顔⑱


 「ぇ?」



 きょとんとした顔が、アタシとけんちーとアタシの背後のソレを順に目線で流して首をかしげる。



 アタシは、弾かれたように駆け出しぼーっとしてるそのふくふくした手を捕まえた!


 

 「ぼさっとすんな馬鹿! 逃げんだよ!!」


 「ぇ? え?」



 アタシは、毛虫みたいに蠢くけんちーを見捨てることした。


 だって、この状況であんなの運べない!


 とにかく今は二人で外へ______ガクン!


 

 玄関へ向かって駆け出そうと引っ張ったあの子の体が、後ろに引っ張られる!


 

 「ともこちゃん!」 


  

 振り向けば、包帯の巻かれた指が畳間に引きずり込もうとすごい力でその太い腕に食いこむ!


 

 「は、放せ! 放せよ! この包帯変態野郎!!」


 

 ガリッ!


 アタシは、包帯の巻き付いた手の甲に噛みつく!


 噛みついた包帯越しに、血の味が口の中に思いっきり広がて吐き気がするけどそんなの構ってられない!



 ギチッツチチチチチチチ!



 包帯男は、『ぐぐ』っとくぐもった唸り声をあげてようやくその手を放す!


 「ぺっ! 早く走っ____ぎゃっつ?」



 ぶつん!


 かけだそうと踏み込んだ足の裏に、皮を貫く激痛を感じてアタシは反射的に尻餅をつく!


 「いったっつ!? なに? いたっつ!」


 ひっくり返した足の裏に突き刺さるガラス破片みたいな物。

 深々と突き刺さった所からぬるっとしたなま温かい血が滴って床に落ちた。


 「ともこちゃん!」


 けつまずいたアタシの腕をむくむくの手が掴んで引っ張る!


 「いたっつ! まってっつ!?」


 ぎしっ。



 薄暗い襖の向こうから床に踏み出す黒い革靴。


 顔の表情すらも分からないくらいグルグル巻きにされた包帯。


 身に着けた黒い服はまるでコックが身に着けるものによく似ていて、その手には_____包丁。


 やっぱりアイツだ!


 今度こそアタシを殺しに来たんだ!


  

 くそっ! 早く逃げないといけないのに!




 忌々しい事に、玄関はその包帯男の向こう側にある。



 

 ギシッ。


  ギシッ。


 革靴は廊下の床を鳴らす。


 

 足の裏からどくどく痛い。



 「ともこちゃん!」


 名前を呼ばれて、アタシはやっと我に返る!



 「こっち!」

 

 

 太い腕が廊下の奥へとアタシを懸命に引きずって、トイレの隣の風呂場へ担ぎ込んで勢いよく戸を閉めた!


 

 「っ、」


 「ぁ"あ、ともこちゃん大丈夫?!」



 真っ暗で冷たい風呂場の脱衣所の中で、ふとましい体がわたわたしているのが分かる。



 「動かないで、足、踏まないでよ、つか、電気つけて!」


 「あ、うん、」

 

 

 パチッ。



 真っ暗だった脱衣所の電気がつく。


 

 真っ赤。


 多分、アタシの足から出た血で脱衣所の床は真っ赤な足跡がいっぱいだ。



 汚してごめんって思ったけど、今はそれどころじゃない!


 い、痛い。


 ガラス、ガラス抜かなきゃっ!



 「た、タオルっ!」


 「う、うん!」


 アタシは渡されたタオルを足にかぶせて、その上から刺さったガラスを掴んで一気に引っこ抜く!



 「っつっつ!!」


 「ぁ、あ、あ!」


 「うざい! 騒ぐな! 痛いのはアタシ!」


 

 おろおろしっぱなしのアンタは、血が出るアタシの足にタオルをまこうとする。



 「大丈夫、それ、自分でするから……アンタは戸を塞いで!」



 アタシに怒鳴られたアンタは、ビクンと体を震わせて慌てて洗濯機の側にあった洗濯籠を戸の前において取りあえず手で押さえてびくびくしてる。


 手で押さえるだけって……これじゃ、いつ開けられてもおかしくないって_____思ったけど、戸はこじ開けられる気配はない。


 

 なんで?


 外で立って……待ち伏せてるの?


 ここは風呂場で、もう逃げ場なんてないからアタシ達……アタシが出てるまで待ってソレでやろうっての?

 

 けど、なんでこんな所に包帯男が?


 それに、なんでこの家に行方不明になったけんちーが……あんな……あんな状態で押し入れに?


 足の裏がドクドク言って。


  熱くて。


 熱くて。


  痛い。


   痛い。



 真っ赤に染まったタオルが痛い。



 「ごめん」



 「ぇ?」



 ぼーっとしてたら、それは素直に口から出た。


 

 「いままでゴメン……」


 「……」


 「あんな事があって、アンタには関係ないのにアタシ無視して文句言って……ごめんなさい」


 「……」


 振り返った丸い顔はカクンと首をかしげる。


 

 「違うと思う」



 脱衣所に響くキンっとした冷たい声。



 「ともこちゃんに怖い事をしたその人の事は良く知らないけれど、私が嫌われるのはともこちゃんの所為じゃないよ」



 ニキビまみれの顔がにっこりとぎこちなく笑う。


 本当に知らないの?



 「皆ね、私の事が嫌いの、ママもね私を見ると嫌な事しか思い出さないってお家を出て行っちゃたし、お婆ちゃんも死んじゃうまで私の所為でママが壊れたと言ってた」



 母親が壊れた。


 アタシはお父さんの言っていた『それにあの子の母親だってあの男の被害者じゃないか』という言葉を思い出した。


 

 「_____!」


 

 脳裏に浮かんだおぞましい想像。


 まさか、この子の母親はあの男の被害者だったの?


 だから、母親に疎まれて?


 無意識に体が震える。


 アタシ、何てこと!


 お母さんが騒いで、酷い事になって、アタシが避けて、皆にそれが広がって、アンタを……アンタに……。



 「私はいつも一人で、クラスの皆もゆうちゃんも友彦くんも月島さんもみーんな離れて行っちゃった。 けれど、今は『あの子』がいるから大丈夫」

 

 え?

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