第10話 旅立ち
僕は、眠りから覚めた人々の住む町を歩いて回った。
「もう殆どの人間が眠りから覚め、新たな世界の住人としての暮らしを受け入れているわ。この世界では、人間は自分の生きたいように生きていける。その為に必要な糧は、全て『カカシ』達が、労働として生み出しているわ」
フィリアの説明に、僕は目を細めた。
「人間にとっては正しく理想の世界だ。教会が追い求めてきた理想郷が、こうして現実になった」
新しい世界は僕が生きてきたそれとは違っていて、町並も家の造りも、東洋の中世建築を模しているように思えた。『カカシ』の世界が始まって半年余りではあるものの、人間が神として与えた知識や経験は、著しく『カカシ』文明を発展させていた。
「ここがこの世界の中心、ウィズパニアよ」
「ウィズパニア……」
町の中心は円状の広場になっていて、そこには3メートル程の泉があった。
その上空に、フラミンゴス教会の巨大なロザリオが、モニュメントとして設置されている。
「この世界でも、フラミンゴス教会が厚く信仰されているのか」
「はい。我々『カカシ』が目覚めた時には、既にこの世界の中心は、あのロザリオでしたので」
ユースの胸元にも、木製のロザリオがぶら下っている。
僕は沈黙したまま、周囲を見回した。人間達は皆シルクの洋服を着て、働くという概念を失った人々が、悠遊とした暮らしをしている。
反して町の隅に目を向けてみると、そこにはボロキレの布を繋ぎ合わせて作った服で、汗を流して働く『カカシ』達がいた。
「彼らは第3統の『カカシ』なので主な仕事は労働ですが、下級の『カカシ』になると、殆どは人間の道楽の為に一生を終えます」
ユースの説明に、僕は眉を潜めた。
「かつて私達『神』が人間にしたことと同じよ。ただの気まぐれで、簡単に命を奪ってしまう」
フィリアの視線の先に、黒ずんだ跡のある地面があった。
「……人間は我々『カカシ』を創られた神であるので、その神に殺されて、どうして文句が言えましょう。それが『カカシ』にとっての、現実なのですから」
「……これは、『カカシ』の血なんだな」
ユースが、ゆっくりと頷いた。義眼の目に太陽の光が反射し、輝いている。自分の肉体を捧げ、人間の為に労働し、道楽の為だけに殺される『カカシ』。
フラミンゴス教会は、人間が神となる世界を築く為に『終わりの日』を肯定し、不完全なまま、新しい世界を始めた。『人柱』が存在しない世界では、何もかもが不安定で、脆く崩れやすい現実が横たわっている。
通りの向こうに、ぞろぞろと列になって歩く『カカシ』達がいた。
「あれは……」
「彼らは神殿へと向かうのです。神に選ばれし『カカシ』は、この世界の土台となるべく、その身を捧げるのです」
ユースの口元は笑っていた。それでもその目は、悲しんでいるようにも見える。
神殿へと向かう『カカシ』の娘の手を取って、ぐいっと引っ張る男の『カカシ』がいた。
2体の『カカシ』は向き合うと、沈黙のまま走り去っていった。
「あ……」
その時、上空から獣の咆哮が聞こえた。
獣は逃げた2体の『カカシ』の前に飛び込むと、間髪入れずに男の『カカシ』を喰い千切った。
余りの衝撃に声が出なかったが、獣から人の姿に戻ったその男を見て、やはりそうかと息を詰まらせた。
「……ウォーズ」
その呟きに、ウォーズが僕に目を向けた。ウォーズの目の前には、喰い殺された『カカシ』に泣き崩れる娘がいた。その彼女を無理やり引っ張り上げ、列へと戻すウォーズに、「何やってんだ、お前っ……!」と思わず声を荒げた。
「こんな冷酷なこと、お前が出来る筈ないだろっ……!」
僕はウォーズの下に走った。通りの向こうから、じっと僕を見つめるウォーズが、血まみれになった口元を拭った。
