の前に現れた飛行型のヴィランを切り落とす。
押し切るよ、と言いかけた瞬間、大型のヴィランが視界に入った。通常よりも巨躯で、単純に戦闘能力が向上している。エクスは大剣を上段に構えなおし、自分より背の高いヴィランを見据えた。
敵の得物は片手剣。しかし、姿に合わせて大型化しており、エクスの持つ得物と差のない大きさであった。
一瞬の睨み合い、ヴィランが剣を振り上げると同時に、エクスは地を蹴った。敵の懐に潜り込み、滑るような動きで脇に流れ、振り下ろされる剣をやり過ごす。そうしてできた隙を逃さず、鎧の隙間に剣を突き入れる。ヴィランの動きが一瞬止まった。力を込めて、一気に振り上げる。すると、エクスよりも二回りは大きなヴィランが浮き上がった。
彼の剣はそこで止まらず、ヴィランが地面に叩きつけられた瞬間に、もう一度すくい上げた。そのまま落下せず、煙になって消える。
「すごいじゃん!」
その動きを真似するかのように、エイトも剣を振り上げて二体のヴィランを煙に還した。
刹那、エクスたちの体の周りに光の粒子が現れた。エイトは驚いた様子を見せるが、傷ついた皮膚や服が治っていくのを見て笑みを浮かべた。
その直後には少し離れた場所で爆発音。多数のヴィランが宙に吹き飛んで散らばり、大量の煙に変わった。
シェインの闇魔法がヴィランの群れの真ん中で爆発したのだ。続けて、もうひと爆発。再びヴィランが吹き飛んで消える。
三回目の爆発は、エクスの目の前で起こった。一瞬、視界が闇魔法の黒色で染まり、明るくなったときには眼前に見えていたヴィランが全て消えていた。
「ほえ……」
エイトが放心したように前を見つめている。エクスが栞を本から抜くと、姿が元に戻った。本を荷物に、栞をポケットの中に丁寧に仕舞う。
「終わりましたよ?」
元に戻ったシェインがエイトの肩を軽く叩くと、本当に放心していたのかひとしきり派手な反応を見せてから、
「あ、ありがと、すごいなぁ……初めて見たよ!」
大剣を仕舞って、それから食い入るようにシェインに迫った。不思議そうな表情で彼女の頭を撫でているのは、さっきのウサ耳がどこかにあると思ったからだろうか。ウサ耳も角もないので、エイトは首を傾げた。
すると、ミリーが近づいてきて、『皆様すごいのですね……私は魔法で相手の力を弱めることしかできないので』と書かれた紙を見せてきた。
「いや、凄いんじゃないか? ヴィランに殴られても痛くないってのは楽……」
「きゃああああああっ!?」
タオがミリーの字を読みながら、盾持ちらしい感想を述べている途中で、レイナが悲鳴を上げた。
「レイナ?」
「どうした、お嬢……」
エクスとタオが同時に振り向く。すると、レイナが「どうしたじゃないわよ! 狐みたいな男の子に荷物を持ち逃げされたの! 栞も一緒に……」と言う。
なんということだ、ヒーローの魂とコネクトするために栞を奪われるとは。エクスは天を仰ぎそうになる手を抑えつける。
「あああーっ!」
今度はエイトが叫ぶ。何事か、と振り返るまでもなく、その理由は分かった。
「私の荷物を盗んだやつだ、間違いない!」
森の中に入り込もうとしている少年がいる。小柄で、黄色の大きな耳が見えた。
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