赤六輪

 今日はきつねさんとそうたろうと一緒に池で水遊びをしました。途中でお父さんに見つかってすごくしかられたけど楽しかったです。

 特に、そうたろうが金魚を追いかけていって転んでたのが面白かった。

 そうたろうが転んでいることなんて初めて見ました。

 お父さんもお母さんもそうたろうのことをじいちゃん扱いするけど、美咲はそうたろうのことおじいちゃんだなんて思いません。

 だって、まだまだ元気に走り回るし、きつねさんだって追いかけまわすし、ご飯だっていっぱい食べます。ごはんいっぱい食べてるうちは死なないってテレビでもやってました。

 散歩のときだってお父さんのこと引っ張って行っちゃうのに、そんな元気なおじいちゃん見たことないから、そうたろうはまだまだおじいちゃんじゃないし、もっと長生きすると思います。

 きつねさんもそうたろうは美咲よりも生きるって言ってました。

 みんなにはそうたろうがおじいちゃんに見えてるのかなぁ。   




 生垣の剪定をしていく。

 木と言うものは逞しいもので、いくつもの枝葉が太陽の方へ向かって飛び出していた。それのせいで生垣は不格好であったし、康介の仕事は増えた。

 生垣が終われば次は伸び放題になった芙蓉の剪定も行わねばならない。

 庭の芙蓉は去年の台風で大きな枝が一本折とれてしまっていたが、依然として庭に大きくたたずんでいた。枝が折れたせいなのか、ほかの部分の枝葉の伸びが早いようにも感じられる。


「逞しいよ、本当に」


 と呟きながら康介が一本飛び出た枝を切り落とした。

 背後では娘のはしゃぎ声が聞こえる。温かくなりはじめ、ようやく本領発揮と言ったところだろう。飛び回る蝶を追いかけまわしていた。この後は竹林の奥の溜め池に行くはずである。最近メダカを買ってきて入れたのと、どこから来たのかオタマジャクシがあの池に住み着いていた。いつの間にやら、あの池は大家族を抱える巨大な家になっている。

 枝を一本切り落としたとき、それが庭の外へと転がり落ちてしまう。やってしまったと思って、生垣の外をのぞくと康介が思っていたよりも多くの枝や葉がアスファルトの上に落ちていた。

 とりあえず大きなものだけでも拾わなければと思って、あたりを見まわす。曲がり角に黒い人影が立っているように思えた。

 初めは気のせいだと思ったが、その隣にも影が揺れている。

 康介が顔をしかめた。

 よく見れば、あたりを覗うようなそぶりを見せながらこちらに近づいてくる影もある。こんな朝っぱらから紋付き袴の集団など異質なものでしかない。


「美咲、三代が呼んでいたよ。行ってきなさい」


「うん。分かった」


「すぐに行ってあげてね。困ってるみたいだから」


「はーい」


 後ろを走り去ろうとしていた美咲に声をかけ、室内に入るように誘導する。芙蓉の社の近くに色の薄い狐を見た気がした。

 康介の声を聞いたからか、角に隠れるようにしていた人影がゆらりと出てくる。


「もし、どうかなさいましたか?」


 この辺りをうろつき続けられるのも嫌だと康介が声をかければ、振り返った顔は何度と見た顔だった。

 背中には陰陽繋ぎ九つ目を背負っている。三代の生家狗妖家の紋であった。

 声をかけられた男が康介を見て少しだけ顔を曇らせる。狗妖家に末席を連ねてはいるが、実力で言えば康介よりも低い。小間使いのように扱われているような男だった。

 伺うような怯えた声色で「美咲様は?」と尋ねてくるので


「またかい」


 と康介が溜息をついた。


「何度言ったらわかるんだね? あの子は特別な子供ではない。そこらで駆け回っている子供と同じさ。何も知らないし、何もできやしないよ」


「しかし、美咲様は三代様と後内様の――」


「あれは私の子供さ。私が育ててる」


 康介がそれ以上言わせないというように彼を睨みつけた。自分が美咲の父親でないということは自分が一番よくわかっていることであったし、それを他人に指摘されることはもっと嫌なことであった。

 美咲は三代にしか似ていない。

 あるいは、康介に似てくれていたのならこんなことに煩わされることはなかったはずなのだ。

 彼が枝切りばさみを地面において、腕を組む。

 相手はいつの間にか相手は三人に増えていた。

 どれもこれもが康介のことを邪魔ものだとでも思っているのだろう。どうとでも思えと言うのが彼の心境だった。 


「そもそも、他人の家に用事もないのに上がり込もうとしているのは随分図々しいんじゃないのかい? 家主に挨拶もなく、人の家をじろじろ観察するなんて。値踏みしているみたいじゃないかい。本家の品格も落ちぶれたものだね」


