第2話

「鞘師警部、まずは現場を見てみたいのですが」

 と、明日香さんが言った。

 やっぱり、まずは現場を見ないと、始まらない。

「ああ、分かった。現場には、私も一緒に行こう」


 僕たちは、鞘師警部の車に乗り込むと、現場のマンションに向かった。


 鞘師警部の運転は、明日香さんの運転と比べると、安全運転だ。車に揺られているうちに、僕はまた眠ってしまった。


「明宏君。もう少しで着くわよ。起きなさい!」

 バシッ!

「ぬぉっ!」

 僕は、明日香さんに叩かれて、目を覚ました。

「なんて声出してるのよ?」

 いや、明日香さんが叩くからですよ――とは、もちろん言わなかった。

「すみません。鞘師警部の運転が、とても気持ちが良かったもので……」

「なによ。私の運転は、気持ちが悪いとでも言いたいわけ?」

 言いません。心の中で、思っているだけです。

 僕が思う、明日香さんの唯一の欠点は、運転が荒すぎることだ。

 明日香さんが、僕を睨んでいる。

 しかし……。

 怒った顔も、かわいいなぁ。

 僕が、ちょっとにやけていると、

「ちょ、ちょっと、明宏君。どうしたの? 私ったら、強く叩きすぎたかしら? ごめんなさい」

 明日香さんが、心配そうに僕を見ている。

 どうやら、明日香さんが叩いたことで、僕がおかしくなったと勘違いしたみたいだ。

 ――かわいいなぁ。

「お二人さん、イチャイチャするなら、私の居ないところで、後でやってくれないか」

 鞘師警部が、ミラー越しに、こちらを見ながら言った。

「べ、別に、イチャイチャなんて、してませんから」

 と、明日香さんが否定した。

 明日香さんの頬が、赤く染まったように見えたような気がしたのは、気のせいだったのだろうか?

 鞘師警部は、明日香さんを見て、ニコニコと笑っている。何か、鞘師警部のツボにはまるくらい、おかしかったのだろうか?

