第5話 暴力のプロ・・・・どっちが?
この国に来て唯一良かったと思えること。
それは、わたしが「本物の」暴力の中で暮らしているという事実だ。
中学の彼女・彼らは、いじめをクールなエンターテイメントと位置付けていた。いじめる側が、”過酷な現実”、を理解した大人であり、いじめられる側は人間としての自己を持たない子供、と定義づけていた。
でも、この街に来てわたしは彼女・彼らがいかにアマチュアであったかということを今更ながらに認識した。
いじめる側が振るう暴力は、必然性がない。いつでも逃げられる。
片や、いじめられる側は否応なく暴力に晒される。
つまり、いじめられっ子の方が、暴力のプロなのだ。
それは、わたしという人間が、勤め人として会社の業務命令により、否応なくこの地に赴任していることと同義だ。会社はこの街が最悪の治安状態だということを踏まえて海外出張手当を算出している。暴力に晒されることがわたしの仕事であるとも言える。わたしは職務プロでもあり、否応なく浸らなくてはならない人間こそが本当の意味での暴力のプロなのだ。
極論すれば、暴力団員よりも、いじめられっ子の方が暴力のプロであり、暴力を語る資格がある。
わたしはどんな大人びた本を読んでも、どれだけ知的な作業を行っても、彼女・彼らを打ち負かした気にはなれなかった。
でも、今、わたしは、目の前にリアルな重量感のある2丁の銃を見ている。
そして、この銃の所有者2人は、誰かを殺すか、あるいは殺さないまでも半殺しにするかはしている。
ごく普通の日本企業に勤めるわたしが、職業として暴力と隣接している、あるいは常に自分が暴力の当事者であるという状況に置かれている。
いじめをクールな暴力とうそぶいていた彼女・彼らの「中2病」に、思わずぷっと吹き出す。
ああ、嬉しい。最高だ。
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