第4話

 僕たちは車で、3階建てのビルへやってきた。このビルの3階に、松元弁護士事務所が入っている。

 明日香探偵事務所も3階建てのビルだが、誰がみても、こちらのビルの方が立派な建物だった。

「明日香さん、警察に連絡した方が、良かったんじゃないですか?」

「警察に連絡したら、大嶋警視に知られるかもしれないわ」

「でも――僕たちだけで、大丈夫でしょうか?」

「大丈夫よ。さあ、明宏君、行くわよ」

「はい。分かりました――でも、会ってくれますかね?」

「そのときは何か理由を付けて、無理矢理にでも会うわよ」

 明日香さんは、やっとたどり着いた、犯人かもしれない男との対決にむけて、気合い充分だ。あまり無茶なことは、してほしくないが。


 僕たちはビルに入ると、エレベーターに乗って、3階に上がった。

「ここは、エレベーターが有るんですね」

明日香探偵事務所うちには無くて、悪かったわね」

「あっ、いえ、そういう意味では……」

 しまった――よけいなことを言ってしまった。

「さあ、行くわよ」


 明日香さんが、ドアをノックした。

「どうぞー!」

 と、中から、女性の声がした。

「失礼します」

 僕たちは、部屋の中に入った。

 部屋の中も予想通り、明日香探偵事務所よりも綺麗で立派だった。

「失礼ですが、どちら様でしょうか?」

 事務所に居た女性は、僕たちを見るなり、そう聞いた。

 20代半ばくらいの、かわいらしい女性だ。

 通常、弁護士事務所に訪れるのは、仕事を依頼する人物だろうが、どんな依頼でしょうかではなく、どちら様でしょうかと聞かれたのは、僕たちがこの場にふさわしい人間に見えないということか――

「探偵の桜井明日香と言います。松元弁護士に、お会いしたいのですが」

「探偵さんですか? 探偵さんが、先生に、どういったご用件でしょうか?」

 女性は、怪しい二人組の探偵に、警戒心むき出しだ。

「私たち、4日前にあった、とある事件を調査しているのですが、その調査の過程で、松元弁護士の名前が出てきたんです」

「先生が――ですか?」

「はい。それで、お会いして、少しお話を聞ければと思いまして」

「先生は、外出中でして、間もなく戻るとは思うのですが――少々、お待ちください。連絡をしてみます」

「ありがとうございます」

 女性は受話器を取ると、電話を掛けはじめた。

「先生、西園にしぞのです。お疲れ様です。今、事務所に、探偵さんが、来られてまして。先生に事件のことで、お聞きしたいことがあると――はい、分かりました」

 西園さんは、電話を切った。

「すみません。先生に確認を取ったところ、後10分くらいで戻るので、お待ちくださいということでした」

 会ってくれるんだ。

 出版社でもそうだったけど、いつもこうやって、すんなり会ってもらえると楽である。

「それじゃあ、待たせていただきます」

「どうぞ、こちらにお掛けになってお待ちください」


「コーヒーをどうぞ」

 西園さんが、コーヒーを入れてくれた。

「ありがとうございます」

 と、僕は言ったものの、これが今日3杯目のコーヒーか……。

「西園さん、松元弁護士が戻るまで、少しお話を聞いても、よろしいでしょうか?」

 と、明日香さんが言った。

「はい。なんでしょうか?」

「4日前のお昼の12時頃なんですが、西園さんは、どこにいらっしゃいましたか?」

「4日前ですか? 金曜日ですね。その日は――私は、11時50分に出勤しました」

 西園さんは、カレンダーを見ながら言った。

「中途半端な時間ですね」

「金曜日は家の都合で、いつもその時間なんです」

「そのとき、松元弁護士は?」

「あの日は、先生はこちらには11時20分に来られたみたいです」

「みたい?」

「はい。先生がそうおっしゃっていたので。そして、私が来てすぐにお家にお帰りになられました」

 ここを11時50分に出れば、12時過ぎには現場のマンションに着くのではないだろうか?