「さあ、着いたぞ。ここからは、真面目に頼むぞ」


 鞘師警部が、マンションの敷地内の隅に車を停車させると、僕たちは車から降りた。

 時刻は、もうすぐ午後3時だ。

「マンションの向かいにあるのが、伊川の働くラーメン屋だ」

 鞘師警部の指差す先に、一軒のラーメン屋があった。さすがに、この中途半端な時間では、駐車場もガラガラのようだ。

「まずは、非常階段の方を見てみるかい?」

 と、鞘師警部は、マンションの左側の非常階段を指差しながら言った。

 このマンションは、左右両方の外側に、非常階段が設置されている。被害者の橋上さんの部屋は、3階の左端の301号室だ。

「そうですね。上がってみましょうか」


 鞘師警部を先頭に、続いて明日香さんが、最後に僕が非常階段を上がり始めた。

「犯人は、ここから3階まで上がって、橋上さんの部屋に行ったんだ」

 と、鞘師警部が言った。

 伊川さんの名前を出さずに、犯人と表現したのは、やっぱり鞘師警部は、伊川さんが犯人だとは思っていないからだろう。

「ここには、防犯カメラは付いてないんですね」

 と、明日香さんが、上の方を見ながら言った。

「ああ、この階段は、基本的には外に避難するための物で、中に入るための物ではないからということらしい。もちろん、入ろうと思えば、誰でも自由に入れるがな」

 僕たちは、3階まで上がってきた。

「鞘師警部、このドアに、カギはかかってなかったんですか?」

 と、僕は、当然の疑問を口にした。

「各階とも、基本的には、非常階段のドアは無施錠ということだ。新しい建物だったら、外からは開かないドアにしたんだろうが」

「なんか、無用心ですね」

「そうだな。しかし、今まで、このマンションで空き巣の被害などが起こったことは、一度もないそうだ」

 僕たちは、非常口のドアを開けて、中に入った。

「あれが、防犯カメラだ」

 鞘師警部が指差す先に、防犯カメラが一つ設置されていた。

「向こうの端の、306号室側の非常口の所から、こちら側に向けて設置してある」

「各階に、一つだけなんですか?」

 と、明日香さんが聞いた。

「いや、1階だけは、二つある。管理人室の所から、出入口に向けたカメラがあるんだ」

「それじゃあ、一度、非常階段から下りて、入り口の方へ行ってみましょうか」

 僕たちは、非常階段の方へ出た。

「鞘師警部、本部の見解では、伊川さんは、こちらから入って殺害後に再びこちらから下りて、入り口に廻ってラーメンを届けたんですよね?」

「ああ、そうだ」

「それは、時間的に可能なんでしょうか?」

 明日香さんは、非常階段を下りながら質問をした。

「階段を駆け下りて、帽子とサングラスを外して、店の服に着替えて、入り口から入り、ラーメンを届ける。それを3分で、できるかということだな。実験してみたところ、なんとかギリギリできるという結論だ」

 僕は、その一連の行動を想像してみた。

「僕なら、息が切れて、できそうもありません」

「ふふっ。明宏君なら、そうでしょうね」

 明日香さんに、笑われてしまった。

「――鞘師警部」

「どうした、明日香ちゃん?」

「ラーメンを届けにきたとき、伊川さんに、息が切れたような様子はありましたか?」

「どういうことだ?」

「今、明宏君が言ったように、階段を全力で駆け下りたら、多少なりとも息が切れているんじゃないでしょうか?」

「そうだな。防犯カメラを見てみるか」


 僕たちは、管理人室で、防犯カメラの映像を確認していた。

「これが、3階の防犯カメラの映像だ。12時7分に、橋上さんの部屋の前に、誰かの足が見える」

 確かに見えるが、これでは誰だか分からない。

「そして12時12分だが、その1分前に、隣から子供が出てくる。そして12時14分だ」

 ドアが開いて、誰かが出てきた。やっぱり、足しか見えない。すると、子供が、その人物の方へ近づいていった。なんだろう?

「あっ!」

 僕は、思わず声を上げてしまった。その人物が、子供を払いのけた。

「鞘師警部!少し、戻してもらえますか」

 明日香さんが叫んだ。

「どうした?」

 鞘師警部は、映像を少し戻した。

「止めて!これ、カバンを持ってますよね?」

「カバンか。映像を拡大してみよう」

 鞘師警部は、映像を拡大した。

「確かに、カバンっぽいな」

 防犯カメラには、犯人らしき人物のカバンが写っていた。ビジネスバッグのようなカバンかな?

「鞘師警部、伊川さんの所持品に、カバンはありましたか?」

「このようなカバンは、なかったと思うが」

「そうですか。とりあえず、続きを見て見ましょう」

 鞘師警部が映像を再生すると、12時15分に伊川さんがやってきた。

「やっぱり、カメラの位置的に、ほぼ後ろ姿しか分かりませんね」

 明日香さんが言うように、エレベーターから降りてきたところで、一瞬だけ横顔が見えるが、すぐにカメラに対して後ろ向きになるため、この映像ではよく分からない。

「では、1階の管理人室の所のカメラを見てみよう」

 鞘師警部が、映像を再生した。

「12時14分だ。今、出ていったのは、先ほどの子供と母親だ」

 このカメラは、管理人室の真上から、出入口に向けて設置されている。しかし、これも設置角度の問題で、ガラスのドアの外までは確認できない。

 親子が出ていってから数十秒後、伊川さんが入ってきた。伊川さんは、まっすぐに管理人室に向かってきた。

「このマンションでは、来客者は管理人室で、名前や何号室に用があるのかを、記入することになっている。管理人のいない時間帯なら、記入せずに入れるがな」

「伊川さんの様子はいたって普通ですね。息が切れているような様子はありませんね。それに、たった今、人を殺してきたようには見えないですね」

「私も同意見だな」

「鞘師警部、そう思うなら、どうして逮捕したんですか?」

 僕は、当然の疑問を、鞘師警部にぶつけた。

「私が、逮捕を決めたわけじゃない。大嶋おおしま警視が決めたんだ」

 また警視か――どんな人なんだろう?

