腕⑦


 「友彦君?」


 ゴキブリの家の前でなかなかチャイムを鳴らせずにいる俺の背後から可愛い声。


 「どうしたの? うちの前で…?」


 「ぇ、いや…ぁ…!?」


 振り向いた俺は言葉をつまらせる…それはゴキブリの背後。


 背の高い大人の男人?


 何故『?』なのかと言うと、その人は顔面に包帯をぐるぐる巻いていて顔が分からない…けど黒のコックっぽい服に体格はひょろいけど俺の親父よりも背も高い。


 ゴキブリのお父さん…なのか?


 もぞり。


 包帯の口元が動く…沈みかけた夕日に影が出来てまるでホラーに出てくる怪物のようで普通に怖い。


 「…うん、ありがとう…またね」


 ゴキブリがそう言うと、その包帯グルグル男はくるりと背を向けて歩き去っていく。


 「…あれ、誰?」

 

 「『包帯さん』だよ」


 「は? なにそれ?」


 「包帯さんは包帯さんだよ…それよりもどうしたの?」


 ゴキブリに聞かれて俺は口ごもる…そうだ、今はそれどころじゃなかった!


 「…ぁ、いや…俺…」


 「あがって」


 「ぇ?」


 「立ち話じゃ、足つらいでしょう? ウチにおいでよ」


 

 ゴキブリに言われて、俺は痛み止めが切れかかっていた事を思い出してギプスの中がじんとした。


 「ああ…おじゃまします…」


 「どうぞ」


 ゴキブリが、ポケットからカギを取りだし戸をあけ『ドア、支えるから先に入って』とうながされるまま俺は松葉杖をついて中に入る。


 え?


 入った玄関先。


 そこには無数の木の板が、無造作に置かれて松葉杖が引っかかるくらいに狭い!


 「上がって、上がって、今玄関が狭いの!」


 「え? おお?」


 ゴキブリにせかされて、俺は玄関をなんとか上がる。


 「ごめんね! いまうちの廊下を直しているの!」


 ゴキブリが言う。


 言われてみれば、ゴキブリの家の廊下は綺麗に板が貼られているが靴下の裏からの感触はどことなくけば立っているような気がする。


 「まだ、フローリングニスを塗って無くて…へんな感じするでしょ?」


 ゴキブリはすまなそうに笑う。


 「…もしかして、家の手伝ってコレ?」


 「うん! この家もう何年も手入れして無くて廊下もシロアリだらけだったから少しずつだけど直してるの!」


 ちょ、え? コレ、お前が直してるの??


 「一人で…作ったのか…?」

 「うん! これで!」


 ゴキブリは、そう言って木の板の山から突き出していた棒のようなものを引き抜く。


 ざりっ!

   びよぉぉぉぉん…。


 っと、間抜けな音を立ててそれは姿を現した。


 「のこぎり…? でっけーな…」


 「…慣れるまで時間がかかっちゃったけど、コレよく切れるんだ~♪」


 よく笑い。

 よく笑う。

 よく通る可愛い声。


 学校でなんて絶対にみられないこんな…元気のいい…まるで普通の女子みたいなゴキブリ。


 本当のお前ってこんな感じなんだな…知らなかった…。


 「あ、立ちっぱなしでごめんね! こっちこっち♪」

 

 「ああ…ぁ、杖…」


 上がろうとした俺は、杖の先が泥で汚れていることにきがついた…そう言えばここに来る途中に昨日降った雨にで出来たぬかるみをうっかりまたいでしまった事を思い出す。


 「…そうだね…嫌じゃ無ければそこの傘立てにたてて…私が台所の椅子まで連れて行ってあげる…」


 ゴキブリは、おずおすとその豆だらけの手を俺に伸ばす。


 手を取れって事か…。


 俺は、自分でも驚くほどすんなりとその手を取った。




 「さ、この椅子に座って♪」


 「ぁ、おう…」


 俺は、ゴキブリに手を引かれるまま椅子に座らされる。 


 ずきっ。


 …ぁっ…不味い足がクソ痛ぇ…本格的に痛み止めが切れてきたらしい…薬はズボンのポケットにある…水、水もらえないかなぁ…?


