第32話 窮鼠



 雪兎らがリンボに辿り着いて翌日、クレーターの底に築かれた町は朝から活力に満ちていた。 長きに渡るリンボでの生活により人々からいつしか失われていた希望。 雪兎らの来訪によって再び芽生えたそれは、陰鬱だった町の空気を吹き飛ばし、本来いるべき場所に帰るための活動を再開させる。



 リンボからの脱出を実現するために建造されるも、その後長い期間放置されていたグロウチウム製の巨大な門。その周囲で、科学者やエンジニア達が黙々と作業を行っている。 彼らの視線の先に座するは、送電用ケーブルを全身に繋がれたドラグリヲ。まるで眠っているかのように動かないそれが低く唸る度に、門に備えられた蓄電装置が徐々に満たされていった。



『現在必要電力の約4割を充電済み。 この調子ならば後2日もあれば余裕で達成できますね』


「しかしもどかしいな。本気でやればもっと早くタスクを完了出来るのに」


『奴等に位置を特定される危険がある以上、大規模なエネルギーの放出は御法度です。ここが敵地であるという危機感をちゃんと持って下さい』


「それは言われなくとも分かってるけど、やってることが実験動物の真似事じゃあなぁ」



 感情の高ぶりによる急なエネルギーの上昇を抑えるために暇潰し用の雑貨全てを取り上げられ、雪兎は仕方無しにひたすら瞑想に徹する。


 勿論、何も考えずに動かなければいいという単純な話ではない。


 体内からエネルギーが抽出されひどく脱力する都度に、カルマから高濃度栄養液を打たれ強制的に目覚めさせられる拷問。それは肉体的には強靱であっても、精神的には常人に近い雪兎にとっては非常に過酷だった。



『まぁまぁ、首領とのピクニックに比べれば随分マシでしょう』


「違うベクトルで辛いんだよ、ばぁか」



 暇だ、暇だと駄々をこね、生気を失った顔で一人虚空を見上げる雪兎。やがて瞑想を続けるのにも飽き、コックピット内の凹凸を数えるという不毛極まり無い暇潰しに興じ始めた時、ようやく作業終了を知らせるブザーが鳴り響き、カルマがコックピット内に姿を現した。



『はいお疲れさまでした、本日のノルマはこれで終了となります』


「これが後2日も続くのか……、たった半日ほど座っていただけなのにこっちはもうクタクタだよ……」



 カルマがコックピット中に張り巡らせていたケーブルを次々と回収していくと、脱力し切っていた雪兎の身体に活力が漲り、立ち上がるだけの気力を取り戻す。



「それで、他の皆は今なにをやってるんだ?」


『クラウスさんは今後の計画を練るために町の有力者との会談。 ロンさんは酒場に集まった人々に外の事を話していました。 ミシカさんは……、その辺で犬猫相手にじゃれてるんじゃないですか? まぁ放っておいても大丈夫でしょう』


「何だよ遊んでるメンバーの方が多いじゃないか。 僕ばかり損した気分だ」



 世の中不公平なものだと呟きつつ、雪兎はコックピットブロックを堅固に守る正面装甲を押し上げると、まだまだ作業中の面々への挨拶もそこそこに、提供された宿舎へとふらつく足取りで帰っていく。



「まぁ、2週間生存圏外を行軍させられることに比べればずっとマシか……」



 首領に運悪く有望だと目をつけられた同期らと共に、ハイキングという名のサバイバルに付き合わされ何度も死に瀕したことと比較し、今の境遇を幸せなのだと自分自身を洗脳することで乗り越えようとする雪兎。 だが、すぐ傍らで黙って話を聞いていたカルマが突然立ち止まったことに気が付くと、己も足を止めた。



 カルマの瞳の中を警戒を促す黄色い走査線が交差していることに横目で確認し、雪兎は無意識のうちに左手を固く握る。



「どうしたカルマ、まさか敵なのか?」


『……彼が敵か否かは、ご自身で判断なさって下さい』



 軽く地面を踏み締めて跳躍の用意を済ませた雪兎の後方に、驚くほど冷たい視線を投げかけるカルマ。 彼女は付き合ってられないと言いたげに露骨に表情を歪ませると、付近にあった樋の中に身を溶かし、驚くような速度で遠ざかっていった。



『随分と彼女には嫌われたようだ。 こちらとしては普段から良い行いをやっているつもりなのだがな』



 カルマが姿を消した直後に響いたノイズ混じりの電子音声。 それに釣られて雪兎は頭上を見上げると、そこには腰を掛けたような体勢で宙に浮かび、雪兎の様子を伺うジェスターの姿があった。


 恐らく蚕魂の糸を利用したトリックなのだろうが、彼はそれを感じさせないような身のこなしで位置取りを変えると、改めて脚を組み直しながら雪兎の顔を見下げる。



「仕事終わりにかこ付けてわざわざ何の用です?」


『大した理由は無い。ただ君に一つ質問をしたかった』


「質問……ですか……?」



 何を聞かれるのか、もしや自分に宿った化け物に関することなのか、全く予想が出来ず、無意識の内に生唾を飲み込む雪兎。 そんな雪兎の懸念など露とも知らず、ジェスターは無感情に言葉を垂れ流す。