「鞘師警部、防犯カメラの映像は、この日より前の映像も確認したのでしょうか?」

「いや、伊川の犯行だろうという結論で、他の日は調べていない。明日香ちゃん、他の日に、何かあると?」

「それは分かりませんが、もしかしたら、下見に来ている可能性があるかもしれません」

「しかし、下見に来ていたとしても、非常階段から入っていれば、顔は分からないぞ」

「それでも、足だけでも写っていれば、何か分かることもあるかもしれません」

「しかし、何日前から確認するんだ? 映像は、1ヶ月分くらい残っているようだが」

 1ヶ月分、全部見るのか。これは大変な作業だ。

「鞘師警部、1ヶ月分も、見る必要はないですよ。ブロンズ像が置かれた、1週間前の映像から見ればいいんですよ」


 僕たちは、1週間前からの、3階の映像を調べ始めた。

 そして、事件の5日前の昼11時過ぎに、橋上さんの部屋を訪ねて、12時30分頃に帰っていく人物を見つけた。しかも意外なことに、その人物は、非常階段からではなく、エレベーターからやってきたのだ。

「明日香さん、エレベーターから来たっていうことは、ただの来客じゃないですか?」

 と、僕は聞いた。

 明日香さんは、少しの間、考え込んでいたが、

「鞘師警部、同じ時間の、管理人室の防犯カメラの映像を出してください」

 と、言った。

「分かった」

 鞘師警部が、映像を流した。

「止めてください」

 画面には、40代後半~50代前半くらいの男が写っていた。

「この男のようだな」

「鞘師警部、カバンを見てください」

「これは……、あのカバンか?」

 この男が持っているカバンは、犯人らしき人物が持っていたカバンに、とても似ているような気がする。

「でも、明日香ちゃん。この映像だけでは、同じカバンだと断定はできないぞ」

「もちろん分かっています。それでも、調べて見る価値は、あるんじゃないですか? それに、もう一つ、ヒントがありそうですよ」

「ヒント?」

「鞘師警部、映像の胸のところを拡大してください」

 鞘師警部は、映像を拡大した。

「これは……、バッジか?」

「ひまわりと秤のバッジですね」

 ひまわりと秤、これは、僕でも分かる。

「弁護士バッジか。しかし、どうして弁護士が、橋上さんのところへ?」

「今の時点では断定はできませんが、二人が同一人物だと仮定すると、橋上さんの記事の内容は、この弁護士の可能性が高いですね」

 いったい、どんな記事なんだろう?

 人を殺してでも、知られたくない記事とは……。

「鞘師警部、この弁護士が誰なのか、調べてもらえますか?」

 この日は日曜日で管理人が休みの日で、名前を記入することなく入ったようだ。

「分かった。戻ったら、調べておこう」

「でも、明日香さん。このときは、どうして顔も隠さないで、入ってきたんでしょうか?」

 と、僕は聞いた。

「それは、分からないわね」

 明日香さんに分からないのなら、僕には、もっと分からない。

「このときは、防犯カメラに気づかなかったんでしょうか?」

「どうかしらね。この映像を見た感じだと、そもそも防犯カメラのことなんか、まったく意識していないみたいだけどね」

 確かに、防犯カメラの位置を確認したりする様子はない。

「つまり、どういうことですか?」

「このときは、殺人を犯すつもりは、なかったのかもしれないわね。普通に、話し合いで解決するつもりだったのかもね。それが、殺人を犯さざるを得なくなった」

「なるほど」

 つまり、こういうことか。

 この日は、殺人の下見に来たわけではなくて、あくまでも話し合いで解決させる予定だった。しかし、話し合いで解決することができずに、殺人を決意した。下見のつもりじゃなかったのが、結果的に下見になったということか。

「鞘師警部、橋上さんの部屋も見せていただけますか?」

「分かった」


 僕たちは、管理人にカギを借りると、橋上さんの部屋へ向かった。

 橋上さんの部屋のカギをあけようとしたとき、鞘師警部のスマートフォンが鳴った。

「二人とも、待ってくれ。警視殿からだ」

 例の警視か。

「はい、鞘師です。今ですか? ちょっと、現場まで。はい、申し訳ありません」

 どうやら、本部の意向を無視して現場に来たことが、警視にばれたようだ。

「これからですか? しかし、明日の朝一番では、だめなんでしょうか? 課長がですか? いえ。すみませんでした。今から戻ります。失礼します」

 どうしたんだろう?

