終焉の魔女と騎士

星野涼

第1話 終焉を迎えた世界の続き

 佐倉大河さくらたいがが目を開けると、そこは知らない部屋だった。

 部屋というには余りにも質素で古びていたので、ここが自分の家ではないことは直ぐに分かる。

 くんくん、と視覚に続いて嗅覚が反応する。エスニックとでも言うのか、嗅いだことのないどこかアジアンテイストで独特な香りが漂う。

 いったいここはどこだ? 辺りを見渡してみるが、窓から見える夜空には月が覗くだけで、しんしんと黙っている。俺はどこか知らない場所に連れてこられてしまったのだろうか。

 そう思うと、急に体の芯が冷たくなるような、大きな恐怖が背中から大河に覆いかぶさってきた。


 ――これは本当にヤバい。


 ギシギシ、と木の床を踏む音がして、ぎゃあと情けない声が出た。

 どうやら部屋の外で誰かが歩いているらしい。

 その音はだんだんと近づいてきていて、大河はますます怖くなった。

 必死に息を殺し、存在を消そうとする気持ちとは真逆に、身体は粘り気のある汗を流し、心臓は太鼓のように野太いビートを刻んでいる。


 徐々に大きくなる足音が、部屋の前で止まった。

 姿のわからない未確認生命体の目的地は、この大河のいる場所のようだ。

 ギィ、と錆び付いた音を響かせながら扉が開いた。

 怖い! 頭を両腕で隠してその場で丸まってしまった。


「……お兄ちゃん、どうしてそんなすみっこで丸まっているの?」


 誘拐犯、というには語弊のある幼い声がしたので、怯えながら目を開けると、そこには9歳くらいの小さな女の子が、首を傾げながらこちらをまじまじと見ていた。

 大河はようやく我に帰り、自分よりもずっと年下の女の子の目の前で、無様に丸まっている状況に気が付いた。

 それと同時に、凶悪な犯人ではないことが分かり、張り詰めていた力が抜け、体の震えも次第に溶けていった。


「あ、おきゃくさんが目を覚ましたから、おねえちゃんを呼んでこなくちゃ」


 小さな来訪者ようじょは、「おねーちゃーん」と大声をあげながら、ドタドタと廊下を走って行った。


「なんなんだ、いったい……」


 大河は安堵あんどするとともに、身体中がずっしりと重たくなるのを感じ、伸し掛かるような睡魔が襲ってきた。

 ここはどこなのか、俺はなぜここにいるのか、母ちゃんはどこに行ってしまったのか、気になる事はたくさんあるけれど、何もかもとりあえず置いて目を静かに閉じた。



 ×  ×  ×



「今日も親父は連絡を寄越さないのかよ。母ちゃんくらいには少しは優しくしろっつうの」


 大河は「コーヒーにいれる牛乳が切れちゃった。パパが帰って来たら欲しがるから」という母親にお使いを命令されて、500円を片手に、近くのスーパーに向かっていた。

 時刻は22時を回り、道端には帰路につくサラリーマンの姿がまばらに見える。


「母ちゃんもあのクソ親父が、家に帰ってこない事ぐらい分かっているだろ!」


 足元にある石を、靴でコツンと蹴る。

 蹴飛ばされた石はコロコロと舗装された道の上を転がり、大河の3メートル先に落ち着く。


 大河の父親は、世界でも有名な科学研究者だった。

 数多くの著書があり、名のある企業から式典に招待され、様々な国を渡ったエリート中のエリートである。

 だが、17歳の大河には、父親が何を研究しているのか、何を目指しているのか、心の底からどうでも良かった。

 他の家の父親のように、夜遅くには家に帰ってご飯を食べて、週末にはテレビを見ながらゴロゴロとして、たまには母親と二人でどこか食事に出かける、そんな父親でよかった。

 連絡もなく、家にもまったく帰らない父、それでも母は父のために好きなものを用意して待っているのが、大河には滑稽に見え、堪らなく腹立だしく思えた。


「どんなに立派な仕事をしようが、隣の人を大切にできないやつに何ができるんだってんだ!」


 今度は少し強めに石を蹴る。

 再び飛ばされた石は跳ね上がり、5メートルほど勢い良く前に進んだかと思うと角度を変え、車道に飛び出ていく。

 いっけねと車道に行くと、前方からヘッドライトの光が大河の眼鏡に反射した。


 ――それでもかあちゃんはね、前をずっと見ているあの人が好きなんだよ、と嬉しそうに言う母親の表情がどこか懐かしかった。



 ×  ×  ×



 夢?


