第2話 乗船中
指定された船室に入って、持ち込んだスーツケースをテーブルに載せた。
「ふぅ、助かったけど……怖かったな。トマトのヘタの次くらいには怖かった……」
あれって暗いところに落ちてるとでっかいクモに見えるんだよ。だからといって悲鳴を上げるほどではないと思うけど。その悲鳴の方が怖かったしな。
十月六日。出航の二日前、さらば日本という感慨を抱きながら<イロアス号>に乗船した。
その際に本人確認やら持ち物検査があったのだが、厳重にチェックされたのは本人かどうかの確認だけで持ち物に対するそれはチャックが壊れた社会の窓の次くらいのガバガバ状態だった。
といっても検査自体は問題ないどころかきちんとしていた。スーツケースのスキャニングに用いられたのはン億円はしそうな最先端機器で、モニターに立体的に解析された内部の状態が立体的にきっちりくっきり映し出されるという代物だ。当然スーツケースの中に斜めに入れておいた刀の存在も確実に露見したに違いない。なのに『問題ありません』の一言で通過できてしまった。お咎めどころか持ち込みの理由を問われることさえなく。拍子抜けすると同時に、恐ろしさを感じた。こんなもの危険物の中には入らない、と言われているようで。
まあ俺にとっては面倒がなくてありがたい話ではあった。『ちょっと抜いて見せてみろ』とか言われたら血の雨が降っちゃうからな。最初はそれを言った相手の、次はたぶん俺の。暁藍莉嬢の助言とはまったく無関係のところで、助言の正しさの程さえ知ることなくあっさり殉職とか笑い話にもならない。彼女は遠慮なく爆笑しそうだけど。
「さて、出航まで二日……目的地の到着までは四日か。どうしたもんかな」
読書三昧ゲーム三昧とかでもいい。そういうことができる最後の機会かもしれないし、事実そんな考えで昨日までは遊びまくってた。<勇者>はガチガチのガテン系職種なので、日課の山歩きなんかは欠かさなかったけども。
この船には今、上半期に喪われた<勇者>約五百人の補充人員が世界各国から集まってきている。そんな中でぼっち遊興だけに時間を消費するのは、夏休みの宿題を最終日まで放置することの次くらいによろしくない行動ではなかろうか。ここで行うべきは人脈作りなのでは、と愚考するわけだ。
日本はこれから向かう国との国交やそれに伴う交渉の責任国なため、<勇者>の日本人率は全体の二十パーセントと高い数値になっている。故に人生終了のお知らせが届く不幸率も高いわけだが……ともあれ日本語のみのコミュニケーションに限ったとしても、話せる相手が百人くらいはいることになる。おいおい英語で話せばいいだろと言いたい方もいると思うが、日本人の英語技能はこの一世紀平行線だ。俺も翻訳ソフトなしでの会話は無理。仮にぺらぺーらだとしても……外国人とはあまり関わりたくないというのが本音のところだ。
<勇者>の条件は二十歳以下で健康体であること。それだけだ。
性別や身長などは当然のこと、思想も教育も良心も問われていない。豊かでも貧しくても、誰もが<勇者>になれる。その権利を有している。
平等主義万歳、のように思える。
けど、考えてみてくれ。
<勇者>の目的とはなんだ? <勇者>が存在する理由とはなんだ?
それは世界から脅威を排除すること、<魔王>を倒すことだ。
この世界における<魔王>とは、半世紀前――ミレニアムと呼ばれた年に表舞台に現れ、現代兵器の悉くに勝利した世界の支配者のことを指している。
では、その<魔王>を<勇者>が倒したとして、<魔王>を超えた力を持つ<勇者>はどういう存在になるのか。
決まっている。<魔王>に代わる絶対強者、世界の新たなる支配者。人の形をした法律だ。誰も逆らえない、従うしかない。
そんな<勇者>を自国から輩出したい、自国の管理下におきたい――各国がそう考えるのは当然だし必然の成り行きだろう。敵対国から<勇者>が生まれるなんて悪夢でしかない。
結果、<勇者>候補には戦闘訓練やら思想統制などの教育が施されることになる。それが一概に悪いというわけでもないが、性質的に軍人に近い彼らは自国に有利か不利かという判断基準を有していることが多いとされる。他国の<勇者>の有利は自国の<勇者>の不利――そこから導かれる行動方針はあまり愉快ではない。まあ、軍隊式の訓練を受けた人間は不良の次くらいには存在感があるので、こっちから関わらないようにすることはできると思う。ただし不良と同じく絡まれた場合は除く……あいつら構ってちゃんすぎる。
ちなみに日本の場合、自国の普通教育機関からほぼ無作為に<勇者>を選出している。是非はさておき、くじ引き方式は紛れもなく少数派だ。特別なオンリーワンの次くらいに特別かもしれない。人数の優遇措置に対する他国への配慮というか誤魔化しというか、そういう理由からではないかと推測されているものの、政府のすることなんて不思議系アイドルの次くらいに理解不能なので考えるだけ無駄というものだ。