 僕は、明日香さんと顔を見合わせた。明日香さんも、僕と同じことを考えているみたいだ。

「あの日、先生のご自宅に、依頼人の方が来られていたそうなんです。それに必要な書類を忘れて、取りに来て探していたみたいです。わざわざ取りに来られなくても、私が出勤する頃にお電話していただければ、私が探してお届けしたんですけど」

「ご自宅は近いんですか?」

 と、明日香さんが聞いた。

「ここから南の方へ、車で15~20分くらい行ったところです。周囲にはほとんど何も無くて、先生のお宅だけですから、すぐに分かりますよ。とても立派な、お家ですよ」

 南の方ということは、現場とは真逆の方か。

「そんなに立派なお家なんですか? さすがは、弁護士さんですね」

 そう言う明日香さんも、実家は豪邸じゃないか。

「はい。私も先週の火曜日に、初めて中に入ったんですけど、本当に素敵なお家でした」

 先週の火曜日というと、事件の3日前か。

「先週の火曜日ですか――ちなみに、どういったご用件で?」

「えっ? ああ、テレビ番組の録画のやり方や再生の仕方が分からないから、教えてほしいということで。先生は独身で、聞ける人がいないからって」

「へぇ、そうなんですか。弁護士さんが録画してまで見たい番組って、どんな番組なんでしょう?」

「先生、テレビになんか、興味なかったはずなんですけどねぇ」

 別に、松元弁護士が何を録画しようが、どうでもいいが……

「お待たせいたしました」

 事務所のドアが開いて、男性が入ってきた。

 間違いない。防犯カメラに写っていた、あの男の顔だ。

「明宏君、カバン」

 明日香さんが、僕の耳元でささやいた。

 カバン?

 あっ!

 僕は、思わず声を上げそうになって、慌てて口を手で押さえた。

 防犯カメラに写っていたカバンに、とてもよく似ているような気がする。しかし、同じようなカバンなんて、いくらでもあるだろう。あのカバンが同じカバンだと、証明をすることができるだろうか?

「先生、おかえりなさい。こちら、探偵さんです」

「どうも、弁護士の、松元宗次です」

「探偵の、桜井明日香です」

「助手の、坂井明宏です」

 明日香さんが、松元弁護士と、名刺交換をしている。

 僕は、何気なくその様子を見ていて、ある重大なことに気がついた。

 目撃者の話では、犯人は身長が高い人物だったはずだ。しかし、どう見ても、松元弁護士の身長は高いとは言えない。明日香さんよりも、低く見える。っていうか、僕と同じくらいじゃないか?

 鞘師警部の話では、逮捕された伊川さんは、身長190センチだ。

 目撃されたのが松元弁護士だったのなら、身長が高いなどという目撃証言が出るだろうか?

 松元弁護士は、犯人が伊川さんだと思わせる為に、シークレットブーツでも履いていたのだろうか?

 いやいや、さすがにそれは不自然だろう。子供に見られたこと事態、偶然だったはずだ。見られることを、想定していたとは思えない。それに、子供はごまかせたたとしても、大人に見られていたら、バレバレだろう。

 うーん――普段使わない頭を使っていたら、こんがらがってきた。探偵助手として、これではいけないのだろうが……。

 それはそうと、明日香さんは、どう思っているのだろうか?

 明日香さんの方を見ると、松元弁護士と雑談をしていて、まだ事件の本題には入っていないみたいだ。

「桜井さん、申し訳ないが、また出掛けないといけないので、そろそろ本題といきましょうか。殺人事件のことで、私に聞きたいことがあるとか」

「はい。4日前に、とあるマンションで殺人事件があったんです」

「先週の金曜日ですか――それが、私とどういう関係があるんですか?」

「殺害されたのは、フリーライターの、橋上一男さんという方です。松元先生は、橋上さんをご存知ですか?」

 明日香さんは、松元弁護士の目を、まっすぐに見つめながら聞いた。

 松元弁護士は、なんと答えるのだろうか?

