第2話 辺境の姉妹とただの居候

 未来にきた次の日、ペラペラな毛布だけの寝床で大の字になっていた大河に、異国の新鮮な朝日が射し込んだ。

 眠っている頭の中の霧が徐々に消えていき、黒くくすんだ天井の木目があらわわになっていく。


「やっぱり実家に戻ってきていないか……」


 ここが知らない世界であることが、夢であって欲しかった、でも夢では無かった。

 はて、どうしたものか、と思う湿った気持ちとは裏腹に、お腹はぐぅと存在を主張している。

 取り敢えず……まずはメシだ!

 大河は体に正直な性格だった。


「あ、おにーちゃんがきたぞ!」


「お? やめっ……グフッ!」


 俺を発見するとエリは、即座にターゲットロックオン、ロケット頭突きをしてきた。

 くっ……この躊躇ちゅうちょのなさ、誰がこんな子に育てたんだ! 親の顔が見てみたいわ!


「やっと起きたの? もう私とエリは朝ごはん食べちゃったよ。テーブルの上にご飯置いてあるからしっかり食べてね」


「おにーちゃんが遅いからエリはもう食べちゃったのだ」


おいおいおい、会って2日目だというのに、未来人は親切だな。

東京だったら、今ごろマックのカウンター席で、独り寂しい夜を明かしていたぞ。あれっ? マックって未来でもあるかな?


「お、ありがとう……って味噌汁だ! 未来も朝ごはんは米に味噌汁なのか! うおー、いただきます!」


 テーブルの上には白米と味噌汁、そして昨日の初めてみた大きなヒレ魚の残りが用意されていた。

 こんなどうなっちまったか分からない未来で、俺の時代の文明に出会えるなんて……味噌汁、サイコー! トルテさんまじオカン!


「……まさか味噌汁でこんなに喜ばれるとは思っていなかったわ」


 少し冷めてしまった味噌汁をすすっていると、ちょっとしょっぱいなーと失礼な事を思ったり、現代の味と似ている部分あるなーって気付いたり、やっぱ母ちゃんの味噌汁とは違うんだなーって再認識されて、どうしても俺は異質なんだという事を感じてしまう。

 俺にとっては2日前の事なのに、実際には100年以上経ってしまっているらしいし? 未来って雨漏りしそうな納屋に住むほどに荒廃しているのか?

 文明が失われたってどんなジョークだよ。


「わかんないって顔、してるね」


 左手にお椀を持ったまま箸が止まっていた俺に、トルテが声をかけてくれた。

 いーや、この大河さま、ちょっとやそっとの波瀾はらんじゃ物怖じしませんよ!

 本当ですよ!


「………………」


 そんなに俺の顔を見るなよ、恥ずかしい。

 ……正直、救われた気持ちになった、いや、ここに来てからずっと救われている。わかんなくて、わからなすぎて、頭ん中パンクしそう。


 俺、なんで未来になんかきちゃったんだよ。

 ああ、味噌汁がしょっぱい、しょっぱすぎる。お米もしょっぱい、野菜もしょっぱい、未来人は塩分過多なんじゃないの?


「ご飯食べたら少し外に出ようか。ついでに水を汲みに行くの手伝ってよ」


「そうだな、なんだか無性に体動かしたくて仕方なくなってきたぜ」


「それじゃあ、そのあとは力仕事もやってもらおうかな。魚を釣ってもらったり、畑にクワを入れてもらったり、それから洗濯してもらったり……」


「おいおい、勘弁してくれよ。まさか俺を助けたのは奴隷にする気だったのか!?」


「おにいちゃんは死ぬまでエリのために働くのだー!」


 こんな辺鄙へんぴなところで、この子どこでそんな物騒な言葉覚えたの!? おにいちゃんは絶対に許しませんよ!

 この姉妹といると、沼の底に沈んでいくような暗く悲しい気持ちも、どこか浄化されてしまう。初めて出会ったのがこの二人ではなかったら、俺はもっと取り乱していて、今ごろどこかの道端で倒れていたかもしれない。



  ×  ×  ×



「あらためて見てみると、辺り一面が瓦礫がれきっていうより、もはや瓦礫の地層ができているって感じだな」


 トルテたちの家の外に出て、まず目に入ってくるのは瓦礫、瓦礫、瓦礫、そして瓦礫だ。ビルだったり、家だったり、コンクリートや木材、金属、機械、その隙間を埋めるように土や岩石が固め、その上を雑草やつたが緑色にデコレーションしている。


「それはそうよ。『原始の炎』で世界がめちゃくちゃになった当時の建物が崩れて、その後何年かは土砂が空から降り積もっていったって話しなんだから」


 ビルが崩壊して土砂が宙を舞うなんて衝撃、ファンタジーの世界か! と普段なら思う大河も、目の前のビルの地層と何十年という時をかけて絡みついたような蔦の網目模様を見て、不思議と自然に受け入れてしまった。


 その手前のこぢんまりとした家庭菜園スペースに、白菜のような緑の葉っぱの絨毯が広がっていて、エリが楽しそうに水をかけていた。


「それじゃ、ここの地面を掘れば俺の時代の建物とか、機械とかが掘り起こされるってことか?」


 地面から少し飛び出ているビルの残骸であろうコンクリートを軽く蹴ってみる。風化しているためか、意外にも脆くて、ザリッとコンクリート片になる。


「んー、どのくらい昔の建物かってことは私も分からないけれど、きっと地下にはいろんな機械とかが埋まっていると思うよ。けれど今大河が試したように、もう風化していて保存状態が悪いし、そもそも昔の機械なんて私たち使えないわよ」