『君はすべての民草は等しく守るべきだと考えているようだが、果たしてそれは是だろうか?』


「は? 一体何を言い出すんだ? 当然だろう! いくら僕らに抵抗する力があるといっても、それは戦う力を持たない人が別分野でサポートしてくれているからこそ出来ることだ! 彼らが根絶やしにされれば、巡り廻って僕らも死ぬことになる! そんな分かり切った事をグダグダ抜かしに来たと言うのなら、話は終わりだ!」


『その支えてくれる無力な民草とやらが、時に浅はかな考えで重大な過ちを起こすことがあったとしてもか?』


「……何だと?」



 苛立ちを隠さずに吐き捨ててその場を去ろうとした雪兎にぶつけられる思わしげな言葉。 その意味を雪兎が問いただそうとした瞬間、けたたましい銃声と破裂音が門のある方角から響き、続いて火急を告げるサイレンが町中を駆け巡った。



「何だ? 一体何が起こっているんだ!?」


『収監されていた罪人共の仕業だよ。 奴等、このままだと自分達だけ置いていかれると判断して無茶をやったんだろうな』



 警報を聞きつけて住居から飛び出したのはいいものの、何をすればよいのか分からずパニックに陥る住人達。 その人の波のすぐそばで、雪兎とジェスターは互いに抱いた不信感を隠そうともせず睨み合う。



「アンタ、こうなると分かっていてワザと手を打たなかったな?」


『たとえ罪人共を皆殺しにして阻止したとしても、何らかの理由で必ずあの門は損壊する。 昨日君らが話し終わった後、アルフレド氏は私に直接忠告してくれたよ。 ならば無駄な労力を消費してまで奴等を止める必要などあるまい』


「ふざけやがって! いちいち何様のつもりだよテメェは!」


『残念だが答えてやる気も無ければ時間もない。 君になら分かるはずだ、奴等の愚行のおかげで今この町に何が起きつつあるのかを』


「……ああ、不幸なことに分かっちまったよ」



 爆発の瞬間に無理矢理知覚させられた圧倒的な殺意と憎悪。 それはヒトとしての生存本能と獣としての殺戮衝動を過剰に刺激し、絶望と興奮入り交じる精神的狂乱の渦となって雪兎を駆り立てた。



「カルマ! ドラグリヲを!」


『言われずとも承知しております』



 人間離れした脚力で地を蹴り、ジェスターの真横を掠めるようにして跳ね上がった雪兎の身体を、コックピットを展開したまま飛来したドラグリヲが器用に回収する。そうして体内に主を受け入れた機械龍は勢いそのままに偽装スクリーンを突き抜けると、雄叫びを上げながらクレーターの外へ飛び出していった。



「おい勝手に何をやっている!? こっちは門を勝手に使われた挙げ句壊されて騒ぎになってるってのに!」


「説明している時間はありません! とにかく今は迎撃の準備を急いで下さい! お願いします時間が無いんです!」



 程無くしてスピーカーから聞こえてきたクラウスの怒鳴り声に対し、雪兎は可能な限り丁寧な応対をして通信を切ると、自らは地平の果てに目を凝らす。 殺意と憎悪の根源を己の目で見定める為に。



「何故バレたんだ。 あんな小さな爆発程度でバレるのなら、僕達がここに転移した時に分かっているはずだろう!」


『恐らくは目星を付けられていたのでしょう。 次に次元の裂け目が開く時には必ず人間の手が介在するはずだろうと』



 戦意を奮い立たせてドラグリヲにエネルギーを供給する雪兎の側で、カルマはセンサーの強度を最大まで上げると、標的を確認したのかサブモニターに映像を上げる。 映し出されたのは、地平線の遥か彼方に朧気ながらも浮かび上がった、入道雲よりも巨大な花の怪物の影。 絶対的な敵性存在であり全てを超越した生命の顕現にたちまち雪兎は言葉を失う。



「まさか……」


『対象個体をデータベースと照合。 該当データ有り。 神話級害獣ドリアードと確認。 まだ詳細な居場所が特定されていない可能性も無いとは言い切れないため、至急機体の存在を隠匿し、交戦の可能性を少しでも下げるよう努めて下さい。 戦って勝とうとは決して考えないように』



 多分に希望的観測が混ざったカルマのいい加減な言葉。 しかし雪兎はそれに答えることも出来ずただ沈黙する。勿論そんなことで事態が好転する訳も無く、何の前触れもなくドリアードの身体から目映い光が迸った刹那、膨大なエネルギーと圧力を宿したボルトがドラグリヲの眼前に到達した。



