第4話 救世主

 気が付くと朝だった。

 

 ローグ港に着いてすぐ倉庫に隠れ、そのまま気を失っていた。倉庫の窓から、日の光が差し込んでくる。気絶は睡眠と異なる為、どっと疲れが襲ってきた。


「ん……」と身体を起こした僕は、はっとして周囲を見回した。

 

 隣には、安眠する“寓話の婦人マダムグース”がいた。

 

 ほっと胸を撫で下ろして、倉庫の天井を見上げた。


「父さん……」

 生きているのか、死んでしまったのか、分からない。漠然とした不安と恐怖から、不意に胸元のロザリオを掴んだ。


「……ウォーズ」

 僕はロザリオを掴んだまま、膝を抱えて俯いた。

「どこにいるんだよ、ウォーズ」

 

 結局、弟に縋るしかないのだから、僕という人間は無力なのだろう。そう思うと情けなくて、ぎゅっと涙を堪えた。


「いつまでもこのままじゃダメだ!」

 そう一念発起しても、今何をすべきなのか、どこに行けば良いのかも分からない。


 ローグ港は、ジェノレープ最大の漁港だ。

 いつもは朝市で賑わうこの場所が、今日は人気もなく、ウミネコの鳴き声すら聞こえてこない。

 

 皆昨夜の『カカシ』襲撃で、やられてしまったのか?

 

 僕は倉庫の扉を開け、外の様子を窺った。

 

 周囲に『カカシ』の気配はない。吐き気のする腐敗臭も漂ってこない。

 

 僕は眠っている“寓話の婦人マダムグース”の下まで戻り、その顔を、じっと見つめた。真っ白い肌で桃色の頬に、ぷっくりと膨らんだ唇。

 

 かつての干からびた老婆の姿はどこにもなく、何世代にも渡ってレックスマン家の『血』を啜ってきた呪いの元凶が、今目の前にいる。

 

 その彼女が、この世界の命運を握っている。

 この世界を終わらせ、新しい世界を始めるとされる、『羊の門』の継承者。


「羊の門……」

 僕は彼女の頬に手を伸ばした。そっと触れてみて、生暖かい感触が伝わってきた。

「はう!  やっぱり生きているんだ……」

 改めて触れてみて、ゴクリと唾を飲み込んだ。

 その時、外から拡声器で演説する人の声が聞こえてきた。


「――『神』は我々を見放された!  我々人類に残された道は、『カカシ』を殲滅し、この世界を存続させることである!」

 

 僕は倉庫から出て、その演説者を見つけた。自動車に乗って演説する若い男に続いて、何十人もの人々が、プラカードを掲げて行進している。その中に見覚えのある男がいた。

「ダビソン……!」

「ヴァン坊ちゃん!?」

 僕に気が付いたダビソンが、走ってやってきた。

「生きていたのか、ダビソン。良かった」

「ヴァン坊ちゃんも、ご無事でぇ!」

「他の皆はどうした?」

 僕の質問に、ダビソンが俯いた。

「みんなぁ、『カカシ』の連中にやられちまったんでさぁ。あの腐った臭いで、バタバタと倒れちまった……」

「そうか……。ところでウォーズは見かけなかったか?」

「いいや……。隣町は、旦那様は、ご無事でしょうかぃ?」

「父さんは……僕達を逃がす為に、『カカシ』と戦った」

「僕、たち……?」

「ああ、いや……。ところでこの団体は何だ?  演説からして、反フラミンゴス教会だろうが」

「ええ、そうでさぁ。昨日、ウォーズ坊ちゃんに言った通り、もう教会は信じられねえんでさぁ。あんな気味の悪い連中に、ただ滅ぼされるのを待つだけだなんて、どう考えてもオカシイっ!  だから今から、教会の奴らの目を覚ましに行くんでさぁ!」

 

 ダビソンの胸に、教会のロザリオはなかった。

 

 僕は自分のロザリオを掴むと、それをぎゅっと握り締めた。

「スンマセン、ヴァン坊ちゃん。俺ぁもう、フラミンゴス教会への信仰心はねえんです。俺達に終わりを告げた『神』は信じちゃいねえ。自分の人生の終わりは、自分で決める。そんな当たり前の現実を終わらせない為に立ち上がったあの人に、俺達は付いていくって決めたんでさぁ!」

 ダビソンが熱弁をふるった先に、あの人と呼ばれた男がいた。先程から自動車に乗って、拡声器で声を張る男。20代前半の若者で、その瞳は黒かった。

「東亜人か……」

「へい。名を未句麗みぐりと言って、日処国にっしょこくからやってきた救世主様でさぁ」

「救世主……」

 

 大層な肩書だった。

 

 未句麗を乗せた自動車が、教会堂へと向かっていく。

「俺ももう行きます。ヴァン坊ちゃん、今日限りで、レックスマン家の庭師を辞めさせてもらいます」

「ダビソン……。そうだな、こんな世の中だ。もし全てがうまく片付いて、この地が平穏を取り戻したら、その時はまたウチに来て欲しい」

「ヴァン坊ちゃん……」

 ダビソンが涙ぐんだ。

「俺……ご兄弟の中では、ヴァン坊ちゃんが一番好きでした」

 僕は面食らった。だがどこか嬉しくて、「ありがとう、ダビソン」と笑った。

 

 ダビソンが行進に戻っていった。

 

 僕は倉庫の中に戻ると、眠る“寓話の婦人マダムグース”の傍らに座った。

「ダビソンは自分の道を選んだ。僕も、僕の道を選ぶ覚悟をしないとな」

 僕は、首から下げていたロザリオの紐を引きちぎり、拳に収められたそれを見つめた。


 三日月に逆さ剣が突き刺さったそれの意味は、傲慢な人間に『神』の鉄槌を与え、改めんとする意思の象徴。


 “世直し”と銘打った世界信仰化オプシションの成功により、異端とされた人々が悉く処刑された百年前の歴史が、フラミンゴス教会にとっては、栄典とされている。


 僕は、三日月から逆さ剣を抜き取った。


 極小の剣を前に、僕は“寓話の婦人マダムグース”に目を向けた。


「君が世界に終わりと始まりを与える存在だと言うならば、僕はそのどちらにもならないようにする為に、どこまでも君を守り抜くと誓うよ。フラミンゴス教会への反逆も、レックスマン家を発つことも、大義を成し遂げる為ならば、何も怖くはない」

 

 まるでプロポーズだった。

 それでも“寓話の婦人マダムグース”はたた眠っているだけで、何も答えはしない。

 

 僕は逆さ剣を首から下げると、“寓話の婦人マダムグース”を背負った。そうして救世主、未句麗率いる反教会を追って、ジェノレープの北側に位置する、リブレー教会堂へと向かった。

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