蘭学武装集団VS甲冑武者②

 草木も生えぬ蘭学荒野を半刻ほど歩くと、やがて小さな集落が見えてきた。わずかに柵があり、かつて存在した宿場町の残り香を集めたような掘っ立て小屋が数軒ある。出てきた住民たちは皆見すぼらしい格好をしており、痩せ細っていた。


「おお、五助どん。佐奈さん。隣の宿場町から食料を」

「ああ、どうにか分けてくれた。帰りの道中で威禍洲血いかずちの奴らに見つかった時は、どうなることかと思ったんだが」

「こちらのお武家様が、助けて下さったのです。こうして、お馬も貸していただきました」


 老人と孫娘――五助と佐奈に紹介され、甲冑武者は大八車を下ろして一礼した。どうやら、常は口数の少ない性分らしい。


「おおっ! それでは我々、村全体の恩人ということになりますな! ささ、ぜひともこちらへ。物は少ないですが、御礼の席を立てねば!」


 村人たちが大八車をひったくるように持ち去り、甲冑武者の手を引いて村へと促そうとする。しかし彼は手を取らず、黙したままに首を横へ振った。


「え……」

「行かねばならぬ場所がある」


 そう言うと、甲冑武者は荒野を指した。


「威禍洲血とやらの城塞。そこを滅せずして、うぬらの平穏はなかろう」

「……っ」


 村人たちは、無言で顔を見合わせた。徐々にその顔色が青くなっていく。それをよそに甲冑武者は馬へと跨がり、蘭学荒野へと向かわんとした。しかしその前に、佐奈が立ちはだかった。痩せてこそはいるが、決然とした表情からは、凛としたものが窺えた。


「待って下さい」

「何用か」


 両の手を広げる佐奈に、甲冑武者はくぐもった声で問うた。馬の前に立ちはだかるとは、相当の覚悟が要る行為である。下らぬ用であれば容赦せぬと、武者は言外に告げていた。


「蘭学荒野は、たいそう広うございます。威禍洲血の城塞、わたくしがご案内いたしましょう」


 ***


 午の刻が近づき、いよいよ日も高くなっていく蘭学荒野。草一つすら生えぬ場所を、一頭と二人が進んでいた。


「それでは、あの村は威禍洲血にみかじめを」

「はい……しかし時が経つほどにみかじめの値は上がっていき、ついにはなけなしの食料まで奪っていくようになりました」

「それでお主たちは」

「はい。このままでは生きて行けぬゆえ、隣の宿場町で食料を分けていただいたのでございます。ですが……」

「ああなった、と」

「はい」


 甲冑武者の後ろに跨る佐奈が、声を落とした。食料を手にしなくてもいずれは詰み、手にしたとしても追い回されて奪われる。その絶望たるや、いかほどのものか。


「お武家様が助けて下さらねば、私どもはどうなっていたか」

「行きがかりだ」

「だとしても、その心根がありがたいのでございます。なにせ」

「蘭学荒野は、力こそが全て、か」


 はい。少女のうなだれる声を、甲冑武者は確かに聞いた。しかしその悲しみに思いを馳せていられる時間は、長くはなかった。前方より、砂煙が迫っていたからだ。


「馬を降り、離れていろ」

「え、お武家様は」


 答える時間も惜しいとばかりに、甲冑武者は少女を促した。少女が慌てて馬から降りると、武者は携えていた弓を手に持ち、背中から弓を取り出した。つがえ、引き絞る。未だ距離は遠く、敵影は見えない。しかし。


 ひょう、ふつ。


 矢は放たれた。強力によって大きく引き絞られた矢は、放物線を描いて砂煙へと迫り……射抜いた。視界の果てで、騒擾そうじょうが起こる。遠くではあるが爆発音が聞こえ、炎も見える。なんたる精度か!


「お武家様」

「そこにいてくれ。後で拾う」


 甲冑武者は、愛馬に手綱で鞭を入れた。馬はたちまちいななき、一息に荒野を駆け出した。


「ご無事で……」


 少女の祈りの声を背に、甲冑武者は砂煙へと向かった!


