白六輪
きつねさんの話をします。なぜなら、今日ちゃんとお友達になったからです。美咲は時々大事なことも忘れてしまうので、こういうところに書いておくのが大切なのだと思います。
きつねさんは、油あげとおいなりさんが好きなんだって。毎日あげたら良いことがあるって自分で言ってたけど、きつねさんがそんなにごりやくのあるきつねさんだとは思えません。だって、いつもそうたろうに追いかけまわされてるのに。
きつねさんはしっぽが九本もあって、いつもおいでおいでしてるんです。一本一本とあくしゅできたからしておきました。あいさつって大事だなって思いました。
きつねさんは長生きで五百年も生きているんだって。うそつきかなぁ、と始め思ったんだけど、おともだちは信じなさいとお父さんに言われているので、信じることにしました。
五百年前は何を食べていたのか今度聞いてみます。
きつねさんは本当はちゃんとした名前があるんだって。そのうち教えてくれるって言ってました。五百年も生きている長生きさんだから、そのうちってきっと百年もあとかもしれません。美咲は多分いなくなってるね。
そうたろうのことがやっぱり苦手みたいで、本当は仲良くしてほしいんだけど、ちょっと難しいみたい。そうたろうのことを見ると、消えちゃうか色がものすごくうすくなってしまいます。
好きなものを用意したらすぐに出てきてくれるので、今度そうたろうのご飯のお皿の隣に油あげを用意してみようと思います。
試しに土を掘り返してみれば、ミミズがぐるりと頭を出す。栄養は十分にあるようだった。
空が赤く染まり始めている。
仕事から帰ってきて早々に、庭の畑に苗を植える仕事を任されるとは思ってもいなかった。
耕され土をむき出しにされた一角は、きっと三代が思い描くようなささやかな家庭菜園になるだろう。
後ろをはしゃぎ声を上げながら、美咲が走り去って行った。颯太郎がそれに続いているようで、娘よりもずっと重い足音が過ぎ去っていく。
くるりと後ろを見ると、トンボか蝶か、何か飛ぶ虫を追いかけているらしかった。
西日がじりりと康介の顔を焼いた。地面からもまだまだ暑さが上がってくる。
オーブンに入った気分だと思いながら、汗をぬぐった。
康介の隣には大きくなりすぎて安売りになっていた、背だけが高いヒョロヒョロのプチトマト、ピーマン、ナスの苗が並べられている。
こんな時期に育て始めてもちゃんと実がなるのかと懐疑的な気分ではあるが、三代が嬉しそうに「家庭菜園よ」と言っていたのを見ているので、協力しないわけにはいかなかった。
自分はつくづく三代に甘いと康介がため息をつく。
カサカサの黄色い土の上に買ってきた腐葉土をたっぷり撒いて鍬でザクザクと耕す。テレビなどの見様見真似だが、なかなかできるものだ。
濡れた土が顔を出して、赤い太陽に焼かれている。すぐに乾いてカサカサになってしまうだろう。
これで何往復目だったか、通り過ぎるものだと思っていた足音が自分の背後でぴたりと止まった。
「あれ? みーちゃんも一緒にやりたいの?」
「うん」
後ろを振り向けば美咲が力強く頷いている。手には大きなトンボが捕まえられていた。
「じゃあ、物干しに干してある軍手とってきな」
「分かった」
もがいていたトンボをパッと離すと、美咲が物干しの方へと走って行ってしまった。九死に一生を得たトンボが座って見守っていた颯太郎の鼻先へと腰を下ろした。
一分もしないうちに走って戻ってきた美咲が、指先の茶色い軍手をはめて康介の隣に座る。
指先が大きく余った合わない軍手を見て、康介が子供サイズの軍手が売っているかと思案した。
「私が穴を掘るから、みーちゃんは穴の中にこの苗を植える」
「これ、お母さんがいつもひっこ抜いてるやつじゃないの? 増やしたらお母さんに怒られちゃうよ」
「あれとは全然別だよ」
育苗ポットからトマトの苗を取り出して、軽く土をほぐして美咲に渡す。彼女の方はその苗を不審なものを見るように、いろいろな角度から眺めるだけで、作業は進まなかった。
子供は疑り深い。彼女はきっと石橋をたたいて壊すタイプだろう。母親の三代もそういったタイプだ。
「葉っぱの匂い嗅いでみな?」
「……」
数の少ない葉を一枚ちぎって美咲の鼻先までもっていってやる。彼女は臭いをかいでから、目を見開いた。
「んー! トマトの匂いだ!」
「そうだよ。これ、プチトマトの苗。トマト好きな人はー?」
「はーーい!!」
元気に手を上げて嬉しそうにしている美咲を見て康介も嬉しかった。はしゃいでいる友人を見て、颯太郎も落ち着きなくあたりをうろつく。
美咲が颯太郎に「トマトだよ」と言って葉を差し出すと、彼の濡れた鼻先にその葉がくっ付けられていた。彼の長い舌がべろりとそれを取り去った。
「来年は種から育ててみる?」
「うん!」
美咲が力強く頷いて、ようやくトマトの苗を穴の中に収めた。
案外土いじりも好きらしい。今まで外で遊ばせることをほとんどしなかったから、康介は新鮮な気持ちでいた。
それこそ家選びに相当の労力を割いたが、それで娘の新しい表情が見られたならいいことに違いない。
土をかけて、穴を埋めながら彼女が野望を語る。
「美咲ね、朝顔とヒマワリも育てたいの。朝顔で色水作って、ヒマワリの種は食べるの」
育てたいものは子供向きだが、実用的な使い方をするものだと思って康介が笑う。
「私も一緒に育てていい?」
「うん。お母さんも一緒に育ててくれるかな?」
もくもくと作業を続けていた美咲が突然顔を上げた。目はきらきらと輝いている。何か新しい発見でもしたのだろう。
「バニラアイスの苗はないの?」
さて、この子供特有の何にも拒まれることない発想を康介はどのように処理するべきだったろう。
子供の柔らかな発想と着眼点には驚かされるばかりだが、その柔らかい心を傷つけないようにするのは非常に難しかった。
「うーん、バニラアイスは流石にないかなぁ」
図らずしも困ったような声音になってしまって康介が焦る。そんなことを伝えたかったわけではない。
「みーちゃんが作ってみたら?」
「美咲にできるかなぁ?」
前向きな子供で助かったと思いながら、康介が彼女の顔を見て頷いた。
「みーちゃんならできるよ」
「ほんと? そしたら、まずはお父さんとお母さんに食べさせてあげるね」
「楽しみだなぁ」
玄関先から三代の声がかかる。どうやら帰ってきたらしかった。
美咲が走り出した颯太郎のことを大急ぎで追いかけ始める。
苗はまだ植え切られていなかった。
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