 それに……と悪戯いたずらな笑みをこぼすトルテ。


「昔の遺物には『原始の炎の残り香』があるの。やたらと触っちゃうとその建物みたいに体が壊れちゃうよ」


 欠けたコンクリート片が地面に落ちて、それはビスケットのように粉々に砕けた。


「そういう大事なことは早く言えよ! うっかり蹴飛ばしちゃったじゃん! 俺も死ぬの!?」


 そんな簡単に死ぬわけじゃないわ、ちょっと身体がだるくなったり、眩暈がするだけよ、と笑うトルテ。

 いや、まったく安心できないんだが、というより、やっぱり死ぬ可能性はあるのかよ! と突っ込みを入れつつ怯えていると、右手に持っていた鳥籠を見せるようにトルテが前に突き出してきた。

 中に入っていた黒い鳥がギーギーと鳴いている。

 たしか食卓にいた鳥だ。こんな貧乏な姉妹だ、非常食じゃないの?


「私たちには『原始の炎の残り香』の濃度なんてわからないわ。けど、この『標鳥しるべどり』のような一部の動物には濃さがわかるの」


 トルテが鳥籠を瓦礫の残骸に近づけると、標鳥と呼ばれた鳥はギャアギャアと騒ぎ始めた。

 ……なるほど、野生の動物を使って危険な場所を判定しているのか。

 2137年はずいぶんアナログだね。


「それじゃ、この世界を歩く時の注意点は伝えたし、さっそく水を汲みに行こうか……それっ!」


 勢いある掛け声とともに、ころころころ、と転がされる樽。非力だね。

 膝くらいの高さの樽を見て、果たして水汲み場をなん往復されることやら、と大河はちょっとうんざりした。


「さあ、行くよ!」


「へいへい。お供しますよ、お嬢さん」


「よろしい、ついてきたまえ!」


 ……訂正、何も知らない俺に知識を教えるのが嬉しいようで、若干ノリノリなトルテにかなりうんざりした。



  ×  ×  ×



「つ、疲れたー!!」


 上半身を机にうつ伏せにして、ぐーっとだらしなく伸びをする大河。

 井戸まで歩いては樽に水を汲み、納屋の貯水用の大樽に入れてはまた井戸に行く、1時間ほど単純な力作業を繰り返してやっとトルテから「ありがと〜」の言葉が出た。


「お疲れさま。大河ってすごい力持ちなんだね、私びっくりしちゃったよ!」


「これで2日間は持つね、おねえちゃん。おにいちゃん、おつかれさまなのだ〜」


 お昼にしよう、とトルテがご飯を作ってくれている。

 後ろ姿しか見えないけど、俺が「おにぎりが食べたい」と言ったので、おそらくせっせと塩おにぎりを握っているのだろう、軽やかにトルテの腕が動いている。

 それにしても、こんな重労働を2日に一回は繰り返していたのかこの姉妹は。

 よっぽどこの辺鄙なところが好きなんだな。


「なあ、なんでこんな不便なところに住んでいるんだ? もっと人のいる所で生活すればいいじゃん」


 一瞬、昼メシを用意するトルテの腕のリズムがずれたように見えたが、すぐに元の良いリズムに戻っていた。


「たしかに、不便な生活だけれども、ここに住むことは私たちが決めたことなんだよ。それに、魚とかお米とか、私の村の人がたまに持ってきてくれるし、野菜は簡単に育つからそこまで困らないかな」


「ふーん、俺はテレビとかネットとか無かったら、2日で退屈に倒されちゃうけれどね」


「あ、『てれび』と『ねっと』って聞いたことあるよ。ねぇ、大河の時代の機械のお話を聞かせてよ。私すっごく興味あるんだ!」


 台所で料理を終えたトルテが、じゃーん、と言いながら塩おにぎりとサラダを持ってきた。

 トルテの側で一緒におにぎりを作っていたエリも、嬉しそうに一回り小さいおにぎりを持っている。


「あ〜、予想はしてたけど、やっぱりテレビもネットも無いのか……実はここは過去なんじゃないかと思うよ」


「残念未来でした。でも、『てれび』とか、昔の技術を復活させようって研究が王都ではされているわよ。大勢の学者さんが過去の書物を調査したり……実は少し思っていたんだけれど、大河が王都に行ったら、技術の進歩に貢献できるんじゃない?」


「え、まじ? そしたら俺この時代の英雄になれるって感じ? 確かにこの文化レベルを考えると、俺ってスーパーチート持ちなのか?」


 言葉の意味はわからないけどなれるなれる、と皿の上のサラダを箸で掴みながら話すトルテ。その箸は綺麗に洗われているけど、長い間使っているような傷がいくつもあった。


 ――王都に行って、俺の時代の話をして偉い人に気に入られたら、少しはトルテたちの生活に支援できるようになるかな。

 そんな気持ちが、大河の心の奥底にポツリと生まれた。

 単純明解、考えるよりも行動派、そうと決まれば大河の行動は早い。


「決めた! 俺、王都に行ってみる!」


 急に立ち上がって言う大河の顔を、キョトンと見るエリとトルテ。


「それで技術の進歩に役立って、お金稼いでくる。そしたらトルテたちのこの家もどーんと新しくして、もっと良い生活をしよう! それに、テレビとか機械の凄さってのを見せてやるよ!」


 威勢のいい大河を見て面白がる妹。


「それって……ある意味告白だよ? 待ってるからね」


 大河の目を見て満面の笑みの姉。


 さあ、やることができたな、と大河は塩おにぎりを勢い良く頬張った。

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