顔⑫


 ビクッと怯える脂肪。


 ああ!


 くそっつ!


 いつもの癖でっ!



 「ぁ、ちがっ、なんていうか……アンタに話があんのよ!」


 「はなし……? ともこちゃんが……私と話ししてくれるの?」



 長い前髪から覗くまんまるの顔がカクンとする。



 「話くらいいつもしてるだろ? 何言ってんの?」


 「ううん、こんなの久しぶりだよ? ちゃんと言葉を返してくれるの……」



 いつも無表情だった顔が、ふにゃっとほほ笑む。


 それは、あの頃と同じアタシが好きだった優しい笑顔。


 アタシなにしてたんだろう?


 アンタが、あの変態にそっくりだなんてなんで思った昔の自分が許せない。


 アンタに酷いことをし続けている今のアタシが許せない。


 「ともこちゃん?」


 「……なんでもない」


 黙り込んだまま立ち尽くしていると、どんどんあたりが暗くなる。


 「もう、暗いよ? お家まで送ろうか?」


 あの日と同じような言葉……どうしょうもなく胸がイタイ。



 あの時、アンタの言う通りにしておけばこんな事にはならなかったのに。



 「今日は……かえりたいく……ない」


 身勝手なアタシの答えは前と同じ。


 そんなアタシを、アンタに酷いことしたアタシの言葉にぎこちなく笑って家に入れてくれた。


 真っ暗な玄関先。


 すぐに灯りをつけてくれたけど、その家の中はしんとまるで人の気配を感じない。


 「家、だれもいないの?」


 「うん」


 アタシの背をむける声は、さも当然と答える。


 「今日は誰かいないの? お母さんは?」


 「今ね、ここには私だけがすんでるの」



 え?


 

 「それって……?」


 「さ、あがって……嫌じゃなかったら晩御飯も食べていく? 昨日、カレーを作ってみたんだけど一人じゃ食べるのが大変なの」


 そう言われて、やっとアタシはこの家に充満するカレーのスパイスの匂いに気が付く。


 「カレー……うん、たべる」


 「わかった準備するね」


 

 台所に通されたアタシは、テーブルで待っているように言われたので大人しく腰かける。



 ……本当に誰もいない。


 冗談かと思ったけど、本当に家に一人で暮らしてるのかな?


 廊下とこの台所までしか通ってないけど、なんだかものが少なくてガランとした感じ。


 少なくとも前来たときは、もう少しごちゃごちゃしてて少し散らかってたけどウチの家とは違って温かい感じがした。


 ぼーっとした感じのお母さんにぽやんとしたお爺ちゃんにびしっとした感じのお婆ちゃん。


 ギスギスしたうちに比べて……すごく羨ましかったのを覚えている。


 でも。


 何だか今日は、ガランとして寂しい。


 まさか本当に一人で?


 なんで?


 もしかしたら、お爺ちゃんもお婆ちゃんも……アレだとしてお母さんは?


 子供を一人にしておくなんて!


 

 カチャ。



 「ぁ、紅茶っ……知り合いの喫茶店のなの、お、おいしいからカレーが温まるまでのんでて」


 ボーっとしている所に置かれた紅茶にビクッとしてしまったアタシにびくびくしながら差し出すふくふくの手。


 ぁ、また怖がらせた。

 


 「さ、砂糖とレモンこれね」


 「……うん、わかった」


 ぁああ、『今までごめん』そんな簡単な言葉が出てこない。


 言わなきゃ!


 そう思うのに……!


 紅茶を飲んだけど、体が温まる以外テンパってて味とかわかんないし!


 コトン。


 白い器にカレー。



 「ご、ごはんの量多かったかな……?」


 「……」


 「ぁ、大丈夫だよ、ぶ、ブロッコリーは入ってないから、うちはカレーにはいれないから!」

 

 え?


 「……いま、なんて?」


 「ぇ、ぁ、ともこちゃんブロッコリー嫌いでしょ? 前に言ってたよね? ち、違ったの?」

 


 アタシは首を振る。


 間違ってない。


 前って、そんな昔の事覚えていてくれたの?


 ウチのお母さんでも覚えてない事、覚えていてくれたの?



 「ともこちゃん?」


 

 がっ!


 もぐっ!



 アタシは、返事の代わりに目の前のカレーにスプーンを突っ込んで口に運ぶ。



 え? ちょ、何これ、美味しい!



 「辛くないかな? 習ったレシピ、大人の味だから……」



 ごくん……。



 ん?


 アタシは食べるのを止めて、じっとカレーを見る。


 

 美味しい……もしかしたら今まで食べたカレーの中で一番かもしれない。


 けど、ちょと気に入らいなところがあるとすればこの歯に絡んだ肉の筋っぽい感じ。


 少し油っぽい感じがするけど、油は甘い。


 脂身の所に辛めのカレーのルーが染みて、美味しいんだけど何だか歯に掛かるけど……うん、そんなの関係ない。


 こんなに美味しいんだから、食べさせてもらって肉にまで文句つけるなんて失礼だ。



 「おいしい、アンタって料理得意なんだ……」


 「ううん……料理を習ったのは最近なの、それまではインスタントばっかりだったよ」


 「へぇ……アンタは食べないの?」


 「うん、たべるよ」



 また食事を再開したアタシの正面に座って、自分の分のカレーをほおばる丸い顔。


 久しぶりに。


 本当に久しぶりにアタシはこの子と向かい合う。


 すっかり変わってしまった関係、青沼さんから言わせればアタシは加害者でそっちは被害者。


 きっと、今この瞬間にもアンタは怖がっているそう思うと本当に申し訳ない気持でいっぱいだ。


 にこっ。


 え?


 カレーからちらっと視線をあげた顔が唇を釣り上げる。


 それは、いつも怯えた表情か見せないこの子が久しぶりに見せた笑顔。


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