「鞘師警部、どうしたんですか?」

 と、僕は聞いた。

「すまない。これからすぐに、北海道に行かなければならなくなった」

「北海道? 北海道って、あの、北にある北海道ですか?」

 と、僕は、おかしなことを言った。

「私は、他の北海道は知らないがな。警視殿の命令だ」

「どうして急に」

「伊川が北海道出身なんだが、伊川の実家に行って、話を聞いてこいということだ」

「それって、わざわざ警視庁の警部が、行くものなんですか?」

「警視殿の命令だから仕方がない。課長も、承知しているらしい」

 鞘師警部も、不満がありそうだ。

「しかし、どうして課長まで?」

 課長といえば、僕も2~3回、会ったことがある。確か、真田さなださんだったかな。とても優しく、厳しい人だった。

「うん? 今度は、課長からメールだ」

 警視の次は、課長か。

「二人とも、すまないが、私はこれで失礼する。こちらの捜査は、君たちに任せる。部屋のカギは、管理人が帰るまでに返しておいてくれ。くれぐれも、気をつけてくれよ。危険だと思ったら、すぐに真田課長に連絡をするんだ」

 鞘師警部はそう言うと、急いで帰っていった。

「明日香さん、鞘師警部どうしたんでしょうね? 捜査を任せるとか、危険だとか」

「課長さんからのメールに、何かあったんでしょうね」

 何かって、なんだろう?

 僕は、急に不安な気持ちが襲ってくるのを感じた。

「明日香さん、このまま調査を続けて、大丈夫ですよね?」

「明宏君、怖いの? 鞘師警部が、私たちを信頼して任せてくれたんだから、私はやるわよ」

「明日香さんがやるなら、僕もやりますよ。明日香さんがいれば、怖いものなんてありません!」

 とは、言ったものの、危険って、どんな危険だろうか?

 まさか、拳銃で狙われるなんてことは、ないだろうけど。

「明宏君、管理人さんを待たせちゃ申し訳ないから、急いで部屋を調べましょう」

「そうですね。30分くらいしかないですよ」

 僕たちは、橋上さんの部屋に入った。


「明日香さん、特にめぼしい物はありませんね」

「そうね。警察が調べた後だから、仕方がないわね」

 僕たちは、30分間で調べられるだけ調べたが、本当に何もなかった。

「後は、防犯カメラの弁護士が、誰か分かればいいんですけど」

「今日は、もう帰りましょうか」

「そうですね」

 と、言ったところで、僕は重大なことを思い出した。

「明日香さん、どうやって帰りますか? 鞘師警部帰っちゃいましたよ」

「メールで迎えを呼んでおいたから、大丈夫よ」

 迎え?

「誰ですか?」

「明宏君も、よく知ってる人よ。まずは、管理人さんにカギを返しに行きましょう」


「お姉ちゃん、明宏さん、こっちだよ」

 マンションを出た僕たちを、笑顔で待っていたのは、明日菜ちゃんだった。

「迎えって、明日菜ちゃんだったんだ。どうやって来たの?」

「もちろん、車だよ」

「えっ……」

 明日菜ちゃんの運転は、明日香さんの運転とは、違った意味で怖い。一度、乗せてもらったことがあるが、死ぬかと思った。

「あれ? 車は?」

「あっちの、ラーメン屋さんの駐車場」

「話を聞くついでに、ラーメンを食べて帰りましょう」

 明日香さんの提案に、僕も大賛成だった。


「いらっしゃいませ!」

 時刻は、午後5時――夕食にはまだ少し早いためか、お店はいていた(決して、この店が不人気なのではない)。

「3名様ですね?」

「はい」

 僕たちは、カウンター席に座った。

「お姉ちゃん、明宏さんの隣に座ったら?」

「別に、いいわよ」

「何? 照れてるの?」

「うるさいわね。大きなお世話よ」

 明日香さんと明日菜ちゃんが、ひそひそ話しているが、店内の音楽のボリュームが大きくて、よく聞こえなかった。

「ご注文は、お決まりでしょうか?」

 どれにしようかな?

