腕⑤


 そりゃそうだ。


 机が無くなるだなんて結構事件だし、それなのにたった二人…と言うかケガ人の俺と二人で机を貰いに来るなんて変だから高島先生の反応は正解だ。


 「聞いてないな…お前らの先生にはちゃんと言って出てきたのか?」


 この反応も正解。


 俺はゴキブリを見る。


 さぁ、言ってやれよ!

 チャンスだぜ?

 高島先生に『いじめ』の事を言って助けてもらえ!


 「どうした? なんで何も言わない? 本当に机が無くなっただなんていうなら____」


 「はい、すみ子先生に机を探して来なさいと言われました」


 澄んだ声。


 俯いていたゴキブリは、顔を上げて真っ直ぐ高島先生の目をみて言った。


 「そうか…担任の先生には許可を得ているんだな?」


 「はい」

 

 「しかし、なんでまたケガ人の友彦と二人なんだ? ほかに手伝ってくれる人はいなかったのか?」


 「…先生、私はもう6年生です。 来年には中学生です…机くらい一人で運べます」


 ゴキブリのはっきりとした言葉に、高島先生も『たしかにな…』っと頭を掻く。


 「友彦くんは、親切でここまで案内してくれたんです…」


 え?


 コイツなに言ってんだ?


 どうして、『助けて』と言わない?


 「まぁ、担任が把握しているならいいだろう…すみ子先生も『あの件』で随分心を痛めているからな…丁度、倉庫からボールを出したから鍵は開いている机はマットの裏に積んであるからもっていきなさい。 持っていくのは一人分だな? ちゃんと自分で運べるか?」


 「はい、大丈夫です」


 それだけ聞いた高島先生は、『気を付けて運びなさい』とだけ言ってガラガラと体育館の中へと入っていしまった。


 「…おい…お前、なんで…?」


 「先生なんてなんの役にも立たないよ」


 ゴキブリは、体に似合わない可愛い声で無機質に言うとスタスタと備品倉庫へと向かう。


 「お、おい! 待てよ!」


 俺は、そのあとを痛む足を引きずりながら追いかけるがゴキブリは先程までのゆっくりとした歩みとは違いかなりの速足で俺を突き放しながら備品倉庫へと入っていく!


 がらっ!


 「まてっつてんだろ!」


 ひんやりとした薄暗い備品倉庫。


 ごのごちゃごちゃとした中にゴキブリが俯いたまま突っ立っている。


 「…親切にしてくれてありがとう」


 ゴキブリは言う。


 「でも、これ以上私に構うと友彦くん…みんなから酷い目にあうよ…『ゆうちゃん』みたいに」


 薄気味悪い備品倉庫の中心で、薄気味悪いゴキブリが心配そうに俺を見た。


 怖い。

 正直言って、ゴキブリの言う通りそれは怖い。


 ここで、『そんなことない』とか『大丈夫』とか『俺がお前の友達になってやる』とかどこかの安っぽいそれ系の漫画や小説みたいに決め台詞を言ってヒーロー気取るなんて俺には出来ない。


 既に心中はともこに逆らった時点でいっぱいいっぱいで、正直やらかしたって大後悔しているんだから!


 けれど…!


 「昨日、助けてくれて、その、」

 「気にしないで、勝手にしたことだから…」

 「いや、あ、なにか礼をさせてくれ…でないと、お前みたいなキモイ奴に借りがあるとか気分が悪いんだよ! なんでも…ってのは無理だけど!」

 「でも…」


 ゴキブリは、そのずんぐりとした体をもじもじさせる。


 「早く言え! 誰か来たら勘違いされる!」


 「うん…じゃぁ」


 すっと、その芋虫みたな太い指がそこを指さす。



 腕。


 ゴキブリの指は、俺の松葉杖にかかる腕を指差す。


 「…少しだけ…触ってもいい?」


 「はぁ…?」


 触るって…?


 ゴキブリの指は震えている。


 「俺の腕触りたいって事か?」


 こくん。


 頷く二重顎。


 「は? なんで??」


 「…形とかきれいだから…嫌ならいいよ…他には特に希望はないから…」


 「…マジか…?」


 うわぁ…ガチでキモイ。


 ゴキブリに触られるとか、マジで勘弁してほしい!


 こんなキモイ女に触られ…。


 俺が固まっているとゴキブリは『ごめんね』と言って、俺に背を向ける。


 「机の場所はもうわかったから、後は自分で大丈夫…先に戻って」


 ずんぐりとした背中がもそもそマットをどかす。


 ああ…気を使われた…馬鹿でもわかる。


 ゴキブリは、俺を先に返して教室に戻る時間をずらしてくれるつもりなんだ…。


 俺が殿城みたいにともこに虐められない様に。


 「おい」

 

 「ぁ…」


 俺は、ゴキブリに手を差し出した。


 「今なら誰も見てない…触ってもいい」


 「…!!」


 嬉しいのかゴキブリの口元がぎこちなく釣り上がる。


 「…い、嫌だったら言って…ね…?」


 差し出した俺の腕…手の平に震えるゴキブリの右手がまるで壊れ物でも触るみたいに触れる。


 ざらっ。


 え?


 触れてきたゴキブリの手の感触に、俺の背筋にぞわっと一気に鳥肌が立つ!


 「…っ!」


 びっくっと俺が手を引っ込めると、ゴキブリはすまなそうに顔を伏せる。


 「ご、ごめんなさい…私の手、今豆だらけで…潰れて皮がむけて…気持ち悪よね…」

 

 「い ぁ…」


 ふるふると震えるゴキブリの手は、あちこち皮がずる剥けて痛そうだ。


 「…ちょっとびっくりしただけだ、変なもんじゃないなら…」


 俺はもう一度を手を差し出す。


 おずおず伸びた手がさすさすと、触れてくる…ざらざらで感触がキモチワルイ。


 ゴキブリは、まるで形を確かめるように手の平の裏表、指の長さ爪の形なんかをなぞっていく…なんだっけ…こういうの確かなんて言ったけ?


 そうだ、フェチって言うって兄ちゃんがいってたっけ?


 まぁ、それにしても…。


 「お前さ…どうしてそんなに手が豆だらけなの?」

 

 俺の問いにゴキブリの手が止まる。 

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