無表情のままに何かを言おうとしたウォーズの下に、フードを被った男が近づいてきた。
「何をしている? 行くぞ、カルデナ」
そう聞こえた。
「ダメだ、ウォーズ! 行くなっ……!」
僕の叫び声も虚しく、ウォーズは姿を消した。
僕は無残な姿になった『カカシ』の下に崩れ落ちた。既に息絶えていた。
僕達は『カカシ』を見晴しの良い野原に埋葬した。
「……死者を土に還すのは、不安定な世の中の土台にする為なのだそうです」
ユースが同胞の『カカシ』の墓の前で呟いた。
「……ごめんな。本当はこんなこと、出来る弟じゃないんだっ……!」
僕は泣きそうになるのをぐっと堪え、唇を噛み締めた。
「恋仲、だったのでしょう……」
ユースの声が落ちてきた。
「ウォーズ様は間違ってはおられません。神に選ばれし運命に、逆らうことなどできやしないのです。神のご意向に刃向った為に、このような最期を迎えただけです。感情など、『カカシ』には必要ないのに……」
「ユース……」
僕を見て、優しく笑うユースに、切なさを感じた。
「これが、この世界の現実よ。貴方自身の目で見て、何かを感じたかしら?」
フィリアの問い掛けに、僕は背中に立つ彼女に振り返った。
「……この世界のどこかにあるという『羊の門』、それを開けるべきなのか、閉じるべきなのか、今の僕には分からない。分からないことだらけなんだ。でも、この世界が『カカシ』にとって幸せではないことくらい、分かっている」
「ヴァン様……」
「ユース、お前は幸せか?」
僕の質問に、ユースは目を伏せた。
「僕は、幸せだとは思わない。人間が神になった世界? 何だよ、それ。ただ怠けたいだけだろう? 『カカシ』を不安定な世界の土台に? 道楽の為に他者の命を奪うことが、お前達の神の教えなのか? 違うだろ? こんな世界は間違っている。ごめんフィリア。ごめんなさい、父さん。世界を終わらせるなと言われたけど、僕は、僕は……!」
フィリアとユースが、僕をじっと見つめている。ゴクリと唾を飲み込んだ。
「僕は、この世界を終わらせたい! 『神』も人間も『カカシ』も、皆が幸せでいられる世界を創りたい! その為にも、僕が『羊の門』の継承者になる。この世界を終わらせ、僕が新しい世界を始める『人柱』となる……!」
「ヴァン様……。ご随意のままに。どこまでもお供致します。私の神は、貴方様だけですから」
「ふう。リオネスが聞いたら、さぞかし笑い転げるでしょうね。けれども退屈はしなさそうだわ。良いわ、私も『人柱』の先輩として、貴方達に色々とアドバイスしてあげる」
「ありがとう、フィリア。ユースもありがとうな」
「いいえ、ご立派です、ヴァン様」
にっこりとユースが笑った。
「そうと決まれば、フラミンゴス教会よりも先に、『羊の門』を探し出さなければならないわ?」
「まずはどこに行けば良いんだろう?」
僕はうーんと考えた。
「この世界の移動手段はただ1つ。前の世界から存続する、『現有物』の1つ、スモック鉄道よ」
「スモック鉄道……」
僕は定められた運命を感じ、大きく頷いた。
「あの人なら、例え神になったとしても、働き続けているだろうな」
「忘れてはいないようね」
悪戯にフィリアが笑っている。
「忘れるものか、何たって、自分の兄貴なんだから」
僕は、真上の太陽を見上げた。
「久し振りだな、ケルヴィン兄さんに会うのは。まずは、蹴っ飛ばされる覚悟をしないとな」
僕は苦笑いを浮かべた。
新しい世界は刻々と時間を刻んでいる。この世界が『終わりの日』を迎えるまで、僕は『神』と『カカシ』と共に、どこまでも歩んでいくと誓った。
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