第8話 人柱

 チュンチュンとスズメの鳴き声がする。


 深い溝の奥にあった意識が、ゆっくりと上昇していく気がした。

 

 自分と周囲の環境が繋がれ始め、僕は、ゆっくりと瞼を開けた。


「ここ、は……?」

「目が覚めたのね!  良かったわ!」

 女の子の声がして、はっと上体を起こした。

「えっ、ここは……君はだれ……?」

「あら、覚えてなくて?  私よ、わーたーし。ずっとおぶってくれていたでしょう?」

「え……?」

「“寓話の婦人マダムグース”よ」

 

 うふふ、と碧瞳の金髪美人が笑った。水色のワンピースエプロンが良く似合っている。


「え……?  どういうこと?  僕、死んだんじゃ……」

「いいえ、死んでなどいないわ?  ただ少しの間だけ、眠っていただけよ」

「眠って……?  睡眠が戻ったの?  っていうか世界はどうなったの?  少しの間ってどのくらい!?」

「もう!  質問が多い男の子は嫌いよ!」

 

 ぷいっとそっぽを向いた彼女に、「ご、ごめんなさい」と謝った。

「少しは反省したかしら?」

「はい!  すみませんでした!」

「よろしい!  では、貴方の質問にお答えするわ。まず睡眠。これは人間の本能として戻りました。次に世界。これはまあ、追々ね。最後に眠っていた期間。これは個人差があるけれど、貴方の場合はそうね、半年ってところかしら」

「半年!?」

「ええ、半年。丁度貴方が眠れなくなった期間も、半年だったでしょう?  それと同じ時間を、貴方は眠っていたの」

「そうなんだ……」

 

 僕は、ベッド脇に置かれていた手鏡で、自分の顔を見た。半年の不眠のクマが、綺麗さっぱり消えていた。


「心配しなくても、中の下よ?」

「ああ、ありがとう……」

 理解不能な現状に、どっと疲れが襲ってきた。

「それで、世界はどうなったの?」

「それは、貴方自身の目で確かめてみると良いわ?」

 “寓話の婦人マダムグース”が窓の外に目を向けた。

 

 僕はゴクリと唾を飲み込み、ベッドから出た。一歩一歩と窓に近づき、カーテンを掴んだ。そうして一気に開いた世界は、僕が知るものとは違っていた。


「これって……」

「ええ、世界の始まり。まだ大部分が植物が生い茂る世界だけれど、既に開拓と文明は、息吹を上げたわ?」

「文明?」

「ええ、『カカシ』という新たなが築いた、全く新しい世界よ」

「新しい世界?  ていうことは……!」

「ええ。貴方の世界は無事に『終わりの日』を迎え、『カカシ』達の新たな世界が始まったのよ」

 “寓話の婦人マダムグース”は笑って言った。

「そんな……」

 僕は落胆した。

「……人間は?  人間はどうなったの?」

「ニンゲン?」

 顔を上げた。“寓話の婦人マダムグース”が首を傾げている。

「人間なら、神になったけれど?」

「はあああ!?」

 

 訳が分からなかった。

「人間が神!?  どういうことっ!?  『カカシ』達に滅ぼされたんじゃないの!?」

 シーンと“寓話の婦人マダムグース”が冷めた表情を浮かべた。

「ごめん、質問しすぎたよ……」

 

 僕は反省した。「はあ」と溜息が漏れた後、“寓話の婦人マダムグース”の小さな口が開いた。

「貴方がいた世界では、人類を創ったのは『神』なのでしょう?」

「ああ、うん。大昔には進化論というものもあったらしいんだけど、フラミンゴス教会が、全て異端としたらしいから」

 僕は目を反らした。

「人類を創ったのは『神』で、同様に、『カカシ』を創った人間は、神となった」

「はい……?」

「起源論の話よ。貴方がいた世界、つまりは人間の世界、それの前には『神』の世界があった。『神』は人類の創造主であり、万物の父でもある。起源とされた『神』は貴方達が信仰とする唯一絶対の存在となり、人間もまた、『カカシ』達からすれば、自分達の起源となる絶対の主なのよ」

 “寓話の婦人マダムグース”の説明に、僕はポカンと口を開けた。

「もう!  だらしのない顔ね!  つまりは人間は『カカシ』にとってのカミサマなの!  ただ、貴方がいた世界と違うのは、すぐそこに神が実在するというだけよ!」

 それでも僕は、頭の中を整理出来ずにいた。

「ここはもう、貴方がいた世界とは違う。ここは『カカシ』が支配する世界で、その『カカシ』を支配する人間が神と呼ばれる世界なの!」

「……ということは結局、『羊の門』は開いてしまったんだ」

 僕は俯いた。

 

