白九輪
新しいおうちに来てもう三か月も経ちました。
新しいおうちは前のおうちと比べると広くて、お庭も竹の林も、池もあるとてもいいところです。
新しいおうちに来てからお母さんも毎日おうちにいてくれるし、変なお客さんが来ることもとってもへりました。
特に、黒い着物のおじさんたちが来ることが減ってよかったです。あの人たちはお父さんのこともお母さんのことも困らせるから美咲はあまり好きじゃありませんでした。おじさんたちも美咲のことやそうたろうのことをにらんだりしていたのできっと美咲たちのことが好きじゃなかったはずです。
そのほかにも、玄関で声だけかけていなくなるいたずらをする人や、夜に窓をたたいてそうたろうのことをこわがらせる人も来なくなったので、美咲は引っ越しをしてとてもよかったと思っています。
でも、前までよく来てくれていた花々苗おばちゃんや、近所の猫のシロちゃんとあんまり会えないのはさみしいです。
みんなが仲良くしてくれればいいのにな。
家のインターホンが鳴ったのと同時に、鍵のかかっていなかった玄関の引き戸が開いた。
勝手知ったるとでも言うかのように、長身の女性が上がりこむ。
手には土産物の袋がいくつかぶら下げられていた。
くたびれたサンダルを脱いで、上げられた顔はどことなく三代に似ている。汗で溶けた薄化粧の下に濃い隈が覗いていた。
立っているだけでも熱いような陽気であるのに、着古されたTシャツに剣千切りの紋があしらわれた羽織を羽織っている。
インターホンの音を聞いて玄関先までやってきた三代が彼女のことを見て目を見開いた。
言葉も出ず立ち止まっている彼女に、その女性が手を振る。
その女性こそ三代の祖母の兄弟筋に当たる白識花ヶ苗であった。三代が唯一と呼ぶ肉親である。
「やぁ、三代。元気?」
「元気じゃなさそうなのはあんたの方じゃない」
三代が指先で目の下をなぞる仕草をすると、花ヶ苗は驚いたように笑った。
「いやー、違うよ。全く誤解だ。これは、墨だよ。洗ったら落ちる」
「また籠りきりだったのね」
「容量悪いからねー。誰かが手伝ってくれればいいんだけれど?」
「康介さんにでも頼みなさいな」
二人が挨拶もほどほどに軽口をたたきあう。お互いに歳は十ほど離れていたが、その間を感じさせない口ぶりだ。
「断られちゃったよー」
と、二十代も終わりに差し掛かっている女性に絡む四十絡みの女の姿は少しおかしいもののようにも思えた。
花ヶ苗が廊下に通され、三代の後ろに続く。室内をきょろきょろと見回す彼女の表情は好奇心に満ちていた。あるいは、何かを探しているのかもしれない。
途中廊下から見える庭先を見て「なるほど、なるほど」と何か独り言ちていたが、三代はそのすべてを聞かないように努めた。彼女の好奇心全てに付き合っていたら、厄介ごとに行きあたるのは目に見えていたからだった。
猫背気味の背中を伸ばして花ヶ苗が言う。
「そういえば、康介さん。なんか、厄介な案件につかまってるらしいよ。困ったね」
そんなこと、三代が一番よく知っていた。彼女の反応が見たかったのだろう。花ヶ苗は三代の顔を覗き込むようにしている。
三代が嫌そうな顔をした時だった。通り過ぎようとしていた部屋の障子が壊れんばかりの勢いで開いた。
「花ヶ苗おばちゃん!!」
「美咲ちゃーん!!」
部屋から飛び出してきたのは美咲で、そのあとに興奮を隠しきれていない颯太郎が続く。
花ヶ苗と最後に会った時よりも大きくなった体で、飛びつくように彼女を抱きしめた。
「おばちゃんよー。覚えてるかしら?」
「覚えてるよ。久しぶり!」
美咲が花ヶ苗にすがるように抱き着いてるのを三代は横目で見ていたが、花ヶ苗が彼女に向って勝ち誇ったような顔をするので、三代は花ヶ苗に向かって舌を出した。
美咲が顔を上げたのを見て、三代の舌が大急ぎで引っ込む。
「えーっと、三年ぶり?」
「美咲ちゃん、計算できるようになったのねー。子供の成長って早いわー」
指で数字を数えた美咲が花ヶ苗に向かって笑顔を向けた。
三年前よりも伸びた髪の毛が美咲の背中で揺れている。
「また髪の毛切って!」
「もちろん。いくらでも切ってあげるわ」
花ヶ苗が指をチョキにして、美咲の髪の毛を切る真似事をする。美咲が本当に楽しそうに笑っていた。
いつの間にか庭の前は通り過ぎていた。
三代が花ヶ苗の隣に並ぶと、声を潜めて言う。
「あんたが来るようになったってことは、ここの家は大体知られてるんでしょうね」
「かもね」
花ヶ苗は首を傾げる。
今度は美咲が先頭を歩いて客間へと案内する。その姿を見て三代が目を眇めていた。
久しぶりの来客に張り切っている彼女の背中に花ヶ苗が声をかける。
「美咲ちゃん、おばちゃんアイス買ってきたのよ。美咲ちゃんアイス好きでしょう?」
「うん! 好き!」
「やーん、おばちゃんも好きー!」
さすが、子供の機嫌を取るのだけはうまい。
「それにしても、大荷物ね。引っ越しでもするつもり?」
「随分な嫌味ね。どれもこれも持ってきたわけじゃないのよ。これでも厳選したんだから」
客間に通されて、はあ、と一息ついた花ヶ苗に三代がそう声をかける。冷たいお茶を出せば、彼女が暑苦しい羽織を脱いでから、それに口を付けた。
