顔⑲



 「だからもう寂しくないよ。 ともこちゃんが謝らなくていいよ」



 見開いた小さな目は、こっちをみているのにまるで作り物みたいに生きていない。


 

 それよりも。



 「今なんて言った?」


 アタシの問いにアンタはカクンとくびをかしげる。



 「なんで、アイツらの……今までいなくなった奴の名前が出てくんのよ?」



 カクン。


 

 玩具の人形みたいに首をかしげるその姿に、背筋が凍り付く!



 石川の言葉が頭の中でぐるぐるして、体が冷たいのに流れ出す足の裏の血だけが熱い。



 熱くて。


  熱くて。



 吐き気がする。



 「ねぇ、なんで『けんちー』はこの家で押し入れに入れられてあんな事になってんの?」


 脱衣所の床、血、なんでこんなに?


 こんなのアタシだけのものじゃない。



 「ねぇ、もしかして、アンタなんかした?」


 

 きしっ。


 

 脱衣所の床を太い足が踏む。



 「ねぇ、ちゃんと答えてよ」



 きしっ。


 

 微笑んだままの顔は、首をかしげて手を伸ばす。


 「もう少しなの。 もう少し……」 


 「ひっ!」


 アタシは這いずりながら風呂場に飛び込む!



 ずるっ!



 「_____っつ、あ?」



 這いつくばった手がヌルついたものに滑って、アタシはタイルの床に突っ伏す!



 なにこれ?


 服に頬に手にべたつく赤黒い鉄さび臭い液体。


 そこは赤黒い。


 むせ返る血の匂い。


 凍り付くような冷たさに吐きそうなくらいの腐った肉の臭い。


 アタシの家に比べて、広めの風呂場その中央に大きなクーラーボックス。


 そのすぐ隣には、高齢者が暮らしていたからなのか介護目的のものと思われる大き目の浴槽。


 そこからあふれかえる黒い赤い液体が、白かっただろうタイルに広がって、広がって。



 「急なお客様だったから、お掃除が間に合わなかったの」


 アタシの背後で可愛らしい声が、ぽつりと言う。



 「い、いやっつ!?」



 背後の声が怖くて、アタシはタイルの床を情けなく這ってクーラーボックスの向こうへ逃げ込む!



 「ともこちゃん」



 ぺたっ。


  ぺたっ。



 「ともこちゃん」


 

 ペタ。


 「ともこちゃんになら私の『トモダチ』見せてあげる」



 トモダチ。


  トモダチ。



 アンタは、アタシにそれを見せたくて堪らないとにこにこする。



 赤黒いタイルの上を太い足がペタリと踏んで、シャワーの所まで下がってヘたり込むアタシの目の前のクーラーボックスに手をかけて一気に開けた。



 がぱっ。



 密閉されていたゴムパッキンが、ミチミチと音を立てて開くと中から次々に白いもわもわしたものが溢れて赤黒いタイルに触れる前にふっと消える。



 ドライアイス?


 それは、アイスなんかを買ってもらうとお店の人が入れてくれるあれ。


 このクーラーボックスには、さっきの押し入れと同じくそれが沢山入っているのかふわふわとあふれる白い冷気はものすごい勢いだ。



 「えっと、みててね_____あれ?」



 白い冷気に手を突っ込んだアンタは、カクンと首をかしげて持ち上げる。



 「ひっ!?」


 それは、ふとましい手に掴まれてもうな垂れることなくその形は硬直したまま歪な指が苦痛に歪む。



  「は、やっ! 手っつ人の??」


 無意識に何かにすがろうとしたアタシの手が、蛇口に当たってシャワーが頭から水を降らす。



 「あ、ともこちゃん濡れてるよ?」



 ざーざーと降り注ぐ水滴の向こうで、昔と変わらない優しい笑顔がその手に人の腕をもってキュっとシャワーの蛇口を締める。



 「な、なにそれ……?」


 こんなに、血の匂いがむせ返っているのに。


 こんなに、タイルの床が赤黒くて流れた水も黒いのに。


 その手に持つものがどう見たって多分本物だと思うのに、アンタの顔があんまり優しいから。


 叫ぶ事も逃げ出す事も忘れて、ただ聞いた。


 冗談だよって。


 自分を苛めたいじめっ子にを懲らしめるための悪ふざけだって、言ってほしくて。


 こんなのアタシの悪い夢だって。


 

 「ぁあ、これぇ? ゆうちゃんだよ、指の形が悪いけど美味しかったでしょ?」



 無邪気な笑顔は、まるで大根でもほうるみたいにクーラーボックスに『ゆうちゃん』をぽいっと投げ込む。

 


 「おいしかった?」


 「うん! 今日のカレーのお肉はゆうちゃんだったの! この前は友彦くんだったんだけど、友彦くんはカレーより肉じゃがの方が美味かったなぁ」



 は?


 なに言ってるの?


 お肉?


 カレー?


 友彦君が肉じゃが?



 「一人じゃとても食べきれなかったから、ありがとう! でも、どんどん傷んじゃうしまだまだ月島さんのとかあるけど_____ちゃんと大事にしなきゃ」



 

 アタシの大事な友達は、あの頃と同じ笑顔で笑って懐かしい明るい声は風呂場に反響して言う。


 

 『みんな私のトモダチの一部になってくれたんだから』 



 と。



 「うぷっ……! うぇっ、ゴポッ! ビチャビチャ! うあああっ! えぼっ! コプッツ!」

 

 胃がねじれて、食べたカレーが逆流して赤黒いタイルにぶちまける。



 「きゃっ! 大丈夫?!」


 慌てたアンタは、アタシのはき出したモノなんて構いもせずに背中をさすって心配そうに顔を覗き込む。



 意味が分からない。


 

 どうして?



 「ね……自分が何してるか、わか、分からないの……?」



 カクン。


 

 優しい顔のアンタは首をかしげるだけ。



 「アタシのせいだっつ……アタシのせいで、こんなになっちゃたんだ……」



 「どうして泣いているの? 気分悪い? どこか痛いの?」



 おろおろと、しながら背中をさする手はこんなに優しいのに。

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