 父さんが命懸けで守ってくれたのに、結局僕は約束を守り切れなかった。


「羊の門?  そんなモン、開いてなどいないわ?」

「えっ……、でも世界は終わったって、新たな世界が始まったんだろう?  そういうことなんじゃないの?」

「確かに『羊の門』は開きかけたけど、肝心な『人柱』が存在しない。だから今はまだ、ちょこっとだけ隙間が開いている状態ね。不完全なのよ、何もかもが。だから頻繁に災いが起こる。天災、人災、カカシ災、災い転じて福となす為には、どうしても安定剤となる『人柱』が必要なのよ」

 “寓話の婦人マダムグース”が目を細めた。

「人柱……君が、そうなんだろう?」

「ええ。『神』の世界を終わらせて、人間の世界を始めた『人柱』が私。でもどうして私だったのか、それだけが思い出せない」

 表情を隠す彼女に、僕は訊ねた。

「君は、僕達にとっての『神』なの?」

「……ええ、そういうことでしょうね」


 これ以上は踏み込んで欲しくなさそうで、僕は黙った。まだ良く分からない状況で、不意にウォーズの名を呼んだ。


「……フラミンゴス教会は、この世界に神殿を築いたわ」

「え?  どういうこと?」

「言ったでしょう?  この世界で人間は神なのよ?  神となった人間は、この世界の頂点から、傲慢な『カカシ』に鉄槌を下す存在となる」

 “寓話の婦人マダムグース”の言葉に、はっとした。

 ようやく合点がいった。

「そうか、『神』の御許に昇ることを赦されたって、そういうことだったんだ。フラミンゴス教会は、教会が掲げる『神』に自身がなろうとして、『終わりの日』を肯定したのか。全部こうなると初めから分かっていたんだ……!」

 そう結論付けると、次第に腹が立ってきた。

「始まりから終わりまで、人間は傲慢な生き物ね。その傲慢さのせいで、何度も『神』の鉄槌を食らってきた筈なのに、今度は自分達がその鉄槌を下す立場になろうとはね。どこまでも傲慢で、強欲で、貪欲で、私達『神』を苛立たせる。人間なんて、大嫌いよ」

「それ……」

「え?」

「そのセリフ、前にも僕に言っただろう?  あれは夢……じゃないか。僕と父さんが『カカシ』に襲われた時に、意識を失った僕に言ったセリフだ」


 あの時も、今も、目の前の彼女は掴み所のない存在で、綺麗で美しかった。

「ええ、そうね。人間なんて、大嫌い。貴方も神と呼ばれる人間になったのだから、私達『神』の気持が、その内分かる筈よ?」

「神……」

 僕は自分の両手に目を落とした。

「あれ?  僕のレザーは!?  ないっ!?」

 両手のレザーがなくなり、傷だらけの素手がそこにはあった。

「ああ、もう必要ないでしょう?」

「え?  どうして?」

「どうしてって……。貴方はもう、レックスマン家の呪縛から解放されたのよ?  こうして私は再び目覚め、貴方達の『血』を必要としなくなった。だから生傷を作る必要も、古傷を隠す必要もなくなったのよ?」

「そう、なんだ……」

「あら?  何だかとっても残念そうね?  もしかして私に『血』を啜って欲しかったのかしら?  やらしーわね、ヴァン」

「はうっ!」

 ヴァンと名を呼ばれ、一気に緊張した。

「うふふ、かわいー」

 突然、“寓話の婦人マダムグース”が僕に抱き着いてきた。

「え?  あ、あのっ……!」

 ぎゅうっと僕の体を抱き締める。

「ちょ、あのっ……!」

「末の子の濃ゆいのも好きだけど、貴方の薄いのも好き」

「え? ええっ!?  何のことっ!?」

「うふふ。ねえ、飲ませてくれる?  貴方の……」


「――シリアスを下品に貶めるのはお止め下さい」

 その時、割って入ってきた一人の青年。

 青年は“寓話の婦人マダムグース”を僕から引き離した。


「はあああ。助かったぁ」

 急激な動悸。清廉潔白な神学校セミナリオの学生には、刺激が強すぎた。

「何よ!  ちょっとだけ『血』を吸ってあげようと思っただけじゃない!」

「それならわざわざ下品な言い回しをする必要はないでしょう?  狙っていたとしか思えません」

 

 エメラルドの瞳に、栗色の髪の毛。背が高く、僕の視線が大分上をいった。


「君は……」

「ああ、申し遅れました。私は、ユーラシア・ボトムと申します。これより後、貴方様の身の回りのお世話をさせて頂きます。どうぞこれより後は、私のことをユースとお呼び下さいませ」

 

