日曜日の午後一時
伊織
最終話
日曜日の午後一時、僕はそのカフェを訪れます。
それは、君とのデートに使ったカフェでした。初めてのデートも、最後のデートも、いつも決まってこのカフェ、この席でしたね。僕も君もこの席が大層お気に入りで、埋まっているとそれはそれは落ち込んだものでした。僕達のデートは、傍から見れば奇妙なものに映ったかもしれません。なにしろ、カフェで語り合う──ただそれだけのものでしたから。
実際、退屈でなかったかと聞かれると、僕は正直に、退屈な時もあったと答えなくてはなりません。君はどうもお話が苦手で、そして僕もお話が苦手で。午後一時に待ち合わせて午後六時にお店を出るまで(これもまた、決まりきった僕達のデートプランでした)会話と呼べる会話は数回しかなかった日もありましたね。この際、打ち明けてしまいましょう。君と話すのは、とても退屈でした。ちびちびとコーヒーを飲みながら、相槌を打っては終了する会話。そんな、どうしようもなく退屈な時間。しかし、退屈で退屈で仕方がなくても、僕も君も、日曜日の午後一時にここに来なかった事は、一度たりともありませんでした。きっと、僕達は退屈を愛していたんだと思います。互いに視線が合ったと思えば、すぐに逸らしてしまったり。会話の糸口を探してテーブルをとんとんと指で叩いてみたり。そんな君の仕草はとてもとても愛おしくて、退屈と断言できる時間も、決してつまらないわけではありませんでした。
「私には、未来が見えるの」
ある日、君が唐突にこぼした言葉です。あまりに荒唐無稽で、当然僕は信じませんでした。君がそんな冗談を言うなんて珍しいと、つい笑ってしまったのを覚えています。
しかし君の目はいつになく真剣で、いつもなら目が合えば逸らしてしまうというのに、じっと見つめてきましたね。君がこっそり打ち明けてくれた秘密は、僕の理解を超え、どうやら本当の事のようでした。
人の死や社会情勢、宝くじの当たり番号──君は何でも言い当ててしまいましたね。明日の事、明後日の事、一月後、半年後、一年後。そんな枠に収まらず、見ようと思えばその人の全てが見えるのだと、君は言っていました。そんな事ができるのならもっと自分のために利用してしまえばいいのにと僕が言っても、君は首を横に振るばかり。君には未来が見えた。だから、全ての物事に終わりがある事を知っていて、酷く臆病になっていたのです。なにせ、未来が見えるという事は、自分の命が消えてしまう日まで、分かってしまうのですから。
君は僕に言いました。この恋はもうすぐ終わってしまう、だから、ありがとう、と。いつ、どこで、どのようにして終わるのか。君は教えてはくれませんでした。何度問いただしても、君は悲しそうに遠くを見るばかり。そして、それから一週間も経たぬ内、果たして君が言ったように僕達は別れてしまいました。交通事故。死別です。確かに恋は終わった。でも、それは君の中での話です。僕の中での君への想いは消えないばかりか、喪ってからますます膨れ上がっていきます。僕の中では、何一つ終わってはいないのです。
ねえ、君。君は馬鹿です。どうして教えてくれなかったのですか。教えてくれたなら、僕はどんな手段を使ってでも君を助けようとした。いえ、分かっています。君には未来が見える。僕が助けようとする事も、失敗する事も、例え成功したとしても次はいつ失敗するのかまで、全てが見えていたのでしょう。だから言わなかった。僕には、何もできないから。それでも教えてほしかったと願うのは、僕のわがままなのでしょうか。
未来が見える君。君には、君を喪った後の僕についても見えていたのですか? こうして、君を喪った後にも、君とのデートに使ったカフェに足繁く通い詰めてしまう事も、知っていたのですか?
君がこの世を去ってから二年。最近、君の顔をうまく思い出す事ができなくなってきています。記憶の中にあった君の笑顔を探そうとしても、もやがかかっていてたどり着けないんです。僕の中から君が消えていく。君の事が好きなのに、思い出せなくなっている。君は写真に撮られる事を嫌がっていましたから、君という存在は僕の記憶の中にしかないのです。君が好き。けれど忘れていってしまう。ねえ、君。これが君が言っていた、恋の終わりなのでしょうか。
近々、このカフェは無くなってしまうそうです。そうすれば僕は、君との想い出をまた一つ失う事になる。死んでしまうと分かっていたのなら、もっとたくさんの想い出を作っておきたかった。このカフェが無くなったなら、僕は日曜日の午後一時に、する事がなくなってしまいます。でも、今は。テーブルを挟んだ向こう側に君がいるような、そんな気がするのです。
また来週、日曜日の午後一時に会いましょう。
日曜日の午後一時 伊織 @paxvesania
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます