白五輪

 朝から背中がいたいです。病気かと思ったら、日焼けというものなのだそうです。洋服着るときも、寝っ転がる時も、風があたっても、太陽の光もいたかったです。特にお風呂がいたかったです。鏡で見たら真っ赤っかになっていました。いたいです。

 今日は背中がいたいので、日記はみじかいです。冷やしたらちょっといたくないです。おやすみなさい。





「丸太と、ペンキと……」


「後はロープかしら」


「土に打ち込むんだから、木槌。必要じゃない?」


「確かに」


 最近常連になりつつある近所の大きなホームセンター。今までに高枝ばさみや草を刈るための鎌、軍手、それから大きな麦わら帽子をその店で購入していた。これからもお世話になるに違いない。

 三代と康介。美咲の姿はそこにあった。

 傍から見れば休日に買い物に来たただの親子である。そして、三人ともがそう見えることを望んでいた。

 親子三人で何とかして測った池の外周をメモした紙は美咲が張り切って握りしめている。

 買い物のカートの前を歩いている美咲は物珍しそうにあたりをきょろきょろと見回し続けていた。今は興味だけで済んでいるが、そのうちにおねだりが来るのだろう。

 天井付近にかけられている案内を頼りに広い店内を歩き回り、ようやく目当ての物が並ぶ列にたどり着く。

 棚の端から端まで所狭しと様々なロープが並べられていた。よく見たことある黒と黄色の模様の物から何に使うのか康介の手首ほどの太さのものまである。


「ロープだけでも随分種類があるのね……」


 滅多に出かけない三代もぐるりとあたりを見回していた。その仕草が娘にそっくりなことに自分では気が付いていない。

 池の外周を囲っても長さが余りそうなそれを手に取って、何も考えずにかごの中に放り込もうとする。

 黄色と黒の縞模様のロープを無意識に選ぶ当たり、彼女のセンスが伺えた。


「それだと細くない? こっちの方がいいと思うよ」


「あら、そう?」


 景観を考えれば白いロープの方があのあたりにはちょうどいいだろう。

 三代は康介の指摘に素直に従った。

 そのロープの値札を見て彼女がぽつりとつぶやく。


「あまるわねぇ、絶対」


「そうだね」


 百メートルはあの庭にはあまりにも長かった。


「何かほかに使う予定ある?」


「うーん、今は特にないかしら……そうね、もしかしたら畑に使うかも」


 と、しばらく考え込んだ三代が首を振った。

 知らないうちに隣の列の方に消えそうになっていた美咲を捕まえて康介が戻ってくる。

 油断も隙も無い。


「でも、柵だけじゃ心配だな。みーちゃん落ちちゃったりしないかな」


「なら、池を埋め立てる?」


「いや、いや……」


 三代の言葉にそれも悪くないと思ってしまった康介がいたが、話し合う両親のことを楽しそうに見上げた娘の顔を見れば、そんな可哀そうなことは出来なかった。

 美咲はあの小さな溜め池を大層気に入っている。

 今までの経験上物にあまり執着を示さなかった美咲があんなに気に入っているというのは本当に珍しかった。

 池という性質上無くならないという確証を持っているのかもしれなかった。それを奪うことは康介にはできない。


「大丈夫よ、康介さん。そんなに深い池じゃないし、私も気を付けて見てるから」


 と、考え込む康介に三代が笑った。

 肩口から垂れるように結ばれたまっすぐな髪の毛が、さらさらと揺れている。


「三代、楽しそうだね」


「そうかしら?」


「うん」


 美咲がニコニコと笑いながら康介の手を離れて、三代と手をつなぐ。お揃いの白っぽいワンピースを着ている姿はどんな風に見間違えても親子に見えた。とても仲の良い母親と娘である。