誰でも知っている銘菓の紙袋や、有名なおもちゃメーカーのビニール袋、ずっしりと重たそうな風呂敷包みまで。
有名なアイスクリーム屋のドライアイスの入った箱は、すでに美咲に回収されて冷蔵庫の中に納まっていた。
首の後ろにかいた汗をぬぐった花ヶ苗が、紙袋を一つ持って三代に向き直る。
「そうそう、これ。おっそいけど、引っ越し祝い」
「あら、ありがとう」
「あ、で、こっちが美咲ちゃんの七歳と八歳と九歳のお祝いね。夏には十歳のお祝いも送るから」
「え、あ、ありがとう」
「で、こっちはこの間旅行に行ったお土産。熊本に行ってきたのよ。山ってすごいのねー。阿蘇山登ったんだけど、頂上まではいけなかったわぁ」
「ちょ、ちょっと……花ヶ苗……」
「ああ、これ。こっちは颯太郎君にお土産ね。お爺ちゃんだけど、硬いものって食べれるのかしら? うちの犬はこの間歯が抜けちゃってね。大変だったのよ。歯槽膿漏って犬もなるのね。初めて知ったわ」
「……花ヶ苗」
次々に渡される土産物に三代の両手がふさがると、花ヶ苗の顔が美咲の方へ向く。
「あ、これはね。おばちゃんが縫ったお浴衣とお着物よ。美咲ちゃんの分と三代の分と、康介さんの分。三人でこれ着てどっか行ってきなさいよ。颯太郎君の面倒と家守は私がやっておくからさ」
「お浴衣くれるの?」
「そうよ。美咲ちゃんはお母さんとお揃いのお浴衣よ」
「やったー!」
風呂敷に包まれた三着の着物を美咲がよろけながら受け取る。彼女の背中を颯太郎がアシストしていた。
「三代、あんた太ってないでしょうね」
お土産やら、お祝いやら、花ヶ苗が個人的に渡したものやらでまだ慌てている三代の腹部を花ヶ苗が摘まんだ。もちろん、摘まめるものは何もない。
花ヶ苗の眉間にしわが寄る。
「あんた、もうちょっと太りなさいな。体壊した時に大変よ」
と、数十秒の間に大きな矛盾を持った発言をころころとしたのだった。
白識花ヶ苗と言う人は昔からそのような人だった。
家柄やら、力やらなにやら目に見えないもので雁字搦めの退魔師の世界で、自分一人その糸やら何やらを切って地面に足をつけて生きている。時々死にそうな人を見つけてはそんな人を地面に降ろして、生きるようにと諭すのだ。
三代も康介も彼女に助けられた身だった。
今後、美咲も彼女に助かられるようなことがあるのかと思うと気が気ではない。
三代が頭を振ったのを見て花ヶ苗が笑った。
「なぁに? 蚊でもいたの? 蚊取り線香炊きなさいよ」
「……今は蚊取り線香なんて炊かないのよ」
「あら、そうなの?」
花ヶ苗がおかしそうに首を傾げていた。
彼女の視線の中にふと本棚が目に入る。小難しいが見覚えのある専門書たちの隣に、プラスチック製の分厚いファイルが立っていた。日付が張り付けてあるのを見つけると、花ヶ苗がははーんと笑って頷いた。
「ねぇ、三代。あれってアルバム? 見てもいい? 美咲ちゃんの成長の記録でしょ?」
「最近のやつなら、見てもいいけど……」
「あら、どうして? 昔のはだめなの?」
「……」
強請るような花ヶ苗の目を見て三代がまた首を振った。
「……私の昔の写真があるから嫌なのよ」
「昔のって、髪の毛が長かった頃の? 別に恥ずかしがること――」
「それよりもっと前のもよ」
「あらぁー。おばちゃん興味あるわぁ」
花ヶ苗がにやりと笑う。
「三代が昔っからこんな仏頂面だったのか」
面白いおもちゃを見つけたように笑う彼女の顔が三代に近づいてきていた。
そもそも、見られたくないようなものを客間なんかに置いておくのも悪いのだ。
おとなしく美咲になで繰り回されていた颯太郎が、立ち上がると客間から出ていく。美咲が廊下の途中まで追いかけたようだが、そのまま元の場所まで戻ってて来た。
開かれたアルバムに、色あせた写真が何枚か挟んである。ピンぼけたものから、家族写真のようなものまで。ファイリングした人のマメさが伝わってくる。きっと丁寧に挟み込んだに違いない。
三代が、数枚の中から嫌そうに一枚を指さした。
写真には公園かどこかの池の前に立つ子供が移っている。顔は美咲にそっくりだった。黒目がちな大きな瞳も、高くて形のいい鼻も、細い髪の毛も。
「あらやだ、かわいい」
と、心から呟いて、花ヶ苗が写真と三代と美咲を何度も何度も見直した。
そうしてから、本当に心配そうに呟く。
「美咲ちゃんもこんなに可愛げがなくなっちゃうのかしら? 遺伝子って怖いわね」
「御生憎様。美咲は康介さん似ですから、これからもっと可愛くなるのよ。失礼なこと言わないで頂戴」
「いやー、親の欲目ねー」
と花ヶ苗がケラケラ笑った。
その時、廊下からぬしぬしと足音がして、夕日の射す障子に影がぬっと重なった。
「賑やかだねぇ。何の話をしてるんだい?」
顔をのぞかせたのは、仕事から帰った康介だ。今日のお出迎えは颯太郎だけだったらしい。
「お帰りなさい、康介さん」
「お帰り、お父さん」
「康介さん、ご無沙汰してましたわ」
三者三様の出迎えに康介が目を瞬かせた。
三代が雨戸を閉めに立ち上がった。
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