「……ああ、アイドルって言えば、<勇者>への転職で卒業を余儀なくされたアイドルが去年いたなー」
国民的アイドル歌手グループの一員だったので、かなり騒ぎになった記憶がある。それから亡くなったというニュースはなかったはずだから、まだ向こうで生きているんだろう。さすがと褒めるべきか当然と納得するべきか。顔が売れてるって人脈作るには最良の条件だしな。
* * *
「うおっ、とっ……!」
一時間後。俺は部屋で狩りゲーに勤しんでいた。
人脈作りはどうしたのかって? 失敗した。俺は顔なんか売れてないし。
いやごめんそうじゃない聞いてくれ俺が悪かった。
日本のくじ引き方式<勇者>と、専門教育機関からの選出やら志願制などの<勇者>を比較したとき、明確な違いが一つ現れる。
やる気、だ。
モチベーションの高低を分布図にしたら他国の<勇者>は上方に偏るが、他薦式の日本は平均的に散る。<勇者>業に前向きな者もいれば後ろ向きな者もいるわけだ。俺は真ん中くらいかな。
で、今から知り合いを増やそうなんて考えるのは基本的に<勇者>に積極的な層。オンラインゲームにおいて攻略組とでも呼ばれちゃう連中だ。生き抜くためには、未開の困難に積極果敢に挑んでいく姿勢は疑いようもなく正しい。それは理解してる。でも俺は彼らのやる気とテンションとコミュニケーションについていけなかった。
あれだ、自慢ではないが我が家はぼっちを至高としてきた家系だ。特に<村正>にとってはぼっちこそ正義だったと言っても過言ではない。ホント自慢になんないな。日常についてはその限りじゃないんだけど、<勇者>の職場は戦場だ。俺も<村正>としてここにいる以上は、ぼっち遺伝子を発動させざるを得なかった。そう、だからあくまで俺側の問題だ。決して『こいつら早死にしそう』とか思って引いたわけじゃない。本当だよ? それでも自己紹介はしたし、顔見知り程度にはなれた。ここにいる新米<勇者>が群れて行動することにはならないはずだし、今はそれでよしだ。
あと、俺は人脈作りを諦めたわけじゃない。むしろ今やってる最中だ。
画面の中、右手側で動き回っている女キャラを見る。
この携帯ゲーム機の直接通信機能の有効距離は半径十メートルほどしかない。つまり、俺と一緒にドラゴン狩りをしているこのキャラの持ち主は<勇者>でしかありえない。ガラパゴスをひた走る日本製ゲームなのでプレイヤーはおそらく日本人で、悲観するでなく必死になるでもないという同じくらいのモチベーションの持ち主で趣味も合いそう、なんだけど。
「ちょ、翼ッ、まず翼ぶった斬ろうよっ! ここで離れないとブレス喰ら……った?」
臨時の狩り仲間『サヤ』は金色のブレスに焼かれて一死。ホームに飛ばされた。
「やべぇ……」
へ、下手すぎる……。
俺自身、大したプレイヤーじゃない。回復薬を使いまくって何とか撃破できるという一般人レベル。やけくそとロマンの特攻癖があることを加味すれば、むしろ平均を大きく下回っているかもしれない。
そんな並以下の俺から見てもへぼいとわかるくらいに、『サヤ』を動かすプレイヤーはへぼかった。各種ボタンを見ながらでないと押せないというじいちゃんの次くらいの戦慄のへぼさ。まあじいちゃんの場合、ゲームをほとんどしたことがないという点にこそ戦慄すべきなのかもしれない。なんてったって、じいちゃんの子供時代はゲームの発展期だったわけだし。あとこの狩りゲーの第一作が誕生した記念すべき時代でもある。
「お、戻ってきた……って……」
怒濤の勢いで戦線復帰してきた『サヤ』は再び金色の翼竜に突進していく。二刀流によるがむしゃらな攻撃。猪の次くらいに戦略性がないぞ……。
「装備も見た目優先っぽいし。ま、プレイスタイルなんて人それぞれだからいいんだけどさ」
ネタ武器と名高い刀を主武装にしている時点で俺もマイペースという名の同類項だ。などという感想を抱いている間に『サヤ』の体力ゲージは危険水域に。回復のために離れようとするのだが、ヘイトを集めすぎてしまったようで追いかけ回されている。焦って回復薬を飲むもエフェクトの最中に攻撃を喰らってプラマイゼロ。おっと、見てる場合じゃない。困ってるときには助け合うのが仲間というもんだ。
幸いにして、このボスは俺一人でも討伐可能……むしろ手を出されない方がやりやすいまである。ヒモで縛られて三本になった足で走るより二本の足で走る方が早い理屈と同じようなもんだ。が、俺の勝手な希望が画面の向こうに伝わるわけもなく、しばし戦っていると回復を終えた『サヤ』が参戦してきた。連携の欠片も生まれなかったが手数は単純に倍。苦労そこそこに討伐は成功した。
さて、剥ぎ取りだ。この難易度六のステージだと自動剥ぎ取りでは欲しい素材が手に入らないので、手動でやることにする。手動だと品質の振れ幅が大きいが、上位素材のゲットも可能なのだ。