 そう跪いて、ユースは言った。


「ユースは第3統の『カカシ』なのよ」

「カ、カカシ!?  君があの『カカシ』なのかっ!?」

 どう見ても、普通の人間にしか見えなかった。道具感も、鼻を突く腐敗臭もなく、僕達を襲った『カカシ』とは、全く異なる生き物だった。

「かつて『神』が自分に似せて人間を創ったように、人間もまた、自分達に似せた『カカシ』を創った。だからこうなるのは必然じゃない」

「で、でも……」

「ヴァン様は、私がお気に召されませんか?」

 寂しそうに、ユースが僕を見上げた。

「あ、いや、そういう訳じゃないけど……。サマ付けはちょっと、違うかな」

「では、何とお呼びすれば宜しいですか?」

「フ、フツーにヴァンでいいよっ!」

「神を呼び捨てになど出来ません!」

「僕は神じゃない!」

「いいえ!  貴方様は我々『カカシ』の神でございます!  貴方様人間がいらしゃらなければ、我々『カカシ』は存在していないのですからっ……!」

 ユースの剣幕に、思わず押し黙ってしまった。

「……人間を神として崇め、畏怖し、心の底から尊敬することが、この者達『カカシ』の信仰心なのよ」

「信仰心……」

「それがなければ『カカシ』は生きられない。人間だって同じでしょう。寄り縋る何かがなければ、生きていようが死んでいるも同じなのよ」


 “寓話の婦人マダムグース”の言葉に乗って、ユースの真っ直ぐな視線が向けられた。

 よく見れば、その左目は、硝子のように透き通っていた。


「その目……」

「ああ、すみません。義眼なんです……」

「義眼?」

 気まずそうに、ユースが俯いた。

「私は第3統の『カカシ』なので、生命維持に必要な臓器の一部は、殆ど人間の方々に献上致しました」

「そんな……」

 そこまで話したユースが、僕を見上げて笑った。

「これも、人間と『カカシ』の共存共栄の為ですから! むしろ、自分の身体の一部が神と融合したのですから、これ以上の名誉はございません!」

「ユース……」

 僕は居たたまれない気持ちになった。

「これがこの世界の現実なのよ。羊の門が開きかけた状態で始まった、中途半端な世界。『人柱』が存在しない今、世界は不安定で、壊れやすく、創り上げたものが、災いによって消えていくだけ。この世界に秩序という安定を与える為には、誰かが『人柱』となり、『羊の門』を継承する必要があるわ」

「羊の門の、継承者」

「そう。フラミンゴス教会は既に動き始めたわ。この世界の『人柱』を探し始めた。貴方はどうするの?  このままここで、『カカシ』達に神と崇められて暮らしていく?  それとも、貴方がこの世界に平穏と秩序を与える『人柱』にでもなるかしら?」

「僕は……」

 不意に、胸元のロザリオに目を向けた。三日月を取り外した、逆さ剣だけのロザリオ。

 

 その前で誓った言葉が蘇る。


「……僕は、『終わりの日』を阻止したかった。『カカシ』の世界になることも、望んではいなかった。僕は、そのどちらにもならないようにする為に、君を守ると誓ったんだ、“寓話の婦人マダムグース”」

「私はもう、“寓話の婦人マダムグース”じゃないわ。私は『人柱』から解放され、『羊の門』もどこかへと消えてしまった。だからもう、貴方に守ってもらう必要はないわ。今度は、私が貴方を守ってあげる。私の本当の名前は、フィリア。ハバル12神の正義と反逆の女神。今の貴方の守り『神』としては、打ってつけでしょう?」

「ヴァン様、このユーラシア、どこまでも貴方様について参ります」

 優しい瞳の中に、ユースの熱い忠誠心が見えた。

 

 それでも、

 自分がどうすれば良いのか、

 その道が定まらない。


「ヴァン、リオネスは最後、貴方に何と言ったのかしら?」

「父さん……?」

「リオネスは貴方に、世界を終わらせるなと言ったのではなくて?」

 その言葉に、僕は目を見開いた。

「どんな世界であろうとも、リオネスは、を終わらせるなと言ったのではなくて?」

「あ……」

 僕は込み上がってくるものを、ぐっと堪えた。ぎゅっと唇を噛み締め、拳を握り締めた、

「この世界のどこかに『羊の門』が存在しているわ。それを見つけ出して、『羊の門』を継承すること。そうすれば、今の中途半端に隙間が開いた状態の『羊の門』を、開けることも閉めることも出来るわ」

「『羊の門』が完全に開いたら、この世界は……」

 

 僕はユースを見上げた。顔からつま先まで目を通していった。ボロキレを繋ぎ合わせて作った、焦げ茶色の服。人と変わらない姿で、身体の中身は、殆ど空っぽなのだと言う。


「どのような世界になっても、私はヴァン様のお傍におりますよ。私の命は、ヴァン様に与えて頂いたものですので」

「え……?」

 ユースが、にっこりと笑った。

「ほらヴァン、貴方の人生よ。何かを始めるのも、何かを終わらせるのも、貴方自身が決断しなくてはならないわ?」

 フィリアの言葉に、僕は、ぐっと拳を握り締めた。

 

 どうすれば良いのか、

 その答が知りたくて、

 僕は窓の外に目を向けた。


「この世界の現状を、僕自身の目で見てみたい――」

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