「うわあああ!?」



 防御も回避の姿勢も取れず、顔をメインモニターから背けながら反射的にフォース・メンブレンを展開する雪兎。 すると、直撃したエネルギーは炎の膜の中へ取り込まれていき、奇跡的にも生き残ることに成功する。



「ああ生きてる? 僕はまだ生きているのか!?」


『まだ分かりませんよ! とにかく第二波に備えて下さい!』



 信じられないとばかりに顔を撫でる雪兎を叱咤するように叫ぶカルマ。 彼女の発破が効いたのかは定かでは無いが、雪兎は半ば正気を取り戻して前を見ると、地平線の彼方から莫大な量のエネルギーボルトが放たれたのをちょうど目撃する。



「ええいクソ! 本当に生き物なのかよ奴は!」



 駄目で元々、雪兎はフォース・メンブレンを可能な限り厚く大きく展開し、間違いなく町を襲うであろう破滅的攻撃に備える。 刹那、周囲一帯の地形を蒸発させ一変させるほどの圧倒的な光の豪雨がドラグリヲの頭上に降り注ぎ、フォース・メンブレンを幾度と無く大きく波打たせた。 フォース・メンブレンがエネルギーを溜め込んでいくにつれ、紅く輝く炎の膜は紅から蒼へ、蒼から目が痛い程の白へと色彩を変えていく。 しかし奇跡的にも膜を貫通する事は無かったようで、町に一切被害は出ていない。



「やった! 何とか耐えきったのか!?」


『まだ終わっていません。 続いてドリアードの体内より大量の害獣の出現を観測。 予想出現数最低でも10億。 普段見られない中等種の害獣が混ざった軍勢がこちらに攻め寄せて来ています』


「は? 最低でも10億だと!?」



 いくらドラグリヲ単体が強いといえ、ここまで頭数に差が広がってしまえば最早強かろうが弱かろうが関係なくただ轢き殺されるだけだと、雪兎は絶望の色濃い表情を晒す。



「どうすれば……僕は一体どうすればいい……?」


「馬鹿かお前は! 本気で億相手にする奴がどこにいる!」



 地平線の向こうから確実に迫ってくる大軍勢の脅威に慄き、呆然とする雪兎の背中にクラウスの怒鳴り声が遠慮無く叩き付けられる。直後、地形の変化によって偶然開けられていた穴より3機のアーマメントビーストが這い出て、ドラグリヲと轡を並べた。



「いいか! 門の修理が終わって裂け目が開くまで耐えればいい! 世界中に神話級が溢れだしていない事実がある以上、奴等も気軽に追っては来られないはずだ!」


「ホントかいそりゃ? まぁアタシは楽しめればそれで構わないんだがな」



 声を張り上げて鼓舞するクラウスと、これから始まる殺戮の宴を待ちきれずに笑うミシカ。 まともにぶつかれば万が一にも勝機などあり得ないにも関わらず、何故かそれらの士気はすこぶる高い。



「しかし仮に門の修復が終わっても今度は裂け目を開くためのエネルギーが……」


「それについてはアテがあると学者連中が言っていた。 その道のプロがそう言うのなら、門外漢の俺達がとやかく言う筋合いは無い。 だったら彼らが俺達を信じてくれているように、お前も彼らを信じろ。たとえ藁に縋る様な話だとしてもな」



 雪兎の懸念を遮って、クラウスは自分にも言い聞かせるように雪兎を諭す。 その段になって、ようやく雪兎は気が付いた。 この場で不安に駆られていない者は誰一人としておらず、無理矢理に自らを奮わせて戦場に立っているのだと。 それを理解した瞬間雪兎の気持ちは軽くなり、僅かばかりの勇気となって雪兎の背中を押した。



「やるしかない!」


『やる気になって貰えて何よりだ。 君の全力、存分に拝見させて貰うよ』


「テメェに言われずとも!」



 なにくわぬ顔で通信を送り付けてきたジェスターに対し腹立ち紛れに返しつつ、雪兎は敵影で黒く染まった地平線を強く睨み付ける。 そして機体と精神を可能な限り同調させると、悠々と迫り来る軍勢の虚を突くべく、ドラグリヲを飛翔させた。



『我々が撃墜されれば、町を覆うフォース・メンブレンも消滅するでしょう。 それはあの町で息づく全ての人の死を意味します』


「言われずとも死ぬつもりは無い! 僕はまだ死ねないんだ!」



 そう、自分だけが死んで楽になることなど許されるはずがないと、雪兎は顔面に自ら刻んだ傷が疼くのを感じながら、両拳を血が滲むほど固く握る。



「だから殺してやる! 肉塊も骨片も残らず滅してやるぞ!」



 常軌を逸した殺意に身を委ねて叫ぶ雪兎に呼応し、天を仰いで高らかに咆哮を上げるドラグリヲ。氷の刃と炎の衣を纏ったその鋼の龍は目一杯に翼を広げると、迎撃に撃ち出された生体腐食弾の嵐の中へ自ら身を投げ出していった。

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