 ぎしっ。


 ゴキブリは、俺の座るダイニングテーブルをはさんだ正面の椅子にすわる。


 「…ところで友彦君、今日は私に何か用?」


 学校とはまるで別人のような明るい声で聞きながらゴキブリは、テーブルの中央に置かれた丸い木の菓子箱を開けて俺の前に押す。


 「ぁ、うん、俺、お前に謝らなきゃ…て思って…」


 「え?」


 俺の言葉にゴキブリはカクンと首をかしげる。


 「ぃや…今までさ、お前が虐められてる知ってて無視してごめん」


 カクン。

 

 「…助けてくれたのにちゃんとお礼も言えてなくてごめん」


 カクン。


 「…足を折った時、助けてくれてありがとう…」


 カクン。


 俺は首をかしげるばかりのゴキブリに、誠心誠意に謝罪と感謝を伝えるけどなんだか伝わってないっぽい!


 無理もないか…いきなりだもんな…。



 「何を言っているの?」


 カクン。

  カクン。


 っと、人形みたいに首をかしげるゴキブリはよく分かってないっぽい。


 「ぇと、だから…」


 「みんなが私の事、嫌いで喋りかけないって当たり前だし無視されるのも当たり前だもの…友彦君がなんで謝るの? それに…」

 

 ああ…コイツ、今までまともに友達とかいなかった口だからわかんねぇって感じなのか?


 「私が友彦君を助けたのは親切なんかじゃないよ? 私は友彦君みたいに良い人なんかじゃないもの」


 え?


 「だって友彦君の手、すっごくキレイなんだもん♪」


 ゴキブリはニコニコそう言って、じっと俺の手をみた…。


 手…手って…!!


 だめだコイツ…あんまりにもぼっちすぎたからなんか色々歪んでる!


 高島先生…俺、俺がコイツをなんとかしなきゃ…!


 「…て…手ね…そんな体の一部よりもっと…そう、俺と友______」


 

 プルルルルルル!

   プルルルルルル!


 その時、玄関の辺りかだろうか?

 

 ゴキブリの家の電話が鳴る。


 「ぁ、ごめんね! ちょっと電話に出てくるからお菓子食べて待っててね♪」

 


 どすどすと遠ざかるゴキブリの足音。


 俺はしんと静まり返った台所に取り残される…。


 「はぁ…」


 『俺と友達になろう』…こんな簡単な事が何故言えないのか?


 目の前のお菓子箱から俺は飴を取って袋を破って食う。


 げ、レモン味…あんま好きじゃない。


 …暇になったけど、この足じゃ椅子から立つのもメンドイので俺は飴を舐めながら辺りを見回した。


 食器棚・この食卓机・洗い場にコンロに冷蔵庫。

 

 俺の家のごちゃごちゃ台所とは違って、なんだかすっきりした物の少ない感じだ…ソレに…この床…足に感じるけばけばした感じ…コレは廊下と同じニスが塗られていない感触。


 「マジかよ…ここまで自分で直したっていうんじゃないだろうな?」


 もしそうなら段々酷くなるあの手の豆にもうなずける、つか、なんで一人でこんな事を?

 

 お父さんかお母さんは何も言わないのか?


 つか、アイツ器用すぎゃしねーか?


 「マジなら…素直にすげーわ…俺なんて釘一つまともに打ったことねーのに…」

 

 意外なゴキブリのDIY能力のレベルの高さに、俺は感心す_____ずきっ。

 


 「っ…足っいてぇ…」


 ゴキブリがいなくなって、緊張がとけたから折れた足が痛かったことを思い出す。


 「薬…!」


 ポケットから痛み止めを取り出す…水…コップ…。


 テーブルの上にはお菓子箱しかない…コップはシンクの隣の水切りの上にある…水…水な…。


 俺はシンクの蛇口を見てげんなりする…ゴキブリの家の台所は決して汚くはない。

 

 家の外観もすごく古くてぼろいけど、今見る限りすごくよく片付いて無駄がないけどやっぱりその古さはどんなに掃除をしても目についてしまう。


 この白く錆びた蛇口のように。


 洗い場のシンクの蛇口は、俺が見ても分かるくらい型が古く石灰みたいなものがこびりつき水の出口は茶白く変色してしまっている。


 「マジかよ…こっから水とか飲みたくない…」


 俺の家は蛇口に浄水器をつけているので、水道の水をそのまま飲むのはかなり抵抗がある…と言うか多分そのままとか飲んだら俺は腹を壊すだろう。


 参ったな…冷蔵庫になにか飲める物はないだろうか?