 正直に答えるのか、それともごまかすのか――

「ええ。もちろん知っていますよ。昔からの知人ですからね。そうですか、橋上さんの事件のことでしたか」

 松元弁護士は、正直に知っていると認めた。事件の5日前に防犯カメラに写っていることは、想定内ということか。

「ちなみに、知人というのは?」

「以前、橋上さんから、法律のことで相談を受けたことがありましてね。それ以来、時々食事に行ったりしました」

 松元弁護士は、明日香さんの質問にすらすら答えていく。嘘をついているようには、見えないが……。

 いや、嘘のうまい犯人なんて、何度も見てきたじゃないか。

「橋上さんに、最後にお会いになったのは?」

「事件の5日前の、日曜日ですよ」

「ちなみに、どういう用件で行かれたんでしょうか?」

「その日は、特に用事があったわけではないですが、たまたま近くまで行ったので、ちょっと寄っただけですよ」

「それでは、事件当日には行きませんでしたか?」

「ちょっと待ってください。どうして、そんなことを聞くんですか? まるで、尋問じゃないですか」

 松元弁護士は、少し苛立っているみたいだ。

「お気に障られたのなら、申し訳ありません。ですが――防犯カメラに、そのカバンによく似たカバンを持った人物が、橋上さんの部屋から出てきたところが写っていたんです」

「このカバンですか? こんなカバン、自分で言うのもなんですが、どこにでも売ってる安物のカバンですよ。私以外の人だって、持っていますよ」

 確かに、松元弁護士の言う通りだ。こんなカバン、どこにだってあるだろう。

「そういえば、橋上さんが殺された時間って、何時頃ですか?」

「12時~12時15分くらいだと思われます」

「それじゃあ、私じゃないですね。私はその時間、ここから車を運転して、自宅に帰った頃ですね。ここから、橋上さんのマンションまで15分はかかりますからね。マンションから私の自宅までは、30分かかります。犯行時刻にマンションに行くことは可能ですが、そこから戻るのは時間的に無理ですよ」

 さっき西園さんも言っていたが、11時50分頃にここを出て、まっすぐに自宅に帰れば、そのくらいの時間になるだろう。

「その時間に、ご自宅に戻られたことを証明できますか?」

「はい。あの日、自宅に依頼人が来ていましてね。その方に聞いてもらえば、分かります」


 僕たちは、松元弁護士事務所を出て、南に向かって車を走らせていた。松元弁護士のアリバイを証明してくる、有田一郎ありたいちろうさんという老人の家に向かっている。有田さんの家は、松元弁護士の家から更に南へ、車で45分くらい走ったところだ。

「明日香さん、どう思いますか?」

 僕は、ハンドルを握りながら、助手席の明日香さんに聞いた。

「明宏君も気づいたと思うけど、身長がね……」

「松元弁護士は、僕と同じくらいに見えましたね」

「そうよね。明宏君と同じくらいじゃ、全然高くないわよね」

「――ははっ。そうですね……」

 胸が痛い……。

 何故だろう……。

「子供には、高く見えたのかしら? 一度会って、確認したいわね」

「そうですね」


 松元弁護士事務所から15分くらい走ったところで、松元弁護士の家が見えてきた。

「明日香さん、あれが松元弁護士の家ですね」

「西園さんが言っていた通り、立派なお家ね」

 こんな立派な家に、一人で住んでいるのか。

「弁護士事務所からは、ちょうど15分ですね」

 有田さんの家は、ここから更に45分だ。


「はじめまして、探偵の桜井明日香です」

「助手の、坂井明宏です」

「こんな遠いところまで、よく来たね」

 僕たちは、有田さんの住む、古い大きな一軒家の一室にいた。

 有田さんは77歳で、3年前に奥さんを亡くして、一人暮らしだという。77歳という年齢の割には、とてもしっかりしていて、元気な老人だ。

「さっそくなんですが、先週の金曜日のことをお聞きしたいのですが」

 と、明日香さんが聞いた。

「実は、最近、私の父親が99歳で亡くなりましてね。お恥ずかしい話なんですが、私の弟と妹と遺産相続でもめていましてね。それで松元先生に相談をしていたんですよ」

 なるほど、よくある、兄弟による骨肉の争いというやつか(本当によくあるかは、知らないが)。

「有田さんは、松元弁護士とは、元々お知り合いだったんですか?」

「はい。5~6年前にも、別件でお世話になったことがありまして」

「それで、金曜日に、お会いになられたんですね? でも、どうして事務所ではなくてご自宅に?」

「いえ、正確には、木曜日ですね」

「えっ? どういうことでしょうか?」

 明日香さんは驚いて、聞き返した。

「最初の予定では、今週の木曜日に約束をしていたんですよ。それが、松元先生の都合で、急に1週間早くなりましてね。夜7時に、ご自宅の方に伺うことになりました」

「それがどうして翌日も?」

「7時から10時過ぎまでお話をしましてね。その後、先生と一緒に、お酒を飲みました。本当はすぐに帰るつもりだったんですが、私もお酒が大好きでして、ついつい飲み過ぎましてね。気づいたら日付が変わってましてね。それで泊まることになったんです」