 ため息を吐くようにまたそう言う。

 三代の手を煩わせる前に彼らを返したかった。

 思えば何事もない普通の暮らしも短かったように思う。

 休日には美咲を連れて買い物に行き、夕方には犬の散歩に行く。夜には縁側で晩酌をして、太陽の匂いのする布団にくるまれて暗い夜を迎える。

 三代にも美咲にもそんな普通の生活をしてほしいがためだけに、この家を買ったのだ。特に、美咲にはどんな辛いことも経験してほしくなかった。三代もそれを望んでいた。

 それゆえに、悩みの種を自分たちの庭に蒔こうとやってきている彼らが許せなかった。

 なぜ、放っておくことができないのかと憤る。

 三人のうちの一人が、戸惑うように口を開いた。


「いえ、私共は美咲様のお姿を一度だけでも拝見したいと……」


「ただの子供なんか見に来て何が楽しいんだ。才能のあるのなら、本家にごまんといるだろうに」


「では、美咲様には才能がないとおっしゃられたいのですか?」


「さっきからそう言ってるだろう。特別な子供ではないんだよ。三代が生んだただの子供だ。だから、あまり引っ掻き回さないでくれ」


 康介が強い口調できっぱりと言う。彼も狗妖家に名を置いていたが、自分の家の事情との仲を取り持つ気は一切ない。三代や美咲、自分の家を守るためだけに、彼は矢面に立っている。


「それに、どうして黙って引っ越したのかの見当もつかないのかい? 自分たちの意見だけを突き通していればそれが正しくなると思っていてはだめだよ。それにここは私個人の持ち家だ。君たちの世界の特別な法律が通じると思ったら痛い目見るよ?」


 ぎろりと睨めば、怯むような予感がした。

 早くいなくなってくれという気持ちが彼の中で大きくなっている。

 また一人が食い下がる。彼らの中で何か役割分担でもあるのではないかと疑わざるを得なかった。


「一度だけでいいのです。美咲様と一目お会いしたい。それに、三代様も最近はどこにもお顔を見せられませんし……」


「引退したんだ。当たり前だろう」


「引退をしたとしても、狗妖の家紋を継ぐことは可能でしょう」


「本人はそれも嫌だと言っているんだ。それに、三代にこだわらなくとも、花ヶ苗様や当主の血縁は少なくないだろうに」


「花ヶ苗様では役不足です。それに、お歳のこともあります。三代様が順当に継いでいただければ、二代は安泰なのです」


 自分勝手な言い分だった。家を残したいのなら自分が狗妖家を継げばいい。

 まるで、美咲は三代のおまけだと言われたような感じがして腹立たしかった。血はつながっていなくとも、もう十年も面倒を見ているかわいい子供なのだ。小さいころにはおむつも変えたし、風呂にだって入れてやった。恐ろしいものを見て寝付けない日は康介が朝方まで本を読み聞かせたことだってある。

 怒りが収まらなかった。手のひらを爪が食い込むほどにぎゅっと握る。


「だからって、自分の妻や子供を人身御供に差し出せと?」


「人身御供などと、狗妖家がしっかりとお守りいたします」


「どうだか」


 その言葉を康介が鼻で笑った。


「今、あの場に三代より強い退魔師がいるかい? 私たちがあちらに住んでいたときでさえも守り切れなかったというのに。三代の母親は何故あんな風に死んだんだ? え?」


 狗妖の血筋だからと、彼らは三代やその母親、そのもっと前の人々を守っていたわけではないのだ。死なないようにしていただけだ。それ故に、三代の母親は彼女の前で首を括ることになった。


「しかし、私たちも引き下がることはできません……」


 彼らの姿勢は一見低いように見えるが、何か康介を動揺させるものを隠し持っているようにも思えた。


「とにかく、貴啼三代も貴啼美咲も狗妖家とは何も関係ないということだ。帰ってくれ」


「納得できません!」


 康介の言葉に三人の声が次第に大きくなっていく。三代に知らせようとでもいうのだろうか。康介が顔をしかめた。


「康介様が貴啼家の当主でいらっしゃることは重々承知しております。しかし、これ以上狗妖の家督争いにそちらの家の名を出すのであれば、争いは避けられませんよ」


「そんなこと、わかってるよ」


 康介が低い声で言う。彼は貴啼家を継いだが、実権は弟が握っていた。幼少期から狗妖の家で暮らしている康介には貴啼家に居場所などないのだ。自分には名前を振りかざすことくらいしかできない。

 それゆえに、今の家くらいは自分で守って見せたかったのだ。

 康介が強い口調で言った。 


「でも、私は家のことなどどうでもいい。私の家は今はここだ。あんな傾きかけのボロ屋など知ったことか」 


 康介が目の前の三人を睨む。彼は狗妖家の者であり、貴啼家の者であったが、どちらの家紋も背負ってはいない。

 その時、背後でするような足音がした。

 康介がぎくりとして後ろを振り向く。 


「いいよ、康介。私が話そう」 


 三代が穏やかに笑って立っている。

 目の前の三人が、色めき立ったのが分かった。


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