「……目が覚めた? 少しうなされていたようだから、少し心配したよ」


 再び、目を覚ました俺の前には、先ほどの小さな女の子と、その姉らしい少女がこちらを心配そうに覗き込んでいた。

 そんなにうめいていたのだろうか、目の前の少女の心がまるで摩耗まもうしているかのように思えた。


「……ああ」


「あ、ごめんね、いきなり知らない人に話しかけられても困るよね。でも、安心して、私たちはあなたに危害を加えるつもりはないから」


「おねーちゃん、きがいってなに?」


 危害っていうのはね、と女の子に説明を始める少女。

 わかんないと呟く女の子と困る少女の、その微笑ましいやりとりに、思わず安心してしまう。

 この様子なら、別にハゲた強面サングラスの堅気の人が出てきたり、知らない間に臓器を提供させられたりはしなさそうだ。


「お、どうやら大丈夫そうだね。お腹は空いている? ご飯を作ってあるから、準備ができたら隣の部屋に来てね。さ、エリも行くよ」


 今日のごはんはなに? と聞く女の子と、魚の塩焼きと答える少女は、トタトタと部屋から出て行ってしまった。


「……少し、気を使わせちまったな」


 大河の頭は出口のない迷宮を行き交うように、状況を捉えることが出来ていなかった。

 明らかに女の子と少女の着ている服が見慣れないこと、日本にしてはここが余りにも水準の低い造りの建物であること、会えた人が俺の全く知らない人だったこと、年甲斐なく母ちゃんが恋しくなったこと。

 ――さっき見た夢が、大河の最後の記憶だったこと。


 俺はあの車にかれて死んだのだろうか?

 だとしたら、今の俺はいったい何だ?




「あ、やってきたね。それじゃあ、夕飯にしようか! 今日はトルテ特製の、村から運ばれてきたばかりの魚の塩焼きと、近くの畑で取れた新鮮お野菜のおひたしよ! さあ、じゃんじゃん食べなさい」


「今日はごうかー!」


「まずはいただきますでしょ!」


 ごつんと拳骨を食らい、ぎゃあ、殴られたーと叫ぶ。

 10畳くらいの広間には小さな収納タンスや本棚が置かれ、部屋のすみでは黒い鳥が「チチチ……」とかごの中で鳴いている。

 その真ん中を陣取る木のテーブルには、見慣れない魚や野菜が並んでいた。

 トゲトゲした大きな背びれのついた魚に、ほうれん草や水菜のような細長い葉茎菜類ようけいさいるい、ちょっと乾燥した米のようなもの、不安で心許ない俺には、明るく賑やかな女の子と少女の争いに、救われた気持ちがした。

 口にした魚はしょっぱくて、どこか懐かしい味がした。


「それじゃあ、あらためて初めましてだね。私の名前はトルティーユ・エバー、長いからトルテって呼んでくれるといいかな。それで、この寝ている子はエリ・エバー」


 俺が夕飯を食べている間、エリはトルテにご飯を食べさせてもらって満足したのか、今ではすっかりすーすーと規則正しいリズムで寝息を立てている。

 トルテがエリにご飯を食べさせる姿は、母性にあふれていて、とても同じ年くらいの少女には見えなかった。


「俺の名前は佐倉大河。正直、頭の中がぐっちゃぐちゃになっていて、聞きたいことたくさんある。でも、まずは初対面の俺を助けてくれてありがとう」


 俺の名をつぶやくトルテに向かって、俺は深々と頭を下げた。

 トルテの着ている汚れた服や、この木製の質素な家、おそらく二人で暮しているのだろう、決して裕福な家庭ではないことは容易に想像がつく。それでも、見ず知らずの俺を助けてくれたのだ。

 感謝してもしきれない。


「はいはい、そんな辛気臭いことはなし! 私たちがやりたかったから、やっただけだし。そりゃあ、エリが外から帰ってきて、森の中で知らない人が倒れてるって言った時はびっくりしちゃったけど」


「え、俺、森の中で倒れていたの?」


「そうよ、なんかどこからか吹っ飛ばされたように倒れていたんだから。一目見て、あ、これはヤバいやつだって感じたわ」


「生きているからいいけれど、俺かっこわるいな、それ」


 ふふ、本当にダサい格好だったわと笑うトルテ。



 ……俺の記憶は車にかれる前だった。

 トルテが俺を見つけたときは吹っ飛ばされた状態だった。

 だが俺はいま病院ではなく、知らない場所にいる。

 これはなんだ? 轢かれて死んで、死後の世界にいるのか?