「それで、金曜日はどうされたんですか?」

 大事なのは、金曜日だ。

「いつもなら、ある程度飲んでも早く目が覚めるんですけどね。あの日に限っては、10時30分過ぎまで目が覚めなくて、先生が心配してましてね。死んだんじゃないかって――ワッハッハ」

 有田さんは、豪快に笑った。とても、遺産相続でもめているとは思えない。

「それから、どうされたんですか?」

「その後、また少しお話をしましてね。11時頃だったと思うんですが、先生が事務所に書類を取りに行ってくるから、少し待っててくれと言って出て行きました」

「松元弁護士は、何時頃に戻ってきましたか?」

 戻ってきた時間によっては、松元弁護士に犯行は可能だ。

「確か――12時10分くらいだったと思いますね」

「間違いないですか?」

「ええ、そのときテレビがついていましてね。テレビ画面に時刻が表示されていましたからね。その後、2時間くらい話して帰りました」

「テレビ画面の時刻ですか?」

「ええ、私は、腕時計も携帯電話も持っていないもんでね。部屋の時計も、12時10分だったと思いますよ」


「お役にたてましたかね?」

「有田さん、今日は、ありがとうございました。もし、何か思い出したことがあったら、些細なことでもいいので電話をください」

 僕たちは、有田さんの家を後にした。


「明日香さん、有田さんの言う通りなら、松元弁護士に犯行は不可能じゃないですか? 部屋の時計はいじれても、テレビ画面の時刻表示は無理ですよね?」

 と、僕は運転しながら聞いた。

 有田さんが嘘をついているようには見えなかったし、嘘をつく理由もないだろう。

「松元弁護士が、自宅を出たのが11時頃。11時20分頃に事務所について、11時50分頃に事務所を出る。そして、自宅に戻ったのが12時10分頃――事務所と自宅は、車で15分くらいよね――時間的に、大きな矛盾はなさそうだけど……」

「11時50分に事務所を出て、犯行現場に向かったら、12時10分に自宅に戻るなんて、絶対に不可能ですよ」

 11時50分に事務所を出て、12時5分にマンションに到着。防犯カメラの時刻から考えて、12時15分くらいまではマンションに居たはずだ。

 この時点で、もう不可能だ。

 帰ったら12時45分くらい――猛スピードで飛ばせば、もう少し早いかもしれないが――いや、こんな計算をしても無意味だ……

「明日香さん、松元弁護士は犯人じゃないんですかね?」

「そうねぇ……」

 そのとき、明日香さんのスマートフォンが鳴った。

「もしもし?」

「桜井さんですか? 松元です」

「はい、桜井です」

「先ほど、有田さんから連絡をもらいましてね。私の疑いも、晴れましたでしょうか?」

「――そうですね」

「そのご様子では、まだ疑っておられるようですね。まあ、いいでしょう。どうしても私の犯行だというのならば、証拠を持ってきてください。まあ、無理でしょうがね。私は、犯人じゃありませんからね。それでは、失礼いたします」

「明日香さん、どうかしましたか?」

「…………」

「明日香さん?」

「明宏君」

「はい」

「絶対に松元弁護士が犯人だという、証拠を見つけるわよ」

「えっ? でも、時間的に、松元弁護士には不可能では?」

「明宏君、気づかなかった?」

「何をですか?」

「私は、4日前に起こったのことが聞きたいって言ったのよ。でも、松元弁護士は、のことで聞きたいことがあるのですかって聞いてきたわ」

 僕は、松元弁護士に会ったときのことを思い返してみた。

「そういえば、言っていたような気がします」

「私は、4日前の事件としか言っていないのに、松元弁護士は、殺人事件のことだと分かっていた――あの日、東京近郊で起こった殺人事件は1件だけよ。松元弁護士は、橋上さんの事件だって分かっていたんだわ」

「なるほど」

「松元弁護士が事件に係わっていることは、間違いないわ。なんとしても、アリバイを崩すわよ」

「はい!」

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