「……けっこう図太いよな。俺もこいつも……これからリアルで同じようなことをさせられるっていうのに……」
<勇者>の最終目的は<魔王>の討滅だが、そこに至るためには<魔王>の配下たる魔物を倒して強くなるのが古からのお約束というもの。<勇者>の職場はリアル狩りゲーなどと揶揄されるくらい、この手のゲームとやることが似通っているのだ。
似ているなら予習や訓練になるという考え方もあるが、スティックやボタンで操作する携帯ゲームではその効果は少ない。ゲームのキャラクターを自在に動かせるようになれば現実の肉体も同じように動かせるようになる、わけがないからだ。脳波操作系のゲームシステムならイメトレとして有効そうだが、それにしたって通信教育で抉り込むようなジャブでも習った方がまだしも効果的に思える。
とまあメリットが少ないとはいえ、デメリットも魔物に喰われるという自分の末路を想起しやすくしてしまう程度のものなので、気分転換にでもなるなら――……。
ふと、黒いものが視界の端で動いた気がした。
何気なしに首を捻り、すぐに元の角度に戻す。
何もなかったからじゃあない。
部屋を覗いている顔を窓の外に見つけてしまったからだ。
ちょっと待ておかしいそんな馬鹿な。窓の向こうは廊下じゃない。空中だ。慣例的に日本人<勇者>に割り当てられている下層の船室なので水面からの高さはそれほどでもないが、そのために防水窓になっている。もちろんバルコニーなどという上流階級の嗜み的なものは付設されてない。付け加えるならこの船室は海側。窓の外に人が存在できるスペースなんかないのだ。
恐る恐る、確認のために視線だけで窓を窺う。……いない。
顔を向けてガン見しても、そこにあったはずの顔は見つけられなかった。
気のせい、だったのか……?
幻覚というか白昼夢というか、そんなものを見たのだとしたら、自分では大丈夫なつもりでもかなり参っているということになる。そうでなければ、人が落下したのを目撃したとか……いや、たぶんそれはないな。横から覗いていた誰かの黒髪は重力に沿っていたような気がする。ブッブー。
「って、失敗しちゃったじゃんっ!」
謎の覗き魔に気を取られていた間に、剥ぎ取りタイムが終了していた。あれだわ、パンチラに気を取られて事故った奴の次くらいには間抜けだわ許すまじ。
コンコンッというノック音が響いたのはその数秒後だった。
誰だ。船内での知り合いといえば攻略会議をしていたガチ勢だが、部屋番号までは教えてない。
ちょっと迂闊だったと後になって思ったが、俺は首を傾げながらも相手を確認する前にドアを開いてしまった。
そこにいたのはセーラー服を着た小柄な少女だった。
「――ムラマサ! お主、我と狩り友になってくれんか?」
「は、い……?」
少女の手には、俺のそれと色違いの携帯ゲーム機があった。剥ぎ取り終了の画面が表示されている。
ちょっと待てちょっと待てちょっと待て。そりゃ確かに、ネットを介さないゲーム機同士の通信距離は糸電話の次くらいには短い。部屋を突き止めるのはそう難しいことではないかもしれない。
いや違う、そんなことは今は問題じゃない。
腰くらいまである髪は黒い。瞳も黒い。けど、少女は日本人という顔立ちじゃなかった。肌も吸血鬼の次くらいには白い……いやそれもこの際どうでもいい。
間違いなくこいつだ、この少女なのだ。さっき窓の外からこの部屋を覗いていたのは。
「実は困っておったのじゃよ。向こうはネットに繋がらんと聞いておるからのぅ」
「そ、そうらしいな」
隔離と言うからにはその点も抜かりなしなのだ。抜かっておいてほしかったが。
どうする。覗きについて触れるべきなのか。そのへん突っつくと蛇が出てきそうで怖い。さっきの一幕さえなければ歓迎すべき訪問だというのに……。
「あー……そっちはサヤ、でいいのか?」
とりあえず無難に、自己紹介でもしないかという意図を返す。
「うむ。小さい夜で小夜、じゃ」
「本名なのか……」
俺も名前のまんま登録しているのでお前が言うな感が満載だがそれより。
「その時代劇で覚えました的な古めかしい日本語は一体……」
「む……そうかの。これでもずいぶんまともになったと言われたのじゃがな……」
「それでまとも……」
「言葉遣いなどどうでもよいっ。もう一狩り征こうぞ!」
「お、おう……」
思わず頷いてしまった。
勢いある発言に釣られて、じゃない。
楽しみを前に興奮してキラキラしているのに奥底は淀んでいて光がない――まるで深淵を見ているかのような暗い目に気圧されてしまったのだ。おそらくこの少女、すでに周回という名の払い難き深い闇に囚われてしまっている。
内開きのドアが少女の足によって閉められた音が、妙に重々しく響いた。
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