 この際、お茶とかジュースでもいいから早く痛み止めが飲みたい!



 俺は、足を引きずりながらなんとか椅子から立ち上がって水切りからガラスのコップを手に取って隣の冷蔵庫へと移動する。


 「…」


 人んちの冷蔵庫を開けるかのは気が引ける…けど、俺の足はもはや限界だ!


 薬…薬、飲んだらゴキブリに謝ればいいよな?


 俺は目の前にある大型冷蔵庫の戸を開けた。


 がぱっ。


 「…………な…?」


 冷たい風。


 オレンジの光が照らすソレが何なのかよく分からなくて、俺は固まる。


 真っ白…いや灰色がかっているのか?


 大きくてそれだけで冷蔵室はみちみちで、他には何も入れられない。


 肉?


 何の動物?


 どこの部分だ?


 パリン!



 「ぁ…ぁ……!!」



 ガタン!

   バタン!


 手からコップを落とした。

    割れた。

      足が震えて。

  滑って、転んだ、椅子が倒れた!



 「ぅ…ぁ? ぇっ?」



 嘘だろ?


 

 「友彦君」



 背後で可愛い声が俺を呼ぶ。



 「友彦君…みちゃったんだ?」



 みちゃった?



 「この子は私の『トモダチ』なの♪ 可愛いでしょう?」



 トモダチ? 



 「そっか! まだパーツがそろってないから友彦君にはよく分からないよね♪」



 明るい声が何か言う。


 もう殆ど言ってることなんて意味が分からないけど、『私のトモダチ』ゴキブリはそう言った。


 ゴキブリのトモダチ。


 最後にゴキブリにそう言わせる人物は…。



 「とのしろ…殿城なのか…っ?」



 俺は目の前の現実を直視する。


 冷蔵庫の中のそれは、殿城だった。


 但し、そこにあるのは肉…平たく言えば『胴』の部分。


 頭も腕も足も無い…あったはずのそれらの部分はどす黒くなった肉を見せている。



 「どうして…? 殿城はお前の友達だったじゃないか…?」


 「ちがうよ」



 背後で明るく声が言う。



 「ゆうしゃんはね、私と友達したくないって言ったの…でものね、ゆうちゃんがこうなったのは私の所為じゃないよ? だって、ゆうちゃんったら自分で転んで死んじゃったんだもん! 死んじゃったんだかからもうお肉はいらないでしょう? だからこの子はゆうちゃんじゃないの私の『トモダチ』なんだよ♪ 私ね、この子に新しい頭と腕と足をつけてあげたいの!」



 ぎしっ。


 背後で床が軋む。 


 ずしっと、俺の肩に手が乗る。


 逃げなきゃ…逃げなきゃいけないのに体が動かない。


 目をそらしたいのに冷蔵庫の『トモダチ』から目がそらせない。


 「おまえ…お前がやったのかよ…?」


 「なにが♪」

 

 「手とかさぁ…頭とかさぁ…何でないんだよぉ!!」


 ここまで来てもさ俺は思ってた、願ってた、ゴキブリがやったんじゃないって!


 「うん! コレで要らないとこは切ったの♪」


 ざりっ…びよぉおおおおん…♪


 「だって、あの足も手も顔も私の欲しい物じゃなかったんだもん♪」


 肩に置かれた手がするっと滑って、俺の左手を触る。


 「ふふ…友彦君が足を怪我して良かった…バスケットなんてしてたらずっと突き指とか爪とかが割れてこんなにキレイに保てなかったもん…」

 

 「なぁっ…! 警察いこう…お前変だよ! 殿城に謝れよ! どうしてこんなことして平気なんだよ!」


 「アヤマル? ケイサツ?」


 ゴキブリはまるで壊れたロボットみたいに、俺の言葉を繰り返す。


 ざりっ!