 僕が、メニューを見ながら悩んでいると、

「チャーシューメンを三つ」

 と、明日香さんが、勝手に頼んでしまった。

「はい。チャーシューメン三つ!」

「お姉ちゃん、勝手に注文しないでよ。まだ、決めてないのに」

 そうだそうだ。明日菜ちゃん、もっと言って。

「明日菜、ここに何をしに来たと思ってるの? 事件の調査で来てるのよ」

 いや、明日菜ちゃんは、調査で来てるわけでは……。

「そっかぁ。そうだよね。私もがんばる」

 明日菜ちゃんは、がんばらなくても……。


「美味しい!」

 明日菜ちゃんは、チャーシューメンの味に、満足そうだ。

「ありがとうございます」

 カウンターの向こうから、店主と思われる50代くらいの男性が、笑顔で答えた。

「すみません。ちょっと、お話を伺ってもよろしいでしょうか?」

 と、明日香さんが、チャーシューメンを食べながら、話を切り出した。

「はい。なんでしょうか?」

「このお店の従業員の、伊川恭治さんのことです」

 明日香さんが伊川さんの名前を出したとたん、今まで笑顔だった店主の顔が、厳しい顔つきになった。

「失礼ですが、お客様は? 警察の方ですか?」

 店主は、僕たちを鋭く睨み付けた。

「これは失礼しました。申し遅れましたが、私はこういう者です」

 明日香さんは、名刺を差し出した。

「探偵?」

「私は、探偵の桜井明日香です」

「探偵さんが、何の用だ?」

「実は、向かいのマンションの事件について、調べています。私たちは、伊川さんが犯人だとは、考えていません」

 明日香さんの一言に、店主の顔は、みるみる明るくなっていった。

「伊川が犯人じゃないって、本当かい?」

「ええ。伊川さんが犯人だとすると、いくつか不自然な点が見つかりました」

「そうか……、良かった……」

 店主は、明日香さんの言葉に涙を見せた。

 店主は、伊川さんを信じていたみたいだ。

「しかし、それは、あくまでも私の個人的な見解であって、警察を納得させるだけの証拠を見つけなければいけません。少し、質問させていただいても、よろしいでしょうか?」

「もちろんです」

「まずは、殺害された橋上さんなんですが、毎日12時に出前の電話があるということですが。いつ頃からでしょうか?」

「この店ができて、もう3年くらいだけど、できた頃からだな」

 ということは、少なくとも3年は毎日ラーメンか。

「ちなみに伊川さんは、こちらのお店には、いつ頃から?」

「もう、2年くらいだな」

「伊川さんが、以前、傷害事件を起こしたことがあるのは、ご存知ですか?」

「ええ、知ってますよ。面接をしたときに、正直に話してくれました。そのせいで、前の店を首になったようだったから。だけど、そんな昔のことで、それに大ケガをさせたわけでもないんだろう? そんなことで殺人なんて――警察は、バカげてる」

 店主は、伊川さんに前科があることを知っていて雇ったのか。優しい人だな。

「伊川さんと橋上さんの間に、トラブルなどは?」

「そんなことは、まったくないよ。もしあったら、伊川を行かせないよ」

 まあ、それはそうだろう。それに、トラブルがあったのなら、この店には、もう頼まないんじゃないだろうか。

「橋上さんは、伊川さんの傷害事件のことは知っていたんでしょうか?」

「さあ、それはどうだろうか。ちょっと分からないな。でも、伊川の方から、客に話すなんてことはないだろうし」

「最後に、事件の日ですが、伊川さんが出前を届けにいった時間は、分かりますか?」

「いや、残念ながら、忙しかったからね。わざわざ、時計は見てなかったんだ。だけど、いつものように12時に注文があったはずだから、12時10分は過ぎていたとは思うんだが……」


 僕たちは、ラーメンを食べ終わると店を出た。店主からは、なんとか伊川を助けてほしいと頼まれた。

 僕たちも、なんとかしたい思いは強かったが、今の時点では打つ手がない。

 あの弁護士が、誰か分かればいいのだけど。

 僕たちは、僕の運転で事務所へと帰った。

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