冴えない花火
「申し訳ないけど、もう既に彼氏がいるんです。だから申し出にはお応えできません。……ごめんなさい」
彼女は申し訳なさそうに頭を下げた。こういう時、何を言うべきなのか、口を開こうとするが喉から絞り出されるのは空気だけ。音は出ない。
僕と対面に座る彼女の間に重苦しい沈黙が流れる。
彼女は愛嬌があって笑顔がかわいい人だった。はにかみ屋で恥ずかしがりでもあるがそこがまた僕にはよく思えた。
今はお互い無表情。僕は落ち着くためにカップに入っているオレンジジュースを飲む。甘ったるいオレンジの味も今は全く感じられない。
「そう、か……うん。わかった。ありがとう」
辛うじて吐き出せたのは、こんなありふれた言葉でしかなかった。他に何を言えばいいのか僕の脳みそは気の利いた言葉をちっとも思い付きやしない。
僕たちは駅の中にあるファーストフード店にいた。この店のメイン客層である学生たちがうるさく騒ぎながら大半の席を占めている。
まわりが騒がしくてかえって良かった。静かな雰囲気だと余計に重苦しい感じになっちゃうだろうから。
にしても、なんで僕はこんなところで告白なんかしようとしたのだろう。思い返せばもっといい場所があったんじゃないか、もっと良いやり方があったんじゃないか。そもそも、最初から目がなかったのなら何をやっても良かったんじゃないのか。
そんな後悔ばかりが頭の中を巡っている。
……薄々はわかっていた。もう彼氏がいる事自体、僕の耳にも入って来ていた。それでも言わずには居られなかった。答えは予想通りだ。これで良かったんだよ、きっと。負け惜しみ気味に口の中で何度もそのセリフを反芻する。
彼女は腕時計をちらと眺める。
「じゃあ、そろそろ私電車の時間だから帰ります」
「もうそんな時間か。改札まで見送りに行くよ」
料金を支払い、ファーストフード店を出る。駅の改札口まで歩く。お互いに普通に、これから何をするのかなどを話し合っていたような気がする。でもその会話は、酷く薄っぺらくて上っ面を滑っていくようなものを感じていた。
エスカレーターを上り、二階の改札口にたどり着く。
「じゃあ、私はこれで。さようなら……また逢いましょうね」
彼女はにっこりと笑い、手を振って僕に別れを告げた。
また逢いましょう。
僕も手を振った。彼女の姿が見えなくなるまで。彼女が階段を下り、ホームに立っただろうと思った所で僕は背を向けて歩き出す。
また逢えたらいいね。でも二度と会う事はないだろう。
僕は実に狭量で臆病な人間だ。自分を振った人間にどの面を下げて会おうと思えるだろうか。会ってしまえば多分、憎しみを募らせるようになる気がする。だから二度と会わない。
君は実に優しかった。僕のような人間に対しても笑顔で接してくれて、決して嫌う事が無かった。多分ずっと僕はずうずうしい接し方をしていたと思う。でも表面上は眉を顰めなかった。それだけで僕には十分だ。彼女が心の中でどう思っていたかは知らないし、知ろうとしない方が僕の為だ。今更知ってどうなる事でもない。
日は傾いて既に辺りは暗くなっていた。駅の中を行き交う人々は皆楽しげに笑って僕の横を通り過ぎていく。様々な模様で、様々に彩られた浴衣を着た人々も時折見かける。
そういえば、今日は祭りが催されている日だった。普段、この街の中心とはいえ人がそれほどいない駅なのに、やけに人が多いのはそのせいだ。
僕は彼らの間をすり抜け、自分の帰る方向へ行く電車が待つホームへとたどり着いた。田舎の電車は時間帯によっては、こんな風に発車時間の十数分前からホームで客を待っている。中に乗客はあまり乗っていない。発車時間となっても満員になる事はまずない。
がらがらの車内。
僕は席が向かい合わせになっているボックス席に座る。
ぼんやりとしているとちらほらと乗客が乗り込んでくる。空いている電車においては人々は適当に距離を取って座る。