 ***


 威禍洲血の先遣部隊は、混乱に襲われていた。突如飛来した矢が部隊長の車両を射抜き、横転せしめたからである。ただ横転しただけならば救いはあったが、そこへ後続の数台が突っ込んでしまったからたまらない。蘭学武装ジープ同士が衝突し、爆発炎上。消火と部隊掌握に追われ、進撃は完全に停止してしまった。


「急げ! 二の矢、三の矢が来てもおかしくないぞ!」

「雑兵が言っておった例の武者かもしれん! 備えろ!」


 先遣部隊の兵士は、先の雑兵どもよりはできるようであった。混乱のさなかに距離を詰められることを想定した彼らは、蘭学武装ジープを盾に防御戦を取ることを選んだのである。その数、おおよそ数十人。ただ一騎の武者が突破するには、難しいものと思われたが――


 ひょうっ、ふつ。


「がっ……」


 それでも武者の矢は飛来した。蘭学武装に身を固めた兵士たちの喉を、次々に射抜いていく。それも、正鵠せいこく過たずだ。蘭学銃が武者を射程に収めるよりも遠くから、敵手は精度の高い矢をもって蘭学防御線を崩さんとしているのだ。


「ぐぬぬ……」


 蘭学武装兵たちは、蘭学武装ジープに隠れながらも機を窺った。いかに敵手の射撃が正確とはいえ、放てる矢には限りがある。矢が尽きたところを進撃し、押し包む。それだけで勝利を威禍洲血にもたらすことができる。そう理解していた。そして。


「あの武者さえ倒せば、後は村を焼いて男は殺すか働かせる。女は……ぐへへ」


 兵士が、下卑た声を漏らした瞬間だった。遠くにあったはずの武者の姿が、近付き始めたのだ。痺れを切らしたのかはわからない。しかし蘭学武装兵たちは一気に動いた。


「好機! 撃てえ!」


 武者の姿が射程に入るや否や、彼らは蘭学銃をぶっ放した。ここまで好き放題にされてきた反動が、統制の弱い射撃に溢れ出ていた。乱雑に、しかし複雑に描かれた射線。しかし馬と武者は、巧みに射程の内外を行き来し、かわしていく。そして!


「ぬんっ!」


 兵たちの耳が、声を拾った気がした。蘭学銃による制圧射撃の、ほんのわずかな切れ目だった。馬上の武者が号令を発し、馬がそれに応えて跳ねた。馬の特質である疾さが、十全に発揮された瞬間だった。一息に間合いが詰まると、今度は恐怖が彼らを襲った。


「お助け!」


 兵士たちが、雑兵に堕した瞬間だった。いかに蘭学武装ジープが壁になっていようと、彼らの視覚的恐怖は補えなかった。銃を捨て、我先にと逃げ去っていく。部隊の長が、最初の爆発で意識を失っていたことも大きかった。狂気を統御できる人物を欠いていたことが、彼らの敗因だった。


「畜生、死ね!」

「消毒だ!」


 一部の踏みとどまった兵士が、蘭学刀や蘭学火炎放射器で抵抗する。しかし馬上の甲冑武者はひらりひらりと舞い踊り、射線を絞らせなかった。時に火炎放射は味方を焼き、蘭学刀は馬上の武者には届かなかった。彼らの抵抗は、空しく終わったのである。


「畜生……」


 粗方を制圧し、馬上から部隊の痕跡を睥睨する甲冑武者。しかし蘭学武装ジープから一つの影が這い出していた。部隊長と座席をともにしていた、副隊長である。彼はジープの陰にうずくまり、蘭学銃を握った。かくなる上は、狙撃しかなかった。


「絶対に撃ち殺してやる……」


 布を咥えて声を殺しつつ、脳に思考を巡らせる。彼は威禍洲血で十分に栄光を得ていた。農民だった頃には考えられぬほどの飯を食い、かつて武士だった者を数多く這いつくばらせてきた。ここで逃げれば、栄光に傷がつく。


「近付け……もそっと寄ってこい……」


 武者はすでに射程に入っている。しかし彼は、すぐさま撃とうとはしなかった。甲冑武者を確殺するには、威力と必中が必要だった。故に彼は、息を殺し続けた。二つの距離が、だんだんに迫る。そして!


「死ね!」


 声なき声で、彼は吠えた。蘭学銃の引き金を引いた。彼の主観時間が引き伸ばされ、武者へと迫る弾丸が見える。計算が正しいのであれば、いかな甲冑といえどもたやすく貫ける距離。彼は、己の弾丸が武者を撃ち抜く未来を想起した。部隊こそ引き換えにしたが、首領からの栄誉を頂くには十分な功績だ。彼は脳内にバラ色の光景を浮かべ、絶頂し……


 カァン!


 甲高い音を耳にし、一息に絶望へと突き落とされた。彼の弾丸は、大袖の傾斜によって弾かれてしまった。馬鹿な、と彼は震えた。絶対に必中、必殺の距離だったはず。そして混乱に襲われる彼に、もはや死神から逃れるすべはなかった。


「まだいたか」


 面頬に覆われた、くぐもった声を耳にする。それが副隊長の、最期に耳にした声だった。


 ***


 別れからおおよそ半刻ほど。佐奈は未だに祈りを続けていた。下を向き、思いつく限りの神仏の名を連ねていた。しかし、不意に少女は顔を上げる。蹄の音が、聞こえたからだ。

 彼女の視線には、誇らしく戻り来る甲冑武者の姿があった。

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