砂漠の星 郵便飛行機乗り

降瀬さとる

第1章 ラシェット・クロード 旅立ち編

第1話 手紙 1

前書き


ぼくら人間について、大地が、万巻の書より多くを教える。理由は、大地が人間に抵抗するがためだ。人間というのは、障害物に対して戦う場合に、はじめて実力を発揮するものなのだ。

サン=テグジュペリ『人間の土地』冒頭より


僕はこの小説を古い友人に捧ぐ





今回もなんとか無事に帰って来られた。


そう思いながら、僕はふらふらと階段を登る。

まだちゃんと地面に足が着いていない、どこかフワフワした感覚がする。


これはいつまで経っても飛行機乗りにつきまとう感覚だ。しかし、次第に慣れはする。慣れはするが、やっぱりあまり気持ちのいいものじゃない。


この感覚について、ある軍学校時代の友人はこう言っていた。

「こんなの、閣下直属の第1空団に入ってしまえばお終いさ。なんたって、あそこには最新鋭の戦闘飛行機、gh-601《ゼウスト》が配備されてるんだから。こんなオンボロ時代遅れの《クラフト》じゃなくてね。兄様の話ではまるで自分が鳥になったかのように、エンジンの音もその振動もないらしい。プロペラの音もね。実にスムーズで静かなんだって。だから、第1空団に入れさえすれば、もうこの厄介な飛行酔いとはおさらばなのさ」


また、ある友人はこう言っていた。

「しかし、だんだん飛行機の技術も進んで、今では考えられないようなスピードと安定感を持った機体がこの先も出てくるんだろうけどさ。俺はさ、やっぱりこの《クラフト》みたいな機体が好きだな。手がかかるし、そのくせ乗り心地は最悪だけど、ちゃんと乗れば50年は同じパフォーマンスを出してくれる。このタフさに、俺は命を預けられる気がするんだ。お前もそう思わないか?それにさ、あの飛行酔いがないとな、ちゃんと実感できないだろ?今回もしっかり無事に生きて帰って来たんだぞってことがさ」


そうだなと僕は思った。

当時の僕も後者の友人にそう言った記憶がある。

でも、僕が自分の愛機に《クラフト》を選択したのは、そんな積極的な理由からではない。


まず第一に金がなく、中古の《クラフト》ぐらいにしか手が届かなかったこと。


第二に個人依頼の郵便配達機に第一線の軍機のような戦闘力は必要なかったこと。


第三に訓練士時代に、一番乗っていた機体だから、使い勝手が分かっていたこと。


それらを考慮すると自然と《クラフト》しかなかった。だからなんの腐れ縁かわからないが、今もこの機体とこの機体のもたらす飛行酔いと付き合っているのだ。

きっとこれは一生続くだろうと僕は思っている。


自宅の扉の前にやっと辿り着くと、ドア横の郵便受けにこれでもかというほど、チラシが詰め込まれているのが見えた。毎回のことだが、見るたびにうんざりする。


今回の依頼には、往復13日間かかった。

なかなか骨の折れる仕事で、初めてサンプトリア大陸の奥地にある、コゴモと現地人に呼ばれるジャングルまで行った。本当にこんな所に文明の息のかかった人が住んでいるのだろうかと思ったが、首尾よく目的の集落にいた、帝国大学教授ランド氏を見つけることができた。実に運が良かった。でなければ、今回の帰還にはあと3日は要していたことだろう。


うん。13日間、確かに長い時間だ。

しかし、郵便受けに残されたチラシを見れば家主が帰ってきていないのは明らかなのだから、こんなに毎回チラシをねじこんでいかなくてもいいのではないか。そうしたら、こんなにも溜まることはないはずだ。こんな状態では、肝心の僕宛ての手紙がもし来ても、入らないではないか。


今回はいつもより疲れているせいか、妙に腹が立ってチラシを一枚一枚睨みつけるように見てやった。やれ、宅配ラーメンやら、健康保険やら、帝国新聞やら、エッチなマッサージやら、飛行機オイルの定期購買なら安心のホワイトブランドやら、まあ今の僕には必要のないものばかりだった。特に飛行機メンテナンスのチェーン店や、オイル店のチラシは最近ますます増加傾向にある。


まあ確かに飛行機ガレージ着きの物件に住んでいる者の宿命なのだろうが、こんな旧市街のそのまたはずれのボロアパートに住んでいるやつが、やたら手数料の高いメンテナンス店や、オイル店を本当に利用すると思っているのだろうか。


メンテナンスは自分でやる。オイル店には馴染みの店がある。本来ならそれが普通だ。自分の命がかかっているのだから、チェーン店なんかに任せることなどない。しかし、そういう店が急成長しているというのだから、時代は変わりつつあるのかもしれない。


そんなこと思いつつ、チラシをめくっていると中に1通の手紙が挟まっているのを見つけた。だから言わんこっちゃない。もし、僕が丁寧に見ていなければ捨ててしまっていたところだ。

しかし、実は手紙が届いたことなんて今まで一度もなかった。専ら手紙は他人に届けるだけなのだ。一応、自分に宛てたものなのか確かめてみる。


ラシェット・クロードへ

サマル・モンタナより


と手紙にはあった。

確かに僕宛ての手紙だった。消印は今から1ヶ月ほど前、見たこともない国の消印の上から、隣の大陸の端にある国のスタンプが押され、その上からさらに帝国のスタンプが押してあった。


サマル。彼の名前は目にするのも8年ぶりだ。確か、中等学校を卒業して以来、一度も会っていないし、連絡すらしたことがないはずだ。それなのになぜ?


僕はまだいくぶんボンヤリする頭で考えたが、適切な考えは思い浮かばなかった。

まあ、いい。とにかく部屋に入ろう。

僕は部屋の鍵を開け、中に入り、不要なチラシを屑篭に放り込み、ベッドのサイドテーブルにサマルからの手紙を置くと、取り急ぎシャワーを浴びることにした。


サマル。懐かしいな。

よく一緒に釣りに行ったなー。先生へのいたずらの犯人はだいたいあいつで、僕は仲が良いという理由だけで、一緒に反省文を書かされたっけ。あと、僕が成績優秀だからといって、勝手にサマルの監督責任者みたいにされてた。実はサマルの方が数学や化学、機械物理の成績は良かったのに。


シャワーを浴びるとどっと疲れが出てしまった。

サマルの手紙のことは気にはなったが、タフな任務を終えた気の緩みからか、ベッドに横になると、僕はすぐに眠りについてしまった。



その手紙が僕の今後の人生を大きく変えることになるのだが、この時の僕は知る由もなかった。

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