腕⑥


 「…別に…ちょっと家の手伝いをしてたの…」


 「手伝いって、何てつだったらそうなるんだよ…?」


 ゴキブリはそっと俺の手をはなした。



 「ありがとう…すごくきれいだった…」

 

 「へ? ああ…?」


 

 放して腕をめっちゃガン見してくるゴキブリ。


 キモイ。


 つか、手がきれいとか言われても微塵も喜べないし!


 俺は、ゴキブリの提案どおり先に倉庫をでて教室にむかう。



 これ以上、ゴキブリに関わるのはアウトだ…いや、もうアウトなのかもしれない。


 そう思うと、もはや後悔しかわかないけど仕方ない…。



 ずきっ。


 う…なんだか足がどんどん痛くなる…そう言えば痛み止めは教室だったか…?


 ずき。


  ずき。


 「だ、駄目だ…いてぇ…!」


 俺は自力で階段を上がるのは諦めて、保健室へ向かう。


 

 「ちっ…先生いないのかよ…」


 ドアに掛かる先生不在の札。


 諦めて教室に戻ろうとした時だった。


 「どこ行ってたの? 友彦くん」


 背後からの声に背筋がビクッと跳ねる。


 「ともこ…」


 誰もが可愛いと認める顔が俺の後ろで笑ってた。





 そこから数日。


 俺の世界は一変した。


 ああ、これが殿城の味わったものなのか…と、妙に冷静になれたのが唯一の救いだ。


 行方不明の殿城は相変わらず見つかってはいないが、俺とゴキブリを除き教室はいつもの平穏を取り戻して…いや、ゴキブリにとってはコレが日常なんだろうか?


 教室端で、いつものようにともこの手下にからかわれるゴキブリをみて思う。


 あの日から、勉は俺に一切話しかけなくなった。


 というか、クラスメイトは俺がまるで存在していないかのように振る舞う。


 いきなりの事に驚きはしたが、ゴキブリの扱いに比べてたらいくらかマシで足を引きずる分誰の介助も得られない不便は仕方ない。


 こんなもの、もう仲良しこよしの演技をするのに疲れた俺には都合がいい。


 ただ、この怪我でバスケが出来ないのが一番苦しい。



 キーンコーン

    カーンコーン


 放課後、俺は帰りの準備にもたつき教室から最後に出る羽目になった。


 面倒くさい。

 

 最後の奴は教室のカギを職員室にまでもっていかねばならない…下駄箱の反対側に階段を下るのかと思うと気が重い。


 

 「友彦君…」


 教室の戸に鍵をかけ、ひょこひょこ廊下を歩いて階段を一段一段たっぷり時間をかけて降りていると上のほうから澄んだ声が俺を呼んだ。


 見上げれば、でっぷりとした赤黒いニキビ面のゴキブリがぼんやりこっちを見ながら立っている。


 その顔はいつもの通りおどおどとしてイラつくが、何を思ったのかゴキブリはどしどしとその太い足をういごかして階段を俺の所まで降りてきた。


 「鍵…職員室まで? 私がかわるよ」


 おずおず伸ばされてる手。


 ボロボロだ…。


 それは、この前倉庫で見た時よりも豆だらけで皮がめくれ血が滲み範囲が広すぎてテーピングすらも痛々しく見える。


 キモチワルイ。



 「…自分で持ってく」


 俺はゴキブリに言う。


 「職員室まで遠いよ? 足痛いんでしょう?」


 断る俺に、食い下がるゴキブリ…コイツこんなにしゃべる奴だっけ?


 いや、もしかしたら俺がこんな目にあっているのは自分の所為だから気を使っているだけなのか?


 俺は、こちらに差し出されたままのボロボロの手の平にそっと教室の鍵を乗せた。


 ちょん。



 げっ!


 鍵を渡す瞬間、俺の指先がほんのちょっとだけ固いめくれた皮に触ってしまった!


 

 にたり。



 てかてかの髪の割れ目から笑う唇。


 

 「…じゃ、かえしとくね…気を付けて帰ってね…」


 

 そう言って、もそもそ丸い背中が去っていく。


 

 「気持ちわりぃ…」


 それは素直な感想だ。



 「こらこら、手伝ってくれた子にそれはないだろう?」



 突如背後からした声に俺の心臓が跳ねる!



 驚いて振り向くと、背後にいたのは高島コー…先生。



 ぽこっ。


 

 高島先生は、筒状に丸めたポスター見たいので俺の頭を叩く。



 「…すんません…」


 「謝るのは俺にじゃないだろ? あの子にだろう?」


 

 高島先生のいう事はもっともだ…俺は、ゴキブリに…アイツにちゃんと礼を言わなきゃ…いや、謝らないと…無視してごめんって、知らないふりしてごめんって…。



 「高島コーチっ、じゃなくて先生…俺ちゃんとするよ!」


 「ああ、そうすると良い…お前があの子の友達になってやれ」



 俺は『ハイ!』と答えて杖をついた。


 「ここ…?」


 スマホ片手に俺は息をつく。

 

 目の前には古びた平屋。


 地図のとおりならここが多分、ゴキブリの家…で、隣のアパートが殿城の家かな…?


 殿城のいなくなったアパートは、夕日に照らされて心なしか寂し気に影を作る。


 「殿城…」


 俺は気を取り直して、その隣の平屋に目をやった。


 ここがゴキブリの家…夕日を浴びているせいなのか古ぼけた感じが際立ってまるでお化け屋敷のようではっきり言って不気味だ。



 「…ビビってる場合じゃねぇ…」



 ここに来た目的。

 

 それは、ゴキブリに謝る事。


 ちゃんと礼をいう事。


 そして、今までの事を許してくれるなら友達とまでは行かなくても…近いくらいにはなりたいと思ったから…。


 それなら明日にでも学校で言えばと思ったが、今日は金曜日。


 今日を逃せば土日と休みを挟んでしまう…情けない話、俺は弱い…もし休みでも挟んでしまったらこの決意も揺らいでしまうかもしれない…いいや揺らぐ。


 そう思ったから。


 

「迷惑だろうな…」



 家まで押し掛けるなんて、こんなの俺の都合でしかないからな。


 

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