 え? じゃあ、俺は漫画の主人公のように、特別な能力を持ってこの世界にやってきた勇者なの? 世界を救うの?


「……トルテ、これは聞くのが怖いのだが、ここはどこなんだ?」


「ここは日本だよ紛れもなく。多分、タイガの知っている国とは違うかもしれないけれど」


 日本。

 けれど違う日本。

 冷静に聞こうと頑張ったけれど、ますます分からん。

 なんだ? 君の知っている国と違うって。


「タイガは信じられないかもしれないけれど、いま、2137年なんだ。もしかしたらって思ってた。でも、タイガの名前を聞いて、サクラって聞いて確信したんだ。タイガ、君は過去から未来にやってきたんだよ」


 2137年? 今が2016年だから……約120年後の日本?

 俺は過去から未来にやってきた? この今にも潰れそうな建物のある未来に?

 日本じゃない日本?


「やっぱやめ……」


「君の着ている服、汚れているけれど見た事ないデザインだったから不思議におもっていたんだ。それに、


「……やめてくれ」


 俺は声を絞り出した。

 喉が震えて、声というにはかすれて、震えて、弱々しい物かもしれないが、これじゃだめなんだ、そんな嘘を聴き続けたくないんだ、という意思表示をトルテにしてやりたかった。

 そうすれば流石にやり過ぎたと察して、「残念、ドッキリでした! びっくりした?」と母親や高校の友達、テレビのディレクターが部屋の外からひょっこり出てこないかと期待した。

 この瞬間を誰でもいいから否定して欲しかった。

 否定して欲しかった。


 だけれどあたりは一向に静かなまま、トルテは相変わらず包み込むような優しい表情で、だけど奥底に揺るぎない信念を秘めたひとみで、俺のことを見ていた。

 だから俺は逃げてしまった。

 立ち上がり、部屋をでて、「タイガ!」という声を無視して、前にある扉を開けて駆け出した。

 どこまでも駆け出すつもりだったのに、本当に少しだけ、5メートルくらいしか駆け出せなかった。


「嘘……だろ」


 トルテの住む家の周りには、苔のした斜めに崩壊したビルの塊や山肌から崩れ落ちてきたような土砂が積もっていて、俺は月明かりの中でただただただずんでいた。


 ――原始の炎


 後ろを振り返ると、トルテが家の前に立っていた。

 家だと思っていたその住みかも、倒れた納屋を素人が補強しただけの単純な造り。


「これは過去の歴史の話。だから真実なんて全然わからないし、信憑性しんぴょうせいもない。だけれど聞いて。2021年10月2日、世界終焉の日、地球の半分以上を『原始の炎』が世界を包んだ。世界が、文明が、命という命が一瞬で失われた」


 家のような住居の明かりが逆光して、トルテの顔が見えない。

 だから、代わりに俺の顔がトルテから、しっかり見えているのかな。


「『原始の炎』の衝撃は海を揺らし、大地を切り崩し、空を響かせた。いま私たちが立っているこの場所も、かつては高度な科学技術を持ち、機械化の進んだ都市だと聞いている」


 夢なら醒めてほしい、でもこれが現実なんだって分かっちまった。


「その時に国を動かす偉い人も、頭のいい学者さんも、みんなを助けるお医者さまも、みんなみんな、いなくなっちゃった。文化も変わっちゃって、いま、サクラなんて名前、聞かないんだよ」


 足元にはびた標札が一部だけを残し、地面に埋もれてしまっている。

 そこには無機質に印刷された「東京」の文字だけが読み取れた。


 同世代の女の子に泣き顔なんて見せたくなかった俺は、澄み渡った星空をただただ眺めるしかなかった。

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