部活帰りの学生。スーツを着込んで暑そうにハンカチで汗をぬぐうサラリーマン。快活に友人とおしゃべりしているおばさん。
彼らはみんな笑顔で喋っている。良い事でもあったんだろうか。
車掌のアナウンスが車内に響いた後に、列車のドアは音を立てて閉まる。
ゴトン、と車輪の回る音が聞こえると電車は一両編成で鉄のレールの上を走り始める。規則的なあの音を立てながら。
がたんごとん。がたんごとん。
パンタグラフから電気を受け取り、モーターが作動して車輪がレールの上を走ってゆく。電車は速度を増していき、街から離れていく。
既にもう夜になっていて外の流れる風景は街灯や店舗、民家の灯りしか見えない。あとは電車内の電灯によって反射して自分の顔が見えるくらいだ。
その時の僕はどんな顔をしていただろうか。呆けていたか、それともしかめっ面でもしていたか。よく覚えていない。
電車は市内から田舎へと向かっていく。電車が駅に着くたびに、人がパラパラと降りてゆく。乗る人はわずか。
進むたびに車内の少ない人々はさらに少なくなっていく。一駅、二駅、三駅と。
僕の降りる駅が近くなると、乗客はほとんどいなくなった。乗っている人も、頭を垂れて眠っている人くらいだ。
頬杖をつきながら、ずっと電車に揺られる。
風景が見えない車窓の外をじっと見つめる。
何も整理がつかない自分の心を風景の真ん中に浮かべている。
彼氏がいるから付き合えない。
耳にしていても、可能性として頭の中に考えていても、改めて言葉で突き付けられるのはきつい。心に深々とナイフを抉り立てられた気分だ。
何も考えられない。考える余地がない。思考はただ一つの出来事に縛られて未だにまとまらない。
「……」
ふと、遠くから雷のような音が聞こえた。
どぉん、どぉんと音は断続的に鳴り響いてくる。腹の底にまで届くような低音。
暗い空は様々な光に彩られて輝いて、消えていく。
そうか、僕の地元でも今日は祭りが催される日だったんだ。
毎年毎年行われる花火は、もちろん県が主催するものに比べれば小さいものだけど、間近で見られればそれなりの迫力はやっぱりある。
間もなく、僕が降りる駅が近づいていた。
ゆっくりと電車は速度を落とし、車輪の回転は徐々に緩やかになっていく。電車の 振動の間隔も広くなる。
「次は○○~、○○です。お降りのお客様は手荷物等お忘れにならないようご注意のほどよろしくお願いします」
鼻にかかった車掌のアナウンスが車内に響き渡った。
僕は手提げかばんを持ち、電車のドアに近づいて青い色の降ボタンを押す。田舎の路線だから自動で開閉する電車ではなく、乗客が自らボタンを押して開閉をしなければならない。
電車を降り、駅員に切符を渡して駅舎を出る。
またどぉん、どぉんと音が辺りを響きわたり、光が僕を背中から照らす。
振り向いて空を見上げれば、光の大輪の花が一面に広がっていた。
同時に、眼から涙がすっと流れて頬を伝い、地面に落ちる。水滴はアスファルトに染みを作り、すぐに消えた。
嗚咽が漏れる。涙は止まらない。
「……」
今更理解した。
僕はあの人が好きで、でも受け入れられる事はなかった。
それでおしまい。他に何もない、ただ一つの事実。
ぼんやりと夜空を見上げているその時、僕の携帯に着信があった。着信は友人の一人から。
「……もしもし」
「よう、久しぶり。今日何してたん?」
「ああ、うん、女の子に振られたよ」
「……お、そうか。じゃあお前んちに酒とつまみ買っていくから少し待ってろ」
「おう。朝まで飲もう」
電話を切り、空を見上げる。
花火は次々に打ちあがり、夜空を綺麗に彩っている。
今日の冴えない思い出も花火で打ち上げれば少しは輝いてくれるだろうか。
誰にでもあるような、ありふれた一つの出来事。
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