「あの家、買ってよかったね」


「ええ、本当に」


 三代が緩やかに頷く。足は木材売り場の方へと進んでいた。

 通路に置かれたワゴンの中に半額の値札が貼られたドーナツを模したクッションが置かれていて、美咲の足がそこでぴたりと止まる。

 美咲の視線に合わせて三代がしゃがみ、何事か囁くとわずかに名残惜しそうにしながら小さな足はまた進み始めた。

 帰りにドーナツでも買う約束をしたのだろう。

 康介はドーナツだって、アイスクリームだって買ってやるつもりだ。

 三代が肩越しにしゃべりだす。すでにいくつか当初の予定にないものが載せられたカートがガラガラと音を立てていた。


「私たち、あの家のことで何度喧嘩したかしら」


「えー? 喧嘩なんかしたっけ?」


「あら、覚えてないの? 私は結構根に持っているんだけどな」


「やだなぁ、怖い怖い」


 康介がそう口先だけで言って、肩をすくめた。美咲が嬉しそうに「怖い、怖い」と父親の口調をまねる。

 やはり美咲は三代にそっくりなようだった。

 その様子を見て康介が一通り笑うと、美咲の頭を撫でてから三代の隣に並ぶ。


「今夜どんなことを根に持ってるのか聞かせてよ」


「どうしようかしら」


 子供のように首をかしげる三代の姿を、美咲が真似た。




「これで全部かな」


 広い店舗の中から目当ての物をようやく探し出して、康介が顔を上げた。

 美咲と手をつないだ三代が彼の言葉に同意して頷く。


「何かほかに買うものあった?」


 そう尋ねた途端、主婦の顔になって家中の必要なものを数えだした。

 その真剣な顔に笑いそうになったが、笑ったらまた何を言われるかわからないので、康介がそっと口元を抑える。


「あ、洗剤。切らしてる。あと、トイレットペーパー」


「そりゃ大変だ」


 三代と康介がゆったりと話していると、服の裾をしっかりと掴んでくる手が現れる。自分のことを忘れるなと言っているようでもあり、彼女の視線は壁の案内に釘付けだった。


『ペットコーナー』


 きっと生き物が好きな彼女には非常に魅力的な言葉だっただろう。

 美咲の顔を見た後、三代と康介は顔を見合わせた。


「……颯太郎のご飯も少なかったかもしれないわ」


「あー、颯太郎のご飯ね……」


 その子の喜ぶ顔が見られるのに、行かないわけにはいかなかった。




  

「金魚だ」


 いくつも並べられた水槽のにべたりと張り付いて美咲が中を覗き込んでいた。

 一番安い小赤を目を輝かせて見ている。

 傍らで穏やかに見守っていた三代の服の裾を掴んで強請る。


「お母さん、金魚だよ」


 母親は穏やかに頷くだけだ。もう二段上の琉金や出目金の水槽は美咲には絶対に見せないつもりだろう。

 したたかな彼女に康介が笑った。


「きれいだねぇ、ドレスみたい」


「そうねぇ」


 水槽の中で群れて泳ぐその小さな魚を、美咲がきょろきょろと目線で追いかける。

 喜ぶ娘の顔を見て康介が美咲には赤い服も似合うのだろうと考えた。今度折を見て着せてみようと画策し始めていた。

 ガラスのに近づいてきた金魚を指先で追いかける。その赤いワンピースの生き物たちに文字通り釘付けだ。


「池に泳いでたらかわいいよねぇ」


 その言葉から察するに、美咲の頭の中ではもうこれでもかと言うくらいにあの池の未来の姿が想像できているらしい。金魚は錦鯉にはならないぞ、と思いながら三代は頷いていた。


「金魚は駄目だよ。猫に食べられたらかわいそうだよ」


「あのお庭に猫さんは怖くて入ってこれないよ」


「え? なんで?」


 美咲がそう明言したのを不思議に思って康介が理由を尋ねる。

 黒くて大きな瞳が見上げていた。


「だって――」


「金魚くらい、いいじゃない康介さん。美咲も自分でお世話するのよ? いいわね?」


「うん! 絶対!」


 頷くのとほぼ同時に目線はまた水槽に奪われていた。美咲のことだ、すごくかわいがるに違いない。

 そして、そろそろ生き物の命に責任を持ってもいい年だった。生き物の世話をさせるというのも情緒教育的には悪いことではないはずである。


「三代が言うなら、いいけど……みーちゃん、本当にお世話できるね?」


「できるよ!」


「じゃあ、金魚のお世話って何するの?」


 第一関門を康介が用意する。きっと賢いこの子なら、ちゃんと答えられるはずだと康介は確信していた。

 何せ、この子は三代の子供であり、康介が育てた子だからだ。

 笑顔で何度もうなずいた顔が、康介を見上げる。


「毎日話しかけるよ! 寂しくないように」


 笑わずにはいられなかった。 




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