腕③

 急ブレーキをかけたトラックから顔をだしたおっさんが、『死にてぇのかバカ野郎!』とかなんとか怒鳴ってまた走り出していく。



 俺は、ひっくり返るようにへたり込んで何が起きたのか分からなくておっさんの言葉は殆ど聞き取れない…ぽん。



 「大丈夫? 怪我! 怪我とかしてない??」



 聞き覚えのないしっかりした声。


 むくむくとした手が、俺の腕をじろじろと見る…その顔は重傷ニキビの赤黒い頬。


 ご、ゴキブリ?!



 ゴキブリが俺を助けた??


 てか、今のゴキブリの声?


 

 「大丈夫? 友彦くん!」


 茫然とする俺に更に聞こえるはっきりとした声。


 可愛い。


 図体に似合わない澄んだ声だが、発している醜い顔にはににわなすぎる…背中にチャックでもついていて中に別人でが入っていると言われても納得してしまいそうだ…なんて______ズキン。



 「ぅあ…!」


 「え?」


 足。


 右足首が、マジで痛い!


 捻った!?


 

 「あ、あ、友彦くん大丈夫!?」


 ずんぐりとした指が、足に触れる。


 

 「いでっ! 触んなっつ!」



 ビクッと指が離れた。


 「ぁ…」



 怯えたような申し訳なさそうな顔。



 『キモイ・触るな・きたいない』



 恐らくゴキブリは、いつもみんなに言われているそれらの意味合いと同じととって『触ってごめんなさい』と小さな声でいう。



 「…ちげーよ、足ガチでいでええええええええ!」



 凄まじい痛み!


 これ、もしかしなくても折れてる感じ??


 

 「嘘だろぉ~…」


  

 もうすぐバスケの試合だったのに…俺、レギュラーだったのに…。


 もう、悔しいやら悲しいやらでゴキブリの前だというのに無事なほうの膝を抱えて俺は泣く。


 

 「友彦くん…」


 すっと差し出されたタオル生地のハンカチ。


 「私のでごめんなさい…ちゃんと洗ってあるから…」


 赤黒い顔が、俯く。


 俺ってやつは、こんなに足が痛いのに差出されたハンカチを使うかどうか正直一瞬手が止まった。



 だって、あの『ゴキブリ』の所有物だぜ?


 そんなので顔を拭いたとクラスの連中に知れたら、ある意味俺の学校生活は終わるだろう…でも…。


 

 「グジュ…ありあと ズズ…」


 俺は受け取って、目に当てる。



 「取り敢えずどうしよう…友彦くん立てないよね? お家の人呼べる?」


 おろおろしながらゴキブリが聞いてくる。


 「ダイジョブ…スマホ…あ…」


 震える手で鞄から出したスマホは、例のごとく電池切れ…ああ、勉とアプリで遊ぶんじゃなかった…これじゃ自力で帰るしか方法が無ぇ…。


 ちらりとゴキブリを見ると、ゴキブリは慌てて下を向く。


 「ご、ごめんなさい…私、スマホ持ってないの…」



 期待はしたなかったが、参った。


 

 辺りはすっかり、日が暮れて人気も無くなってきた…マジでどうしよう。


 激痛あまり思考が働かなくなってきてる所に差し出されるずんぐりとした手。



 「…送っていく…つかまって…もうこんなに日が暮れてるから…」


 顔を伏せるゴキブリ。


 腫れあがって激痛のはしる足。


 コレはもう、痛すぎてキモイとか嫌だとかの場合じゃない!


 俺は、一刻も早く家に帰りたい一心でその手を取った。



 ぐんっと引っ張りあげる手。


 あれほどキモイと思った相手の手は、意外と固くて力強く俺を引き上げゆっくりとゆっくり気遣いながら家まで送ってくれた。

 



 次の日。


 「大丈夫かよ友彦!」


 勉がギプスでがっちがちに固められた俺の足首を凝視する。


 「ああ、試合は無理だけどな…」


 「マジかー…お前が頼みの綱だったのによ~…」


 がっくりと肩を落とした勉は、『しゃーねーよな~』とため息をつく。


 六年生最後の大会だったのに、チームに迷惑をかけることになった俺は何も言えない。


 全くもってめんぼくない。


 「つか、お前その足でどうやって帰ったんだよ? まさか自力でか?」


 勉そう聞かれて、俺はゴキブリに助けてもらった事を話そうと口を開きかけた丁度その時。


 がらっ。


 教室の戸が開き、タイミングよくゴキブリが登校してきた!


 俺は、病院から貸し出されていた松葉杖をたより何とか席をたとうとする。


 「お、おい、無理すんなって!」


 勉は、急に立ち上がろうとよろけた俺にす慌てて手を貸す。


 まだ、松葉杖になれてなくて上手く立てない…けど…礼を、ゴキブリに昨日の礼を言わないと!


 玄関先まで俺を送ってくれたゴキブリ。


 汗だくになりながら学年一背の高い俺の体重を一生懸命支えてくれたゴキブリ。

 トラックに轢かれる所だった俺を助けてくれたゴキブリ。


 確かに、デブでニキビでうじうじしててかてかの長い髪なんて本当にゴキブリみたいでキモイけど俺の命の恩人に変わりない。


 「おい! 昨日は____」


 勉の肩を借りてようやく立ち上がった俺が見たのは、自分の机があったであろう場所に立ち尽くすゴキブリの姿だった。


 「うわっ、あいつらマジでやりやがったのか…引くわ…」


 ぼそりと勉が言う。


 ゴキブリの席。


 その列の五番目ある筈であった机や椅子はなく、ぽっかりと穴があく。



 くすくす。

  くすくす。



 すすり笑う教室。


 みんな知っているのだ。


 誰が机を隠したか、どこにあるのか。


 知ってて誰も教えず、ゴキブリの反応を楽しんでいる。


 これはそういうものだ。

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