 「う、ぎゃああああああ!!」



 肩! 肩が!! 削られた!?




 「だめだよ? 動くと上手く切れないよ?」



 ゴキブリの手に握られたでかいノコギリ…焼けるみたいに肩が痛い…痛いい!!



 「何で?! なんでっつ??」



 這いずる俺にほほ笑むゴキブリは首をかしげる!



 「ぁあ、そうだった…切る時は動きを止めるのが先だよね♪」



 ゴキブリはそう言って、手にしていたノコギリをテーブルに置いた!



 「うわああああああああああ!!!」



 ばきん!



 ゴキブリが俺から目をそらした瞬間、俺は必死に立ち上がって近くにあった椅子を持ち上げその頭目がけてフルスイングする!


 鈍い音がして、ボールみたいに跳ねる頭。


 やり過ぎたかとも思ったけど、今はそれどころじゃない!


 逃げなきゃ!


 こいつは初めから、俺の腕を切って…殿城の、殿城の『胴』につけようと…イカれてる!


 急がなきゃ!

 

 警察に知らせないと!


 俺は痛む足を引きずろうとしたが、いう事を聞いてくれなくてその場にすっ転ぶ!



 「いてぇ! いてぇぇよ!」



 「と…もひこ…く…」



 頭から血を流すゴキブリがこっちに手を伸ばしてる…!



 「うわああああああああああ!!!!」



 俺は、立ち上がる事すら忘れて赤ん坊のように床を這う!



 「はっ、はっ、はっ、はっ、げん かん そとっ! そとにっつ!!」



 怖い怖い怖い!

 

 息が出来ない!!

 

 台所の戸をなんとか開けて廊下出た! 

 

 遠い!

  遠い!


 立てない走れないのが、目の前に見える玄関が遠く感じさせる!


 ガタン!

  ガタタタタ!!



 「なんでっつ?? なんであがなっつ???」



 転げ落ちるように玄関にたどり着いた俺は、すぐさま外に出ようとするけど開かない!



 「鍵っつ! 何だよコレっつ!? どうやって開けんだよっつ!!」



 何だコレ!?

 

 棒みたいのが刺さって戸が閉まってる!



 「抜けねぇ! 何でだよぉおお!!」



 ガンガン!



 「誰か! 助けて!!」



 ぎしっ。



 「とーもひこくーん♪」



 明るい声と錆びたハンマー。



 「ぁ」



 ぐしゃ。



 「あぐっ…」



 ぐしゃっ。

   ぐしゃ。

  ぐしゃ。


     べちゃ。



 「あーあー玄関が真っ赤……お掃除が大変だね♪」




 血まみれのゴキブリはにっこり笑った。








 「お風呂場♪ お風呂場♪ よいしょ♪ よいしょ♪ うーん、重いね友彦君♪」


 玄関が真っ赤。

 でも血がついたのは玄関のタイルと戸のガラスと靴箱と…あーライトも少し。


 「うーん…あと廊下もぉ~お風呂場まで血だらけになるね…」


 でも、今は…ふふ♪


 お風呂場に友彦君を入れてー用意しておいたおっきいクーラーボックスの上に寝かせて…腕を…腕…やっと、やっと手に入るんだ! 


 腕♪

  腕♪

 桜色の爪♪

  ほっそりした指♪

 きれいな白い腕♪

  

 あ、少し腕の毛が気になるからパパのおいて行ったT字シェーバーで綺麗にしてそれから♪


 ごりっ。

  ごりっ。



 「…! …!」

 

 「あれ? まだ起きてるの? こんなに頭がボコボコなのに…」



 でも、目がぐるぐるしてるからもうわからないね♪


 ごりっ。

  ごりっごりごりごり…ゴトン。



 「…! …?」



 「なぁあに? 私、別に友彦君の事嫌いじゃないよ? どうしてって聞かれても…」



 「… … …」



 「みんないつかは死ぬから、きっと友彦君はたまたま今日だったてだけだよ♪」


 ゴトン。

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